私の體には惡魔の血が流れてゐるのでせうか

夏山繁樹

月刊誌「畔」  昭和二十三年(1948年)三月号掲載 読者投稿欄

 あの日の事は忘れようとも忘れる事が出來ません。











 一ヶ月ほど前の事です。

 私は趣味で、山を散策する事があるのですが、ある時、京都と滋賀の境辺りにある逢坂山とう山を登ったのです。

 逢坂山は古くは交通の要衝として有名だった山で、平安時代にはこの山にかかわる和歌が幾つかあるような山です。

 そんな山ですから、私はある種の歴史的な感慨とうものを感じながら登山道を歩いていました。

 そんな中で私はすれ違いざまにある一團いちだんを目撃しました。

 その一團いちだんは何かと異樣いようで、托鉢僧に加えて、戰爭中せんそうちゅうの軍服や軍帽、略帽だとかを身に着け、かつ、脚や腕などが欠けた傷痍軍人達が入り交じったような集團しゅうだんでした。

 おそらく、仏道修行ないしは物乞いだとかを目的にしているであろうその集團しゅうだんは私の事なんぞ眼中にも入らないのかスタスタと進んでおりました。時折、物慾しげにこちらを見てくる傷痍軍人が一人二人居ますが、そういった聯中れんちゅうも僅かにこちらを見るだけで歩を止める事はありませんでした。

 そして、その集團しゅうだんを見ながら、私はふっ……とつい三年前まで行っていた戰爭中せんそうちゅうの事を思い出しておりました。

 戰爭中せんそうちゅうの私はビルマの方で軍務に服しておりましたが、そこの現地人の女との燃えるようなこいだとか、悶え死んでいく英軍捕虜の事だとか…そういったような事を思い返しておりました。

 いずれも非常に重厚なドラマがあるのですが、この直後の出来事がそれらに並ぶ強烈なものとなろうとは思ってもおりませんでした。

 私は想い出の中に浸りつつ、路傍にあった岩に座ってその集團しゅうだんを眺めておりました。丁度、昼食の頃合いで腹も減っていましたので、私は色々なものを詰めた背嚢リュックサックの中から弁当を取り出しました。

 そうしてゴソゴソと背嚢リュックサックを漁っていますと、その集團しゅうだんの一番後ろに紅一点の存在が着いて來ているのが見えました。

 思わず私はギョッと目を引かれました…何せ、その女は汚れた僧衣と軍服を身に纏ったような例の集團しゅうだんとは不釣り合いともいえるような存在だったのです。

 その女は派手までとはえずとも、集團しゅうだんきたならしいさまと比べればずっと小綺麗な樣子ようすでした。

 服装は田舎で百姓の女が着るような木綿の着物で、髪型は典型的な日本髪で結われていて、その頭の上に手拭いを被っておりました。

 加えて…私が一層目を引かれたのはその人の途轍もない美貌にありました。

 その人は世の中の映画だとかで出ているような女優達と比べても遜色ないどころか、ずば抜けたものとなるであろう器量持ちで…恥ずかしながら自分の目はそれに釘付けとなったのです。

 ですが、同時にその女は色々と妙でした。

 まず、第一に他の傷痍軍人だとか托鉢僧だとかがボロボロとはいえ靴や草履を履いている中でこの女だけは素足で歩いているのです。

 当然、登山道にはゴツゴツとした小石類などが多くころがっていますから、普通なら足の皮膚が破れて血塗れになってもおかしくありません。

 ところがこの女に限ってそういう事は無く、大して痛がる樣子ようすも無く平然と歩いていました。

 そして第二に…これが一番重要なのですが…女のかおの口元から頬にかけて妙な生傷のようなものがあったのです。

 何かで切り付けられたのか…結局、私にはその生傷の正体はその後も分らずじまいで終わってしまったのですが、それでもその妙な傷はその後の出來事の鮮烈な印象を与える一因となろうとはその時思ってもいませんでした。

 私はそのような奇異性と純粋な美しさの両面から例の女の背中を、集團しゅうだんが私の目の前を通った後も見つめていました。

 すると…私が座る路傍の石のもとから凡そ十メートル程過ぎた所で、女は突然立ち止まったかと思うと、クルっとこちらを振り返って、視線を向けてきたのです。

 私は突然の事で思わずからだを硬直させ、その上うっかりその女と視線を合わせてしまったのです。

 女の瞳は美しさと共に何かと不氣味ぶきみで…そう、例えるなら水晶の宝石を無理矢理目の中に埋め込んだような……そうったイヤに氣味きみが惡く、かつ感情もみとれない瞳を向けられたものですから、ゾクリと背中をさすられたような感じをおぼえたものです。

 女は数秒の間、そのような瞳を向けた後……突然ニッと口角を上げました。

 その直後に起きた出來事とったら……




 ……口角が上げられた後、女の唇がひび割れていることにが付きました。この頃というとまだ二月なものですから誰でも肌にしろ唇にしろ、乾燥させていても不思議ではありません……が、問題はそこからでした。

 唇のひび割れ方が尋常でないのです。

 最初の内は女が唇につけた紅と混ざってあまり見えていませんでしたが、よく見ると下唇から顎にかけて赤黒い液體えきたいがタラリタラリと流れていることにがついたのです。

 戰場せんじょうに居た經驗けいけんからすぐにその液體えきたいが血である事が分かりました。それにがついて私は思わず腰を上げて近づこうかとも思いましたが……その直後に起きた出來事には思わず度肝を抜かれました。

 …………それは口元の端からでした。

 肉々しい音と共に、そこから徐々に徐々に切れ目が走っていくのが見えました。

 切れ目はあるラインにそって走って行きます。

 ……そのラインとは……女の顏に出來ていた生傷でした。

 ……切れ目はついに頬の端までに達し……その直後……肉が裂けたのです。

 ……戰場せんじょうで何回も見たような恐ろしい光景がその女の顏の上では繰り広げられていました。

 夥しい血がその裂けた肉の赤黒い断面からボトボトとほとばしり、女の木綿の衣まで落ちていき、その色で染めていくのが見えます。

 そして、その頬の内側から白いが覗いているのがこれまた見えていました。

 果たしてそのさまは……ある戰友せんゆうが死んだときのかおにそっくりでした……

 ……それを思い出すと、戰爭中せんそうちゅうの忌々しい記憶が濁流のように私の頭の中でいきり立ったのです。

 猛烈な吐きを催し、思わずその場でしゃがみこんだのでした……




 ……しゃがみこんだ時間は果たしてどの程度だったのでしょうか……

 はっきりとはおぼえていませんが、再び顏を上げた時には既に日が傾き始めていたのでした。

 そのさまを見て、私は山を登る事を諦めて、大急ぎでもとた道にかえる事を決めました。

 何せ、このような山中で夜を迎える事はまっぴら御免でしたから……

 そうして大急ぎで戻る最中……私は何か嫌な予感を常に感じていて……果たしてそれが正しかったと証明されたのはかえり始めて間もない事でした。

 ある道に差し掛かったところで、大なり小なりの多くの石がころがっていたのです。

 そしてそれら石の下敷きになるか……あるいはそれら石にぶつかった事によってか

…そこには死屍累々の山が広がっていたのです。

 後の警察の調査によれば、その石々らの正体は、山の斜面からの原因不明の落石によるものだという事らしいのです。

 そして……その時は、その死屍累々のさまに面喰らうばかりで気づきませんでしたが……

 その場で死んでいた彼等というのは、数時間前に私が目撃したあの奇妙な托鉢僧と傷痍軍人による集團しゅうだんだったのです。

 


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