34歳独身女子、悪役令嬢になる。
@ame1me
1. ーーいやマジ無理ーー
穏やかな秋晴れの、十月五日。三十四回目の誕生日を迎えた。
自分で言うのもなんだが、私は仕事ができる。
総務部での、職場内外の問題(いわゆるハラスメントや、顧客からのクレーム)解決において、定評があるのだ。
金切り声、低く地を這うような恐ろしい罵声。それらを傾聴しながら、相手も気づかないうちに、感謝まで引き出してしまう。
まったく、有能な自分にうっとりしてしまう。
もっとも、理不尽なクレームにはつい感情を昂らせてしまうこともある。何事があっても動じない、いわば仏の境地にはまだ至っていない。三十四歳。まだまだ修行が足らんのだ。
そんな素敵な大人女子の私が、常々思っていることがある。
それは、もし私が異世界転生したとして、果たして主人公たちのように勇敢に振る舞えるだろうか、といった疑問だ。
例えば、トイレ。
ドレスのまま入れるの?
一旦すっぽんぽんになる感じ?
そもそも水洗?
トイレットペーパーとかあるの?
……と。これって結構大切な問題ではなかろうか。
そもそも、主人公たちの順応力には驚かされる。
ある日突然、文化がまったく違う世界で、たった一人で生きてゆかなくてはいけなくなるなんて。
ーー無理である。少なくとも、私には、ぜぇったいに無理である。
そんなことを考えながら、私は日々楽しく異世界転生モノを読み漁っていた。
「うわぁ、この作品もキツい転生してるなぁ。かわいそー。」
なぁんて、そう思っていた。
ほんの、ついさっきまでは。
「……んな、なんじゃこりゃああ!!」
叫び声が、某刑事ドラマのように響き渡る。
鏡に映る顔は、私ではなかった。
穏やかな日差しを受けて、星のようにしゃらしゃらと銀色に輝く、癖のない長い髪。
いつぞやパワーストーン屋で見たことのある、アメジストみたいな深い紫の瞳。
そして、ぽってりと赤く、愛くるしい唇。
ーーいや生成AIかよ。
あまりの美しさにツッコミを入れてしまった。
鏡の中の十歳くらいの美少女は、「あちょー」「こんちくしょー」と、顔にまったく似合わない間抜けなポーズを次々と繰り出す。
その度に、美しい総レースの寝間着が、さらさらと揺れた。
……私の動きと同じ。
てか、肌艶。
シミ、しわゼロか。
若っ。まぶしいっ。
「お嬢様、おやめくださいっ。」
ひらひらのメイド服を着た女性が、私を見て慌てふためいている。
ざわざわと周りが騒がしくなってきた。
ばたん!
騒々しく扉が開き、現れたのはーーこれまたどえらい美女。
世の男性が見たら鼻の下をびよんと伸ばすに違いない、ダイナマイトなバディである。
「マリア!目が覚めたのね!」
ふわりと甘い、薔薇のような香り。
彼女が部屋に入って来た途端、メイドの居ずまいが、ぴりりと引き締まった。
ーー気品と圧倒的な重々しさ。この家の主人、あるいはそれに相当する人。直感でそう思った。
「……すみません、ここどこですかね?」
どよっ……。
私の一言で、本当に周りがこうなった。「どよっ……」て、どよめくの生まれて初めて見た。
「マリア、あなた階段で足を滑らせて、頭を打ったの。三日も目を覚まさなかったのよ……!」
心配そうに私を見詰める美女。
銀色の美しい髪。この美少女の母親?
「私が、わかる?」
ふるふると、正直に顔を横に振った。
……マリアって、私か?
