第4話 行き詰まり

「自分が悪い」という結論から「社会が悪い」という結論へとたどり着いたとき、最初は何かスッキリしたような気分になった。長い間抱えていたモヤモヤの原因が特定できたような、霧が晴れたような感覚だった。


でも、しばらくするとまた別の行き詰まりが見えてくる。確かに社会の問題は存在するし、それが生きづらさの一因になっているのも事実だろう。しかし、その認識だけでは現実は何も変わらない。


社会を責めることで、一時的には気持ちが楽になるかもしれない。「自分のせいじゃない」と思えることで、自己否定のループから抜け出せるかもしれない。でも、社会の構造はそう簡単には変わらない。明日も同じ職場に通い、同じ電車に乗り、同じような人間関係の中で生活していかなければならない。


「社会が悪い」と結論づけても、目の前の息苦しさは相変わらずそこにある。朝の通勤電車での居心地の悪さ、職場での微妙な人間関係、SNSを見たときの疎外感。それらは社会問題だと理解できても、体感としては依然として重くのしかかってくる。


それに、「社会が悪い」という視点にも限界があることに気づく。確かに問題のある構造は存在するが、その社会の中でも楽しそうに生活している人たちがいるのも事実だ。同じ職場で働いていても、人間関係を上手に築いている人もいる。同じようにSNSを使っていても、それを純粋に楽しんでいる人もいる。


「なぜ自分だけがこんなに生きづらいのか」という疑問が、再び頭を持ち上げる。社会の問題だとしても、なぜみんなが同じように苦しんでいるわけではないのか。やはり自分に何か問題があるのではないか。そんな風に考え始めると、また振り出しに戻ってしまう。


さらに厄介なのは、「自分が悪い」と「社会が悪い」という二つの視点が、頭の中で争い始めることだ。理性的には「社会の構造に問題がある」と理解できても、感情的には「やっぱり自分がダメなんだ」と思ってしまう。あるいはその逆で、「社会が悪いんだ」と憤ってみても、冷静になると「でも結局は自分の努力不足かもしれない」という疑念が湧いてくる。


この二つの視点の間を行ったり来たりしているうちに、だんだん疲れてきてしまう。「結局どちらが正しいのか」という問いに、明確な答えを見つけることができない。そして、答えが見つからないことに対するイライラも募ってくる。


「自分を責めても出口はない」ということはわかった。自己改善に励んでも、根本的な息苦しさは解消されなかった。むしろ、自分を責め続けることで、さらに追い詰められてしまった。


「社会を責めても現実は変わらない」ということもわかった。構造的な問題があることを理解できても、その知識だけでは目の前の生きづらさを乗り越えることはできなかった。


結局、「自分が悪いのか、社会が悪いのか」という問いの立て方そのものに問題があるのかもしれない。この二択に縛られている限り、答えは見つからないのかもしれない。でも、他にどんな考え方があるのか、その時点ではまだ見えていなかった。


堂々巡りを続けているうちに、ある種の諦めにも似た感情が湧いてくる。「もうどうでもいい」「考えるのに疲れた」「答えなんて出ないんだ」。そんな風に思うこともあった。でも、諦めてしまうと、また日常の息苦しさに押し潰されそうになる。


この行き詰まりの中で、ふとしたことがきっかけで新しい視点に気づくことになる。「自分か社会か」という二択ではない、第三の道があるのかもしれない。そんな可能性に思いを巡らせ始めたとき、これまでとは違った景色が見えてくることになる。

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