第6話 酒場の与太、黄昏の入口

「おう、おめえか? ……なんだって、おれに用があるってのは?」


「あぁん? 新王国史編纂室? へぇ、また妙な看板しょった学者さんが来たもんだな」


「名乗りが先か。バルドだ。南部じゃその名で通ってる」


「この南部のくんだりまで、わざわざ? 物好きだねぇ」


「なに、俺に話を聞きたいだと? ……俺に? へっ、そりゃ珍しいや」


「……兄貴の話を? ……あーあー、なるほどな。

兄貴の偉大さを歴史に書き残そうって腹か? ああ、そりゃ結構、結構。感心なこった」


「ただな――あんたが思ってるより、ずっと泥くせぇ話だぜ?

 きれいな紙の上に収まるかは知らねぇが……まあ、語ってやらぁ」


「七日だ。たった七日。

 混迷の南部を、血煙と焔の中から引きずり出し、ひとつにまとめあげた男――ロジオン・フェルグレンの話をな」


「なに? 俺が何者かって? へへっ……言わすなよ、そんな野暮なこと」


「俺は兄貴の一の子分。ま、そういうことになってんだ。

 誰が決めたかって? そんなの俺が勝手に言い始めたに決まってんだろ。

 けどな――誰も否定しねぇんだよ、これがまた」


「……南部ってのはよ、あんたら歴史の教科書にゃまず出てこねぇ。

 魔王国との境目、王国の地図じゃ端っこに空白か、ぼんやり塗りでおしまいだ。」


「そりゃそうだ――支配する貴族なんざいねぇし、税も法律もあってないようなもんだ」


「王国が光で、魔王国が闇だとしたら、そのあいだのぼやけた黄昏色――それがここよ。

 昼は光のつもりで商売し、夜は闇のつもりで人を刺す。

 境界があるようでねぇから、正義も悪もごっちゃだ」


「だから、人間もいりゃあ、獣の耳や牙を持ったやつらも混じってる。

 おっと、あんた、猫耳の奴をかわいいなんて口走ったら駄目だぜ?

