第7話 七日の段取り、そして扉が開く
次の日だ。兄貴が来て二日目。
夜明け前だってのに、宿の部屋はもう空っぽだった。
布団はきっちり畳まれて、湯呑みひとつ残っちゃいない。
女将いわく、「日の出より早く出てったよ」。
探すつもりは……なかった。
はずなんだが、気づきゃ通りに立ってた。
理由なんざねぇ。ただ、あの背中が頭から離れなかった。
昨日の昼間からずっと、まっすぐ歩くあの背中が。
振り返らずに歩く。
歩幅は一定、呼吸も乱れねぇ。
まるで、何かを踏み外さねぇように歩いてるみてぇだ。
追いついて聞いた。「今日は?」
兄貴は一言。
「地図の空白を埋める」
……歩いて? おいおい、兄貴。
南部の空白ってのはな、地図に線が引かれてねぇ土地のことだ。
村ひとつ越えりゃ税も掟も変わる。昼は握手してた奴が、夜には背中に刃物を突き立ててくる。
例えば――マルトって若い商人がいた。
鉱脈を見つけて王都に戻ったら一山当てるつもりだったらしい。
だが三日後、帰ってきたのは空っぽの馬車だけだ。
荷も金も消え、御者台はもぬけの殻。靴ひとつ見つからなかった。
そういう話は日常茶飯だ。
行方不明の半分は、この空白で骨になる。
命の使い道、盛大に間違えてやがる――と、昔の俺なら笑ってたろうな。
……いや、この男にとっちゃ命を削るのは呼吸みたいなもんか。吸って吐いて、また一歩進む。
その日、兄貴は戦場跡と教団の診療所を回った。
戦場跡じゃ、風がやけに冷たくて、誰かに見張られてる気がした。
亡霊か、生き残りか――そこまでは分からねぇ。
診療所では神官と二言交わすと、奥に消えた。
十数えても戻らず、出てくるなり「次だ」とだけ。
たぶん、この時点で兄貴の中じゃ筋書きはできてたんだろう。
それでも足を運ぶ。
……そして怒ってた。南部の時間の流れに。
何もしなくても人の未来を腐らせていく、この土地の空気に。
――夜。
昼間の熱気が嘘みたいに消え、風は冷たく、空気は澄んでいた。
兄貴は無言で立ち上がり、戦場跡へ向かった。
昼間は遠くから眺めただけの焚き火。
その輪の向こう、影が五つ六つ。目が光る。
人の目だ。魔王軍の残党――今じゃ山賊と変わらねぇ。
南部にはな、骸になっても仲間を護り続ける兵たちがいる。
勇者と聖女に斃された魔王国の皇太子、レグナスの秘術と、護りたいって想いが重なったせいだ。
あれは皇太子の望みじゃねぇ。だが、死ねぬまま戦場に縛られた仲間たちは、今もその地に立ってる。
そして、生き残った者たちは――その骸と刃を交え、ようやく倒してやる。
墓を掘り、土に還す。
それが唯一の供養だ。
戦いじゃねぇ。だが、終わらせるために剣を振るう日々だ。
奥から顎で合図され、さらに奥へ。
現れたのは、一人の老人。
肩は落ち、髪も白いが、眼だけは戦場の色を失っていない。
その口が、低く呟く。
「……久しいな、灰鴉」
兄貴は腰の包みを解き、布をめくった。
淡い水色に光る生命の雫――
焚き火の炎が揺れる。
「……生命の滴――」
誰かがつぶやき、空気が変わった。
老人が兄貴の言葉を聞き、しばらく沈黙して……頷いた。
焚き火を囲む顔に、ゆっくりと色が戻っていく。
それが希望の顔だと気づくまで、少しかかった。
――三日目の朝。
診療所の前には僧兵が立っていた。
俺たちを見るなり、頷き合って奥へ通す。
礼拝堂。高い天井、渦を巻く香の煙。
奥で僧たちが言い争っていた。「助けるべきだ」「いや、巻き込まれるだけだ」――。
兄貴は壇上に上がり、祭具に一礼してから一言。
「……神前裁判だ」
教主が立ち上がった。
その衣からのぞく腕は、まるで木の根のように太く、節くれ立っている。
その拳は、説教よりもよほど説得力があった。
噂に聞く、南部唯一の肉体強化の加護持ち――素手で熊を止められる化け物だ。
「力こそが、真実を示す」
教主の声が礼拝堂に響き渡る。
扉は内から固く閉ざされ、外の音は一切入らない。
合図もねぇまま、教主が踏み込む。
一歩で間を詰め、渾身の右。
空気が裂ける。受ければ骨が砕ける威力だ。
