第9話 閑話・リィナの想い
子どもの頃、砦の結界が崩れて、家族も町の人も逃げ惑う姿を見た。
あの日の無力感を、今でも忘れられない。
「もし、結界を安定させられたなら――」
そう強く思ったのが、私が魔導回路技術士を目指した最初のきっかけだ。
術士として魔法を扱うだけでは足りない。
根本にある回路を理解しなければ、本当に人を守れない。
周りからは「回路は男の技士の仕事だ」と笑われたけれど、私は諦めなかった。
……そしてソーマさんが現れた。
私が何度挑んでも安定させられなかった魔導回路を、一目で見抜き、たやすく整えてしまった。
その光景に胸を撃たれた私は、思わず口にしていた。
「私も同行します。あなたが接続できるように、回路を解析して手伝います」
あれは義務感ではなかった。
あの人の力に頼るだけではなく、自分も役に立ちたいと思ったから。
結界を直す旅に並んで歩けるなら、きっと新しい答えを見つけられると信じたからだ。
彼は困ったように微笑んで,
「“様”なんて呼ばないでくれよ。堅苦しいのは苦手なんだ。
ソーマでいい、いや……“ソーマさん”くらいがちょうどいいかな」
不意を突かれて言葉を失ったが、不思議と胸の奥の緊張がほどけていった。
それ以来、私は彼を“ソーマさん”と呼ぶようになった。
* * *
旅の間、各地で崩れかけた回路を目にした。
錆びた配線、魔力ノイズで乱れた波形、砦を覆う不安のざわめき。
そのたびに、あの日の記憶――崩れ落ちる結界の音がよみがえる。
でも、ソーマさんは迷わず基板を取り出し、手を動かした。
PLLで波形が整うと、兵士たちの表情が安堵に変わり、村人たちが静かに手を合わせた。
その光景を見るたびに、私は心の奥で震えていた。
「これだ……これこそ、私が夢見た魔導回路の姿なんだ」
誇らしい気持ちと、置いていかれそうな焦り。
二つの感情を抱えながらも、私は彼の横で解析を続けた。
* * *
……そして、旅を終えた後に――偽ノードが現れた。
制御室のモニタに次々と現れる不正なノード、乱れる波形。
その瞬間、私は思わず息を呑み、手が震えた。
「……どうしよう、これじゃ全部の結界が……!」
声に出しても、何もできない自分が悔しかった。
けれど、焦るあまり口にした一言。
「同じものでも、ひとつひとつ違う……そういうの、使えませんか?」
その言葉に、ソーマさんの目が鋭く光った。
「PUF……Physical Unclonable Functionだ!」
私は意味も分からず固まったけれど、彼の手が動き始めた瞬間に理解した。
私の曖昧なつぶやきを、彼は明確な回路として具現化していったのだ。
偽ノードが一つ、また一つと弾かれていく。
その様子を見て、驚きと尊敬で胸がいっぱいになった。
「こんなふうに、思いつきを即座に形にできる人なんだ……」
最後に、ソーマさんが笑った。
「……すごい、リィナさん!」
その一言が、何よりも嬉しかった。
私の言葉が無駄じゃなかった。
魔導回路技術士として努力してきた時間が、彼に届いたのだと――その瞬間、確かに思えた。
* * *
だから決めた。
これからも彼の隣で、魔導回路を探り続けたい。
ただ頼るだけじゃなく、いつか肩を並べられるように。
――この世界を守るために。
そして、あの日願った自分自身の想いを、もう二度と裏切らないために。
「私も、あなたに追いついてみせます……ソーマさん」
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