第39話 呪縛

「父さん!!」


 若旦那様が慌てた様子で障子を開けた。倒れ込むように吉右衛門様の枕元へ座ると、心配そうに顔を覗きこだ。


「今は寝てる。昨日の夜から起きてないらしい・・・」

「そうか・・・。紫哭、留守中ありがとう」

「お前もご苦労だったな」

「うん。・・・さっき母さんから話を聞いたよ。医者の見立てでは長くないかもしれないと、夏を越せるかも危ういって」

「店の方は俺がなんとかしておくから心配するな。ジジィについてやれ」

「でも、突然どうしたっていうんだ・・・!数日前まであんなに元気だったのに。まさか、妖の仕業なんじゃ・・・」


 若旦那様の顔が見る見る青ざめていく。


「んなわけねぇだろ。ジジィも歳なんだから」

「だって。こないだの雪華のときだって妖が・・・どうしよう。もしそうだったとしたら」

「蒼蜀。こんなときにお前が冷静を欠いてどうする」

「ご、ごめん・・・そうだよね」


 若旦那様は膝の上に置いた拳にを握りしめた。

 蕗子様が部屋の障子を開けた。隣には、お茶を持ったお梅さんもいる。

 もう少し、休んでいればいいのに・・・。


「紫哭、母さん」


 若旦那様は部屋を見渡し、改めて姿勢を正した。そして、一人ずつ名前を呼び最後に私を見た――。真直ぐな瞳は、なにか決意を表しているように伺えた。一呼吸置き口を開いた。


「八千さん、祝言を挙げましょう」


 えっ・・・・?


「まぁ蒼蜀!今なんと言ったの!?」

「しゅっ祝言と!?」

「で、でもこんな時に・・・吉右衛門様が」

「こんなときだからこそです。父が亡くなる前に、父が望んでいたことをしてあげたいんです。どの道、来年には挙げる予定だったんだ。ならば今から挙げても問題はないです。そうですよね、母さん」

「蒼蜀・・・そうね。八千さんさえよければ。吉右衛門様がまだおられるうちに・・・」


 若旦那様の申し出に目頭を押さえる蕗子様。お梅さんも嬉しそうに、蕗子様の背中をさすっている。沈んでいた使用人や女中さんの表情が明るくなり、祝福の声が飛び交っていく。


「そうと決まればすぐに準備しなくては。居間に女中を集めて」

「はい。奥様」

「父さん、父さん・・・僕は八千さんと一緒になります」


 祝福の声が酷く遠いところで聞こえた。その中心にいるはずなのに、自分だけが取り残されている。

 目の前に蕗子さんとお梅さんがいる。隣では若旦那様が吉右衛門様の手を固く握り、仕切りに話しかけている。

 盛り上がる中で、紫哭様が部屋を後にした。遠ざかっていく足音を止められない。名を呼ぶことも追いかけることもできない・・・。


 私の定めは、ここへ来たときから決まっていた・・・。抗うことなんてできはしなかった。逃げることも、拒むことも許されはしないのだわ。ただ恩義に報いるため・・・。そう、ここから抜け出せはしない。


 また鈴の音が聞こえている。先ほどよりも確かに近い・・・。ほら、また――。




□□□


 次の大安の日、私と若旦那様は祝言を挙げることとなった。あれよ、あれよと言う間にことは進んでいき、この日を待ち望んでいた屋敷は、祝賀一色の雰囲気だった。淀んでいた空気は明るい方へ向かっていたようだった。

 

「八千さん、本当に綺麗よ」

「若旦那様もきっとお喜びになりますわ」

「あちらの用意はできたかしら」

「見てきます」

「あぁ待って頂戴!八千さん、少しお待ちくださいね」


 白無垢を着付けられた。汚れのない純白は故郷の雪を思い起こさせた。蕗子様と女中が部屋を後にした。一人きりになった部屋で、息が零れた。

 吉右衛門様はあれから容体に変わりはなかった・・・。以前のような乱心はなくなったが、食べることもできずに床に伏せている。日に日に衰弱していく身体で、今日までよく持ち堪えて下さっている。


 開け放たれた障子から空を仰いだ。夏も終わりに差し掛かっている。縁側の下で、蝉が仰向けになり残りわずかな命を費やしていた。


「八千」

「・・・っし、しこく様?」

「シッ」


 一瞬、幻を見ているようだった。目の前に紫哭様が現れた。いつもと同じ黒い着物に赤い総の耳飾り。声を上げた私に、顔の前で人差し指を立てた。そして辺りを見渡した。私は重い着物を引きずりながら縁側まで出た。

そのまま視線を合わせるように座り、紫哭様を見ると目の奥が熱くなる。赤い紅を差した唇を、ギュッと噛み締めた。


「綺麗だな八千。本当に綺麗だ・・・」

「紫哭様っ・・・私は私は」

「なにも言わなくていい。こうなのは決まってたことだろ・・・。蒼蜀は真面目で優しい奴だ・・・だから」

「でも私は出会ったときから紫哭様のことを、ずっと、ずっと」

「八千」


 語気を強める紫哭様。顔を上げると寂しそうに微笑んでいる。そのの表情に、それ以上なにも言えなかった。言ったら余計に苦しめてしまう。


「これ、最後にやるよ」


 そういって懐からある物を出した。


「・・・牡丹の髪飾り」

「前のは餓鬼のときに作ったから歪んでただろう。これはちゃんとした仕上がりだ」

「わ、わざわざ、私のために・・・んっ」


 顎を掴まれると、紫哭様に口づけをされた。秋が連れて来た北からの風が頬をかすめる。触れるだけの口づけはすぐに離れていった。


「じゃ、幸せにな」


 そう言い残し離れて行く背中に行かないでと心の中で何度も叫んだ。届かない思いだけを残して紫哭様は行ってしまう。


「好きです・・・紫哭様」


 心に抑えきれなくなった思いがまた零れた。ぽたぽたと瞳からなにかが流れだした。土の上に零れていく雫。溢れ出したそれが涙だと気づいた。けれど、それを止める術を私は知らない・・。


 気が付けば、縁側の下の蝉は、もう動かなくなっていた。


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