2. ーー貴族って大変ーー
白い光。
眩しくて目が覚めた。
真っ白なレースのカーテン。
キョロキョロとあたりを見渡し、だだっ広いロココ部屋を見て、ようやく思い出す。
私は佐伯美穂。三十四歳独身。
小さな商社の総務部で働いていた。そしてーーたぶん、死んだ。
実は、目が覚めたらうっかり元の世界に戻ってやしないかと、少し、いやかなり期待したのだが、そうはならなかった。がっくしである。
ところで。
何を隠そう、私は子供の頃から調子に乗りやすく、何かにつけて間抜けな失敗ばかりしてきた。
例えば、あれは小学二年生の頃。クラスの女の子たちの間で、ハムスターが大流行した時期があった。
ハムスターを飼う子が、突然クラスで大スターのごとく崇められる。それがもう、涎が出るほど羨ましくて、キイイッとハンカチを噛み締めて、やきもちを妬く日々を送っていた。
そんなある日、事は起きた。
クラスメイトの、仮にAちゃんとしよう。
Aちゃんが、なんと憧れのゴールデンハムスターを飼い始めたという。
「美穂ちゃんも見においでよ。」
なんて言うものだから、全然羨ましくなんかありませんよオホホ。とお澄まししながら、内心キイイッとAちゃん宅へ行った。
「はい、美穂ちゃん。こむぎっていいます。よろしくね。」
と、なんだか生後一ヶ月の新生児のお披露目みたいな空気の中、私は恐々と愛らしいこむぎちゃんを掌にのせた。
大変おとなしく、何かをはむはむと食べている。可愛い。
ーーここで私はやってしまった。調子に乗ったのである。
そおっと頭を撫で撫でした、その瞬間。
びょん。
こむぎちゃんは突然、一メートルはあろうかという大ジャンプを決めた。
シュタッ、とハリウッドアクション俳優のように、優雅にテーブルに着地。目にも止まらぬ速さで駆け出す。そのままテレビ台へ飛び乗り、あっという間に本棚の下へ潜り込んだ。その速いこと速いこと。
呆然と見送る私。
石と化したAちゃん。
「ご、ごめんねぇ!」
と言うや否や、スタコラさっさと逃げ帰ったのは、言うまでもない。
翌日から、「美穂ちゃんにハムスターを決して見せてはならない」と、学校の七不思議のような扱いを受け、大変気まずかった。
が、一週間後に無事こむぎちゃんが発見され、ことなきを得た。
その後も、天性の楽観主義が上手い働きをして、私は今日に至るまで、似たような過ちをことごとく繰り返してきたのだった。
そして数々の失敗から学んだことがある。
ーー人生なんとかなるものである。
なんだか楽観主義の仙人みたいな結論だが、人生まことにこの通りなのであった。
「お嬢様、お目覚めですか?」
異世界転生二日目。
楽観主義仙人と化し、窓の外を拝んでいた私は、慌ててぴしっと軍人のごとき素早さで起立した。
「……おはよう。えーと……?」
見上げると、愛らしい少女。
栗毛が緩やかに顔まわりをくるくると弧を描いている。ほんのりとそばかすがチャーミングだ。
「ハンナとお呼びください。」
「おはよう、ハンナさん。」
そんな、さんなどとお呼びしないでくださいっ。
あたふたとハンナが眉を下げた。
そうか。
今や私は侯爵令嬢。私が敬語使うと、ややこしいことになるのか。
「いやぁ失礼、失礼。ハンナおはよう。」
取り繕おうとしたら、なんだかオヤジくさい言い回しになってしまった。ハンナは珍しいものを見るような、楽しそうな目で私を見ている。
「うぉっほん……。ハンナ。紙とペンが欲しいんだけど、どこにあるか教えてくれる?」
とりあえず、紙に状況を書いて整理したい。
「あらお嬢様。こちらにお持ちしますので、そのままお座りになってお待ちください。」
自分で取りに行こうと思ってたのに、ハンナが全て持ってきてくれた。いかん、便利すぎる。
「さぁお嬢様、朝食の準備が整いましたので、お支度をしましょう。」
「あ、はい。」
仕方ない。状況整理は後だ。
あれがクローゼットかな。部屋の奥にある箪笥目掛けて歩き出す。
「お嬢様?どちらに?」
「?」
振り返ると、マネキンのようなものに、カクテルドレスが着せてあった。ちゃんと子どものサイズなのがなんとも可愛らしく、薄桃色のシフォン生地が軽やかで美しい。えらい高そう。
「お嬢様、まずはお顔を洗って、おぐしを整えますので……。」
「あらま。じゃあ洗面所はどこかな?」
ハンナはとうとう吹き出した。
……疲れた。
一見優雅な、ピンクのシフォンドレスに覆われた肩はバキバキに凝り、頭痛と吐き気をガンガンにもたらした。
ふらり。
朝食から戻るや否や、ベッドに突っ伏した。
貴族生活、わずか四十分。
もうダメです……。あまりの大変さに、もう貴族生活辞めたくなってきている庶民がここにおります……。
ーー貴族って朝ごはん食べるためだけに毎回おめかしするの?てか、部屋着だったの?このドレス。どーみてもパーティ用だろ。
なんかすごいテーブルマナー厳しかった……!優しい母親が優しく何遍も注意してきた……!すごい疲れたぁ!
