第参章 巫女ノ詠唱
第五話
「…あぁ〜、だる」
「だから、あなたの名前は『稗田阿礼』と書くのです。あぁあ、書き順が違う。一角目に――」
「もうやだ、やめる」
――黄泉ノ淵で詞魂を納めた後、俺が万侶の書がどうなっているのかを聞いた。すると、どんな人でも〈書ける〉、と言われた。だから俺も〈書ける〉ようになりたいと言ったら、まずは読み書きからだよと言われ――万侶に読み書きを教わることになってしまった。
「はいはい、やめましょう。僕もこんなに騒がしい生徒を教えるのは嫌です」
…俺だってかっこいい書物を〈書きたい〉し、〈生物〉だって――うぅ…万侶先生が怖いからやりたくないんだよ…っ…。まぁ、万侶からかっこいい筆をもらったわけだし、もういいか…。
「…んで、次の詞魂はどこにあるわけ?」
「ああ、それは…ここから少し東の方にある神社にある、と噂で聞きました」
神社か…次の詞魂っていうと、順番的には…第四章の岩の中に隠れる女神の話…まぁつまりは女神が隠れて世界が暗くなってしまった――そんな話だ。
「…てか、万侶ってどこからそういう情報取り入れたの?」
「それは――ただの趣味ですよ。稗田阿礼に興味があって、彼に会うために詞魂の位置を調べてきた…と、いうことです」万侶は笑いながら言った。絶対嘘だろ。趣味で詞魂の場所を調べるか。しかも禁断の詞魂全書の…。
「…聞きたいんだけど、五年前俺のところに来たのはなんでなんだよ?」
「…ああ、それは――あなたのお父様に呼ばれてきたのですよ、『旅に連れて行ってくれ』って。僕が来たらあなたは僕に惚れて…ふっ、あの時の顔」
お、お父さんが…?万侶を呼んだのはお父さんだったのか…?
「その後、お当様に『わざわざ呼んだけれどすみません、こんな息子ではダメですね』と言われ去っていったのですよ」
お父さん…ダメな息子でごめんな…急に抜け出したりして。でも、お前の育て方…少し間違っていたのではないか?もう少し愛情を込めていたら…どうなっていただろうね。
――俺らは神社を目指しながら歩いていた。…そして三日が経つ。そう、またまた邪魔をされたのだ。万侶が持ってきた食料は尽き、餓死するところで…やっと神社に着いた。
「ふぅ…やっと着きましたね」
「そういうお前が…元凶な…うぅ…」
ここ数日、ちゃんと寝ていないし、食べ物を食べていない。ああ、俺――もう死ぬのかもな…。
「…あなたたちは…」
そう思った俺だが、突然頭上で声が聞こえた。俺はその声の主を見る。紺色の髪の少女だった。
「ああ、こんにちは、旅の者です。太安万侶と申します」冷静な様子の万侶だが、もう俺は話す気力はなかった…。
「私…
「本当ですか?ありがとうございます」
ご飯…食べたい…なぜ万侶はあんなに元気なんだ…俺は彼女に着いていくのだった――
「ふわぁあ!満腹満腹」
俺は彼女の舎で満腹になるまで食べた。温かい白ごはん、香ばしい焼き魚…どれも天国に行ったようなおいしさだった。
「本当にありがとうございます、お料理を出していただいて」
「いえいえ…たまたまイノが通りかかったので…感謝はイノにしてくださいな」
この神社の宮司――そして彼女の父が俺達に料理を出してくれた。
「イノ…?あぁ、祈理だから…」
「ほら阿礼、呼び捨てをするんじゃないですよ…というか、まだ紹介してませんよね」
万侶は厳しいなぁ。なんだよ別に。俺は身分だって低いし、名前を言わなくたっていいじゃないか。というか万侶から阿礼さんって呼ばれている時点でわかるだろうし。
「…稗田阿礼」
「阿礼くんだね、よろしく」
彼女はにこっと微笑んだ。紺色の髪に、澄んだ瑠璃色の瞳…まさに巫女、という感じだな。
「――そういえば、この神社にある詞魂のことは知っていますよね」万侶が質問した。愛想が良いように見させての急な質問。
「こと、だま…?」イノは少し驚いたような表情をした。「うちには…そのようなものはありません」
「は…?」
俺はついつい声に出してしまった。何せ…詞魂がここにあるはずなのに、ない、って…万侶の間違えだったんじゃ…。
「本当ですか、それは…」
「う、うん…うちは――何を祀っているんだっけ」
えぇえ…嘘だろ。自分の神社がどんな神社かも知らずに巫女をしてきたのか?そんなわけないだろ、絶対何かある…けれど、隠していそうな雰囲気…ではないな。
「…そうですか…すみません、変なことを聞いてしまって」
「ううん、大丈夫…そうだ、この近くの村を案内するよ!」
うぅ…このイノとかいうやつ…本当に知らないのか…?まるで、記憶喪失のような…って、もしかして――
「この田んぼがこの村で一番大きいんだけど、すごいよね!」
「ここの舎では、物が売ってるの!舎なんだけど舎じゃない…いつも助かってる場所なんだ!」
俺達はずっとイノに連れ回されていた…村の案内にしては長いだろ…そんなに大きな村じゃないのに、一つ一つの舎に対してコメントがある…。
「此の国は、我が御子知らさむ国…お前、この村が好きなんだな」俺は呆れたように言った。
「うん…私は、生まれ育ったこの村が、大好き!」
イノの顔が眩しく輝いた。本当に好きなんだろうな、この人。そういう気持ちが伝わってくる。
「――それにしても、人が全然いない。何かあった?」
「あぁ…それは…っ」
俺の質問に、彼女は顔を曇らせた。
「…最近、この村で病気が流行してしまって…村に医者はいないから、みんな舎で神様に祈ってるの」
…病気…?あぁ、だから人がいないわけ。
「…私のお母さんも、その病気で逝っちゃったんだ」彼女は暗い声で言った。
「…どんなに祈っても、何も変わらない、きっと神様は私たちを見捨てたんだね」彼女の目が曇った。
そして俺達はイノの神社まで帰ったのだった――
「久しぶりの布団だ…」
俺達は今日、彼女の舎の客室に泊まらせてもらうことになった。何日間も野宿して、やっと布団の中。今日はぐっすり眠れそうだよ。
「それで…阿礼さん。祈理さんの神社では、詞魂を祀っているのでしょう。でも今は何も答えなかった――記憶がないかのように」
「――〈忘却衆〉…?」
「その可能性が高いですね…だから今この神社は、記憶のない〈空書ノ原〉となってしまっている…」
「どうやったら詞魂が戻ってくるわけ?」
俺は万侶に聞いた。彼は即答だった。
「僕達で引っ張り出すんですよ、力ずくで」
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