兄貴は紙一重でかわし、反対の拳を突き込む。
……俺を一撃で伸したあの拳が、まるで効いてねぇ。
教主は腕で受け、逆に兄貴の脇腹へ膝を叩き込む。
兄貴はそれを止めず、むしろ踏み込みながら受けた。
鈍い音が腹の底に響く。
その瞬間、教主の目が細くなる。
「……煙、か」
兄貴の口元がわずかに歪む。
「卑怯かい?」
「いや……効く前に倒せばいいだけだ」
連打が始まる。床板が鳴る。
渾身の右が迫る――兄貴も踏み込み、迎え撃つ。
砕けたのは、教主の右拳だった。
距離が開く。
教主が低く問う。
「……生命の滴、か。強き力には必ず反動があろう。なぜ、お前がそこまでやる」
兄貴は息も整えずに、低く吐き出した。
「この南部の時間は、無為に人の未来を潰していやがる。
俺はな、このままでいいとも思っちゃいねぇ」
その声は拳より重かった。
兄貴が口角をわずかに上げる。
「まだやるかい?」
一瞬の沈黙。
教主は深く息を吐き、ゆっくりと拳を下ろした。
その視線がまっすぐ兄貴を射抜く。
……コツ、と床板が鳴った。
そして――
低く、堂の空気を震わせる声が響く。
「……いい覚悟だ。なら、神の御前で拳で証明してみせよ」
残った片手を、地を割る勢いで振りかぶる教主。
次の瞬間、両者が同時に踏み込んだ――
滴の力が兄貴の筋肉をはじけさせ、教主の加護とぶつかる。
礼拝堂の空気が爆ぜた。
音が消え、次に響いたのは、教主が膝をつく音だった。
長い沈黙の後、教主は宣言する。
「……神はお前を認めた。そして、俺もだ」
その言葉と共に、僧兵も信徒も深く頭を下げた。
それを聞き届けると、兄貴はふらりと膝を折り、片手で床をつく。
滴の反動が、静かにその身を削っていた。
礼拝堂は静まり返った。誰も、あの膝の音を跨ごうとはしなかった。
――四日目
南部の地回りなんざ、夢を語った瞬間に笑われるのがオチだ。
俺もそうだった。
「いつか南部をひとつにまとめる」なんて、酒の席の与太話か、ガキの寝言だってな。
何度も試した、何度も潰された。
椅子も拳も血も飛び交い、残ったのは諦めだけ――あの日まではな。
兄貴――ロジオン・フェルグレン。
あの人が地下の酒蔵に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
ただ立ってるだけで、場の温度が二度は下がった。
殺気じゃねぇ。あれは、命を張ってでも『やる』って匂いだ。
最初はいつも通りだ。
「港は俺のモンだ!」
「西街道はウチが仕切ってんだ!」
「どこの馬の骨だテメェは!」
罵声が飛び交い、拳が机を叩く音が響く。
ああ、今日もまた潰れるな――そう思った矢先。
「……お前ら、この南部を誰のモンにするつもりだ?」
兄貴の声が落ちた。
低いのに、頭の奥を殴られたみてぇに響いた。
「今のままじゃ、地図から消えるぞ。
魔王国がなくなったんだ、王国は空白を埋めに来る。
そしたら港も畑も、女房もガキも、ぜんぶ他人のもんになる」
一瞬静まりかけたが――案の定、親分衆がぶうたれた。
「はっ、口じゃなんとでも言える!」
「命張って守ってきたのは、俺たちだ!」
「ヨソ者に何がわかる!」
場の熱がぶつかり合って、崩れかける。
その時だ。兄貴が卓に小袋を置いた。
中で淡く光る、青い雫――生命の滴。
亡者の呪いをひっくり返し、戦場を畑に変える力。
それを、まるで「ただの道具だ」とでも言うみてぇに、無造作に見せた。
さらに兄貴は淡々と続ける。
「街道を荒らしてた魔王軍の残党は、俺の仲間だ。
水源を押さえてた教団も、俺の仲間だ。
……残ってんのは、お前らだけだ」
場の空気が一瞬たじろぐ。
この南部で二勢力を無血でまとめた――それはほとんど奇跡だ。
あと一つ揃えば、南部は本当にひとつになる。
……だが南部の連中は素直じゃねぇ。
半分は腕組んだまま、半分は目を細めて様子見だ。
この空気じゃ、せっかくの言葉も地に落ちる。
……分かっちまった。このままじゃ兄貴はここで空回りする。
俺が立つしかねぇ。