ふわふわの羽布団をぎゅうぎゅう抱きしめて、両足をバタバタさせる。
朝食の席で、父親と母親は、とても優しかった。そして四つ上の兄も、でろでろに優しかった。
なるほど。
こんな甘やかされてメイドがなーんでもやってくれる生活してたら、そりゃあ高慢ちきな悪役令嬢も爆誕しますわな。
家族に根掘り葉掘り聞いたところによると、私は現在十二歳。
来年四月から王立学校に入学する。
現在十月。原作漫画が始まる入学式まで殆ど時間がない。
そして恐ろしいことに。
私は六歳の時点で同い年の王太子、アレン殿下と婚約しているらしい。
はい、詰んだ。
マホガニー製と思われる美しい文机に向かい、分かっていることを書き記してゆく。
書き始めてあらためて思い知る。
やっべ。なーんも覚えてない。
魔物とかもいて、ヒロインが「太陽の乙女」として覚醒して、聖なる祈りで浄化する話だったと思う。
さすがの私もヒロインの名前と容姿はわかる。そこは自分を褒めたい。
ミナ・ドノバン男爵令嬢。
淡いピンクのふわふわと柔らかい髪、とんでもなく可愛い。
元庶民だけど、ドノバン男爵の養子になってうんぬんーー。
あ、思い出してきたぞ。
デビュタントで殿下と運命的に出会う。
入学してからは、悪役令嬢にあれやこれや嫌がらせをされても、健気に殿下と愛を育む。
そしてドラゴン討伐で、殿下とその級友たちと挑んで、無事討伐。
で、卒業パーティーでよくある断罪。
ーーそして、めでたく結ばれるのだ!
ザ・テンプレ。
よく思い出した、自分。
しかし困った。
羽ペンの羽を、左手の人差し指でにぎにぎする。
私が断罪されるまでの細かい出来事を、やっぱりこれっぽっちも思い出せない。対策立てられない。
そもそも、私ガンガン日本語で書き込んでるけど、この世界の文字って何語?
学校行って読めない文字で授業始まったらどうしよう?
てか、爵位の順位ってどんなもんだっけ。侯爵ってまぁまぁ偉かったような?
ていうか貴族ってどういう制度だったっけ?なんか荘園制度とかだっけ?
あぁ、私の教養の無さよ。
世界史より日本史派だったんだよなぁ。鎌倉幕府が面白すぎて世界史に目を向けてなかった……。
こりゃいかん。
図書館に行って勉強しなくては。小さく拳を握りしめて、決意した。やるぞう!
こうして、真っ白だった紙は私の汚い日本語で、ごちゃごちゃ埋め尽くされてゆく。
そして、結論が出た。
「私、どえらい年下の坊やに興味ないし。悪役令嬢にならなきゃいいんでしょ。婚約者穏便に辞退してあとヒロイン放っておこう。」
なんだか気分がスッキリして、紙を綺麗に畳んで引き出しに仕舞った。
そういえば。
心配していたトイレに行ってみたら、なんと現代日本と同じ水洗トイレだった。涙出そうになるくらい嬉しかった。
ドレスに関しては脱ぐしかないらしく、面倒ではあるが。
ボットン便所を想像していたので、ドレス脱いで裸同然でトイレなんて全然受け入れられた。
これならここでやっていけるかもしれない。
なんだかしみじみと日本人作者に感謝した。
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