第20話 空蝉
お昼頃になると、お梅さんが部屋の障子を開けた。まだ布団の中にいる私に、おかゆを作ってくれた。
「ご気分はいかがですか、八千様」
「すみません・・・迷惑をかけて」
「いえいえ。お食事がお済になりましたら、包帯を変えましょうね」
お梅さんが作ってくれたおかゆを口に運んだ。じんわりと温かさが気道を伝っていく。
お天道様が高く上っているのに布団の中にいるなんて・・・。外は今日も澄んだ青空が広がっている。雀の鳴き声に誘われ障子を開けると数羽が木から飛び立った。
「私もここから飛び出せたら良かったのに・・・」
仲間が空を飛ぶ練習をする中で、私は人の姿になる練習をした。最初は直ぐに疲れてしまって、元の姿に戻ってしまったりもした。いつしか鶴でいる時間より、人でいる時間の方が長くなっていた。今はもう、美しい羽はない。あの姿に戻ることは叶わない・・・。
鏡台の上に変わり果てた牡丹の髪飾りが目に留まった。崩れないようにそっと手に取り、引き出しにしまった。
お母様は私に何度も言った。『契りは絶対だから。なにがあっても鶴人と壷玖螺の当主は結ばれる運命にある』と・・・。
チュンチュンと鳴く声が庭から聞こえた。
「あら、また来てくれたの?」
軒下に雀が一羽近寄って来た。模様をみるとあのとき、私の手にぶつかった雀だった。縁側に下りると、小さく鳴きながら私の肩に止った。
「ありがとう。お前のおかげで助かったわ・・・なにかお礼をしなくちゃね」
丸くて小さな目がクルクルと動いている。その動作がとても愛らしく、自然とほころんでいた。
「ん?この傷は大丈夫よ。すぐ治るわ。薬が効いているみたい」
あっそうだわ。確か蕗子様に薬をもらったと若旦那様が言っていた。お礼を言わないと。雀を空に離すと、空高く飛んでいった。私は蕗子様の部屋へと向かった。
□□□
「だから何度も言っているでしょうっ!」
部屋の近くまで行くと、蕗子様の荒らげる声が廊下まで漏れていた。
「これで何度目なの!?・・・今度、蒼蜀に近づいたらこの家から出て行ってもらうから!わかったわね!」
「蒼蜀様が、私の部屋に来られるのです」
「なっ・・・蒼蜀には許嫁がいるのよっ!それを・・・それを、恥を知りなさいっ」
パシンッと乾いた音がした。
今の声は雪華さん?
「ふっ蕗子様!?どうかなさいましたか!?」
部屋の障子が開くと、血相をかいた女中が蕗子様を宥めているようだった。使用人や女中が集まってくる。抱えられた雪華さんが廊下へと出てきた。いつもに増して青白い顔をしながら、使用人たちに別室へ連れて行かれた。
蕗子様の部屋を覗くと、女中が畳に額が付くほどに頭を下げている。蕗子様は舌を鳴らした。立ち尽くしている私に気付くと、いつも以上の睨みをきかせている。
「貴方が蒼蜀をちゃんと引き止めておかないから、こういうことになるのよ」
「ふっ蕗子様!八千様はまだなにも知りませんのでっ・・・!」
「だったらいい機会だわ。八千さんは妻になるのよ。あのような妾が二人三人もいたようじゃ立場がありませんよ」
「で、でも・・・」
「若くて綺麗ということだけが、貴方の取り柄なんだから。あんな下女に寝取られてどうするの」
蕗子様は荒々しい足取りで去って行った。
以前、お梅さんたちが蕗子様の話をしていた。蕗子様は、それはそれは大層お金持ちのお嬢様だったと。書も上手く、たまに庭先で和歌を詠んでいるのを耳にすることもある。学のない私が若旦那様にして差し上げれることなど、それくらいだと思っているのかもしれない・・・。今はそれすらも出来ていない。
治まっていた腕の痛みが、またキリキリと痛み出す。結局、薬のお礼を言えずに私は部屋に戻ることにした。
□□□
「八千さん」
「若旦那様・・・!?」
「八千さんの傷の具合が心配で、お店を抜け出してきたんです。もう歩いても平気ですか?」
部屋の障子を開けようとしたときだった。若旦那様が風呂敷を持ちそこに立っていた。
「ご心配をおかけして申し訳ありません」
「お昼を一緒にと思って。お梅さんに頼んでお弁当を作ってもらいました。・・・もし傷の具合がよろしければ外に出ませんか?」
若旦那様の誘いに、二人で川辺の方まで歩いた。柳の木から垂れる葉が爽風に吹かれている。
「この辺りは夜になると蛍が見えるんですよ。今度一緒に来ましょう」
「はい。ぜひ、見たいです」
「・・・それと、髪飾りのことですが」
「そのことでしたら、もうお気になさらないでください」
「えっでも」
「私は、髪飾り以外にも若旦那様からたくさんの物をいただいております。だから・・・もう、いいんです」
若旦那様に微笑みかけると、少しだけ目を丸くさせた。
契りは絶対・・・。そうであるなら、どんな支障があっても私たちは結ばれる運命にあるはず。きっと今までのことは、取るに足らない些細なことだと振り返れるはず。
私は若旦那様の手を取った。優しく握り返してくれる。またいつもと同じ微笑み方だった。いつもの、どこか作り物めいた優しい微笑み。
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