第3話
次にユカがハルに会えたのは、初めて言葉をかわした日から、一週間が過ぎていた。
いつものように夜を待って外に出たユカは、いつものコンビニに、あの人がいなかったことに、がっくりと肩を落として、とぼとぼと歩いていた。その時、
―― タッタッタッタッタ
不意に聞こえた足音が、静かな街並みに
ハルに逢えない一週間は、とても長かった。もしかしたら、もう二度と逢えないかもしれないと、そんなことを思ったりもしていた。逢いたかった。意味もわからずただ、逢いたかった。だから近づくその人に、ユカは迷わず「ハル!」と呼びかけていた。
一週間、何度も心の中で繰り返した名前。その声に、ハルが足を止める。後ろを振り向いて、誰もいないことを確認すると、黙ってユカの腕を握り、目の前にあったマンションの駐車場に、ユカを連れて走り込む。
半地下になっている駐車場は、ひんやりと外から遮断されていた。
自分の瞬きさえはっきりしない闇の中を、ハルは慣れた足取りで進んでいく。そして、一番奥のコンクリートの壁に辿り着いたとき、ハルは壁に背中を預けて、ずるずると力尽きたように座り込んだ。腕を掴まれたまま、引きずられるようにしてその隣にしゃがんだ時はじめて、ユカはハルが息を切らしていることに気がついた。
ハルの速い呼気が、暗闇に溶けていく。うっすらと湿った空気は、鉄錆のにおいがする。
「誰か、来るの?」
静かな駐車場に、ユカの声は思いのほか大きく響いた。
その声に弾かれたように、ハルの手がパッと離される。落ち着かない様子で胸ポケットを探り、煙草を取り出す。安っぽいライターの火が一瞬だけ、ユカとハルの周りを明るくして、その火がちかちかと揺れて、ユカはハルの指先の震えを知った。
一週間、ハルはコンビニに来なかった。
あの時一緒にいた、背の高い男の子もいなかった。同じように
「逃げ、てるの?」
「そう」
ハルは煙を地面に向かって吐き出しながら、短く応える。
―― 何から?
そう問いかけたかった。でも、口を動かさないようにして、出来るだけ小さな声で言うハルに、それ以上は訊けなくて、ただじっと、ハルを見つめていた。
すると、駐車場を囲む植え込みから、カサリと乾いた音がした。ハルの身体がビクリと反応して、まだ長く残っている煙草を足元に投げ捨てて踏み潰す。
カサカサカサ。
植え込みの隙間から、にょろりと白い影が出てくる。
「なんだ。猫かよ」
心底苛立ったような声は、それでも低い。
暗闇に、二つの目が光る。じっと見つめる瞳がぱちんと瞬いて、さっと姿を消す。ぼんやりと白かったその場所に、闇が凝る。その闇を見つめながら、ハルが声をひそめて問いかける。
「あんた、あそこ行ってる?」
ハルの言う「あそこ」が、コンビニのことだとすぐに気づいた。それと同時に、ハルが自分を憶えていてくれたことに、ユカはときめく。
「うん」
「誰がいた?」
コンビニの駐車場を思い返し、記憶の中から見覚えのある顔を探る。それでも、ハルしか見ていなかったユカに、ハル以外の顔は見つけられない。
「あの時の男の子は、ずっと見てないよ」
辛うじて記憶に残る、満面の笑みを思い浮かべながら答える。笑顔が幼いと感じたのは、八重歯のせいだったんだと、ぼんやりと思う。
「そっか」
短い返事には、諦めのような響きがあった。立てた膝の間に首を落として、背中を丸めていたハルが、ちらりとユカを見る。
「その傷、触らせて」
ユカの返事を待たずに、ハルの手が、ユカの傷に伸ばされる。乾いた指先が、ユカの襟元に滑り込んで、傷を見つけると、縫い目のひとつひとつを辿るように触れる。そして、ひと通り確認し終えると、そっと掌で包み込んでくる。 ハルに触れられた傷口が、熱くなる。ひきつれた皮膚の内側が熱を持って、頭の中で何かをぎゅーっと絞られているみたいな感覚に陥る。
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