04

 玄関でクレールを出迎えてくれた青年が、温かいコーヒーを淹れてきてくれた。


 卓上に置かれた白磁はくじのカップから、ふわりと湯気が立ち上っている。

 どうやら丁寧に豆から挽いてくれたようで、砕いたばかりの豆特有の馥郁ふくいくとした香りが、クレールとミツレをとり巻く空気に溶け込んでいく。


「ミツレの分には、もう砂糖いれといたから。ふたつ」


 かけられた言葉に、ミツレは反応を示さなかった。


 それどころか、自身の前に置かれたコーヒーに一瞥いちべつをくれることもない。椅子の背もたれに寄りかかった体制のまま、彼はクレールから目を離そうとしない。


 そんなミツレの態度を少しも気に留める様子などなく、青年は「クレールさんは砂糖いります?」とこちらへ向き直った。

 勝手気儘であるようにも見えるミツレの振る舞いには、すっかり慣れているようだ。


「僕は大丈夫です。コーヒー、ありがとうございます」

「いえ。じゃあ俺は上の部屋にいますので。何かあったら呼んでください」


 奥の階段へ向かっていく青年の背中を見送る。

 その間もずっと、クレールの思考は巡り続けていた。


 “強くてかっこいい魔法”。


 ミツレの口から直接聞き取った最初のオーダーは、虚飾なくいえば、具体性のかけらもない内容だった。

 あまりに安直であったり、いかにも抽象的な要望は、かえって咀嚼することが難しい。


 “強い”、“かっこいい”……。

 頭の中で、ふたつの形容詞がこだまする。

 同時に、館主の手紙に書き記されていた一文が、なだらかな語勢ごせいをした当人の音声となって静かに響いた。


 ――道を選びあぐねているようだ。

 手紙にはそのように書いてあった。


 選びあぐねるということは、迷いがあるということ。


「先ほどのお話の続きですが……。かっこいいというのは、例えば火炎をまとったり、閃光が走ったり、みたいなイメージでしょうか」


 すでに実在する一般魔法の中で、想像に難くない例を挙げてみる。

 クレールは彼の反応を、悟られない程度に注意深くうかがい見ていた。

 こちらから具体例を示してみることで、引き出せるものがあるかもしれない。


 しかしミツレは特に深く考える様子もなく、満足そうにうなずいて見せた。


「んー、まあ、そういうのもありだな」


 そういうのも、あり。

 なんというか、全体的に要望が曖昧でふわっとしている。


 だが、「かっこいい」というワードこそ予想だにしなかったものの、ある程度、曖昧な答えが返ってくることは想定していた。

 今のミツレのように、詳細なイメージを持たないまま制作依頼の相談に訪れる者は、決して少なくない。


 とはいえ、具体的なイメージは持たずとも、魔法の使い道――創作魔法を使って実現したい“目的”はしっかりと持っている依頼者が大半である。

 例えるなら、“火の魔法”のイメージを描いたことのない依頼者が、“寒い日に暖をとるための魔法”を望んでやってくる……といったところだろうか。


 一度に依頼人のすべてを知る必要はない。

 まずは彼の目的の本質を一部分でも引き出して、魔法の枠組みだけでもイメージを有形化させていきたい。


「そうですね……ずいぶんと抽象的なご要望なので、もう少し詳しくお聞きしたいのですが、どうして創作魔法を望まれているのか、差し支えなければご事情をうかがってもいいでしょうか」


 ミツレは目線を下げると、少しの間を置いて口を開いた。


「ちょっと、旅にでも出ようと思ってな」

「旅、ですか。それはお一人で?」

「まだ分からない。一人かもしれないし、そうじゃないかもしれない」


 クレールは数秒考えて、一応確認しておこうと尋ねた。


「強い魔法がいいということは、主な用途としては戦闘でしょうか」

「ああ。冒険者になりたいんだ」

「なるほど。町から出れば、危険な魔物も多いですからね」

「そういうこと。せっかく魔法が使えるわけだし、俺もそろそろ、ここを出て独り立ちするのもいいかと思ってな。いつまでも世話になりっぱなしじゃ、かっこつかねーだろ。それに、金も稼ぎたいし」


「なるべく効率良く」と彼は続ける。

 そうだろうな、とクレールは内心納得した。冒険者というワードが出た瞬間から、予想はできていた。


 冒険者になりたい、という目的のための制作依頼は、これまでに何度も受けてきている。

 その経験から、若い世代が冒険者を目指す理由のうち、半数以上を占めるのが「金稼ぎのため」であることもクレールは知っていた。


「今も、町で荷運び屋の仕事はしてるんだけどさ。体力使うくせに賃金は安いし、毎日ヘトヘトになるし。気を遣わなきゃいけないことだって多い。割に合わないと思ってたんだ」


 たしかに、独り立ちをして稼ぎたいと考えている青年が魔法を使えるのなら、荷運びの仕事をしているより冒険者となったほうが、稼げる可能性はずっと高くなる。

 もっとも、稼げる可能性が上がるにつれて命の危険も大きくなっていくわけだが――。


 それでもビギナーの冒険者の中には、ミツレと同じ歳頃の人間はゴロゴロといる。危険と隣り合わせの職だとしても、大きなリターンを求めて、多くの若者が冒険者となるのだろう。


