第15話 爽昧


「おい、そろそろ時間だぞ」


 紫哭様の声に顔を上げると、先ほどまで隣で作業をしてた人たちの姿がなかった。

 つい夢中で折っていたんだわ。片付けようとすると、紫哭様の折り途中の花に目が留まった。その和紙は透けるほどに薄くとても繊細そうだった。


「あの、こちらは?」

「下り藤だ。これをひとつづつ繋げていくと、こうなる」

「わあぁ。綺麗ですね」


 紫哭様が手元に小さな花を集めると、下り藤の飾りになっていた。一つ一つは小さいけれど、重ねていくと見事な飾りとなっている。


「髪に飾るともっと綺麗に見える」


 出来掛けの髪飾りを手に取ると、私の顔の横に持って来た。


「ほらな」


 自分では見えないのに、紫哭様の柔らかな表情に「はい」と返事をしていた。懐がじんわりと温かくなっていくのがわかる。紫哭様と一緒にいると、時折こういった気持ちにさせられる。

 全て忘れてしまいそうになる。八千という一つの存在して、ここにいる気になってしまう。


「よろしければ、折り方を教えていただけませんか?」


 紫哭様はなにも言わず、引き出しから和紙を二枚ほど取ると一枚を私の前に置いた。流れるように折り始める紫哭様に、慌てて手を動かした。

 長い指先が器用に動いて行く。徐々に折り方が複雑になっていき、向かい合わせの状態では、鏡のようでわかりにくく混乱しかけたときだった。

 音もなくが立ち上がり、後ろから私に覆いかぶさるように、手を包み込んだ。


「しっしこく、様・・・!?」


 胸が跳ね上がった。着物越しに触れ合う身体に、紫哭様は気にする様子もなく続けていく。


「ここは、こっちに折り目だ・・・」


 すっと折り目をなぞると、肩越しに紫哭様の低い声が落ちてきた。その長くしなやかな手が、私の手を包み込んでいる。スッーと後を付けると爪の白い三日月が少しだけ歪んだ。

 ・・・いつもよりもとても近い。これでは全く集中できない。


「いいか?こうして、こうだ」

「はっはい。・・・こう、ですか」

「で、開いて……こうすると」


 手元でパッと花が咲いた。その瞬間、胸の中も同じように明るくなった。


「わぁっすごい!すごいですねっ紫哭様!」


 振り返ると、紫哭様との距離が近かったことを思い出した。恥ずかしくなり目を逸らそうとしたのに、紫哭様は全く動じずにじっと私を見つめる。なぜか逸らすことができなくなった。絡み合う視線に熱をが帯びていくよう。

 紫哭様は目を細めて、眉間に皺を寄せた。その表情は、なぜか私に懐かしさを与えた。知っている気がした・・・この仕草を。

 紫哭様は立ち上がり、また引き出しから和紙を出してくれた。


「もう一度、折るから見てろ」

「は、はい」


 すると和紙の間から、折り途中のものがするりと落ちた。拾い上げると見慣れない形をしていた。


「これは・・・もしかして猫ですか?」

「・・・思案中だ」

「ふふう、可愛いですね」

「なんで笑う」

「少し意外に感じてしまって。あっでも、仕上がったらきっと素敵です」

「まだ完成にはほど遠い。――蒼蜀?」


 紫哭様が扉の方を向いている。扉のところには若旦那様の姿があった。


「なんだ、来てたなら声をかけろ」

「あっごめん。話し込んでいるようだったから・・・」

「紫哭様が猫を折られているんです。とても可愛くて」

「へぇそうだったんですね。仕上がりが楽しみだ」


 微笑む若旦那様に、初めて違和感を覚えた。はっきりとはわからないけれど・・・。どこかいつもと違う気がした。私は腰を上げ若旦那様と帰路に着いた。


 いつもの帰り道、若旦那様の言葉数が少なかった。以前は、仕事や紫哭様のお話をたくさん聞かせてくれたのに。


「あの・・・」

「急ぎましょうか。少し遅くなってしまったようだから、家の者が心配しているかも」

「はい。そうですね」


 若旦那様は私の手を取った。手の内側にじんわりと滲みかける汗。痛いくらいに強く握られているけれど、我慢しながら家路についた。


□□□


 屋敷に戻って来ると、お梅さんが夕飯の支度をしてくれていた。下駄をそろえていると、台所から雪華さんの声が聞こえてきた。いつもはか細い声がはっきりとここまで聞こえてくる。


「アンタ本当にちゃんと探したのかい?」

「もちろんですっ。でも、どこにもなくて・・・とても大切なてぬぐいだったのに」

「そんなに大切なら、これからはちゃんとしまっておくだね」

「この辺りに落としたと思うんです。見ませんでしたか?」

「見てないよ」


 雪華さんの口からてぬぐいという言葉を聞いてハッとした。こないだ拾って、そのままにしていたことを思い出した。


「あっあの、お取込み中すみません・・・」


 雪華さんと女中さんに会話を止めた。部屋に向かっていた若旦那様もそれに気づき、こちらへと戻って来た。私と雪華さんを交互に視線を配っている。


「先日、私が雪華さんのてぬぐいを拾いました。すぐに返そうと思ったのですが、最近慌ただしくて忘れてしまっていて・・・」

「まっまぁそうでしたか!八千様はこのところお手伝いに行かれているので大変でしたでしょう」

「すみません。部屋にあるのですぐに取ってきます」


 てぬぐいを取りに足早に部屋に戻った。すると、障子が少しだけ開いている。

 どうして・・・?いつも必ず閉めて出るはずなのに。

 違和感を覚えながらも、てぬぐいがしまってある鏡台の前に腰を下ろした。下段の引き出しに手を置いたとき、やはりなにかがいつもと違った――。

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