第四話
「…そういえばさ、万侶。俺が旅に出る前、『詞魂全書が失われかけてる』って、どういうことだよ。何もなってなかったけど」
俺は歩きながら万侶に言った。
「あぁ、その話――してませんでしたね。いいでしょう、いい機会だと思います」
万侶は目を瞑った。…話の雰囲気を出したいのか知らないが、そのまま歩くと転けそうだよ。
「――ここ数年の話です。各地の詞魂が〈破られる〉事件が発生しました」
「…〈破られる〉…?」
「はい、詞魂の書を破るのです。ですが、それは詞魂にも多く影響を及ぼし…まるで、千年放置していた詞魂のように、消滅してしまうのです、記憶ごと」
「記憶…」
詞魂は各地で地を創り、人々と、その世界の記憶として生きている。…例えば、俺が持つ詞魂全書が〈破られた〉ら、人々は世界の始まりを忘れて――世界からも抜けてしまう。…世界がなかったことにされるのだ。俺には大概予想がつかないが、そういうことはあり得る…という意味だろう。
「…そして、その地が記憶を失ってしまった――そのような場所を、『空書ノ原』というのです。当初は重要な詞魂は〈破られ〉ませんでしたが、日に日に〈破られる〉詞魂は、重要なものも増えてきているのです」万侶が目を開けた。「だから――」彼は続ける。
「きっとあなたの詞魂全書もいずれは〈破られ〉ます。そう断言できる。何せあなた達は書を創っていない。丸出しの状態で詞魂を保管している…そんなの、狙いたいじゃないですか」
――っ!
「確かに…そうなるとまずい…!」
…しかも、俺の代になってからは、遠くの詞魂は再び納めに行っていない…もしかすると、俺が産まれた頃から――
「その犯人は一体――」
「〈
彼は即答だった。
「彼らの暴走を止めるために、僕は筆を持ち書を創る…僕の書物は、外からどんな攻撃を受けたって〈破れ〉ません、この先ずっと――」
万侶は遠くを見た。まるで、遠い過去を想うかのように。
「高いって!落ちるっ!」
「喚かないでください阿礼さん。あなたが疲れた、と言ってやまなかったから僕が仕方なく大きな鳥を〈書いて〉あげたのに」
俺は今上空を飛んでいる。…高いところが苦手なんだよ、死ぬ。
「ははは、子供みたいで面白いですね」
「ななな、何歳だと思ってるぅううんだよぉ!」
「十歳です」
「あああれから五年経ってるんだよぉおぉ」
あああ、もう俺死ぬのかも…俺が楽したいって言ったのが良くなかった…。
――そうして、やっと俺は鳥から降りることができた。
「うるさいですよ、阿礼さん」
「ごめんってば…馬を〈書いて〉くれると思ったのに」
「えぇ〜、違う〈生物〉の方が面白いじゃないですか」
もう楽しようとは言わないようにしよう…地獄を見た気分だ…。
「…で、ここは…?」俺は、この薄暗い空間がどこかを尋ねる。
「――黄泉ノ淵です。知っているでしょう?」
黄泉ノ淵…?あれは伝説だと思っていたが、本当にあるのか…?
黄泉っていうのは、死んだ人々がいる場所で、ある神が亡者を連れ戻すために向かったが、結局失敗する――そんな話だ。
「…まぁ、そういう名前、ってだけで普通のお墓なんですよ」
「お墓…?ああ、そういうこと。ここの詞魂は死者の記憶ね」
俺は詞魂を納めるところを探す。光が指してある場所は詞魂の
「あそこですね」
万侶が指を指したのは、墓の中央。確かに薄暗く光っている。
「…ん?」
目を凝らしてみると、奥の方に誰かが立っている気がする。…ゆ、幽霊…?
「万侶、あれ…」俺はその方向を指差す。
「ちょっと待ってくださいよ、今墨が切れていたので探しているのです」万侶は何やら鞄をこそこそとしている。今は話しかけられなさそう…だな。
俺は人影を見る…後ろ姿だから、よく見えないな。もう少し近づくことにした。
「――っ」その人影がこちらを振り向いた。灰色の髪の少女だ。
「もう、きたの」彼女は、俺に話しかけてくる。「まってたよ、稗田阿礼さん」
「――っ!」
俺は驚いた。なぜこの少女が俺の名前を知っているのか…。
「はやく、詞魂をおさめたら?」彼女は首を傾げた。赤い目がこちらを見つめている。「はやくしないと…忘れちゃうよ」
「…お前は一体…?」俺は思い切って聞いてみることにした。
「わたし?わたしは…」
彼女は闇に消えていってしまった。やっぱり、幽霊…だったのか?でも俺の名前を知っていた――言っていたことからして、もしかしたら味方なのかもしれない。きっとまた会う日が来るのだろう。
「ああ、阿礼さん。お待たせしました」
俺が考えていると、万侶が小走りでやってきた。
「何かありましたか?」
「…なんでもない。それより、墨は大丈夫だったのか?」
「ええ、なんとか。でも、村に着いた時には買わないと――さぁ、詞魂をおさめましょう」
万侶が筆を構えた。その筆にはたっぷりと墨汁が染み込んでいる。この真っ黒なものがなぜ詞魂を記すと光り輝くのか。それは少し気になるな。
「第三章、黄泉ノ国で神を迎えに行く――」
俺は目を閉じた。精神を安定させる。万侶に負担がかからないように。…暗誦を始める。
『 炎に焼かれし神 命を落とす
再び取り戻そうと 黄泉へとくだる
されど黄泉は 再び交われぬ道
その断絶こそ死の定め 命の分かたれし証
振り返るな 立ち止まるな
己の道を振り返るが先 絶望を見るだろう
黄泉還りの詞魂よ、今ここに甦れ──! 』
万侶が紙に文字を〈書き写す〉。その字は金色に光っている。
「――完成です」
彼はできた書を墓の中央に置いた。少し空気が冷たくなった気がした。この詞魂のエネルギーで、死者が目を覚ましたのだろうか。
「この詞魂が、亡者の記憶を覚えていられますように」
そうして、万侶は足を進めた。俺もその後をついていく。
「――よし、これで三個目の詞魂が納め終わりましたね」
「…だな。あと五つ、その詞魂を納める場所は一体どこに…?」
「その心配は無用です。…全て僕が知っています」
「ふーん、じゃあ、方向音痴にならないように歩けよ」
万侶は少し考えた。こいつの方向音痴と敵からの狙われやさは一番だと思う。前者は俺の記憶力を使えばどうにかなるが…後者はきっと、万侶の見た目の問題だろうな。白い髪に緑色の目。女のような顔立ちで、狙われるんだろうね。
でも、そこも旅の面白さだと思う。俺が旅に出ると決めた以上、乗り越えていかなければならない道だ。――天地初めて発けし時、人はただ歩むしかなかった。今も、きっとこれからも。俺は歩み続けよう、どんな困難が待ち受けていたとしてもね。
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