05
クレールの目には、人には見えていないものが見えている。
それは【精霊】と呼ばれ、この世に不思議な力をもたらしてくれる存在。
“魔法とは、人ならざるものの力――言うなれば理そのものを借りた力のことである。”
これは、この世において“初めて精霊と対話した者”とされる賢者の言葉だ。
魔法士や魔法技師をはじめとした魔法に携わる人間に、この言葉を知らない者はいない。そう言っても過言ではない。
魔法は当たり前のようにこの世界に存在しているが、それは人の力ではない。
魔法は、精霊からの借りものだ。
「俺も魔法士になるとき、大精霊様には会ったけどさ。この目で精霊を見たのはそれっきりだ。でも本当は精霊って、そこらじゅうにいるもんなんだよな。ただ俺たちには見えていないだけで」
再び姿勢を崩して背もたれに寄りかかると、ミツレは虚空を見上げ、独り言のように言った。
【大精霊】とは、精霊の中でも特別な存在である。
大精霊は世の
だがそれ以外の精霊の姿は、ミツレの言うとおり、人間の目には映らない。
稀に生まれてくる、特異な体質を持った一部の人間を除いて――。
ミツレと同じように宙を見つめる。窓からの光は斜めに差し、時折横切る微細な埃を金の粒子に変えている。
「そこらじゅう……と言えるほどではないかもしれませんが、皆さんが思っているよりは、いるかもしれないです」
「へー。そういう気配? みたいなやつも、うっすら感じるもんなの? 職業柄」
ミツレは冗談めかして言ったが、クレールの反応は平常時と変わらない。
いたって普段どおりの動作で窓のほうに目をやって、クレールは外の庭を指差した。
「ちょうど先ほど、そこに
この孤児院を訪れて玄関口に立ったとき、ふたりの精霊が庭でチャンバラごっこをするように剣を振り合っていたのを目にした。
そこ、と指し示された方向に、ミツレも顔を向ける。しかしその景色には何の変哲もない。彼は目をしばたたかせた。
ミツレは窓の向こう側に人影を探すよう視線を巡らせたあと、気抜けしたようにゆっくりと首を動かした。窓とクレールの顔を往復して見る。口が半開きになっている。
「……。剣の精霊?」
「はい」
「……え、何。もしかして見えてんの?」
「はい。見えています」
「まじ?」
「まじです」
にわかに信じ難いとでも言いたげな顔つきで、ミツレはクレールの目を食い入るように見つめた。テーブル越しに顔を寄せられ、思わず身じろぎをする。
薄緑色のクレールの瞳をしばらく眺め、それから彼は片手で額を覆って仰いだ。
「うわー」と力のない声が発せられる。
「まじかあ……。本当にいるんだな。あんた、スピリアロジストだったのか」
彼の言葉には、少しの羨望が混じっているように感じられた。
「その呼び名をよくご存知ですね」
「そりゃ知ってるだろ。魔法士なら、駆け出しでも聞いたことくらいはあると思うけど」
「最近は
「ふーん? そうなのか」
「僕はべつにどちらでもいいんですけど……」ぽつりとつぶやくと、ミツレは「たしかにどっちでもいいわな」と笑った。
精霊が見えるスピリアロジストには、同時に精霊の声も聞こえている。
それが由来となって“対話師”と呼ばれるようになったのかもしれないと、クレールは思った。
「ちなみに、ミツレさんが
ミツレは眉間に皺を寄せる。
「ルコーさんにも精霊が見えていますから」
「ルコー?」
その名に心当たりがあるか考えていたようだが、どうやらすぐには思い出せないようで、彼の眉間の皺がいっそう深くなる。
「ミツレさんが王立魔法商で会った方です。若い職員で、赤毛の……」
赤毛の、と言った瞬間、ミツレの表情が一変した。
「はあ!? あいつも!?」
ルコーと対面した場面を思い出したのかもしれない。
ミツレは不快そうに頬を歪めると、「あのクソむかつくやつ……!」と目を剥く勢いで独りごちた。
「口が悪い方ですが、決して性根が悪いわけでは……」
あまりフォローになっていないかもしれないが、ルコーが悪人でないことは確かである。クレールはなだめるつもりで声をかけた。
ところが、怒り出すのではないかというクレールの心配をよそに、ミツレは一度大きく息を吐き出すと、「分かってるよ」と拗ねたような口振りで言っただけだった。
意外そうに瞬きをするクレールを前に、彼は咳払いをひとつして改まった。
「何にせよ、スピリアロジストの魔法技師に魔法を作ってもらえるなら万々歳だ。魔法商のおっさんのおかげだな」
館主のことを言っているのだとすぐに分かった。あの王立魔法商の館主が「おっさん」と呼ばれているさまは、新鮮に感じられる。
「では、お話を戻しましょうか」
クレールは続けた。
「創作魔法のご要望についてですが、たとえば、ミツレさんの得意な魔法はありますか? もしくは習得した魔法の書を見せていただく、というのも参考になります」
魔法製作の依頼を受けるうえで、最初に重要となるポイントはふたつ。
ひとつは先にも述べた依頼者の『目的』。そしてもうひとつは、依頼者の『技量』。
魔法士が自分の技量に見合わない、高度な作りの魔法を無理に扱おうとすると、暴発などの事故を引き起こしてしまう。
「んー……強いて言うなら、水の魔法が得意かな。なんか、体質に合うっていうか」
「水。そうなんですね」
「これまで覚えた魔法書なら部屋にあるから、取ってくる。ちょっと待っててくれ」
ミツレは席を立つと、足早に二階へ上がっていった。
