第1話 願意
これは、結末の決まりきった物語だ。川を流れる水が雨になってまた巡るように、地に落ちた実が芽吹いて、またその命をつなぐように。この物語は最初から、絶対に変わらない結末を、確固たる最期を抱えている。これはそう、いうなれば末路。君の為の末路。
おれは生まれたときから、他人には見えないものが見えた。なんて言ったら、それはきっと小説だとかアニメの始まりにぴったりだったかもしれない。あいにくだがおれには自分だけが見える幽霊も、自分だけ使える超能力もない。ただ、その逆があった。幼いころから自分にだけ見えないものがあるのだ。ふと、教室の窓から空を見やる。この広大な空のどこか、北極星の周りを囲うように浮かぶ、金色の輪。
カチ、という音。この部屋の全員の耳に届いているはずなのに、気にも留められない音。分針が、一歩進んだことを知らせるかすかな響き。どうしても興味を持てない歴史の授業に飽き飽きしたおれは、今か今かとチャイムが鳴るのを待っている。そんなどうしようもない時間。今年で高校も2年目。友達は多いし、赤点を取るほど成績が悪くもない。一度しかないとよく擦られて重宝がられる「青春」というやつを存分に楽しんでいる。でもそれだけ。よく言えば平和で幸せだが、けれどそれは退屈の裏返しだ。みんなに見えるものが自分だけ見えない、なんて消極的な個性では、この退屈を壊すには少し足りないらしい。
そうだ。この曇り空から抜け出して、なにかをみるには、なにかになるには、雲を吹き飛ばすような突風か、雲を削りつくすような大雨が、必要だ。なんてばかなんだろう。なんて愚かなんだろう。そんな悲劇を、少しでも望むなんて。
ガン、
と分針とは比べるべくもない轟音が教室の扉をたたき壊した。喧噪が沸き上がるのもつかの間、教壇で授業をしていた数学の教師が、あらぬ方向に四肢を投げ出すようにして、ひしゃげた。おおよそ人間とは呼べぬ肉塊になり果てた彼を見て、そしてそれを今しがたやって見せた犯人の顔を見る。それは、人間ではなかった。およそ骨格の予測できないゆがんだ四本の足で床に立ち、その体は金属光沢の硬そうな毛におおわれている。足とは別に生えた腕は斧のようなかたちで、感情の感じられない眼球と相まって洗練された殺戮を想起させた。いや、まさに今眼前で繰り広げられた一瞬の狩りこそが、洗練された殺戮そのものだった。それはぐるりと首を巡らせてあたりを睥睨する。おれはそれを油断なく、観察する。犬やキツネのように顔から突き出した口に、無数の歯がならんでいるのが見えた。それはもうよく観察できた。なぜなら彼の存在は大きく口を開け、こちらを見ていたから。わっと冷や汗が噴き出す。ガタンと机を押しのけて、ふらつきながら立ち上がる。おれはうしろの窓際だ。まだあいつとは距離があるし、その間にもほかの生徒がいる。我ながら最低な思考にとらわれながら、しかし罪悪感など感じている暇もない。一目散に教室から飛び出して、廊下を駆けだした。
「なんっだあれ!なんだあれ!なんだあれ!!!?」
はしる、はしる、はしる。喉をつぶすように叫びを漏らして、がむしゃらに校舎を飛び出す。家に帰るでもなく、警察を頼るでもなく、パニックになって走り続けたおれは、ようやっと息をついて、前をみる。目の前にはごつごつした砂利と空を映した青の水面。いつの間にか河原に出ていたみたいだった。もう一つ、目の前に飛び込んできたものがある。景色は、植物の緑、水の青、砂利の灰色、そして、赤。せせらぎの音とともに聞こえるのは、なにか硬いものがぶつかる重い音。そのたびに噴き出した鮮血が、びちゃびちゃと無遠慮にあたりを濡らしてゆく。いつから世界は、ジャンキーでピーキーなB級映画のスプラッタに置き換わってしまったのか。現実と非現実が分からなくなって、そこにはたしかに化け物がいて、血にまみれた二つの死体が転がっている。教室で見たのとまったく同じ化け物が、その硬い手を少女と思しき死体の頭蓋にガンガンとたたきつけ、その脳を食らおうとしている。もはや顔を判別することもできない。かろうじてその服装などから女性とわかる彼女はもう一人、胴体が半ばまで断ち切られた女性に向かって手を伸ばして、その脳髄が化け物にすすられるのを許している。手を伸ばされた側、こちらも明らかに絶命した女性は、苦痛にゆがんだ表情を虚空に向けている。
「ぅ゛あ......。」
こみあげてくる吐き気をこらえ、その場に膝をついて動けなくなる。幸か不幸か、あの化け物は食事に夢中らしい。こちらを気に留めることもなく、頭蓋をかち割っては中身を引きずり出すのを繰り返す。視界が揺れる。あまりに非現実的な光景に平衡感覚が失われたのだ。だから、気づくのが遅れた。いつのまにか地面に転がっている。よこから加えられた強い衝撃に、おくれて痛みが走る。自分の後を執念深く追いかけてきてきた化け物が、その無機質な双眸をこちらに向ける。仰向けになった視界の端、空の彼方に、黒い龍が泳いでいる。血が足りない。幻覚だろうか。何もかもが溶けて、現実感をうしなって。
―目を覚ました。
「もう放課後だぜ。いつまで眠ってんだよ。掃除の邪魔だから起きてくれ。」
朦朧とした意識を何とか持ち上げる。カチ、と分針が鳴って、教室の景色が目に入る。夢、だったのだろうか。やけに鮮明で、記憶に残るような。
「わるい。いまおきる。」
訝し気な表情の友人を横目に、机の上を片付ける。荷物がまとまってようやく教壇を見やるが、そこに血なんかついていない。少しふらつきながら、教室を後にする。外にでると風がふいて、汗が冷やされていく。少しあるけば、見覚えを感じる道があった。確信する。あれはさっき通った道だ。ふらりと、そちらに足を向ける。少しずつ早くなる鼓動が、確信を強めていく。この先に行くべきじゃない。今引き返せば、おれはきっとありきたりな日常を過ごしていられる。だけど。結局のところ決まっている。おれは願ってしまったのだ。日常の崩壊と、それを高らかに告げる出会いを。薄れていく夢の記憶を頼りにして、一歩ずつ歩いていく。そして、急に視界が開けた。広がるのはすがすがしい青空と、雄大な河川。周囲を見渡そうとしたおれの目の前に、一人の少女が歩いてくる。彼女と目が合って、おれは思わず目を見開いた。だってその顔が、夢の河原で死んでいた少女そのものだったから。
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