第3話「想いの届け先」
「おい! 君、誰に向かって口を聞いているんだ!」
鋭く放たれた声が、場の空気を一瞬にして張り詰めさせた。
まるで時間が止まったように、辺りが静まり返る。
団長や副団長が反応するよりも早く、別の団員が血相を変えて飛び出した。
「君! そのようなご無礼を……! この方々にお話があるなら、まずはしかるべき手順を――!」
慌てた団員はライラの前に立ちふさがり、その目はまるで「お願いですから、早く下がってください!」と全力で訴えていた。
その直後、ティアリが冷静な声で口を開く。
「ライラ様、ここは……別の方にお尋ねいただくのがよろしいかと」
声はあくまで穏やかだったが、目元にはピシリと冷たい圧が宿る。
ティアリなりの“止め”だった。
「……私、もしかしてやらかした?」
ようやく空気を察したのか、ライラが冷や汗を垂らして額をぬぐう。
「……ええ、少々」
ティアリは間髪入れずに即答した。
その口調こそ丁寧だったが、返しの速さがすべてを物語っていた。
「ライラ様、ここは一度、場を離れましょう」
そう言ってライラの袖をそっと引くティアリは、あくまで冷静な表情を崩さない。
けれど、その仕草には「静かに事態を収めたい」という必死な意志がにじんでいた。
その隣で、ナナも意を決したように声を張り上げた。
「そ、そうです! ここで問題を起こしたら……あとあと、本当に大変なことになりますから!」
「そ、そうなの……?」
ナナの真剣な表情に、ライラの額から滝のような汗がだーっと流れる。
「失礼しました」と言ってそろりと一歩引いた、その瞬間――
「まあまあ。我々も今はそれほど忙しくないから、気にしなくていい」
軽やかで快活な声が場の緊張をあっさりと溶かした。
「団長……そういうことではないかと」
苦笑交じりの声が隣から返る。どこか諦めの混ざったトーンだった。
団長と呼ばれた男―は、五十代前後。
白髪混じりの黒髪を無造作にかき上げるその仕草には、年季の入った余裕が滲む。
鋭い眼差しの奥には、数多の戦場を渡り歩いてきた者にしか持ち得ない静かな胆力が宿っていた。
隣に立つ副団長と思われる人物は、団長とは対照的な印象だった。
七三分けのオレンジ色の髪、陽光のような明るい瞳。
人懐こい笑みを浮かべてはいたが、どこか“感情の読めなさ”が漂っている。
まるで仮面をかぶったような、つかみどころのない雰囲気だった。
「まあまあ、いいじゃないか!」
リースはそう言って、にこやかにライラへ手を差し出す。
「俺の名前はリースだ。よろしくな」
「ライラって言います!」
ぺこりとお辞儀したライラは、差し出された手を両手で包み込み、握手を交わした。
その様子を少し離れて見ていたティアリは、アドニスと視線がぶつかるとわずかに表情をこわばらせて目を逸らした。
「じゃ、俺も自己紹介しとこうかな〜。俺はアドニス。よろしくね」
アドニスも軽やかに手を差し出す。
ティアリはやや硬い表情のまま、丁寧に名乗りつつ手を取った。
「君たちは……ハンカチの持ち主を探してるんだよね?」
「はい、――実は、こういう経緯がありまして」
ティアリは淡々とことの顛末を語り始めたのだった。
――
「なるほど、このハンカチの持ち主かぁ」
ティアリから事情を聞いたアドニスは、手にしたハンカチをひらひらと振りながら言った。
「リースさん、わかります?」
「うーん、なにぶん騎士団員は多いからなぁ……」
リースはアドニスからハンカチを受け取ると、少し目を細めて見つめながら首をかしげた。
「そうですか……」
ナナの声が少し沈む。肩が落ちたその背を、ライラが心配そうに見つめる。
「ん? この刺繍……ああ、これはエミルのじゃないか?」
ふいにリースが声を上げた。
「本当ですか!?」
