Distortion Melody

Sister's_tale

Distortion Melody

「人が死んで感動する物語などナンセンスだ」


小説を読む時、いつもそう思う。

確かに、不治の病で余命宣告された少女がエピローグでピンピンしていると違和感を覚えないのかと問われれば、反論する言葉もない。

しかし、それは元々ブラックだったコーヒーへ 半端にミルクを入れたようなもので、何か物足りないのだ。

言ってしまえば中途半端。ならばブラックの方が良いし、甘くしたいなら角砂糖を大量に入れるべきだと思う。

実際、これは人の好みの話でしかなく、自分よりも小説に知識がある人間ならこの考えの方がナンセンスであると考えるかもしれない。

だが、●が言いたいのは何事も全力を尽くすべきだということだ。

例えば、余命宣告された少女のために死ぬ程勉強して、治療法を見つけ、命を取り留めた。これならまだ違和感がない。

しかしどうだ余命宣告された少女が病気で死ぬ前に交通事故で亡くなった。馬鹿げているとしか思えないだろう。

死ななくても不自然なのに死んでも不自然ってどういうことなのだ。

ただ、同時にその世界には神様などいないのだなとも思った。

世界を救うそんな夢を見た。

誰でもない、この物語の主人公ではない●がだ。

昔は自分以外の人間は本当は存在していなくて、例えるならロボットみたいに意思はなくて、自分だけが特別な存在だと思っていた。

そもそも、この世界は神様によって創られて、人間の行動はコンピュータのプログラミングみたいな感じで生まれてから死ぬまでの行動は全部事前に決まっているものだと思っていた。

だから、『運命を変える』ってのは『運命を変えた』って勘違いしているだけで、それも織り込み済みのシナリオだと思っていた。

でも、違った。

運命は変えられる。変えられるんだ。

これは夢じゃなかった。未来だった。●が見たのものは未来だった。

先人たちが積み重ねてきたものをこれ以上無駄にはさせない。

これから●は死ぬだろう。

たが、『意思』は必ず繋がる。●が死んだとしても世界の成長は止まらない。

不思議と恐怖はない。でも──


「……死にたくないなぁ……」


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アメリカのごく一般的な家庭に生まれたアリシア・プラウラーは他の幼児よりも発達が遅かった。だが、そんなアリシアを両親は彼女の等身大を愛していた。

いつものように昼寝をしていたアリシアは寝心地の悪さを覚え目を覚ました。

すると、そこはベッドではなく、ましてや自分の部屋ですらない。視界一面真っ白な空間。暑くもなく、寒くもない。湿気もなく、乾燥してもいない。ただ、あるのはおびただしい数の本と本棚がアリシアを中心に円を描き、果てしなく上へと伸びていた。

