第七章 ドラマの時間

この日、塾は休みだった。しかし紘一は教室に向かった。

机の上を整え、カーテンを少し開ける。

窓の外にはまだ冷たい空気が漂っていたが、心の中には小さな期待が灯っていた。

昨日、美幸からLINEが届いた。

「明日、塾が休みだから、教室で一緒にドラマ見ようか」

紘一が送ったその言葉に、美幸はすぐに「いいよ」と返してくれた。

しばらくして、教室の前に自転車の音が響いた。

いつものように、美幸がやってきた。

制服姿にマフラーを巻いて、少しだけ頬を赤らめている。

「先生、おはよう」

「おはよう。準備できているよ」

二人は並んで座り、ドラマを再生した。

画面の中で物語が静かに動き出し、時間がゆっくりと流れていく。

笑ったり、黙ったり、時折感想を交わしながら——

気づけば、半日が過ぎていた。

不思議と、長さは感じなかった。

胸の奥がふわりと温かくなるような、久しぶりの心地よい時間。

こんなにも自然に、心から楽しめる瞬間を過ごしたのは、妻を亡くして以来、初めてだった。

教室の窓の外はすっかり暗くなり、街灯がぼんやりと柔らかい光を投げかけていた。

夜の空気が、二人だけの静かな時間をそっと包んでいるようだった。

「そろそろ帰るね」

美幸は立ち上がり、コートを羽織った。

「ありがとう、先生。楽しかった」

「こっちこそ。気をつけてね」

自転車のライトが点り、彼女の背中が夜の中へと消えていった。

紘一は教室に一人残り、静かに椅子に腰を下ろした。

——これが最後かもしれない。

そう思うと、胸の奥に寂しさがこみあげてくる。

あとは、合格発表を待つのみだった。

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