第9話 再びSトンネルへ向かう二人の釣り師

 一条との約束の日、時刻は夜の十一時半、天候晴れ。


 夜空には満天の星空が瞬き、見ているだけでいつまでも時間がつぶせそうな中、集合時刻を過ぎてもなかなか現れない一条に、俺はわずかに不安を感じていた。


 今日の昼に一条と連絡を取り、集合場所についての連絡を取り合ってはいたが、まさかここに来るまでの道中で何かあったりしないだろうか。

 そんな、不安に思いながらソワソワとしていると、暗闇の中からフラフラと乱れる光の筋が現れたのに気付いた。


 それは徐々に俺の元へと近づいてくると、一条が息を乱しながら現れた。


「いやぁ、お待たせ山藤君、遅れちゃってごめぇん」

「大丈夫だけど一条、その荷物は何だ?」


 俺は一条が背負う大荷物について尋ねると、彼女はどこか嬉しそうに笑った。


「えへへ、これパパの釣り道具一式、借りてきちゃった」

「パパって、あのおととい迎えに来たあの人だっけ」


「うん、そうだよ、貸してって言ったら普通に貸してくれたの。なんか嬉しそうだった」

「・・・・・・そ、そうか」


 俺はあのインテリヤクザさんこと、一条のパパさんの笑顔を想像してみたのだが、この蒸し暑い夏の夜でも寒気を感じるほど不気味に思えた。


「何はともあれ、夜釣りに行くぞーっ」


 何やらテンションが高めの一条は、拳を夜空に突き上げながらそう言った。


 それからは、一条な変なテンションと「夜釣り」という単語をリズムに合わせながら先導する一条の背中を追いかけつつ、たどり着いたのは「Kトンネル」付近の場所だった。


「おい一条、今日は釣りに来たんだぞ」

「わかってるよ山藤君、遠くから見る位いいでしょ?」


「まぁな」

「ところで、肝心の夜釣りスポットはどこなの?」


「こっちだ、俺の後をついてきてくれ」

「おっけぇ」

 