 こっちじゃ命を落とす理由になる。まして『四つ耳』なんて呼び方したら――次の瞬間には首がなくなってる」


「この地は昔っから兵隊崩れ、博徒、怪しい宗教屋まで入り乱れててな、

戦が終わった今でも、さまよえる兵士どもが昔の持ち場を守ってるんだ。

勝手にだ。勝手にここは俺たちの陣地だって顔してな」


「だから地図にゃ線が引かれてても、実際は誰の土地だか分からねぇ場所がゴロゴロある。

村一つ越えるだけで税が倍になったり、別の村じゃ金じゃなく女を差し出せなんて言われる。

王国の兵も魔王国の残党も、ここじゃどっちもただの略奪者だ」


「そんな場所を、だ……七日だぜ? たった七日でまとめちまったのが――兄貴、ロジオン・フェルグレンだ」


「……どうやったのか? それはな、これからゆっくり話してやるよ」



 ――ここは南部領域。光でも闇でもない、黄昏の土地だ。

 ……ガキの頃、借り物の本で読んだっけ。黄昏ってのは、神と人との境目だってな。

 だが今のここにゃ、神も人もいやしねぇ。ただ食うか、奪うか、それだけだ。



 兄貴が南部に来たのは、あれは朝っぱらだったな。

 空気が妙に湿ってて、土の匂いに焦げた匂いが混ざってやがった。戦が終わったとはいえ、まだあちこちで焚き火の煙が上がってたんだ。

 その日、俺は路地裏で仲間とダラダラしてたんだが――まあ、そいつが運の尽きってやつだ。


 よそ者丸出しの顔つきで歩いてくる、でかい図体の男。

 鎧は着てねぇが、腰の剣はやけに手入れが行き届いてる。

 『迷い込んだカモ』って言葉が、自然と頭に浮かんだね。

 だから俺と仲間で、軽く歓迎の挨拶をしてやろうと思ったのさ――財布を軽くして、南部のルールを教えてやるって寸法で。


 ……気づきゃ俺は路地裏の地べたにぶっ倒れてた。

 財布をかるくしてやるどころか、こっちの意識が軽くされてた。

 鼻血で俺の視界は真っ赤だった。

 それなのに、見下ろす兄貴の顔だけは、やけに涼しげで……それが余計に悔しかった。


 剣なんざ抜きもしねぇで、俺ら全員を片付けやがったんだ。

 兄貴がふっと影みてぇに動いたと思ったら、仲間二人はもう地面に転がってた。

 そのとき悟ったね――こいつに逆らうのは、命が惜しくねぇ奴のやることだってな。


……そっからだよ。俺が兄貴を“兄貴”って呼び始めたのは。


 気づけば、兄貴が手を差し伸べてきた。


「……この辺で、腹を満たせる場所はあるか?」


 喧嘩のあとでそんなふうに聞くやつ、俺は初めて見たね。


 妙なもんで、その声に逆らう気はまるで起きなかった。

 鼻を押さえたまま立ち上がって、「ついてきな」って答えてたよ。

 その日の昼、俺は兄貴に飯を奢ってもらった。

 いや、正しく言やぁ、俺が案内して兄貴が金を出しただけだが……不思議なもんで、あの一杯のシチューが、妙に胸に染みたんだ。


 飯屋は、南部でも「無事に出られる確率が高い方」の酒場だった。

 昼時は人が少ない。

 兄貴は奥の壁を背にした席を選んだ。

 入り口と窓が一望できる位置――あれは無意識じゃねぇ。完全に習慣だ。


「座れ」


 そう言われて、気づけば俺は向かいに座ってた。

 鼻血は止まったが、まだ額に鈍い痛みが残ってる。


 シチューが運ばれてくる間、兄貴はほとんど喋らなかった。

 けど、黙ってるだけじゃねぇんだよ。

 目線は店の客をひと通りなぞり、耳は厨房の音や外の通りのざわめきまで拾ってる。

 そんな中で、不意に俺の方を見て、


「この辺りじゃ、どの通りが夜でも安全だ?」


 って聞いてきたんだ。


 たいした質問じゃねぇ……はずなのによ、俺は気づけば、


「夜は通りじゃなくて屋根を歩け。西門の近くは犬を連れた連中が見張ってる。あれは東門一家の……」


 って、聞かれもしねぇ細かい話まで口にしてやがった。


 気づいたときには、もう遅ぇ。

 兄貴は頷きながら、俺の言葉を頭の中に地図みてぇに並べていやがった。

 その顔が妙に楽しそうで……ムカつくのに、止められなかった。


 シチューが来て、兄貴はスプーンを手にしながら、


「……この辺に、博徒の縄張りはどれくらいある?」


 って、また何気ねぇふうに聞いてくる。

 気づきゃ俺は、地図の空白を全部埋めるように話してた。


 食い終わる頃には、兄貴はこの町の裏事情の半分は知ってただろうな。

 それなのに、最後にぽつりと、


