第9話 神という名の背理

「よ、ようこ、さん……」

 息も絶え絶えな情けない声が出た。

「ああ、すみません。貴女は四つ脚じゃないんでした」

「わ、笑えないです……」

 妖狐は駆け戻ってきて、しばらく息を整える凛を見つめた。

「な、何ですか……? 走ります……?」

「いえ。急ぐ必要はないです」

「言ってること変わりすぎじゃ……」

 紫の光が、道を照らした。

「わ……!」


 凛の前で、一人の気の強そうな少女が息を吐いた。


「道案内、ありがとう」

 『え?』と言おうとした口は、全然違うことを口走った。

「ううん。困ってたらお互い様よ。行こう、こんなに遅くまで残ってたって知られたら怒られちゃうかも」

「げ。うちの親、ほんと厳しくてさ」

 慌てていると、ギッと香久耶さんを模倣したような目で睨みつけられる。

(話を合わせろ……ってことかな)

 ひとまず、こくんと頷いてみる。

 少女に化けた妖狐さんの目が緩んだ。


 その時、男の声がした。

「おおい、そこのお嬢さん達」

 馴れ馴れしい笑顔を浮かべた男が、家の陰に立っていた。

「ここの土地神、知らないかな?」




「……」

 何か、持ってるな。

 香久耶は面倒臭さに頭を掻く。

「……急に改装されたな。やはり動き出したか……」

「ああ……」

 不審者の集団のひそひそ話に、溜め息を吐きながら首を振る。

「俺は、待っていただけなんだけどね」

 奴らが振り向くと同時に、その間を駆け抜け殴打する。

「俺が誰かの願いを叶えるのは、そんなに嫌かい?」

 体を押さえて呻く仲間を助け起こすこともせず、男たちは無言で刃物を取り出す。

「やれやれ……薄情だな」




「土地神様?」

 妖狐さんが聞き返す。

「いやぁ、必ず落ちる橋が落ちなくなったって言うからさぁ」

「た、確かにそうなりましたけど……でも、まだ偶然かも」

 凛も加勢する。

「……ふうん。キミなら知ってると思ったんだけどな」

 妖狐さんが私を庇うように身構える。


「本当に知らないの? ?」

 薄い微笑と共に、男の背中へ回っていた手が表に戻ろうとする。


「逃げるぞ!」

 煌めく紫色の霧が、その言葉と同時に展開された。

 視界を失った私を、妖狐さんの冷たい手の温度が誘ういざなう

「人柱が逃げたよ?」

 面白がるような男の声。

 何か叫ぶ、数人の男の声。


 思わず、私は上擦った小声で叫んだ。

「よ、妖狐さん……!」

 狐は、人を乗せられるほど大きくなった。

「乗れ! 全く、お前たちは走るのが遅い!」

 風が、耳の側で渦巻く。鼻に入ってくる冷たい空気。体にほのかに伝わってくる獣の体温。

「妖狐さん……」

「すみません、囲まれました。跳ねます」

「きゃっ⁉︎」

 掴まるのに必死なのに……!

 着地と同時に、獣の凄まじい悲鳴が上がる。

「妖狐さ——っ⁉︎」


 視界の全てが横転する。


 痛い。全身が痛い。

 凛は何とか体を起こす。

「ようこ、さん……?」


「凛」


 冷たい呼び声がした。

「村長……?」

「そこか?」

 ……なにか、変。

 凛はじりじりと後退りし、木の根元で倒れていた妖狐を目に留めた。

「……!」

 綺麗な黄金の毛並みが、前足付近から腹部にかけて血で汚れている。

 そして、鋭利なもので切り裂かれたような傷。

「酷い……!」

 凛は狐をそっと抱き上げ、パッと踵を返した。

「凛!」

「追え!」

 ぐったりした妖狐さんに、小声で謝る。ごめんなさい……私が愚図なばかりに。


「逃げるな、人柱! 村のために死ね‼︎」


 でも……どうして?

 橋を壊そうとした犯人はみんな捕まって、人柱は立てなくて済むんじゃ……?

 つまづきそうになりながら、そんなことを思う。

 ……ぜんぶ、口実だったのかな。

「まだ……しにたく、」

 私の周りには死が多いから。

「ない……」

 足音と明かりが走ってくる。

 ……でももう、居場所もない。


 死んだら、おとうさんに会いたいなぁ。


「居たぞ! こっちだ!」

 妖狐さんは、守らなきゃ。だってこの人は関係なくて……。

 血の臭いをさせる獣を抱きしめる。

「妖狐さん……逃げて」

 そっとぐったりした体を草むらに隠す。


 そして、少しでも気を引こうと駆け出した。





「莉月……ヘマしたな」

 香久耶は、目の前の敵を睨みつける。

 奴らはまだまだ、倒れてくれそうにはない。

 だが、そうだとしても、合流せねば凛が危ない。

「……もしもの事があれば、お前らの家族ごと滅ぼしてやる」

 香久耶は麓の方へ体を向けた。

 その進路を塞ぐように飛び出してきた小男を躱す。

「ちっ!」

「逃げるつもりかぁ⁉︎」

 男たちは簡単には逃してくれない。

「俺の邪魔をするな!」

 包囲を躱そうと、香久耶は必死で脚を駈る。

「凛……!」





『お母さん、かみさまって、どんなお方?』

『え? うーん、そうね……私達を守ってくださる、本当に凄くて優しいお方よ』


「……じゃあ何であんたは死んだんだよ」

 半分をそれによる土砂に埋没させ、残りの半分は嵐よって壊滅した故郷の前で、男は笑った。


「なんだ、あんたが言う神なんて居ないじゃないか」

 男は笑う。嗤い続ける。


「〈神がかり〉のガキ……言うだけで何も変えないあの子供……。恨まれて豪雨で報いたあの悪神……」


 妖に身を堕としても、彼は笑い続けた。

 そして、町は三つに分かれ、村となって再び開墾された。

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