第11話 小さな信仰心

「追いつかれた……」

 凛は息を吸う。

 でも、十分。


 凛は針葉樹の合間から星空を見上げる。

「もうこれ以上、私のせいで誰かが死ぬことなんてありませんように……」


「居たぞ!」

 村人の手が、私を突き飛ばす。

 でも、いいんです。

 村人が私を罵倒する。

 どうでもいいんです。

 村人が、拳を振り上げる。

「お前のせいなんだよ‼︎」

 それを止めた手があった。

「村長! どうして!」

「お前、察しろ」

 仲間がその男の肩に手を置く。

 それだけで、彼は何かにハッと気がついたように村長に場所を譲った。


「凛……!」

 憎しみの籠った声と共に、胸ぐらを掴まれた。

 ……分かってる。

香夜かやは……! 香夜はお前のせいで‼︎」


 かやちゃん。私の友達。もう会えない友達。

 そう思うと、何故だかあの子の可愛い笑顔が浮かぶ。

『祟りなんて馬鹿なことあるわけないでしょ。凛はそんな人じゃないし、そんなことできるような邪悪な人じゃないもん! お父さんとかお兄ちゃんの方がよっぽどジャアク!』


「わたしだって……」

 たぶん、あなたと同じぐらい辛くて悲しかったのに。

「お前が泣くんじゃない‼︎ 香夜は! かやはぁぁ‼︎」

「ごめ、んなさ……」

 顔を両腕で庇う。

 私が殺した?

 私が殺した?

 私が死なせた?

 びゅっと、風を切る音がした。

 迫り来る張り手を捉えて、目を瞑る。

 私が、私が殺した?

 全部私のせい?

 悪いのは……。


「やめろ! 凛!」


 あの、声。


「なんだっ⁉︎」

「狐⁉︎」

 九尾の、狐?

 大きな獣は、男衆を次々と跳ね飛ばす。

「凛っ」

 駆け寄って来て、手に触れた彼の手が、いつかのように温かい。

「かぐやさ……」

「ごめん……俺のせいだ」

 頰に触れる手が、泥を拭う。

「莉月、やれ」

 狐の方を見た、食いしばられた歯と、硬い声。

「だいじょうぶ、です」

「……凛」

 なんとか、笑う。

「あの人が私に怒るのも仕方ないんです」

「……そんな訳ないよ。こんなの、間違ってる。怪我してない?」

 心配の表情と声に、無理に浮かべた笑みが溶け落ちるのを自覚する。

「一歳の時、母を失いました」

 視界が水でぼやけていく。

「三歳の時は父を、六歳の時は私を引き取ってくれた叔父を。八歳の時は、大叔父を。十歳で、幼馴染を。十三歳で、叔母の一人娘。十四歳の時、香夜ちゃんを。十六歳の時、元恋人を」

「凛」

 首を振って、眼を閉じて、涙を追い払う。

「十八歳になった日には、私は叔母を亡くしました。私の身近な人ばっかり。健康な人だって、みんな」

 大切な人の死と、それにつれて離れていった人々。

 この間隙が分かりますか。

「きっと、彼らは私を人柱にして、この厄災わたしを追い払いたかったんです。……なら、それが償いになるんじゃないかって——」


「そんな訳、ない」

 両腕が回って来て、体が引き寄せられる。私は思わず身を硬くする。

「香久耶さん……」

 彼の体温は、やっぱり神様なのに人間のように温かくて。

「死んで良い人なんかいない。命で命を贖うことなんかできない」

 私をすっぽり覆ってしまう体格に、思わず安心してしまって。

 これじゃあ、いつかと同じだって思う。

 涙が溢れてくる。怖かったとも、悲しかったともつかない、当たり前の感情が溢れて止まらなくなる。


「できないんだよ、凛」


 なんで、あなたの声も泣いてるの?

「俺は万能な神様じゃないし、いろんなひとの死の上に生きてる」

「……香久耶さん?」

「俺が死んだら、その人の死はどうなる?」


 そこで、凛は香久耶の顔を、彼の胸の中から見上げた。

「俺が死んだら、何の意味もなくなる」

 思わず、その頰へ手を伸ばす。

「……どうか、泣かないで……」

 驚いたように彼はこちらを見て、小さく尋ねる。

「俺が、泣いてるように見える?」


 彼はそう聞きながら、泣きそうな顔をする。

「香久耶さんは、泣かないんですか?」

 そう言えば、さらに困ったように微笑う。

「……莉月、怪我したよね。俺、加勢してこなきゃ。……ここで待ってて」

「……殺すんですか」

 神様は微かに笑う。

「君が赦すなら、君だけを害そうとした者は殺さない」

「……他の人たちは……?」


「……神は神なんだよ、凛」


 青暗い空、瞬く幾億もの星々。

「香久耶さん……」

 少女は、静かに異形を見つめ、目を閉じた。


「でも、殺さない」

 不意に人間の手のひらが俯いた頭に触れる。

「神殺しの武器だけは奪うけど……あとはもっと高位の神に任せる。要はそこら辺に放り出して、後は運任せ」

「私……もう、誰にも死んでほしくないんです……」

 彼は、分かっている、というように笑う。

「それを言われたら引かざるを得ないなぁ。安心して。莉月も俺も、一人も殺してないし」

「そうですか……」


 ほっとして、少し視野が広がる。すると、夜に慣れた目に、彼の着物の変色している部分が映る。

「香久耶さん、怪我したんですか⁉︎」

「……まあ、ちょっとね。莉月が後は上手くやってくれるだろうし、今晩はひとまずうちの神社に泊まって行って」

 香久耶さんはいつも通り笑う。

 その瞳。

 金箔を混ぜたような、綺麗な茶色の瞳。


 私は『あの日』から誰に対しても俯いて生きてきた。

『目』に出会ってしまうのが怖かった。

 侮蔑、怨嗟、恐れ、憎悪——。

 底冷えするあの目を、もう見たくなかった。

 あの目とまともに視線を交わした途端、私が消えてなくなってしまうような気がした。


 香久耶さんの、この世のものとは思えないほど綺麗な目。

 笑顔のために細めることしかしないあの目。

 静かで、優しいあの目。

「……何から何まで、本当にありがとうございます」

「いいや。でも、君を人柱にしないって約束は守れたけど……。君をこれ以上あの村で過ごさせるのは無理かもしれない」

 凛は軽く笑う。

「そんなこと、とっくの昔から知ってます」


 綺麗で優しい瞳。

 貴方の瞳は、不思議と怖くないのです——。

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