第2話 媚薬ポーション

 私が怒りにぎりっと歯噛みをしていると、戸田三佐の焦りの混じった声が届いた。


『アルファチーム、アルファチーム……! くそっ、シュナーフ2聞こえるな?』

「こちらは問題ありません、隊長」

『そちらから見えるか? アルファチームは……』


 スコープ越しの光景は、オフィスのフェルト床に倒れたバトルスーツとそれを見下して満足げに悪魔の尻尾を振っている淫魔の姿。セミロングのピンクから覗く巻き角にコウモリの羽。絵に書いたような淫魔だ。


「全滅しました。敵個体は淫魔サキュバス級、標準的なタイプです」

『はやりか……! シュナーフ2、現状の戦力では対応できない。応援が来るまでそのまま監視を続けてくれ』

「隊長、奴はまだ私たちに気づいていません。今なら確実に頭を吹き飛ばせます」

『それは許可できない。頭を破壊して倒せる保証はどこにもないんだ。そいつは、我々とは別の身体構造をしているんだ』

「ですが、このまま味方がいいように弄ばれるのは――」


 ピンク髪が振り向き、息を呑むほど美しい面が私のいるビルのほうを見上げた。そいつは艶やかな唇をにっと歪めた。


「隊長、位置を補足されました。交戦を開始します」

『待てシュナーフ2、撤退を――』


 戸田三佐の声をHVAP弾の風を切るような一撃が遮った。

 七ミリの超音速の弾丸が淫魔級の頭部へ吸い込まれるように放たれ――

 だが盾のように丸めた羽に銃弾が弾かれた。通信で言っていた通り硬い。装甲車のチタニウムプレート並みの耐久性に布のような柔軟さ。その上、羽だから飛翔するのにも使える。


「く――っ!」


 淫魔がガラスを破って飛んできた。それを目にした瞬間、私は迎撃を諦めてばっと手近な柱に飛び、身を隠した。

 異常な飛行速度だった。私が柱の影に蹲った直後にこのオフィスのガラスが割れるほど一気に距離を詰めてきた。


「なんてこった、入ってきたぞ!」

「言ってる場合か、撤退するぞ! 援護しろ!」


 窓際で私と一緒に狙撃していた隊員が慌てて短機関銃を構え、もうひとりがスモークグレネードを取り出した。

 だがそのわずかな隙に淫魔が彼らに肉薄し、そっと首筋や胸を撫でた。それだけで頑強なバトルスーツが膝を震わせてあっさりと倒れる。さきほどの通信では尻の穴を狙ってくると言っていたが、今のはただ撫でられただけだ。


「どうして……!? 触られただけで……?」

「身体が、身体がおかしい……! 急に痙攣してっ」

「くっ、動け、ない……貴様俺たちに何をした……っ!?」

「特製の媚薬ポーションを塗ってあげたの。全身が絶頂直後のお○んちんみたいに敏感になってるでしょう?」


 柱の影で眉を顰める私と困惑する二人の隊員に悪戯っぽく笑ってみせる淫魔。こちらは、コウモリの羽がついた背中しか見えないが容易に奴がどんな顔をしているか想像できる。この小馬鹿にするような声と同じ表情だろうから。

 隊員たちの呼吸が一層荒くなってきた。


「ううっ、絶頂直後か――嫌な表現だがめちゃくちゃしっくりくるぅ……っ!」

「ああダメだっ、もう自分が震えてる振動だけでっ……!」

「おいしっかりしろ! こんなので絶頂ダウンするんじゃねえ! 鎮静剤だ、鎮静剤を使えば――ぐううっ!」

「あははっ、ハイハイして赤ちゃんみたーい♪ ほらこっちこっち、おっぱいの時間でちゅよー」

「おっぱいぃ、あの中に飛び込めば……ハァハァ……どんなに気持ちいんだろう……っ!」

「バカっ、惑わされる、な。ヤられるぞ……!」


 淫魔は人の弱い心に漬け込み、快楽という名の甘い蜜を吸わせようとする。見た目だけならエッチな格好のお姉さんが膝枕でもするように両膝をついてこっちこっちと手招きしているように見える上に、しかも媚薬ローションで半分理性を失いかけている。ここまでされて抗える男がいるだろうか。


