第十三章 最後の告白

美幸が教室を訪れてから三日後、紘一のスマートフォンが不調を訴え始めた。

画面は時折フリーズし、通知も遅れて届く。

思い切って新しい機種へ乗り換えることにした。

今のスマホは、昔と違ってデータ移行が驚くほど簡単だ。

写真も連絡先も、ほとんど自動で引き継がれる。

ただ、LINEだけは少し手間がかかる。

トーク履歴を保存し、新しい端末で復元しなければならない。

紘一は胸の奥に小さなざわめきを覚えながら、美幸との履歴を確かめた。

自分の世代ではLINEを頻繁に使うことはない。

けれど、美幸とのやりとりだけは、他とは比べものにならないほど積み重なっていた。

指先でスクロールを始める。

一番初め——三年前まで遡ると、そこには美幸との日々が詰まっていた。

「先生、あのドラマ見た?」

「今日、髪切ったの」

「話したいから、電話して」

その一つひとつが、記憶を鮮やかによみがえらせる。

教室で並んで勉強した時間。

ドラマを見ながら笑った夜。

美幸の部屋に漂っていた、あの静けさ。

三年前の光景が、今もなお色を失わずに胸を刺した。

——紘一は、本当に美幸が好きだった。

けれど、その想いに気づかぬふりをして、理性と常識の殻で閉じ込めてしまった。

離したくなかった。

それでも、断ち切った。

美幸の幸せを、ただ願うために。

「好きだった」——そう思っていた。

過去形。

……過去形?

いや、違う。

おそらく、たぶん、間違いなく——今でも美幸のことが好きだ。

もう遅い。

それはわかっている。

けれど、それが紛れもない事実だった。

だからせめて、この想いだけは。

届かなくても、伝えよう。

そう決めて、紘一は美幸に電話をかけた。

久しぶりに耳にする電話での声は、もう不安そうに頼ってくるものではなかった。

三年間で彼女は成長し、すっかり大人になっていた。

他愛もない話を交わしたあと、紘一は静かに告げた。

「三年前、美幸のことが本当に好きだった」

「そして、それは今も変わらない」

美幸は少し沈黙した後、柔らかく言った。

「ありがとう」

その一言に、すべてが込められているように思えた。

返事ではなく、美幸なりの優しさ――。

おそらく、これが人生最後の告白。

美幸は、人生最後に好きになった人。

——それで、十分だった。

ただひとつだけ、紘一は確かめたかった。

あのころ、美幸は自分をどう思っていたのか。

美幸の返事は、こうだった。

「当時の気持ちはよくわからない。でも恋愛感情ではなかったかも」

その言葉が本心かどうか、紘一には判断できなかった。

本当の気持ちだったのか、あるいは今だから選んだ言葉なのか。

けれど、その真実は彼女だけが知ることだった。

紘一は答えを追わず、ただ静かに受け止めた。

そして、スマホの画面を閉じる。

そこには、美幸との記録が確かに残っていた。

教室で交わした言葉。

雪の駅前で撮った写真。

ドラマの感想。

「ファーストキス、奪われちゃった」——それだけで、十分だった。

画面の奥には、あの春の教室がある。

日課のように、毎日二人で過ごした時間。

一緒に見た、ドラマ。

美幸との季節が、静かに息づいていた。

紘一はスマホを胸に抱きしめる。

もう画面の向こうには彼女はいないとわかっていても、

指先には、まだ彼女の言葉の温もりが残っている気がした。


「……さようなら」


小さく呟いた声は、自分の耳にすら届かないほど弱々しかった。

その言葉が夜の闇に溶けて消えると同時に、

胸の奥にぽっかりと空いた穴だけが、確かな現実として残った。

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