そう思って口を開きかけた、その時だ。
「……おい、聞いてやれよ。こいつの話をな」
低く渋い声が場を割った。
声の主はガロの親父。港の古参で、この南部を二十年以上見てきた古狸だ。
こっちが何も言わなくても、場がスッと静まる。
「こいつはな、まだガキの頃から南部を何とかしようとしてたんだよ」
……あ? 何言いやがる、この親父……と思ったら止まらねぇ。
「俺は見てた。酒場で夢を語っては笑われ、ボコられ、また立ち上がって……
そりゃ途中で諦めちまったろうが、目の奥の火は消えちゃいなかった」
場の何人かが、俺をチラッと見た。
胸がざわつく。
評価なんざされちゃいねぇと思ってた。
けど――見てた奴は、見てたんだ。
ガロの親父は、わずかに笑って続けた。
「俺もな……昔、夢を語って笑われた。
逆に、人の夢を笑ったこともある。
でもよ……今こうしてこの兄さんが現れて、残党も教団も味方につけて……
こんな機会、二度と来ねぇ。
やるなら今だ。俺は、やる」
……その一言で、場の温度が変わった。
煙草の煙の向こうで、腕を組んでた連中が少しずつ前のめりになるのが見えた。
口が、勝手に動き始めていた。
この街で生まれ、この街で生きてきた俺の言葉で――
親分衆の胸に、兄貴の真っ直ぐすぎる言葉を、この土地の言葉に変えて、骨の奥までぶち込んでやる。
場の全員が、兄貴の言葉を聞き終えても、まだ互いの顔色をうかがってやがる。
これが南部の癖だ。誰も、最初の一歩を踏みたがらねぇ。
だから――俺が踏む。
「おう、親分衆!」
わざとでかい声を張って、座敷の空気を揺らす。
「聞いたかよ。残党も、教団も、もう兄貴の懐だ。
あとは、てめぇらがうだうだ言ってるこの土地をひとつにすりゃ、南部は変わる」
すぐに、脇で腕組んでた禿げ頭の親分――小柄だが、目だけは刃物のように鋭い男が、ニヤァと口角を上げた。
「……おうおう、てめぇ、そのよそモンの腰巾着か?」
声は低ぇが、場の空気を試すように、ゆっくりと座敷に響かせる。
周りの連中が、ククッと喉を鳴らして笑った。
笑いに混じって、机を叩く指の音――南部じゃこれが喧嘩の合図だ。
俺は鼻で笑い、ゆっくり茶を啜ってから茶碗を置く。
「腰巾着? そうだな……俺はあんたらのガキの使いやるよりはマシだと思ってるがね」
ざわり、と笑い声が変わる。
中には「今、なんつった?」と隣の肩を叩く奴もいる。
禿頭が身を乗り出し、口の端を歪めた。
「テメェ……口の利き方、南部じゃ命とりだぞ」
俺は目を細め、机の淵を指で軽くなぞった。
「へぇ……じゃあ試してみろよ。噛みつきたきゃ今のうちだぜ。
次に噛みつけるチャンスは――南部がひっくり返ったあとだ。」
空気が静まり返る。
一拍後、笑いが戻ったが、もう色が違う。
腕組んでた一人が、ふんと鼻を鳴らす。
「変わる、ねぇ……そんな綺麗事、この土地じゃ腐るほど聞いた」
「だろうな!」と俺は被せる。
「俺も聞いた。飽きるほど聞いた! で、結果はどうだ? 何一つ変わっちゃいねぇ。
理由は簡単だ。言った奴らが、その日一日と持たなかったからだ!」
一瞬、場の息が止まる。
机の上で指をトントン叩いていた別の親分が、俺を見て口を開く。
「……で? そいつが他と違うって証拠は?」
待ってました。
「証拠? 南部で一番危ねぇ残党を黙らせた。血を流さずにな。
教団もそうだ。お前らが“絶対動かねぇ”と言ってた教主を動かした。
こんな真似、口先じゃできねぇ。命張らなきゃ無理だ」
座敷のあちこちで視線が動く。
この空気、分かる。
まだ半信半疑だが、「試してみる価値はある」に傾き始めてる。
俺は畳みかける。
「それにな、残党も教団も味方に付いたってのは、てめぇらにとっちゃ交渉材料だ。
今動きゃ、誰も邪魔できねぇ」
黙って聞いてたガロの親父が、低く笑う。
「ほらな、こいつは南部の言葉を知ってる」
その一言で、俺の背筋がぞくりとする。
南部生まれ南部育ち――その血の言葉で、今、親分衆の胸が揺れてる。
俺は最後に、一番大事なことをぶち込んだ。
