一章:さかなのゆめ⑧

「――」

 足が前へ出た理由は透瑠にも分からない。もっとちゃんと言葉を聞けるように、そう思ったから。なんとなく、近くへ行かなければと、そう思ったから。

 そんな彼女の体をまた、浮遊感と重さが同時に攫う。しかしそれは先程までの感じ慣れたものとはまた別種の――そう、ジェットコースターに乗ったときに感じるものとよく似ていた。

「――!」

 風圧が悲鳴を抑え込み、透瑠の視界は猛烈な速さで後ろへ、下へ流れていく。

「チィッ!余計なことしやがって!」

 ぴたりと風圧が大人しくなり、透瑠は遠く先程まで立っていた道を見下ろしていた。すぐ横でやかましい声が、吐き捨てるように乱暴に上がる。

「まあいい。人質にはなんだろ」

 鳥の面で顔を覆った鷺沢だった。気絶していたのではなかったか。困惑する透瑠を他所に鷺沢は少し高度を下げる。九鬼と怪人、二人の顔がはっきりと見えるところまで降下し、彼は声を張り上げた。うるさ

「おいエビ!こいつの命が惜しかったら俺達と一緒に来い!」

「シャコです」

「あぁ!?」

 飼育員としての癖から透瑠はつい訂正してしまった。睨め付けられ目を逸らす。

「センパイ!センパイならこんなときどうすればいいか、わかりますよね?」

 手伝ってやってください!九鬼の立場を理解しているからこそだろう、勝ち誇ったように鷺沢は哄笑する。

「さっきはボロ負けしたのに余裕ですね」

 気を逸らせようと透瑠は挑発的な言葉を囁く。先程のことから考えれば、きっと隙を生める。

「ああ。ガス欠のエビに平和主義者を相手に、こっちは人質に制空権だ。よかったな。今夜は自分んじぶんちの布団で寝られるぞ」

 しかしそうはならなかった。鷺沢は言葉に反して、透瑠には一瞥もくれず油断なく九鬼達を見据えている。

「シャコです」

「あ?」

「エビじゃありません。あの人はシャコです」

「だったら何だ。んな細かいこと……」

「口脚亜網、シャコ目、単楯亜目、シャコ上科、シャコ科、シャコ属、シャコ。十脚目のエビとは分類が異なります」

 ここまで一息で言い切り、そして彼女は精いっぱい皮肉げに笑ってみせる。

「そんなことも知らないんですか?」

「……」

 仮面越しにも機嫌を損ねたことはよく分かった。

「お前、自分が置かれてる状況理解してるのか?」

 狙い通りだった。

「何の力もない女が、たまたま巻き添え喰らっただけでヒロインになったつもりか?」

「その女に産んでもらっておいて、人に爆弾投げつけるのが偉さの証明ですか」

 傲慢な鷺沢のものの言い草に、透瑠も演技抜きで怒りを、滲ませた。

「覚えとけよ。何で自分が。なんて言わねぇようにな」

「そっちこそ」

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