 クレールは改めて、ミツレの身なりを一見する。


 ラフで洒落気のあるその格好を見ていると、冒険者となった彼の姿はなかなか像を結ばなかった。

 いざ冒険の旅に出るとなれば、きっと装備は整えるつもりなのだろうが……。


「あんた今、俺を見て“こいつが冒険者になって大丈夫なのか?”って思ったろ」


 クレールの肩が、ぴくりと小さく揺れる。


 依頼人から話を聞くときは、考えていることを表に出すことのないよう、自身の表情には極めて注意を払っているはずだった。


 言動から相手の胸中を読み取ろうとしていたのはこちらのはずなのに、逆に思考を見透かされたような気持ちになり、クレールは唇を引き結ぶ。


 しばし沈黙が流れた。


「……。少し、気がかりを感じたのは事実です」


 クレールは正直に打ち明けた。このミツレという男との対話に、フィルターをかけた言葉など無意味であるような気がしたからだ。


 断じて彼のことを見くびっているわけではない。


 ただ、冒険者という職を見くびり、取り返しのつかない状態となって帰ってくる青少年をいたずらに増やすことはしたくないと、クレールは考えていた。


 仮に、骨の二、三本が折れて帰ってくるくらいならまだいいだろう。

 魔物との戦闘により片腕を失くし、均衡のとれない足取りで戻ったある青年がいたが、そんな彼でも「帰ってこられただけマシだった」と苦笑していた。


 だが中には聴力を失って、二度と音が届くことのない世界に絶望する者もいた。


 男ふたり、仲睦まじい兄弟がともに冒険者となり、兄を失って心を閉ざした弟の姿を見たこともある。


 きっと、故郷に帰ってくることすらも許されなかった冒険者もいるのだろう。

 それこそ数え切れないほどに。


「気を悪くされてしまったのなら、すみません」


 クレールは伏せ目がちに言ったが、当の本人は特段気にならないといったふうに片方の頬を持ち上げた。


「ははっ、いや、いいって。俺だってそんなすぐに、冒険者として活躍できるとは思っちゃいねーよ。実際、魔法の扱いだってまだまだだしな」


 王立魔法商で、ルコーが彼に伝えたという言葉を思い出した。


 “おまえに上級魔法は百年はえーよ。”


 至極無礼な言い方ではあるものの、その指摘は間違っていないかもしれない。

 クレールはミツレと対面してから、彼の魔法士としての潜在性を探っていた。

 会話から、所作から、そして、目でも耳でも認めることのできないものから。


 きっとルコーの目には、身の丈に合いそうもない魔法を望む、未熟な魔法士としてミツレは映ったのだろう。

 でも――


「でも、努力を積み重ねられているように感じます」


 静かな声色ではっきり言い切ると、ミツレはきょとんと不思議そうな顔をした。


「努力? なんの?」

「魔法のです。そういうマナの流れをしている気がします」


 ミツレは目を見開いた。


 マナとは、生きる力そのもののこと。生命の源。そこにあって当たり前のものであり、なくてはならないものである。


「は? あんた、マナが見えるのか?」


 思いがけないといった様子で、ミツレがテーブルに身を乗り出す。


「見えませんよ」クレールが即答する。

 ミツレはずるっと滑り転けるかのように卓上に突っ伏した。


「おま……意味分かんねーよ!」


 今の今まで表情の変化が乏しいように思われたミツレが、いかにもおかしそうに笑い皺を寄せる。

 そこまでおもしろいことを言っただろうか……と疑問符を浮かべつつも、ミツレの人間味のある表情が垣間見えるたびに、不思議と胸を撫でおろす気分になった。


(彼と話していて、感情の幅がフラットというか……どこか機械的な印象を感じたのは、気のせいだったかな)


 マナは、あって当たり前のものである。でもそれが人の目に見えるとは限らない。要するに、空気のようなものともいえる。

 そして何より、マナは魔法という特質な力の基盤でもある。


「職業柄なのか、なんとなく感じたりするんです」


 へえ、とミツレが感心したように呟く。

 心なしか、好奇に目が輝いているようにも見える。


「さっき、マナの流れって言ったよな。魔法理論学の本なんかには、当然のように書いてあることだけど……マナってやっぱり、自発的にも動いてるもんなんだな」

「そうみたいですね」

「“みたい”って……どっちなんだよ」

「うーん……なんとなくなので、僕にもよく分からないです」

「なんじゃそら」


 肩を揺らしながら、ミツレは屈託なく笑った。相対したときの淡々とした態度が、いくらか和らいできている。

 こうして笑っているところを見ると、対面してすぐに受けた印象から一転して、見目のきれいな普通の青年なのだと思わせられる。


「そんな人間もいるんだな。初めて出会ったぜ。まぁでも、この世には精霊の姿が見えるってやつもいるらしいから、そういうもんなのかもな」


 ミツレの言葉に、クレールは目を細めて一笑した。


 マナ自体の姿かたちが見えることはない。でも、自分の目に見えている世界が“普通”からかけ離れたものだということは、もうずっと前から理解していた。


 クレールの目には、人とはまったく違う世界が映っている。

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