エピローグ

教室の窓辺に、春の光が差し込んでいる。

鉛筆の音も、ページをめくる気配もない。

そこには、ただ静かな空気と、記憶の残響だけが漂っていた。

紘一は、いつもの席に腰を下ろす。

机の上には、何も置かれていない。

けれど、目を閉じれば、そこには美幸のノートがあり、真剣な眼差しがあり、

「先生、ここ、わかんない」という声が、今も耳に残っている。

もう彼女はここにはいない。

けれど、確かにこの場所にいた。

春の教室に、彼女の季節があった。

スマートフォンを取り出し、画面をそっと開く。

LINEの履歴は、もう更新されることはない。

それでも、そこに刻まれた言葉たちは、紘一の胸に生き続けている。

「美容室帰りのこのサラサラで、先生に会いたかったなー」

「私も最近メッチャ会いたい」

「電話して、なるはやで」

——そのすべてが、紘一の人生を静かに彩っていた。

窓の外では、風が街路樹を揺らしている。

春は、また新しい季節を連れてくる。

そして紘一は、もう誰かを待つことはない。

ただ、過ぎ去った季節を胸に抱きながら、今日も教室に灯りをともす。

それは、誰かの未来を照らすため。

そして、自分の過去を、静かに見守るため。

——春の教室は、今日も静かに息づいている。

誰もいない席に、そっと微笑みながら。

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春の教室 ― 教師と生徒が交わした小さな記憶 ― @potitent

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