03

 城下町の中央にある王立魔法商から、さらに二十分ほど歩いた所に、その孤児院はあった。


 手紙に記された番地と地図を頼りにたどり着いた場所は、閑静な住宅街のさらに端の一帯だった。

 周辺には石造りの家屋が多く建ち並ぶ中、二階建てのその孤児院だけが、木造。とはいっても決してみすぼらしい雰囲気はなく、きっと何十年も前に、高価な木材を使って建てられたのだろうと推察できる。

 家のすぐ傍らには小さな庭があり、タオルケットや子どものTシャツなど、多数の洗濯物が干されているのが玄関口から見える。


 クレールは少し錆びついたドアノッカーに触れ、それを鳴らした。トントン、と木の扉が乾いた音を立てる。

 すると十秒も待たないうちに、扉の向こう側からパタパタとわずかな足音が響いてきた。


「はい、どちら様ですか」


 出迎えてくれたのは、若い青年だった。十代後半くらいの歳頃に見える。


 見慣れない人間の来訪のためか、青年は不思議そうな顔をして、クレールの輪郭をなぞるように目線を動かした。


「こんにちは。クレールという者ですが、」


 名乗るやいなや、男がわずかに目を大きく開いた。表情がぱっと明るくなる。


「あぁ! ミツレが言ってた人かな。魔法技師さん?」


 ミツレの名を口にしたということは、彼はミツレではない。

 この孤児院には青少年が複数名いるのかもしれない。


 クレールが頷くと、青年はすぐに中へ通してくれた。

 こちらへどうぞ、と廊下の奥のほうへ案内される。


 廊下の途中にある登り階段の柱の影や、両サイドに並ぶ部屋の出入り口から、三人の幼い子どもたちが顔を覗かせていた。彼らは関心をあらわにして、こちらの様子をうかがっている。

 しかし、彼らは見知らぬ来訪者に対し、多少なり警戒心も抱いているようだった。クレールが微笑んで小さく会釈すると、途端にみな身を引っ込めて姿を隠してしまう。


 突き当たりにある両開きの扉は、開きっぱなしだった。

 廊下との仕切り板を跨ぐとその先は、レンガ造りの大きな暖炉がぱっと映えている、広々とした部屋となっていた。

 暖炉のそばには、長方形の天板が使われた大型のダイニングテーブルと、ウッドチェアが八脚。どれもかなり使い古されている。どうやらここがリビング兼ダイニングルームのようだ。

