第21話 彩雲


 傷の痛みもだいぶ治まり、お梅さんと数人の女中さんとで一緒に町にやって来た。往来は賑わっていた。道沿い並ぶ店は仕切りなく客を呼び込んでいる。威勢の良い声にこちらまで気持ちが弾んでいく。

 気分転換にと若旦那様がお気をきかせてくれた。


「そういえばお梅さん聞いて下さいよ!昨夜また妖が入り込んだって」

「肉や魚を荒らして行くんですよ」

「あらやだ。また?今夜あたりから見張りでもつけた方がよさそうだね」

「でも~蕗子様が騒ぐな!ってまた、お怒りになりますよ」

「はぁ・・・困ったわ」


 相打ちを打っていると、前から来る人の波に妖が何匹か紛れていた。狸や狐が人に扮している。すれ違い際に目が合うと、人に気付かれないように片目を閉じ笑顔を向けられた。人は妖と区別がつきにくいらしいけれど、妖はそう言ったことはない。何族かと言うことも見ればだいたいわかる。


「八千様見て下さい!美味しそうなお饅頭ですよ」

「わぁ、美味しそう」

「こっちです!こっちにもありますよ」

「こちらは前に若旦那様が美味しいと言ってましたわ。土産はこれにしましょうか。八千様はどれがよろしいですか?」


 和菓子屋を覗いていると、見かけないお饅頭がたくさん並んでいた。どれも美味しそうで迷ってしまう。


「最低っ!!」


 パシンッと乾いた音と女の人の声に顔を上げた。昼間の明るい場所に相応しくない切羽詰まった声だった。騒然とする方を見ると、どうやら男性が女性に平手打ちを喰らったらしい。

 女性は目を腫らしながら頬を濡らしている。色恋沙汰というのは明らかだった。日常的によくある光景なのか、気づいていないだけなのかお梅さんたちは気にも止めずにお饅頭を吟味していた。

 頬を叩かれた男性が顔を上げた。


「し、紫哭様っ!?」


 思わず名前を口にしてしまった。お梅さんと女中さんたちも饅頭から目を離し通りを見た。

 紫哭様は私に気が付くと、ニッと口角を上げてこちらへやって来くる。後ろでは女の人が紫哭様を呼び止めている。


「悪いが俺は今からこの女と遊ぶんでな、お前とはこれで終わりだ」

「なによそれ!また違う女なのっ!?」

「じゃーな」

「ちょっ、待ってください!紫哭様?」

「いいから付き合え」


 そう耳打ちをされるた。強引に背中を押されて波に呑み込まれていく。泣き腫らした目で女性が私を憎らしく見ている。

 これは、これは大いに誤解されている・・・。お梅さんを見ると、お帰りは遅くならないように、と手を振っている。


「あっあの紫哭様っ!先ほどの方、泣いておられました。あのまま置いて行ってはあまりにもお気の毒です」

「ンなことねーよ。つきまとわれて困ってんだ」

「ですが…」


 もう一度振り返ると人が多く女性の姿が見えなくなっていた。人が多い道は慣れていない。時々足元が覚束なくなるけれど、紫哭様は構わずに進んでいく。

 困ったわ・・・お梅さんたちを見失ってしまった。


 大通りを抜けると小川沿いの道に出た。柳の木の下からせせらぎが聞こえてくる。誘われるようにして下を覗くと、小川にメダカや小さな魚が泳いでいた。


「ここまで来れば追ってこないだろ。・・・おい親父、茶を頼む。それからしるこ二つ」

「あの私お梅さんたちとはぐれてしまって・・・」

「後で家まで送るから心配するな」


 紫哭様は毛氈が引かれた甘味処の椅子に腰をかけた。懐から煙管を取り出すと、ため息と一緒に白い息を吐いた。

 頬がまだ少し赤い。余程強く叩かれたのだろうか。小川でてぬぐいを濡らした。初夏の川は、まだ少し冷たく、メダカが気持ちよさそうに泳いでいる。

 私は紫哭様の隣に座った。ゆらゆらと紫煙が立ち昇っている。


「ん?」

「頬、まだ赤いので冷やした方が良いかと・・・」


 紫哭様の赤くなる頬に、先ほど湿らせた手拭いを当てた。

 少しを見開き、紫哭様はてぬぐいに触れた。その横で赤い総飾りが左右に揺れている。

 苦みのある甘い香りは、煙管からだろうか。吉右衛門様が吸っているのを見かけたことはあったれど少し違う香りがする。


「痛みますか?」

「別に」

「・・・先ほどの方とは恋仲なのですか?喧嘩なら早く仲直りした方が」

「だから、つきまとわれてるだけだって言っただろう」

「そうそう。紫哭の旦那は人気だからねぇ~町の女どもが放っておかねぇのさ。へい、しるこ二つね」

「うるせぇ」

「壷玖螺の次期当主はてっきり紫哭殿かと思ったのに、みんながっかりしてたぜ」

「自分らが勝手に期待して落ち込んでたら世話ないぜ」


 憎まれ口を叩かれながらも、弾む店主との会話がなんだか意外だった。紫哭様はこんな風に町の人と話しをして、冗談を交えながら笑うなんて。

 私は聞きたいことがあってもなにも聞けずにいるのに・・・。


「楽しそうですね」

「は?どこがだよ」

「・・・紫哭様は若旦那様とも仲が良くて羨ましいです」

「ほら、お前の分」

「えっよろしいんですか」

「そのために二つ頼んだんだろう」


 片手で茶碗を持ちながら、美味しそうにしるこを飲んでいる。

 そう紫哭様は私の予想外なことをする・・・。こんな風に笑うとか、ぶっきら棒に見えて優しかったりと。


「ありがとうございます。いただきます」

「どうした?」

「これがしるこですか?甘味処と書いてあったので、てっきり甘い物かと思いました」

「お前しるこ食ったことねーのか?」

「はい・・・」

「飲んでみろよ」


 茶碗を除くと不気味なほどにどろどろと黒い液体から蒸気がでていた。でも、せっかく紫哭様が私の分まで頼んでして下さったの。飲まないと。いざ・・・!


「んぅ・・・?お、美味しい!!」

「だろう?」

「とっても美味しいです!」


 紫哭様がまたふっと息を抜き口角を上げた。

 いけない。ついついはしゃいでしまった。恥ずかしい・・・。屋敷の外だからか、紫哭様の前では、なぜか緊張が知らないうちにほどけてしまう。


小川のせせらぎを眺めながら、おしるこを飲んでいるととても穏やかな気持ちになれた。


「蒼蜀が心配してた」

「すみません・・・紫哭様にもご迷惑をおかけして」

「別に。俺はなにもしてねーよ。蒼蜀が全部やった」

「いえ。あのとき・・・私に上着をかけてくださいました」


 隣でしるこを飲んでいる紫哭様の手が止まった。

 あのとき、紫哭様は私の氷柱の指先を隠すように上着を被せてくれた。集まる人の目に触れないように・・・。

 次にする言葉を迷ったけど、きっと全て知っているのだろうとそのまま続けた。


「紫哭様だったんですね。・・・あの牡丹の髪飾りを私にくださったのは」

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