「……俺はな、もう夢なんざ語らねぇって思ってた。
何度も砕かれた。笑われた。潰された。
その間に――港は干上がり、街道は他所のもんに奪われた。
若ぇ衆は戦に取られて、帰っちゃこねぇ。
親も、子も、女房も……皆、少しずつ削られていった」
握る手に、自然と力が入っていた。
部屋の隅で煙をふかしてた親分が、ゆっくり目を伏せる。
「……俺は、その光景をもう見たくねぇ。
兄貴は、その夢を今から現実にすると言ってる。
このまま腐り続けるか、立ち上がるか――」
俺は口を閉じた。座敷の空気が凍りつく。誰も煙を吐かねぇ。畳の上に時計の音だけが響く――そして俺は、一度深く頭を下げた。
頭の中に、もう帰らねぇ奴らの顔が浮かぶ。墓の下に眠る友、戦に取られた若ぇ衆、守れなかった笑顔――全部を背負って、俺は頭を下げた。
「……頼む。
これ以上、俺たちの南部を削らせねぇために。
あんたらの手を貸してくれ。
兄貴一人でも、俺一人でも足りねぇ。
けど――あんたらが揃えば、南部は生き返る」
頭を上げたとき、煙の向こうで何人かの目が光っていた。
それは笑いでも睨みでもない――同じ痛みを知る目だ。
静寂。
次の瞬間、一人の親分が膝を鳴らして立ち上がった。
「面白ぇ。俺は乗る」
それが合図だった。二人、三人と立ち上がり、座敷の空気が一気に熱を帯びる。
兄貴はただ一歩、俺の横に立っただけだ。
それだけで、この場はもう、ひとつになっていた。
あれはもう、惚れたとか憧れたとかじゃねぇ。
俺は、この男に賭けると決めたんだ。
――五日目。
黄昏の戦場は、息を潜めたみてぇに静かだった。
折れた槍と鎧の破片が地面に埋まって、風に鳴るのは錆びた鎖の音だけだ。
でも、そこに立つ亡霊どもの目は、まだ戦場のまんまだった。
守るもんを探して、空ろな視線を彷徨わせてやがる。
焚き火の輪の中に、あの老兵がいた。
南部残党のまとめ役で、兄貴と並んでここに来た理由の一つだ。
老兵は無言で教主に頷くと、輪の中心に進み出る。
僧兵が布包みを解いた。
淡い水色に光る生命の雫――その光が夜気を押し広げ、香の煙と混じって戦場を覆っていく。
教主の低い詠唱が始まって、地面に散らばる影がかすかに揺れた。
その時だった。
老兵の前に、ひとりの若い兵士の影が現れた。
片足をわずかに引きずり、鎧は砕け、顔は土と血の痕で汚れてる。
でもその目だけは……老兵と同じ色をしてた。
「……父上……?」
老兵の肩がぴくっと揺れる。
低く、絞り出すように答えた。
「……やはり……お前であったか……」
思わず息を呑んだ。
この二人、過去にも戦場で何度か刃を交えてた。
けどその時の息子は理性なんてなくて、ただ剣を振るう亡霊だった。
父のほうも、声をかけるなんてできなかった。
今は違う。
雫の光が魂を正に傾け、理性を取り戻させてる。
肉体はもうねぇけど、心だけは一時的に“生”に戻ってるってわけだ。
「父上……村は……」
「無事だ。お前が……守ってくれたおかげだ」
老兵の声は震えてた。
「ずっと、見ていた。……だが声をかけられなかった……」
息子は微かに笑った。
「ならば……本望にございます……。我が命は……父上の背を守るためのもの……」
その笑みは、もう光に溶けかけてた。
詠唱が終わりに差しかかって、滴の輝きが増す。
供養の刻だ。
老兵は一歩踏み出し、まっすぐ見据えて言った。
「……見事であった。もう休め。ここから先は、私が守る」
息子は静かに頷き、最後の敬礼を返した。
次の瞬間、姿は無数の光の粒になって夜空へ舞い上がり、消えていった。
老兵は、しばらくその空を見上げたまま動かねぇ。
やがて、誰にも聞こえないくらい小さく呟いた。
「……帰ってこいとは……言えぬな……」
戦場で生き残った者だけが抱く、どうしようもない重さ――
俺はその背中を見ながら、胸の奥がぎゅっと締まるのを感じた。
・
・
・
まあこれで土地の解放まで終わって、なんで七日までかかったかって? いやあ、それはこのあとの話よ。