 一条はどこか気の抜けた返事を返しながら俺の後をついてきており、その視線はばっちりKトンネルをとらえているように見えた。

 まぁ、一条が夜釣りに興味ないことくらいは分かっているが、そうも露骨な態度をとられると、少しだけ残念な気分にもなる。


 そんなことを思いながら、夜の山道を歩いていると、やがて夜釣りのポイントである池に到着した。

 ここに先客がいたことなどはなく、今日も真っ暗な池の周りで、慎重に足場を確認しながら、いつもの安全な場所に到着すると、俺は一条に話しかけた。


「一条」

「は、ひゃいっ」


 一条はどこかおびえた様子で返事を返してきた。


「だ、大丈夫か?」

「え、あぁ、うん」


「何か気になるのか?」

「・・・・・・いや、夜の山道って普通に考えて怖すぎるなぁって思ってさ」


「あぁ」

「ちょっとした音にも敏感になるっていうか、いまにも何か出てきそうっていうかさ 


「帰るか?」

「い、いや、せっかくだからやるっ」


 以外にも根性のある一条と共に、俺は池の傍にある桟橋へと向かった。ぎしぎしと音を立てる桟橋に立つと、一条は「ちょっとまって」と声を上げた。


「どうした?」

「この橋大丈夫なの?」


「そうだな、ちょっとやばいかもな」

「山藤君、わ、私怖いんだけど」


 一条にごく当たり前の危機察知能力がある事に俺は少しだけ安心した。そう、俺が今やってる事は明らかな危険行為であり、普段は絶対にしないことだ。


 じゃあ、なぜそんなことをするかって?そりゃもう一条の驚く様子を見たかったからだ。きっと肝が冷えたことだろう。


「冗談だ、ちゃんと水辺からは離れてやろう」

「冗談はやめてよ」

「あぁ、悪い」


 予想以上に良い反応をしてくれた一条の様子を堪能した後、俺たちは早速夜釣りに没頭していると、一条が何かを見つけた様子を見せた。


「ねぇ山藤君」

「どうした」


「ここから、なんか建物が見えるんだけど」

「あぁ、ここから見えるのが例の精神病棟だ」


「すごい、結構明るいね」

「・・・・・・なんでだと思う?」


「え?」

「今何時だ?」


 俺の問いに対して一条はわずかに考える様子を見せた後、静かに携帯端末を取り出すと、時間を確認する様子を見せた。


「24時24分」

「常識的に考えて、消灯時間なんてとっくに過ぎているだろうに、なんであんなにも煌々と電気がついているんだろうな?」


「・・・・・・き、きっと今日は夜遅くまでお仕事が立て込んでいるのかも」

「そうだな、あるいは病棟で何か事件でもあったのかもな」


「事件?」

「患者が脱走したとか」


「そ、そんなっ、こないだ脱走したばっかりでしょ、また脱走するなんてことあるの?」

「俺の知る限り精神病棟の電気があんな風になっている時は、何かしらのトラブルが起こった時だという認識だな」

「うぅ」

 

 一条は苦しそうな声を漏らした。その様子にさすがにやりすぎたと思った俺は少し空気を和らげる事にした。


「まぁ冗談はさておき、もっと普通に考えるなら病棟内の急患とかだろうな」

「あっ、なるほど、確かにそうだよ」


 一条はわずかに元気を取り戻したのだが、それと同時に「むーっ」という奇妙な声を上げた。


「な、何だよ一条、変な声出すなよ」

「山藤君こそ、今日は一段と冗談が好きなんだね、私を怖がらせようとしてるの?」


「いや、せっかくだから雰囲気を良くしようかと思って」

「・・・・・・」


 唐突に一条は喋らなくなった。何事かと思っていると、一条は精神病棟の方向を見つめながらぼーっとしていた。その様子に俺もすぐさまその方向へと目を向けると、精神病棟の屋上あたりで、ライトの光がチカチカと光っているのに気付いた。


 それはどこか規則性のあるものであり、まるでどこかの誰かに合図を送っているかのような動きだった。


 そして、俺はその様子を見てすぐに持っているライトを消し、一条の持っているライトも消した。


「わっ、ちょっとどうしたの山藤君」

「精神病棟の屋上、気づいたか」


「え、うん、なんかチカチカ光ってると思ってみてた」

「・・・・・・」


「え、なに、何か問題?」

「まぁ、下手に目立つのもよくないからな」

「そっか」


「ねぇ山藤君、あの光さ、なんか規則的じゃない」

「そうだな」

「そうだなって、その様子だとあれについても何か知ってるんでしょ?」


 一条はすっかり俺に対して疑心感を抱いており、それが言葉となって表れていた。そして、一条の不安はそのとおりであり、あの光には間違いなく法則性とある種のメッセージが込められていると、俺は思っている。


「あの光は、主に精神病棟で何かが起こっているときに行われる合図だ。そして、それを誰かに伝えようとしているものだ」

「伝えるって、誰に?」

「それは・・・・・・」


 今まさに、それを伝えようとしていたのだが、精神病棟の屋上に見える光が突如として赤い光になった。それはぐるぐると円を描くように動いていた。


「山藤君、なんか赤色になったんだけど」

「一条、帰るぞ」

「えっ?」


 俺は、最低限の光源で釣り道具を片付け、一条の手を引いて池から離れた。無言で山道を進んでいると一条が話しかけてきた。


「ちょ、ちょっと山藤君どうなってるの、何があったの?」

「あの赤い光は、危険信号だ」


「危険信号?」

「とにかく今は山道を抜けるぞ」


 そうして、歩みを進めていると突如として近くで茂みが大きく揺れ動いた。さらに、荒い息遣いが聞こえてきており、その異常事態に一条は叫び声をあげた。


「や、山藤君っ」


 俺に助けを求める声を上げた一条に、俺は彼女の腕を引いて走り出した。


「本気で走れ一条っ」

「え、あ、はいっ」


 道の悪い山道ではあるが、事態は急を要する状況の中、俺たちは必死に走っていると、やがてアスファルトの道に抜けることができた。


 俺はすぐさま背後を確認しながら周囲を警戒していると、聞こえてくるのは一条の吐息と虫の音が聞こえてくるだけだった。

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