「案内、助かった」


 って言って、俺の分まで代金を払った。


 奢られたのは、あれが初めてだ。

 金よりも、なんつうか……信用を渡された気がしたんだ。


 飯を食い終わった兄貴は、勘定を置いて、ひょいと立ち上がった。


「じゃあな」


 と、あっさり背を向ける。


 俺は慌てて立ち上がった。


「ま、待てよ! あんた初めての町なんだろ? このまま歩いたら……まあ、間違いなく洗礼受けるぜ」


 兄貴は振り返って、首を傾げた。


「洗礼?」


「……財布がなくなるか、骨が折れるか、その両方だ」


 すると兄貴は、ほんの少しだけ笑った。


「心配してくれるのか」


「ち、違ぇよ! ……まあ、案内くらいならしてやってもいいってだけだ」


 そう言うと、兄貴は軽く頷いた。


「助かる。じゃあ、頼む」


 ――この一言がまた、妙に素直で憎めねぇんだ。


 そうして、俺たちは町を歩き出した。

 兄貴は途中で、何気ない顔でこう聞いてくる。


「この辺で、昼間から酔っぱらってる連中は何者だ?」

「夜になると消える物売りの屋台は、どこの息がかかってる?」


 ……そんなことを、まるで世間話みてぇな調子で聞いてくる。


 気づきゃ俺は、三つ通り先の地回りの名前から、裏路地にある宗教団体の礼拝所の場所まで、全部話してやがった。

 こっちはただ案内してるつもりでも、兄貴の頭の中じゃ、地図にどんどん情報が描き込まれていってる……そんな感じだった。


 夕方近くになって、兄貴はぽつりと口にした。


「……この辺を動かしてるのは、三つだな」


「三つ?」


「魔王軍の残党崩れ、宗教団体、それと……お前らみたいな地回り」


 その言い方が、まるでずっとここで生きてきた奴の口ぶりだった。

 しかも、俺らの顔や呼び名まで知ってやがった。


 俺はゾッとしたね。

 こいつ、初めて来たはずなのに、もう全部見えてやがる……。


 後から聞いたが、兄貴はずっと前から南部の研究をしてたらしい。

 いや、南部だけじゃねぇ。王国の隅々、魔王国の奥の奥まで――地図にすら載ってねぇ道や村のことまで、調べてやがったってな。

 ただの机上の地図じゃねぇ、誰と会えば何が動くのか、どこに行けば何が手に入るのか――そういう生きた地図だ。


 まだ魔王国が健在だったころの話だ。

 兄貴は王国から魔王国に送られた人質――ある貴族のお嬢様の護衛をしてたんだと。

 表向きはただの護衛役だが、半分はそれが役目で、もう半分は……あの人なりの調査ってやつだったらしい。


 あの人はそういう男だ。

 腕っぷしだけじゃねぇ、頭の中に情報の網を張ってやがる。

 そいつが、一度動き出したら……七日で南部をひっくり返すことだって、何の冗談でもねぇんだ。


 日が落ちるころ、兄貴は町の酒場に顔を出していた。

 ……いや、ただ飲みに来たんじゃねぇ。

 カウンターに腰を掛け、酒をちびちび舐めながら、店主や客の話をさりげなく引き出す。

 気づきゃ、周りの連中がぽろぽろと情報を落としていやがる。

 兄貴はただ笑って頷いてるだけなのに、だ。


 俺なんざ隣で聞いてても意味が分からねぇ話を、兄貴は全部拾って頭に入れてるらしい。

 しまいにゃ、最初から全部知ってる場所に来たみてぇだった。


「……なあ兄貴、ここに何しに来たんだよ、あんた」

「なに、惚れた女がいてな。その子が“領地の一つでも取ってこい”って言ったんだ」

「はっ……なんだよそれ! いったいどこのお姫様だよ!」


 もちろん冗談だと思った。兄貴も笑ってた。胸がでけぇとか言ってたし。

 でもよ――まさか、本当に公爵様のお姫様に言われたとはな。

 そのときの俺は、知る由もなかったんだ。


―――――――――――

 あとがき。


 第6話をお読み頂きありがとうございました。

 この語り、結構気に入っています。


 楽しかった、続きが少しでも気になる思われましたら⭐︎⭐︎⭐︎評価や作品フォローをどうぞよろしくお願いします!


 次話は明日19:03に投稿致します。ぜひご覧下さい。

―――――――――――

⭐︎⭐︎⭐︎は最新話下部、もしくは目次ページ下部の「星で讃える」から行って下さい。★★★だと嬉しいです〜!


↓目次ページ

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