第10話 呪縛追憶


『莉◼️』

 淡い夢を見る。

 誰かが私の名を呼ぶ夢。

 その綺麗で麗しい方は、私に手を差し伸べてくれる。

 笑った顔は、今の主人だっただろうか。

『莉◼️』


 ただ。

 ただただ、この淡い夢が、大好きだと。

 それだけが言える。


「人間なんか嫌いだ」


 泣いている少年の、揺れる透明な声。

「神様だって嫌いだ」

 誰のせいでもない。

「僕なんか大っ嫌いだ……!」

 私はただ、彼に身を寄せる。

 胸がはち切れそうだ。いなくなってしまったあの人を忘れていく。

「さびしいよ……、お願い叶えてよ……」

 数多のものを失った。

 誰を恨めば良いのか、あなたの顔さえ、忘れていく。

 なのに、ふとした拍子にその片鱗が舞い落ちてくる。


「あの人は……」

 莉月は、体に鞭打って立ち上がる。

「あの人は、弱くて、馬鹿で、愚直で、オレが居なきゃいつまでも眠ってるようなクソ野郎だけどさぁ……」

 ちょっと目を離せば寝ていて。

 ちょっと目を離せば寂しそうな顔をしていて。

 ちょっと目を離せば、悪夢に魘されている。

「でも、お前らに甘んじて殺されるぐらい、寂しい人じゃないんだ」

 凛。

 妖の身のオレすら心配する、優しい人の子。

 ごめんな。怖い思いも、苦しい思いも、させたくなかったのにさ。

「オレの尻拭いはオレがする」

 妖狐はくつくつと笑う。

「愚かな人間どもめ……」

 九尾の狐は月光の中に、その姿を現す。


 優しい笑顔というのは、無くなった後にひとを泣かす。



『莉◼️。お前は本当に力の加減ができないのですね』

『九尾の狐さん。村人さんたちが困ってるんです。どうしてこんなことを?』

『それは辛かったですね。……安心してください、私が君を——』

『頼みますよ、莉◼️』

『莉◼️』

『万一、人の子を怪我させたら、二百年ごぼうだけ食べてもらいますからね!』

『莉◼️、あなたは暖かいですね』

『莉◼️。すっかりあなたは優しくなりましたね。本当に、大きな力とは怖いものです。……ええ、大丈夫。私がしっかりあなたの力を管理していますから』

『……大丈夫、何の心配も要りませんよ』

『だって私は』


『私は、あなたの神様あるじですから』


 すみません、我が主人。本当に、ごめんなさい。

 約束、破ってしまいますが……。


「絶対に、オレはあなたの忠実なしもべで居続けますから」

 だからどうか、この先何があっても、一瞬で良いから再び微笑って欲しい。

』の、願いはオレが叶えますから。




「神殺しがどんな大罪か分かっているのか?」

 香久耶は自分を囲んだ人間たちを睥睨する。

 松明がゆらゆら揺れている。その光を反射して、奇妙な形の白刃が輝く。

「じゃあ抗えよ、神様」

 凶器を、神殺しの狂気を向けられた弱った神は、柔らかく笑う。

「できないって、分かってるからそんなことを言うの?」

 ぬるり、と先ほど刺された脇腹に当てた手が滑る。

「……っ」

 ああ、俺は結局、こんなに冷たい感情ばっかり向けられて終わるんだな。

 俺なりに、頑張ったのになぁ。

 凛、ごめん。


 町の方を——凛がいるであろう方向を見ながら、無事を祈って謝罪する。

「はぁ……ほんと、神様失格……」

 莉月の箍が暴れている。……確かに、奴の行動を自由にすれば、勝機はある。まあ、奴が倒れたら俺もそれまでだけど。

「……莉月、お前は、まだ俺を生かそうとしてくれるのか」

 まるで『あの人』のように。


 僕は、凛のように『あの日』を覚えている。

 匂いも、景色も、家の外からの音だって、ありありと、生々しい感情と共に、何度だって経験できる。



「……凛」

 あの時の俺みたいな、弱い人の子。

「……そうだね。ここで死んだら無駄死過ぎるよ……」

 分かった。賭けに乗るよ、莉月。


「おい神。ぶつぶつうるせぇよ」


 神は返事もしない。ただ、楽しそうに笑った。

「ああ。分かった。解ったよ。全部、お前に一任する」

 早く終わらせよう。俺はもう寝たいんだ。


「——やれ、世話の焼ける」

 狐は、木の幹を支えにかろうじて立つ主人を見下ろす。

「殺して良いんですね?」

 数人が即座に呪符やら神殺しの武器を妖狐に向ける。

「神殺しは……大罪だよ? 未遂、でも。……躊躇はしなくて良い。でも、凛が多分嫌がる」

 神は苦しげに自嘲する。


「では、遠慮なく」


 狐はニヤリと笑う。獣は膨れ上がる激昂と共に、夜の山に爪を振り下ろした。

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