「――っ!」


 だが抗える男がいなくても、抗う女はここにいる。

 私はマークスマンライフルを構え、引き金を素早く引いた。一発目は淫魔の羽に阻まれ、二発目も同様に弾かれた。それでも単発で何度も撃ち続ける。


「痛っ、もう邪魔しないでよ! 今良いところなのにッ!」

「シュナーフ3! 撃て、そこからなら――」

「了解っ!」


 私が敵をライフルで釘付けにしながら叫ぶと、通路側を警戒していた隊員が銃弾を放った。見事な十字砲火だ。これにはさすがの淫魔も直撃は免れない。ネグリジェの肩から横腹にかけて何発か着弾した。

 人間なら致命傷の銃創じゅうそう。だが淫魔はまだ動けた。


「このくらいでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!」

「クソッ! この女、撃たれながら突っ込んで来るだと……っ!」


 あっという間にシュナーフ3に接近し、淫魔の手がアーマーに守られた股間に伸びる。


子種盗術セイシスティールッ!」

「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉんッ!?」


 股間をひと撫でされただけで気持ちよさそうな雄叫びを上げ、シュナーフ3は膝から崩れるようにして倒れた。

 全滅だ。もう頼れる部下はいない。しかも奪った子種をひと舐めすると、淫魔の銃創はたちどころに塞がり、血で赤く染まっている肩も元通りの綺麗な肌になった。

 このふざけた現状に私は思わず後ずさった。


「く……っ」

「で、次は……声からして女の子よね。ふふっ、デザートにピッタリ♪」

「ねえ、セラス様ってあなたのこと?」

「そうよ。嬉しいねぇ、私のこと知ってくれてるなんて」

「勘違いしないで。あなたの部下から聞いてただけ。まぁその部下もすでに始末したけど」


 会話で時間を稼ぎながら挑発に乗って相手が突っ込んでくるのを待つ。そんな私の思惑をあざ笑うように整った唇が小さく歪んだ。


「それこそ勘違いよ。あんなのは部下じゃない。殺しても殺してもいて出てくる害虫。だから残飯処理させるのにちょうどいいの」

「残飯って……」

「ああでも、私が気に入った人間なら別よ? 私専用のペットにするの♪ あなたも……そのヘルメットの下しだいで仲間入りよッ!」


 セラスが低い姿勢で肉薄してくる。巻き角を突き出し闘牛のように、だが狼にも似たフットワークで右へ左へ踏み込みつつ向かってきた。

 早い。照準が定まらない。そのまま突っ込んできてくれたら幸運な弾丸が奴を穿ったかもしれないが、現実はそう上手くいかなかった。私が撃った銃弾はピンク髪を掠めるだけで、射線の先にあるデスク上のモニターやその奥にある壁に穴をあけるばかり。


「うう――っ!」


 そしてついに私の目の前まで来たセラスが下から撫でるように手を振り上げた。バトルスーツの装甲プレートに白い手が沈み、私の小さな胸を捉える。


「あ……っ!」


 咄嗟に飛び退いたがそれでも胸の先端に奴の指が届いていた。


「――はぁはぁ……っ」


 変な息が口から出てくる。喉が熱い。体が熱い。手足に力が入らなくなり、へなへなとその場に座り込んだ。


「これが、媚薬ぽーしょんのっ、こうかぁッ……?」

「そうよ、私の手にたっぷりついてるからちょっと触っただけでこのとおり」

「はぁんしょくぅ、そうなぁのょーりょく……」

「ふふっ♪ もう呂律が回らなくなってきてるわね。若い子の方が効き目が強いのかな?」


 霞む視界の中で、セラスが勝ちを確信したような余裕の笑みで『あれあれどうしたのかなー?』とオネムな子供に向ける生暖かい目で見下ろしてくる。

 その余裕が気に入らなかった。ちょっと触られただけでびくってなる身体が気に食わなかった。


(次回に続く)





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