クレールはそれを目で追いながら、“水”に関係する精霊たちの姿を思い浮かべる。
水の魔法。強く、かっこいい魔法……。
たとえば、海の精霊なんかはどうだろう。
広く雄大な海の力を借りられるのなら、人にとってこの上なくロマンをかき立てられるのではないか。それは「かっこいい力」とも言い表せるのではないだろうか。
海の力はきっと強大だ。悠然とした佇まい。高く大きな波。未知の深海……。
そこまで考えて、クレールは首を振った。
そうだ、海は人にとって未知すぎる領域だ。
海底が人知れぬ世界であるのと同じように、底知れぬ力――人が扱うには大きすぎる力を秘めていることだろう。
若い魔法士には不向きすぎる。
それに、精霊はただでさえ気まぐれな存在だ。
大きな力を持つ海の精霊が、そんな簡単に力を貸してくれるとは限らない。
(では、雨の精霊ならどうだろう。いやでも、駆け出しの冒険者でも扱いやすい魔法を作るなら、無難に水の精霊の力を借りたほうが……)
「ミツレにいちゃん! まだお話終わんないの?」
考えているさなか、階段の上から届いた声に、クレールははっと顔を上げた。
見ると、積み重なった魔法書を抱えて戻ってきたミツレの後ろに、三人の子どもがついてきている。
「はいはい、後で遊ぶからもうちょっと待ってなー。……悪い、こいつらも一階にいさせていいか? 上で待ちくたびれちまったみたいで」
困ったように眉尻を下げたミツレに、「僕は構いませんよ」と頷いて見せる。
ミツレは両手で抱えていた魔法書を、どさりと音を立ててテーブルの上に置いた。くすんだ赤や青の装丁に目をひかれたのか、子どもたちが興味深そうに卓上を覗き込んでいる。
クレールも、積み重なった魔法書をまじまじと見つめた。
一般魔法は、その扱いの難易度によって【下位(基礎)魔法】【中位魔法】【上位魔法】の三段階に分類される。
ミツレが持ってきた一般魔法の書を一冊ずつ手に取り、クレールはパラパラとページをめくって中身を確認していった。
ほとんどが日常的にも使える基礎魔法だが、中には数冊、中位の魔法書が含まれている。
「ミツレお兄ちゃん、何これ? 全然読めないよ!」
「ほんとだー。僕、文字の勉強ほとんど終わってるのに、ひとつも分からない。ミツレにいちゃんはこれ読めるの?」
確認し終えた本をテーブルの端に寄せて置くと、ミツレの周りに集まっていた子どもたちがそれを手に取り、ページを適当にめくり始めた。
しかし中に書き綴られているのは、暗号のような図式や奇怪な文字ばかりである。子どもたちは一様に顔をしかめ、首をかしげてミツレに尋ねた。
「読めるよ」
目を伏せて控えめに笑った彼の言葉に、三人の子どもたちはわっと歓声をあげた。
「すげー!」「さすがミツレにいちゃんね」
横で女の子が開いていたページを指差して、ミツレは落ち着いた声音で言った。
「この文字はな、【精霊語】っていって、魔法士にしか読めない文字なんだ。今は読めなくたって、おまえらの中で魔法士になりたいってやつがいれば、いつか読めるようになるよ」
クレールは次の魔法書に目を落としながら、心の中で頷いていた。
彼の言ったとおり、魔法書は、精霊語と呼ばれる特殊な言語で書かれる。
ふと、積み重ねられた魔法書の一番下、比較的古いデザインの装丁に目がとまった。
「これは、上級魔法の書ですね」
「――ああ、それは……」
クレールはその書を手に取ったが、すぐにあることに気がついた。
まだ“開けられていない”。
「この孤児院の、前の院長先生からもらった魔法なんだ。魔法商の赤毛のやつに、まだ上級魔法を使うのは早いって言われたからさ。それはまだ、アンロックしてない」
魔法書は、基本的にロックをかけられた状態で市場に出回る。
魔法士が自身のマナを流し込むことで、はじめてロックが解除されるわけだが、それは密封された缶の蓋を開けるようなものだ。缶の開封と異なる点といえば、開けた者しかその中身を使うことができない、というところだろうか。
「
本を裏返したり、横に向けたりして、装丁の全体を眺める。
ミツレはテーブルの向こう側から、クレールの手にある魔法書を同じように眺めていた。
想いを馳せているかのようなその視線に気づかないふりをして、クレールはそっと卓上に本を戻す。
「おおかた拝見しました。見せていただいてありがとうございます。あと、ミツレさんご自身のマナについてなのですが――」
言いかけたところで、かたわらにいた少年が「お腹空いた」とつぶやいた。
ミツレが壁かけの時計を一瞥する。昼飯の時間か、と小声で言ったのが耳に届き、クレールは隣の椅子に置いていたアタッシュケースに手をかけた。
「おい、もうちょっとだからさ。終わったらすぐ飯にするから、待っててくれよ」
「いえ、ミツレさん、大丈夫です。本日のところは、これで失礼させていただこうと思います。なので、最後にこれだけお願いできますか」
クレールはアタッシュケースの中から取り出したものを、ミツレの前に差し出した。
手のひらサイズのそれは、道端に転がっている石ころのように、いびつな形をした透明の魔石。
ミツレはその石に見覚えがある様子だった。
合点がいったように頷くと、彼は片手で石を受け取って、自身のマナを注ぎ込んだ。
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