魔王軍の残党たちは話が早かったな。そもそもまとめ役がいて、そのまとめ役が兄貴と前からの知り合いだったらしい。
だから話も早え、早々に「後ろ盾になる」って言ってくれた。
教団も同じだ。
教主様がよ、「あの覚悟の美しい男であれば、我らが尽くすにふさわしい」――なんて言ってな。
こんどまた殴り合うことを条件に、傘下に入ることを打診してきやがった。
となりゃ親分衆たちも早えもんよ。
あの禿の親分なんか、「さすが俺が、見込んだことがある」とか訳のわからねえこと言って、すぐ連絡をよこしてきやがった。
これが一番大変だったな。なんたって数が多くて多くて。
でもまあ、みんな兄貴が上に立つことに賛成ってわけだ。
ほかの誰にも務まらねえよな。
王国から使いが来るそぶりもあったが、全員で追い返したさ。
「ロジオンをよこせ、あとは知らん」ってな。
まあ、面倒になるのもやだから、ちょっと話してくるって兄貴が馬を回したのが七日目よ。
そう――兄貴は七日で南部を平定しちまったんだ。
あれから幾つもの日々が過ぎ、南部は安定を取り戻していった。
戦の跡地には花が咲き、街には笑い声が戻ってきた。
えっ、兄貴が今日どこにいるのかって?
そらお前……っと、静かにしな。
……いま俺は、式場の隅に立ってる。
――ほら、来たぞ。
・
・
・
場内を満たしていたざわめきが、潮が引くようにすっと消えていった。
緊張と期待が入り混じった静寂が、会場全体を包み込む。
次の瞬間、天井高くからファンファーレが響き渡った。
真鍮の清らかな音色は広間の隅々にまで届き、胸の奥を震わせる。
ゆっくりと扉が開く。
差し込む光が、磨き抜かれた大理石の床に反射し、きらめく波紋を描きながら広がっていく。
その光を背に、花嫁が一歩を踏み出した。
純白のウェディングドレスは柔らかな光を受けてきらめき、裾が歩みに合わせて静かに揺れる。
肩から流れるヴェールは薄い朝霧のように透き通り、花嫁の輪郭を優しく縁取っていた。
セレフィーナ・ルクレツィア・アークレイン――その名を呼ぶだけで胸が高鳴る存在が、恥じらうようにうつむき、頬をわずかに染めながらも、こらえきれぬ喜びを微笑みに変えていた。
一歩ごとに、ドレスを飾る宝石が小さく瞬き、その輝きは列席者の瞳を捉えて離さない。
この瞬間、会場の全員が彼女だけを見ていた。
戦場をくぐり抜けた荒くれ者も、老若の婦人も、皆が自然と立ち上がる。
拍手が、静かな小雨のように降り始め、瞬く間に激しい雨音へと変わっていく。
歓声や祝福の言葉が次々と重なり、空気は温かく、そして力強いものになった。
祭壇の前で待つロジオンは、幾つもの戦を経て、南部をまとめ上げた男。
だが今、その肩はわずかに緊張に震え、目はただ一人の花嫁をまっすぐに見つめている。
そこには戦場では決して見せなかった、柔らかくも強い光があった。
やがて、花嫁がその前にたどり着く。
二人の視線が重なり、ほんの一瞬、すべての音が遠のいたかのように感じられた。
次の瞬間、拍手は最高潮に達し、天井の飾りがかすかに揺れるほどの熱狂が広間を満たした。
南部を七日で平定してから幾つもの日々が過ぎ、この日を迎えるための準備と祝福の時が積み重ねられた。
そして今、すべての人々が二人を祝福している。
この瞬間こそ、彼らの物語の中で最も晴れやかな一幕だった。
(……七日で南部を平らげた男が、指輪のときはちょいと手が震えるんだよ。かわいいだろ?)
―――――――――――
あとがき。
第7話をお読み頂きありがとうございました。
明日は少し時間を巻き戻しますのでお楽しみに!
楽しかった、続きが少しでも気になる思われましたら⭐︎⭐︎⭐︎評価や作品フォローをどうぞよろしくお願いします!
次話は明日19:03に投稿致します。ぜひご覧下さい。
―――――――――――
⭐︎⭐︎⭐︎は最新話下部、もしくは目次ページ下部の「星で讃える」から行って下さい。★★★だと嬉しいです〜!
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