三話 滝雨
緩やかな登り道に対し、向かって右側には川が見下ろせる。雨の勢いで、もはやせせらぎが雨音なのか判別すらできない上に増水し、勢いも増している。天気が良ければ風光明媚な景色が楽しめそうな川であることは間違いなさそうであることは、風景好きな私には直感でわかる。故に非常に残念であるが、今は神社を目指さねば。私にはやらねばならないことがある。
川に沿って伸びる上り坂を歩き続けていると、今度は左手に鳥居が見えてきた。鳥居の横にのっぽの石に刻まれた社名を仰ぐ。下調べ通り、ここで間違いないらしい。鳥居の前で一礼し、境内へと入っていく。
石畳の階段を見上げれば、朱色の灯篭が目に入り込む。そういえば、この神社はこの灯籠が映えスポットとして有名だったな。観光パンフレットでもよく紹介されていた。この神社を知っていなくても、この朱色の灯籠だけは目にしたことがある人は多そうだ。そんな有名な撮影スポットなだけあって、確かに絵に描いたような美しさが感じられる。滝で台無しだが。
階段を一段一段、踏みしめていく。見上げた先には山門が見える。夢で見た景色は、おそらく境内だ。山門の先に景色が見えるに違いない。そう期待して上がったものの、実際に見た景色は少し違っていた。夢で見た景色では、左手に岩の壁のようなものが見えていた。今見えているのは、馬の銅像だ。白と黒の二体がある。
ここではないのか・・・。
雰囲気は、間違いない。が、明らかに夢とは違う景色。なんだかとても残念な気持ちもするが、まだ社は二つある。せっかくなので、手水舎でお清めしてから、参拝することにする。なんと言っても、駿河から京までせっかくきたのだ。それに、境内に入っておいてお参りしないのも神様に対し気が引ける。
それにしても、滝雨自体がすでにお清めになっている気がしなくもないが。ここまで天気も荒れると、謎にテンションが上がって面白くなってくる。自分の顔がほんの少し綻ぶ感触を味わいつつ、本宮へ参拝。
拝殿に向かい、社殿を眺める。この悪天候で他の参拝者は誰もいないので、のんびり眺める。とても美しい。職人の技の粋が見られて惚れ惚れする。
気持ちを整え、二礼二拍手一礼。いつものように、感謝と挨拶を心の中で唱える。声は聞こえてこない。随分と静かなものだ。呼ばれたのはここではないのか。
雨足が強くなてきた気もするする。先を急ぐか。振り返ると、授与所が目に入った。こんな雨でも巫女さん達は授与所で奉仕をしている。こんな大雨の中、雨合羽を着込んで参拝する私に、若干引き気味の巫女さんもいれば尊敬の眼差しで見る巫女さんもいて、なんだかいたたまれない気持ちだ。私は逃げるように本宮を後にし、さらに山側にある結社を目指す。
再び川沿いの道へと降り、坂を上がっていく。道の両脇には料亭屋が立ち並んでいるが、どこも客は一人もいない。神社周辺の料理屋は川床で有名らしく、これも映えとグルメスポットで人気があるらしいが、その値段にビックリ。
一食、一万円超えかぁ・・・。とても私には払えない。いや、その気になれば何かのご褒美で数年に一度くらいならいいのかもしれないが、現在無職の私にとって到底出費できるものではない。
雨に打たれながら、仕事をしていた時を思い出す。
あの時は、本当に疲弊していくだけの日々だった。パワハラやセクハラや激務に耐え、限界を迎え動けなくなる前に、波風立てずできるだけ穏便に去った。
言葉にすれば、取るに足らない、よくある出来事だろう。けれど、そこには言葉では表現し尽くせない重く暗い感情がネバネバとまとわりついている。実際、ここ最近は放埒の日々なんて
人間の感情というものは、良いものも悪いものもやはり味わってみなければ真価はわからない。側から見て、何事もないように見えていたとしても、その心のうちは苦痛に塗れて今にも死んでしまいそうかもしれないし、幸せを顎が外れるくらい噛み締めているかもしれない。その感情を知るためには、味わう他に手段はない。
私は、負の感情をこれでもかと味わった。言葉で言い表せるような、苦しみではない。この苦しみは私だけのもので、誰かが味わい理解できるものではない。ただ、そっとしておいてほしい。時間が必要なんだ。生身の傷だって、治るまでに時間がかかるじゃないか。心はなおのこと時間がかかるんだ。
ふと左手に朱色の灯籠と結社と書かれた看板が目についた。そのすぐ隣には、階段もある。取り止めもないことを考えながら歩いていたら、思わず通り過ぎてしまいそうだった。
ここが結社だ。こじんまりとした階段をまた上がっていく。
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