月刊誌「MOON」 平成十五年(2003年)三月八日号掲載 読者投稿欄
三年ほど前の事です。
私はタクシー運転手なのですが、その頃奇妙な人を乗せる事が多くあったんです。
その奇妙な人というのが全身に白装束を身に纏った髪の長い女性で、夜も更けた一時だとか一時半に駅やその周辺で留まっていると乗ってくるんです。
そして、その人は乗ってくるとボソボソッとこう言うんです。
「ここから一番近い山まで…」
私は不気味に思いつつ、その人を毎度のように駅から最も近い山まで乗せて行きました。
ところでこの当時、私がタクシー運転手として担当していた地域は過疎化が大いに進行し始めていました。その度合いというのが物凄いもので、次々と住人が減っていくんです。
お陰で駅だとか病院、繁華街だとかの人が比較的多く集まっている場所で留まっていてもタクシーに乗ってくれる人は自然と少なくなってきます。しかもその過疎化の範囲というのも私の担当地域以上に広範囲なものですから、時々会社の規則に違反してでも別地域にいってもまるで人は乗ってくれないのです。
そんな中でこの白装束の女性というのは必ず駅に留まっていると乗ってくれて、お金を落としてくれるものですから、幾ら不気味に思っていたとしてもそれ以上にありがたい存在だと思っていました。
ですから私も不必要に話し掛けたり刺激したり、もしくは避けようとする事もせずにその人の事は一人のお得意様と見ていたのです。
そんな中でのある日の事です。
その日も私はいつものようのとある駅に留まってその女の人を待っていました。
妙に鮮明に覚えていますが、その日の一時二十三分にその女の人は乗ってきました。
いつものように、その人は最寄りの山というのを指定し、私は車を走らせました。
しかし、走らせて行く内に妙な事が次々と起こり始めたのです。
まず第一に、山に近づくに連れて赤信号の時間が異様に長くなり始めたのです。
普段なら信号の長さは数十秒、長くても精々一分程なのですが、その日の赤信号の長さは一分どころか二分、三分、四分、五分、と段々と山に近づくにつれていつもよりずっと長くなっていくんです。
そして第二に、いつもなら体の感覚で覚えている道をどういう訳か外れていくというのが多々あったんです。
それというのがあり得ない程のもので、いつもの路を大幅に外れて明後日の方向に向かっていたり、もしくは絶対に選ばないような細い道だとかを選んでいたのです。
そして第三に…これが決定的なのですが、時々妙な声が外から聞こえてくるんです。
さっきも申し上げたように私のタクシーの担当地域というのは急速な過疎化が進んでいて、昼間でも出歩く人は少ないのです。ましてや、その時は深夜の一時だとか二時だとかの頃合いです。本来なら人っ子一人いない筈なのです。
ところが、タクシーを走らせていると、どうにも声が聞こえるんです。風の音か何かと思いましたが、信号で待っている時も何かと聞こえてくるんです。
妙に思って耳を澄ませてみると、どうやら人の声のようでした。ですが…何を言っているのか全く見当がつかないんです。
「がいぎゃあいおーーー」
だとか
「のんのんのんのん…」
だとか全然意味不明な言葉です。
女性とも男性とも区別のつかないような音色の声で、私はさっき言った第一、第二の異変とも合わせて、後ろに乗る女性以上に不気味に思っていました。
とは言え、それら怪異は私の運転を止めさせるものとはなり得ませんでした。
寧ろ、私はそれら怪異に「ナニクソッ」というような感情を持っていました。
「こうなれば、意地でもお客様を山まで届けてやるぞ…」
やはり会社の規則まで破って集客をしようといういつもの行動の後ろめたさがあったのでしょうか、この時の私は罪滅ぼしのつもりであたかも社運を背負うつもりの決心をしたのでした。
そんな中で私はいつもより数十分ないしは一時間ほど遅れる形で山の近くまでに来たのです。
この時、私は何を思ったのか、後ろに乗る女性に言ったんです。
「お客様、もう少しで山です。すいません、いつもよりずっと遅れてしまって…」
恐らくはいつもと違う状況下で客を送り届けたことでハイテンションになっていたのでしょうか。私はそのように言ったんです。
すると、その女性客は意外にも返答をしてくれたんです。
「大丈夫です。構いませんよ」
その人の声には冷たさよりも、妙な温もりがありました。いつもの身なりから冷たい返答が待っていると思っていた私は少し驚いたものです。
そうしていよいよ、山の登山道の入り口近くの駐車場が目の前まで迫ってきた中、事件は起きました。
車のライトと街灯が照らす中で私は確かにその時、歩道や車道にだれも居ないということを認識していました。
しかし…訳が分かりませんが…突然目の前が…いや、目の前というよりは車のフロントガラスが真っ暗になったんです。
どういう事になったのかとパニックになりながら急停車しようとしましたが、ブレーキが効きません。
私の車は数秒の間そのまま突き進み、その間に目の前のフロントガラスが街灯で明るくなったと思いきや、ボンネットから人が車道に転げ落ちていくのが見えました。
そして…その直後にブレーキが効きました。…それと同時にグシャという嫌な音が聞こえてきたのです。
私はパニックになりました。ああ…ついに終わりだ。人を轢いてしまった…人生終了だ…と。
どうして人がいきなりフロントガラスの目の前に現れたのか…そういった事は一切考えられませんでした。私はそのままパニックになりながらも、数十秒停車した後に車を出て、既に無駄だとも思いつつ轢かれた人を救助しようと思いました。
すると…不思議な事に…確かに轢いた筈なのに…救助すべき人間は血も、肉片も跡形もなく消えていたのです。
一層のパニックが私を襲い、どうしたらいいのかと言う問いだけが頭の中で空回りしていました。そんな中でです…ある嗤い声が私に冷水をぶっかけるように木霊しました。
その嗤い声の主は果たして件の女性客でした。
その人はいつの間にか車から降りていて、クックックックックック…と、噛み殺すような低い声を響かせていました。
そんな時にふっと雲間から月明かりが見え、風が吹きました。
月光に当てられながら白装束と髪とがユラユラと揺れつつ、その人の顔が見えました。
美しいと思ったのです。その人は顔に若干の生傷らしきものを負っていましたが、しかし、それが妖しさというものを演出していました。
そして彼女は私の方をニンマリと一瞥した後、登山道の方に髪を靡かせながら向かって行ったのでした。
数日後、或るニュースが私の耳に届きました。
例の山で女性の遺体が首を吊った状態で見つかったと言うのです。
しかも、異様な事にその人が首を吊った木の幹には釘だとかお札のようなものが張られていて…何でも京都の小子神社という神社のお札のようなのです。
加えて…幹には人の顔写真というのがびっしりと張られていて…その中に私の写真もあったのです。
その事もあって私は警察に事情聴取をされました。
何でも警察から聞いた話によれば彼女は自分の夫に虐待されていたようで、こうした形で呪詛していたようです。
しかし…どうして私の顔写真までもがこうして張られているのかまったく見当がつきません…
何か…私はしでかしてしまったのでしょうか?
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