3. ーー王太子がやってきたーー


 「具合は大丈夫か、マリア。」


 その日。

 従者を引き連れ、突然彼はやって来た。


 「……ご心配をおかけして、申し訳ありません。この通り、元気になりました。」


 「病み上がりなのだから、無理をするな。」


 淡く青い優しげな目。

 かつて親しんだ漫画からすると幾分幼くて、さらさらと揺れるプラチナブロンドの髪が天使のよう。

 どいつもこいつも美形すぎて、ここまでくると感心してしまう。


 「……か、過分なお心遣い、感謝いたします。アレン殿下。」


 うひゃあこれが私を殺す男……!

 冷や汗で脇の下をびっしゃりさせながら、私は頭を垂れた。


 「……記憶を無くしたと聞いたが、本当なんだな。」


 興味深そうに、しげしげと私を見つめる。


 「君は、僕をアルと呼んでいたのだが。」


 そうなの?

 顎をひとかきし、記憶を必死で探したが、わからない。原作でのマリアの出番は、存外少なかったのだ。


 「失礼致しました、アル。」


 「すまん嘘だ。」


 なぬ。

 くつくつと、楽しそうに笑う。心なしか、イタズラ大成功だぜ、ぷぷぷーといった顔で、ほくそ笑んでいるような気がする。


 「本当に君は、以前とはまるで別人だな。」


 ぎくり。

 私の意思に関係なく頬が熱くなる。余談だが、私はすぐに顔が赤くなる。悲しいかな、このほっぺで得をしたことは特に無い。おっと韻を踏んでしまった。


 「顔が真っ赤だぞ。」


 そう言うと、私の横たわるベッドの端に腰掛けた。ベッドに入る機転は、ハンナによるものだ。いわく「お見舞いなのですから、ベッドで応対致しましょうお嬢様。」


 「やはり、何か調子が狂うな。」


 柔らかい微笑みを浮かべると、ふいに私の髪を一房すくい取る。そのまま目を覗き込んできた。

 ふわりと、爽やかなグレープフルーツみたいな香り。この歳でもう香水つけてんの?


 「……。」


 近い。けしからんっ。


 どこを見たらいいかわからず、右を見たり天井を見たりと、忙しく目をキョロキョロさせていると、


 ーーぷふっ。


 楽しそうに吹き出して、彼は離れた。とんだチャラ男である。


 「マリア、来週のデビュタントには、私のパートナーとして出席してもらうが、体調は整いそうか?」


 「……!」


 ーーデビュタント。


 異世界転生好きならわかる。

 社交界デビューってやつだ。そこで婚約者ですよと正式にお披露目するのだろう。

 すごく嫌だが仕方ない。


 「は、問題なく出席できるかと存じます。」


 きちんとお辞儀をして答えた。


 「……マリア。急におじさんくさく……いや、大人になったな。」


 「……。」


 小僧お前今おじさんって言ったな?




 仰々しくアレン殿下をお見送りすると、すぐにお母様の元へ向かった。


 「お母さん、ちょっとお願いが。」


 きい、と扉を開けると、裁縫の手を止めて、ぽかんとした顔で私を見る美女。


 「オカアサン???」


 しまった。

 お母さんなんて言う貴族居ないわな。


 「間違えました、お母様。

 デビュタントに向けて、作法や流れを教わりたいのです。」


 あら、かわいいマリア。やっぱり何もかも忘れてしまったのね。

 慈愛に満ち溢れる眼差し。


 「お母様に任せなさい!」


 何故だか、凛々しい微笑みを浮かべて頷いてくれた。


 ーーその十分後、お母様にお願いしたのをちょっぴり後悔していた。


 大広間に怒号が飛び交う。


 「はい、背筋を伸ばす!」


 「指先曲げない!」


 「足の爪先まで意識なさい!」


 「顎を引いて!」


 なんとこれ、ダンスの練習ではなく、お辞儀。いわゆるカーテシーの練習での怒号である。


 「また変なカーテシーしてますよマリア。どうしてそんな癖がついたのかしら……?」


 お母様が不思議そうに呟く。

 教えてあげましょう。これはジャパニーズお辞儀です。三十四年にわたって身に染み付いた癖です。


 この後ダンス練習に移るまで二時間カーテシーし続けた。膝はガクガク震え続け、私は泣いた。



 しかし私はまだ、デビュタントの本当の恐ろしさを知らなかったのだった。

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34歳独身女子、悪役令嬢になる。 @ame1me

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