第17話 嫉惡
翌日、朝から髪飾りを探した。お梅さんも朝の仕事を終えて手伝ってくれた。散らかしてしまった着物を一枚一枚、丁寧に畳みながら『衣替えをする時期だから丁度いい』と明るく声をかけてくれた。その言葉に心が軽くなる。
若旦那様は一度、店に顔を出すと昼頃になると出て行った。
庭先に出ると綺麗な青空が広がっていた。雲一つない空は遠くの山まではっきりと見える。山頂の雪は溶けていようだった。夏はすぐそこまで来ているんだわ。
遊びに来た雀に手を差し伸べると指先に止った。嘴を左右に向けながらなにか話している。
「八千さん」
その声は、穏やかになりつつあった私の心中に、冷や水を浴びせた。指先に乗っていた雀が、慌てて空へと帰っていく。
今は顔を合わせたくない。玄関へ引き返そうとすると、それを阻むように前に立ちふさがった。
「まぁ酷い。昨日あんな仕打ちをしておいて、詫びの一つもないなんて・・・蒼蜀様に言い付けようかしら」
雪華さんは口元を袖口で隠した。けれど唇の端はわずかに歪み、笑っているのが見えた。
「あれは、あなたがやったことですよね?」
「ふふふ、なにを根拠に?」
「惚けないでくさいっ」
「蒼蜀様はね、私の言うことなら、なんでも聞いてくださるのよ」
「だから・・・なんですか。言いたいのならご自由にしてください」
その場から離れて行くと、背後でギリッと歯を噛み締める異様な音が耳に入った。「お待ちになって」と消え入りそうな声がしたけれど、私は振り返らなかった。
「探し物はこれじゃなくて?」
差し出した白い腕からは青い血管が浮いている。その手の中に牡丹の髪飾りがあった。
慌てて駆け寄ると、雪華さんはひょい、と私が届かないように手を高く上げた。
「か、返してくださいっ!」
「ふふふ。これ、そんなに大切なの?合わせもずれてるし、縫い目だって荒いわ。不細工な髪飾り・・・。壷玖螺に嫁ぐならもっといい物を身に付けたらいかがですか?」
「それは、若旦那様からいただいた大切な物なんです!お願いだから返してっ・・・!」
「・・・へぇ、そうだったの」
一瞬、黒目だけを動かしてちらりと私を見下した。
「いいわ。返してあげる。・・・その代わり、貴方がここから出て行ってくださるのならね」
「な、なにを・・・そんなことできるわけ。私は若旦那様と夫婦になるためにここへ」
「出て行かないなら、これはいらないってことよね」
雪華さんは、顎を突き出した。広げていた手に力を込めていく。
「止めて!」
背伸びをして奪い取ろうとすると、突き放された。
べきべきと音を立てて花弁が折れ曲がっていく。空に拳を突き上げて、その先で歪んでいく牡丹。更に力を加え、躊躇いもなく握り潰した。
「ふふっははははっ!」
手の中で壊れた牡丹の髪飾り。脱力しかけた足になんとか力を入れ、姿勢を保った。
雪華さんは私を見下ろすと、面白そうに笑いながら裏庭の方へ走って行った。目の前をつむじ風が通り砂を巻き上げていく。
「待っ・・・待って!」
遠ざかる足音に気付き雪華さんを、急いで追いかけた。
中庭を通り抜け裏庭出ると、人影を見つけた。雪華さんだ・・・。奥の角で止っている。目の前には、竈から轟々と音を立てながら炎が噴き出している。
「あんたが来なければ、私は蒼蜀様と一緒になれたのにっ・・・!」
手には、潰れた牡丹の髪飾りが握られている。
「こんなものっ!!」
「やっ・・・やめてっ!!」
牡丹の髪飾りを炎の中へ放り込んだ――。
橙色の炎が髪飾りを飲み込んだ。慌ててを竈を覗くと、熱風が顔に襲い掛かり身体が仰け反った。
「熱っ・・・!」
早く、早く取り出さないと・・・!近くにあった薪を持ち、竈に手を入れた。バチバチと木が爆ぜる。手を伸ばすと、炎や煙と交じり火の粉が腕に飛んでくる。
「ゴホッゴホッ・・・」
「ハハハハッ!!そんなに必死になって見苦しいわっ!!」
鼻にかかる笑い声は、耳をつんざくようだった。かぶさってきた黒い煙を、吸い込んでしまい咽た。目が沁みて思わず目を閉じた。
熱い・・・。腕がヒリヒリとする。
ようやく取り出せた頃には、牡丹の髪飾りは半分以上が焼けてしまった。背後で高々と笑う雪華さんの奇声。黒く焼けた髪飾りと同じように、目の前の光景が黒色に染まっていく。
身体が内側から冷たく凍りついて行く。
妖や動物は人のように感情で涙を流すことはない。――いつか、誰かを深く思ったとき鶴人は涙を流す。とお母様は亡くなる間際に言っていた。
その流せない感情は、憎しみに変わるのかもしれない。
「ハハハ・・・えっ雪?」
だって、その晴らし方なら知っている。
晴天に灰色の雲が広がると、ちらちらと雪が降り始めた。傷だらけになった腕は、煤がつき黒ずんでいる。右手の人差し指を立ててふぅっ、と息を掛ける。先端が鋭利の氷柱は人の皮を破るのは容易い。
不思議そうに空を見上げている雪華さんは隙だらけだった。その首筋に、手を振り下ろした―――。
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