第2話 一歩目

 この感情はなんだろう。胸の奥が締め上げられるような、とても強い情動。今まで感じたこともないようなそれに、涙がこみ上げるような感覚までする。思えば、あの夢の世界で横たわる死体を見たときも、ただ凄惨な状況にうろたえる以上のなにかがあった気がする。

 その彼女が目の前にいる。短く切りそろえられた髪が風に吹かれ、琥珀のように煌めく茶色の瞳が整った顔をより力強く印象付ける。ところどころ血で汚れており、痛々しい傷もあるようだが、それでも確かな足取りで歩いている。その手には煌々と金色の光を放つ剣が握られていた。点々と続く血の跡を引きながら、こちらへと歩みを進める彼女が、ようやくおれが立っていることに気が付く。すると驚いたような顔をしたのち、すこし気だるげに話しはじめた。

「なんでえ...。もしかしてずっと見てた?」

 その問いに、首を振って応える。

「そっか。...ちょっと怪我しちゃってね。自分で歩けるから心配しないで。あーあと、多分大丈夫だけど危ないかもしれないから離れたほうがいいよ。」

 何といえばいいかわからない。あの夢がなにかしら真実の暗示だとしたら、この少女はあの化け物と戦っていたのだろうか。だが、それを確認しようと河原に足を延ばしたら止められそうな雰囲気でもある。第一、あの夢が正しいならこの少女はなんで生きている?思考がもつれて、何かしゃべらなければという軽い焦燥にかられたおれは、

「おまえ、なんで生きてるんだ?」

 気づけば考えうる限りもっとも最悪な質問をしていた。言い終わったと同時に後悔する。どう考えても失礼だ。経緯の説明もなく初対面の相手にしていい質問ではない。いや、初対面でなくてもだめかもしれない。しかし口をついて出てしまった言葉は取り戻すには遅く、

「あ、えといや、ちがくて」

 などと言い訳にすらならない声を上げてしまう。少し間をおいて、彼女が口を開く。

「...人類を幸せにしたいから、かなあ。」

 考え込むようなそぶりから繰り出されたその答えはおれの焦燥の斜め上を飛んでいく。会話が成り立っていない。盛大な勘違いが発生していることだけは確かだが、怒ったり不機嫌になったりしてないからいい、のか?そんな打算とも呼びきれないようなためらいが訂正を遅らせる。そして。

「いきなり存在理由レゾンデートルを問うてくるなんて、きみ変な人だね?」

 なんて言って彼女が笑うから、よけいに何も喋れなくなった。きっと彼女の中でおれは、相当な変人として登録されたに違いない。いや、それ以上にとっさにこんな回答をよこしてきた彼女こそ、変人ではないか。

「ねえ、君、なまえは?」

「え?」

 唐突な質問にすこし驚く。

「答えたくない?なんでかな。あ、私が先に名乗るべきか」

「いや、べつにこたえたくないとか

「私の名前は優寡。小葉竹優寡。」

「おれは、」

 あまりにも彼女、優寡のペースですすむ会話に、ついていけない。かろうじて返答を返す。

「おれは、後道コウ。えーと、よろしく...?」


 ―これが、出会いだった。

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