「まぁ……!マリア!」
さめざめと泣き出す美女。
あ、な、泣かないでぇ。内心あたふたである。
ふと部屋を見渡すと、とんでもないことに気がついた。
まず、広い。
リゾート温泉旅館の大広間並みだ。
二十人くらい、浴衣のおじちゃんおばちゃんを招き入れて、輪になって楽しく盆踊りを始めても、有り余る広さ。
もっとも、この部屋は完璧なロココ調だ。盆踊りなんて始めたら、めちゃくちゃ怒られちゃいそう。この床大理石なんじゃないの?知らんけど。
「マリア、あなた……記憶がなくなってしまったの?!」
ぼんやりと部屋を眺める私の肩を掴んで、必死の形相の美女。
「というか……本当にここ、どこですか?」
そしてあなたは誰ですか。
あぁ、神様そんな……。悲鳴のように囁いて、ふらふらと美女は崩れ落ちてしまった。
「だ、大丈夫ですか?」
慌てて駆け寄る。ぺたぺたと裸足が、ひんやりとした大理石の床に、実に不似合いな音を響かせた。
「奥様!」
ふわり。近くによるとダマスクローズの香りが濃くなった。
メイドたちが私を押し退けて、手際よく美女を抱きかかえる。そうして、素早く部屋から出ていってしまった。
そして私は、うっすらと気がつき始めていた。
「あのぉ、私の名前ってなんですか?」
近くにいたメイドに尋ねる。
「お嬢様……!マリア・グレース様でございます。グレース侯爵様のご長女にあらせられます。」
……あ。
へにゃり。
ショックのあまり、急速に空気が抜けた風船のように、体が萎びた。……ような気がした。
……なんということだ!
この外見、この名前。
私が最近好んで読んでいた異世界転生漫画の悪役令嬢じゃないか!
え、待って。
なに、私死んだ?
え、いやこれ。マリアって殺されるキャラじゃない?
寒いわけでもないのに、指先がガタガタと震え出す。
必死で記憶を手繰り寄せる。
ええと昨夜は、珍しく仕事が早く終わって、ウキウキとスキップで帰って。
それからそれから……。
赤ワインたらふく飲んで、お風呂入って……?
ーーいかん。そこから記憶がない。
「お嬢様、体調が優れないのでは?」
呆然とする私を、メイド二人がかりで、ベッドに引きずり込んだ。
「……お嬢様、泣いているのですか?」
気の毒そうな顔をして、私の頭を撫でてくれる。
途端に、堰を切ったように涙が溢れ出した。
「うっ…ひぐっ……。」
こんなのってない。
まだ三十四なのに。
やりたいこと沢山あったのに。
てかパソコンのデータ!消してない!うひゃあ!
もうパニックである。
突然の絶望とパニックに、私は人目も憚らず、子供のようにおいおいと泣いた。
どれぐらい泣いただろう。
パタンと、扉が静かに閉まる音で、我に帰った。
……待てよ。
この世界が、『太陽の乙女』だったとして。
私が悪役令嬢だとしたら。
まずい。非常にまずい。
何故ならば。
①マリアは将来、王太子に殺される。
②私は毎日山ほどこの手の漫画や小説を読んでいたので、一個一個の話をしっかり覚えていない。
ーーつまり、いつ、どこで、誰が、何をしたかまるでわからない。平たく言うと、詰んでいる。
だらだらと脂汗を垂らしながら考える。
このまま王太子と婚約して、(もう婚約してるとかないよね?)
のちに現れるヒロインのことを、そりゃあもう、盛大にいじめて。なんやかんやで国外追放となり、道中謎の賊(実は怒り狂う王太子)に襲われて死亡するという憂き目に遭うことは、わかっている。
そこまでわかっているのに。
いつ何が起こるかとか、細かいことなーんも覚えてない。ていうか登場人物もうろ覚えなんだけど。
……怖い。
ガタガタと震える体は、やがてぐったりと泥のようにベッドに沈み込み始めた。
「お嬢様、おやすみなさいませ。」
二度も死んでたまるか……!
これだから、異世界転生なんてーーやっぱり、私には無理なのだ。
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