沈んでいたナナの顔が、ぱぁっと明るくなる。その変化の激しさに、ライラは百面相だなぁと思わずくすりと笑った。
「エミルって……今、体調崩して休暇中じゃなかったです?」
横からアドニスが思い出したように言うと、ナナは、またしゅんと肩を落として俯いてしまう。
「そっか……じゃあ、今は会えないんですね……」
小さく呟く声に、リースはやや申し訳なさそうな顔をした。
「いやっ!、確か自宅療養中だったはずだ。ちょっと待ってな」
そうハッとした様子で言うと、リースは手早く部下から紙を受け取り、さらさらとペンを走らせた。
「ほら、これがエミルの家までの地図だ。……あいにく、我々はこれから任務があるから同行はできんが、これで辿り着けるはずだよ」
そう言って紙を手渡すリースに、ナナはぶんぶんと手を振る。
「いえ、そんな! 居場所を教えていただけただけでも十分ありがたいです!」
「おう、それならよかった」
リースが笑うと、ナナは改めて紙を胸に抱き、深々とお辞儀をした。
「ありがとうございましたっ!」
「んじゃ、俺らは仕事戻るんで〜」
アドニスが軽く手を振る。リースもそれに釣られて笑いながら歩き出した。
「ありがとうございましたー!」
ライラも両手で手を振り返す。ぺこりと礼をするナナと、その隣で静かにティアリは頭を下げるのだった。
――――
「団長さんと副団長さん、優しかったねぇ」
スキップをしながらふんふふ〜んと鼻歌を歌うライラに、ティアリが呆れたようにため息をつく。
「……これからはあんまり、見ず知らずの人に気軽に話しかけないでくださいね」
軽く小言を言うティアリの横で、ナナがぱっと顔を明るくして口を開く。
「それにしても、アドニスさんってとても綺麗な方でしたね!」
「あらあら〜ナナちゃんは、ああいうタイプがお好み?」
からかうように笑うライラに、ナナは慌てて両手を振る。
「ち、ちがいますっ!そういう意味じゃなくて!」
顔を真っ赤にするナナに、ライラはくすくすと楽しそうに笑いながら追い打ちをかける。
「じゃあ例えば、突然“ナナ嬢”なんて呼ばれちゃったら どうするの?お手を取られちゃったら?」
「そ、それは……!」
まともに受け答えできずにフリーズするナナ。話題を変えるように、ぽんと手を叩いた。
「ティアリさんのタイプははどんな人なんですか?」
突然の直球の質問にティアリは一瞬だけ歩みを緩めほんの少し考え込むように目を伏せた。
「……私より強い方、ですかね」
その静かなる一言に、先を歩いていたライラはピタリと立ち止まり、勢いよく振り返る。
「……なにそれ、軍人限定?!」
ライラのツッコミに、ナナが「た、確かに」と小さく笑いを漏らす。
ティアリは軽く首を振った。
「別に軍人である必要はありません、ただ…信頼できる強さを持ってる人がいいと思います」
真面目な調子のままそう言った後視線を外し、小さくつぶやく。
「……あと、大富豪であったら最高ですね」
ぽつりとつぶやくティアリを見て、ナナとライラは顔を見合わせ――思わず吹き出した。
「ねえ、ティアリって理想高くない?」
「高いです!」
二人の声がぴたりと重なり、ライラとナナは肩を揺らして笑い合う。
その様子を見ながら、ティアリは「そんなに高いでしょうか……?」とぽそりとつぶやき、指先を顎に添えて小首を傾げた。どこまでも本気らしいその姿に、ライラはまた笑いをこらえる羽目になる。
そんなやりとりの間にも道は進み、ティアリが一歩前に出て背後を振り返った。
「そうこうしているうちに、エミル様のお宅が見えてきましたよ」
彼女の言葉をきっかけに、話の続きを惜しみつつも一行は、再び足を早めたのだった。
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