第8話 告白、その三日後

 ロジオンが旅立って、三日目の夜――


 紅茶はもう三杯目。けれど、口に運んでも味はほとんどしない。

 机の上の魔法陣は、呼び出してくれと言わんばかりに、かすかに脈打つような光を返していた。


(……もう三日。便りがないのですわ)


 深く息をつき、指先に魔力を集める。

 ぱんっと軽い音とともに、薄桃色のきらめきが弾け――例の夢魔が姿を現した。


「はいはーい、夢魔サポートセンター、アモレットちゃんですっ♡ ……あれぇ? またセレフィーナ嬢じゃないですか~!

  まだ夢、続いてるんですか? まさか、まだ告ってないとか~?」


「……ええ、その節は……ありがとうございましたわ」


 セレフィーナ嬢は、そっと視線を伏せる。


「告白は……ちゃんと、いたしましたの」


「おぉぉっ! やっぱり! やりましたねぇ♡ 勇気出しましたね、えらいえらい! で、結果は?」


 こくりと頷く。


「ビンゴォォ! いやぁ~これはもう完全勝利じゃないですかぁ!」


 アモレットは両手をぱんっと打ち鳴らし、尻尾をぶんぶん振る。


「ひゅーひゅー、あっつあつ! ラブラブ街道まっしぐら確定! 結婚式はいつです? お祝いのカード送らなきゃですね? あ、依頼主のマルエル嬢にも至急ご報告っと!」


「け、結婚式って……! そ、そんな話は……!」


 セレフィーナ嬢は耳まで赤く染め、視線を泳がせる。

 アモレットはにやにやと、しっぽをぱたぱた揺らして見守っていたが――やがて、その笑みがほんの少しだけ和らいだ。


「……で?」と軽く促すように首を傾げる。


 セレフィーナ嬢は小さく息をつき、ゆっくりと背筋を正した。先ほどまでの羞恥の色が、すっと引いていく。

 その瞳に映ったのは、からかいを許さぬほどの真剣さだった。


「――ですが、その翌朝には……『領地を得て参ります』と告げて、あの方は旅立ってしまわれたのです」


「……へ?」


 アモレットは一瞬間の抜けた声を出し――次の瞬間、目をまん丸にして叫んだ。


「えぇぇっ!? ちょっと待ってくださいよ。告白された翌日ですよね? しかもこんな美人さん置いて? いやいやいや……」


 アモレットはしっぽをぴんっと立てたまま、じとりとセレフィーナを見つめ――次の瞬間、両手をぶんぶん振って首を横にぶんぶん。


「ないないないっ、なんでそうなことに!?」


「……領地を得てくださいませ、とお願いしたのは……わたくしですの」


 セレフィーナ嬢はわずかに頬を染め、視線を逸らす。


「そして……翌朝には、もう出立してしまわれて……」


「はぁ? なんでまた、そんなお願いを?」


 小さく息を吸い、吐く。


「……騎士とはいえ平民の出。わたくしとの立場の差が大きすぎますの。だから――ご自身の力で領地を得ていただければ、と」


「……あー、そういうことね」


 アモレットは頷き――すぐ、肩をすくめて笑った。


「でもさ、それ……めんどくさ。かけおちでもしちゃえばよかったのに」


「そ、そんなことできませんわ!」


 思わず声が跳ねる。


「それにロジオンはとても優秀な方。逃げるなんて、ふさわしくありませんわ!」


「おぉぉ……信じてるんですねぇ」


 ぽかんとした顔のあと、アモレットは口元を緩めて笑った。


「じゃあ、いいじゃないですか」


「……ですが、もう三日も経つのに便りがありませんの」


「ふむふむ。――で? 寂しいんですか?」


「さ、寂しいだなんて! ふ、不安なだけですわっ!」


 アモレットはにやりと笑い、わざと首を傾げる。


「へぇ~? じゃあ、その“ふ、不安”ってやつは、夜に胸がきゅーってなる感じですか?」


「……っ! い、いいから黙って聞きなさいまし!」


「はーいはーい」


 軽く受け流しながら、ふと視線をセレフィーナの背後へ向ける。


「――あれ? お嬢様の後ろ、それ……旅支度じゃないですか?」


「えっ?」


「鞄に水筒、街道用の外套……これ、どう見てもロジオンさん追跡セットですよねぇ?」


「そ、そんなことっ、あるはずありませんわ!」


 声が裏返る。


「これはただ……ええと、非常時に備えて……!」


「非常時ねぇ……ああっ、ロジオン不足ってやつですか、分かります!」


「違いますわぁっ!!」


 アモレットは口元に手を当て、大げさに笑った。


「いやぁ、いいですねぇ、これはもう追いロジオン不可避じゃないですか」


「不可避ではありません! だいたい……!」


 しかし“だいたい”の先が続かず、セレフィーナ嬢は頬を赤く染めたまま、視線を逸らしつつドレスの裾をそっと整えた。


 アモレットはにこにこと手を振った。


「はいはい、じゃあ確認しますよ」


「……確認?」


「生きてるかくらい、すぐ分かりますよ。ちょっと待ってくださいね~」


 小さな角の下で、尖った耳がぴょこんと動き――

 アモレットは指先で小さな光輪を描く。

 ゆらゆらと炎のような光が現れた。


「……あー、はいはい。大丈夫、生きてますね」


「……えっ、もう分かるのですの?」


「ええ。呼吸も脈も問題なし。ちょっと暑いところにいるっぽいですけど、元気ですよ」


「……そう、ですの……」


 胸に手を当て、ふぅと息を吐く。


「――それで、不安はなくなりました?」


「……ええ。ほんの、少しだけ」


「じゃあ、あとは帰ってきたときに、ぎゅーっと抱きつく練習でもしておけばいいんじゃないですかね~」


「なっ……ば、ばかげたことを……!」


 頬を真っ赤にして声を上げるセレフィーナ嬢を、にこにこ見つめるアモレット。


「ま、もし本当に追いかけるなら、南に行けば会えますよ~。今、けっこう賑やかにやってるみたいですし」


「……賑やか?」


「ふふっ、それはお土産話のお楽しみですね♪ でもこりゃ案外早く帰ってくるかもですね~」


「じゃ、引き続き恋の健全な熟成を祈ってますよ~♡」


 アモレットは小さな角を揺らすように頭を傾け、指で小さなハートを作って片目をつむる。


「――恋に、幸あれっ♪」


 光がすっと消え、部屋に静寂が戻る。


 机に肘をつき、額を押さえたまま、小さく呟く。


「……ぎゅーっと、など……」


 けれど、その口元は、ほんの少し、ほどけていた。

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