退職代行AIパンダ

香久山 ゆみ

退職代行AIパンダ

「会社やめたい」

 ぽつりと溢した呟きを聞いていたのだろうか。スマホ画面には様々な退職代行サービスの広告が表示され、ひとり苦笑する。こんな時、実際に話を聞いてくれるような友がいれば、辞めたいなど思わないのかもしれない。いや、そんな相手がいないからこそ、毎日辞めたいと思いながらも十年以上ずるずる働き続けたのかもしれない。

 退職代行、か。

 自分の世代だと、会社を辞めるためにそんなサービスを利用するなど、信じられない。一方で、確かに自ら切り出しにくいということは、身に沁みて理解できる。「辞めたい」と申し出た後のあれこれを想像するだに面倒で、とてもそんな気力など残っていやしない。退職代行を頼めば、そんな心配することなく、耳を塞いでいる間に一切合切すべて解決してくれるのだろうか。いやしかし業務の引継などどうするのだろう。

 本気で辞めようと考えたわけではないが、興味本位で退職代行のサイトを眺めた。「民法627条により、退職の意思を会社に伝えた二週間後には会社を辞めることができる」「退職したことで会社から訴えられても、人手不足を理由の損害賠償に応じる必要はない」など、広告を閲覧していると、なんだか自分にもできそうな気がしてくる。案外簡単なことではないか、と。実際には、必要な引継ぎを無視すれば損害賠償請求される可能性もあるらしいが、自分の業務はそれには該当しないと思われる。安月給だが、十年間も社畜として働き続けて家には寝に帰るだけだったから、それなりの蓄えもある。

 気付けば、「依頼する」と赤字で書かれた緑のボタンを押していた。

 すぐに画面が切り替わり、パンダのキャラクターが登場する。

「ご利用ありがとうございます」

 AIだろうか、パンダがこちらに向かって頭を下げる。人間関係に疲れているので、対人ではなくAI相手のやり取りで済むのはありがたいかもしれない。

 パンダの指示に従って、必要事項を入力していく。

 仕事内容や職場環境など、多岐に渡る質問項目がある。必要に応じて、心療内科や弁護士を紹介してくれたりもするのだろうか。

 全項目の回答を埋めて送信ボタンを押したら、ロード画面になる。

 少しして、またパンダが戻ってきた。

「カウンセリングの結果が出ました」

 パンダがこちらに向かって手を振る。

「お客さまの場合は、今は辞めない方がいいです!」

 朗らかに告げるパンダに、思わず「はっ?」と画面に向かって眉を顰める。

「お客さまのストレス要因は、他者との繋がり不足です。そこで、副業としてこのようなお仕事を紹介します!」

 は?

 副業先として画面に映し出されたのは、まさにいま利用している退職代行会社の職員募集の広告。一応目を通すと、「カウンセラー」とあり、恐らくこのパンダの「中の人」をやるということらしい。AIじゃなかったのか。

 よせばいいのに、俺は退職代行会社のパンダを務めることを決めた。

 文字通り寝る間を削って働くことになるのに。自己肯定感が底辺まで落ちた自分にも勤められる仕事があるのかと興味があった。また、キャラクターとしてパンダの見た目にボイスチェンジャーで声も変えるから、嫌になればさっさと辞めればいいという気安さがあった。自ら辞めることができないから、退職代行の門戸を叩いたというのに。

 気軽に始めたパンダだが、持ち前の性格から責任感を持って務めたし、また、悩める人々の話を聞くのはある種の癒しでもあった。つらいのは自分だけじゃなかったんだ。

 副業はよい気分転換ともなり、本業も現状維持で続けた。忙しさの合間に、資格を取得するなど真摯に取組んだ。

 そうしてある日、見知った顔が画面の向こうに現れた。

 本業の会社の上司だ。パワハラ気質で、俺が辞職したい一番の要因である。こんな奴でもそれなりの悩みがあるのだろうか、それとも冷やかしだろうか。

 副業でコミュニケーション能力が多少向上した俺は、心を落ち着けて奴のカウンセリングを始める。「現職では自分の技能を発揮する場がない」? そりゃそうだ、ちょっとでも面倒な仕事は全部こちらに押し付けて、そもそも自分は仕事をしていないんだから。その他「部下の能力が低いせいで自分の評価にも影響する」やら「職場の空気が悪い」やら言いたい放題だ。

 送信ボタンが押されたのを確認して、ロード画面の裏でくそでかいため息を吐く。

 ――よし。

 パンダの副業を始めて早や三ヶ月、ここは腕の見せ所だ。気持ちを切替えて、笑顔でカウンセリング結果を発表する。

「すぐに退職なさるのが、お客様にとって一番です。弊社にお任せいただければ、最短でご対応いたします。お任せください!」

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退職代行AIパンダ 香久山 ゆみ @kaguyamayumi

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