 部屋の奥まった位置には、廊下にあったものと同じような登り階段がある。


 古めかしい内装ではあるものの、どこもきれいに整理整頓されており、採光が取れていて温かみを感じる室内だった。


 壁や床など、人の手によって定期的に磨かれ続けてきたのであろう木板のにおい。

 焼き菓子を作った後のような残り香がそこに混じって、どこか心地よいにおいに包まれている。


 まるで、年季の入ったこの孤児院自体がゆったりと呼吸をしているかのようだ。


「ミツレ! お客さんだぞ」


 青年が、奥にある階段の上方へ向かって声をかけた。

 しかし反応はない。


 彼は声量を上げて、もう一度「ミツレ!」と呼んだ。


 少しの間を置いて、扉の開閉音が上階から響いてきた。

 間もなく階段が軋む音とともに、気だるげな足取りで黒髪の青年が降りてくる。


 階段を降り切ったその青年は、銀縁の色眼鏡をかけていた。頭ひとつ分ほど、クレールより背丈が低い。

 薄くグレーがかったカラーレンズの向こう側、瞼まで届いている柔い質感の前髪の下からうかがい見るように、揺らぎのない目がまっすぐこちらの姿を捉えている。

 まるで、雪の深い地帯に生息するスノーパンサーのような目だと思った。


 色眼鏡の両サイドに取り付けられた細いシルバーのチェーンが、ちらちらと明かりを反射させて粒のような光を放っている。


「なんだ、本当に来てくれたのか」


 意外そうな顔をして、青年は言った。


「こんにちは。あなたがミツレさんですね」


 青年がこちらをじっと見上げてくる。――見上げるというより、品定めをするかのような視線を注いでくる。

 実際、クレールの魔法技師としての経験値を見定めようとしているのかもしれない。


「へえ、ずいぶんと若いんだな。俺と歳、あんまり変わらないんじゃねーの」

「おい、ミツレ! おまえのためにわざわざ来てくれた方に対して、その物言いはなんだ。失礼だぞ」


「すみません」先ほどまで応対してくれていた青年が、ミツレの代わりに頭を下げた。

「いえ」と笑みを浮かべたクレールに、斜め向かいからの視線が突き刺さる。

 部屋の外にいた子どもたちのように警戒をしているわけではなさそうだが、ミツレがこちらの言動を観察していることは明らかだ。


 青年に促されてクレールがダイニングテーブルの一番隅の席に腰をおろすと、その向かい側にミツレも座った。


 改めて向き直る。

 透けたペールグレーのレンズ越しに、クレールの切長の目と、きれいに割れたガラス破片のような形をしたミツレの目が合った。


「改めて、僕はクレールといいます。王立魔法商からの依頼でうかがいました」

「……。あんたも、あのデカい魔法商の人間なのか?」

「いえ、違います。僕はどこの組織にも属していなくて、いわゆるフリーでやっている魔法技師ですね」

「そうなのか」


 表情を変えることなく言うと、彼は居住まい崩して椅子に背中を預けた。

 この短時間では到底推し量ることのことのできない、感情の読み取りづらい顔つきをしている――。


 ミツレのことは、一目見るなり、ぱっと目を引く存在感がある男だと思った。


 大ぶりな黒のジャケットに、黒いカーゴパンツと、しょうしゃなデザインの色眼鏡。

 足元のレースアップブーツはかくの物だろうか。よく使い込まれ、細かな傷がたくさんついているのがちらりと目に入った。


 彼はクレールと歳が変わらないのでは、と言ったが、実際のところ、二十四歳のクレールとさほど変わらないように見える。仮に離れていたとしても五つほどではないだろうか。

 無論、クレールより若いことは確実なのだが、いかんせん見た目が大人びているため検討をつけるのが難しい。


 しかし、若いわりに、ずいぶんと落ち着いた雰囲気の眼鏡を身につけているのだなとも思った。

 王立魔法商の近くにある骨董商の年老いた主人が、同じような形の眼鏡をかけていたのを覚えている。


「んじゃ、本題だけど」躊躇なくミツレが切り出す。相変わらず表情に大きな変化は見られない。


 クレールは彼から目をそらすことなく、静かに次の言葉を待つ。


「俺、自分だけの魔法が欲しくてさ」


 抑揚のない声だが、どこか芯のようなものが伝わってくる。


「はい、そのように聞いています。具体的にはどのような魔法が欲しいのか、イメージはありますか?」

「強くて、かっこいい魔法だ」


 きれいに並んだ歯並びを覗かせて、ミツレは得意満面に言い切った。


 ――ようやく表情を崩した。

 いたずらっぽく口端を持ち上げたミツレの面持ちに、ようやく青年らしい青臭さのようなものを感じた気がして、クレールは意外な気持ちになる。


 堂々とした語調で告げられたのは、子どもじみた要望。

 面食らったクレールは、数秒ほど固まってしまっていた。


 でも、眼鏡のレンズの奥にあるミツレの瞳は、少しも冗談を言っているような色は帯びていない。

 きっと今の自分の顔には、一抹の戸惑いが滲んでいることだろう。


 とはいえ、言葉に詰まっているわけにもいかない。どんな依頼であろうとまずは依頼者の事情を知り、詳細をヒアリングするところからだ――。


「強くてかっこいい魔法……ですか」


 しかしそれは、端的に表現しているように思えて、非常に分かりにくい表現。

 クレールはなんとか口を開いたものの、オウム返しに言葉が出ただけだった。

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