見慣れない光景、母親のいない不安感に呑まれたアリシアは思わず泣き出してしまう。

しかし、泣き声は白い空間に吸い込まれ、消えた。助けなど来ない。

どれくらい泣き続けただろうか。アリシアは涙が枯れ果て、延々と天高く続く階段を上り始めた。

自分がどこにいるかも、母親がいるかも分からないまま、自分の家へ帰ろうと歩き出す。

どれくらい歩いただろうか。アリシアには分からない。だが、いくら歩いても足が疲れないことに気がついた。足だけでなく、腕も、肺も。

とは言え心が疲れてしまったアリシアは本棚に持たれかけ、座り込んだ。

そこでふと目に入った絵本を手に取る。まだ文字は読めない。それでも気を紛らわせるには十分であった。。

何冊も、何冊も流して見ては読み散らかす。元の位置に戻すことはない。気づけばいつの間にか元に戻っているからだ。

するとボタンがついている絵本を見つけた。

表紙には鳥が描かれ、ボタンを押すと軽快な音楽が流れ出す。

体感としては数時間、何もない音のない空間にいたアリシアにはこれ程嬉しいものはなかった。

一日中──という表現は適切ではないが、まさに一日中ずっとその絵本を聞いていた。

何百回と聞き、飽きたら次の絵本へと手を伸ばす。

その絵本もまた、音の出る絵本であった。

アルファベットの正しい発音が出る絵本であった。

それから発音、言葉、文法を長い時間をかけ習得していった。

アリシアはここで初めて勉強の楽しさを知ったのだ。

何年の時が過ぎただろうか。

アリシアは既にこの世界に適応しているようだった。

食事を摂らないことの怖さ、眠らないことによる精神的不安。そして、家族に会えない絶望感。

それら全てを半ば諦めて、この白い本の楽園を楽しんでいる。

時に本を椅子替わりに、時に本を枕替わりに使ったり、本を積み木替わりしたりと彼女なりに工夫をしていた。

退屈を感じないことが唯一の救いなのかもしれない。

アリシアは大人顔負けの語彙力と知識力を知らず知らずのうちに携えていた。

ほぼ全ての時間を読書に費やしているアリシアは最早英語という領域を超え、色々な言語に手を出していた。

そして、いつものように新しい本を読み漁っていると一冊のここの物にしてはボロボロな本。と言うよりかは論文を見つけた。

題名は『近代の魔術研究について』。

数多くのフィクションを読んできたアリシアにとってこれ程そそられる物はない。

アリシアは早速地面に広げ、読み始めた。

読み始めて直ぐにアリシアはその始まり方に目を見張る。

一文目にはこう書かれていた。


「これはフィクションではない…………」


全身に鳥肌が逆立つのを感じる。

数万もの本を読んできたアリシアには、タイトルに対して、この文言が珍しくて仕方がなかった。


『魔術とはエルフの魔法を人間の脳でも理解し、使用できるように改良したものである』


新しく知る情報に心を踊らせるアリシア。ページを捲る手が止まらない。

魔術には魔力が必要であること。世界の成長のために絶対秘匿とされていること。そして、魔術とは肉体と魂のバランスによって発現すること。

そこでひとつの可能性がアリシアの頭によぎる。


「この図書館は魔術の影響の可能性が高い……」


アリシアの心がざわついた。

──ちょっとムカつく。

何年も監禁されているということ。ましてやこんなにも可愛らしい幼女にやったことが何より許せなかった。

行き場のない怒りをページを捲る手に乗せる。


『魔力は獣人を除く全ての人類に存在し、人それぞれ色が違う。大小の違いはあれど、みなが魔術を使用できる可能性がある』


憧れの世界へ踏み出せる可能性に怒りを忘れ胸の鼓動が弾み出す。


『しかし、魔術は誕生時、もしくは死の淵を乗り越えた者にのみ発現する』


この条件であればアリシアには該当しない。

アリシアは大の字になり、宛らスーパーマーケットでお菓子を買って貰えない子供のように暴れる。


「なんでだーーー!!!???」


ひとしきり暴れ回った後、方を落としながら丁寧に元の位置へと戻す。

そして、魔術書のすぐ横、さらに古い書物に手を伸ばす。


『技術の心得』


図鑑と言うには些か薄い本。しかし、普通の本よりも少し分厚い本。

そこには魔力操作における魔術とは違う派生の形が記されている。

『技術』とは魔術師に対抗すべく、魔術の才に恵まれなかった者達が編み出したまさに技術である。

その図鑑にはいくつかの『技術』が記されており、特徴、制限、注意、会得方法が詳細に書かれている。

アリシアは隅から隅までじっくりと目を通す。

書物を閉じ、アリシアは息をつき一言。


「……私には無理だ…………はぁハンバーガー食べたいなぁ……」


書物をがさつに本棚へと戻す。

首を回し、適当に取った本を枕にして目を閉じる。

この空間、実は眠くならないだけで寝られない訳ではない。ただ、アリシア自身は眠っている感覚はなく、目を閉じて、気づいたら寝ており、気づいたら起きている。明るさも変わることがないため、寝ていることに気づかないのだ。

ゆっくりと目を閉じ、開く。

身体を起こし、枕替わりの二冊の本を一冊ずつ片付けようと持ち上げる。

上側の本を片付け、二冊目も同様に片付けようと手を伸ばすが、その本のタイトルが目に入る。


「『魔力の操作について』……」


何気なく、そう、何となく本を開く。

そこには、種族による魔力量の違いや、消費量の違い、魔力を消費しないことによる健康被害などが事細かに記されている。

魔力は身体の中で血液とともに生成され、循環し、排出されており、その循環している動きを加速させることで排出される魔力量が増え、身体に魔力を纏った状態になる。


「──『マジック・クロス』か、これが……てかさっきのに書いとけよ……」


そう、『技術の心得』には何故かこれの会得方法は書かれておらず、特徴のみだったのだ。

あまりに基礎的なもので魔術に関わる者であれば、身近な会得者に教えてもらうのが定石。

しかし、アリシアの周りに『魔術』、『技術』に精通した人間などいない。そもそも、ここから出ることすらできないのだから他人に教えを乞おうなど愚も愚である。

魔力の操作は『イメージ』が最も重要である。だが、そのイメージを伝えられる人間がいない。

アリシアはおもむろに立ち上がり、目を閉じる。

血液と魔力の流れをイメージする。

ドロドロとした血液の流れの中で何の引っかかりもない他とは違う異質な『流れ』を感じる。


「お、おお」


これが魔力か、と思わず笑みが零れる。

アリシアは記憶を辿るように数年かけて歩いてきた本棚の階段を下る。

完全に自信をつけたアリシアは『技術の心得』を再び開く。

そして、実用性のありそうな『技術』のみを選ぶ。正確にはあるひとつ以外なのだが。理由は他のものとは少し毛色が違い、完全なる対魔術師用技術。そのため、アリシア以外誰もいないこの空間では習得不能なのだ。

アリシアは特に理由はないが、『技術』を極めることに決めた。


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それから100年もの時間が経過した。

時間という概念が存在しないのでこの表現は間違いなのだが、ここでは深く言及はしない。

『技術』の習得には合計で約30年費やしたが、アリシアにとってはせいぜい5.6ヶ月だろうと感じていた。

なぜなら、妙に白くて明るく、空腹も眠気も感じない世界など体内時計が狂うのは必然と言えるからだ。

ただ、そんなことはアリシアにとってはあまりにも些細なことだった。今は知識を増やすことに夢中だからだ。

結果、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、日本語、エルフ語、獣語、他数ヶ国語などの読み書きを覚えた。数学も物理も心理学も商学も法律も経済学も全て、覚えた。

特に理由があった訳ではなく、やることがないから覚えた。それだけだ。

アリシアには努力の才能があったのだ。

言語の習得に飽きた今は幻獣について勉強している。

幻獣とは、人に危害を加える魔獣と違い、気まぐれに人の前に現れる生物。

正直、幻獣自体には興味はない。

『蒼すぎる空(グランドブルー)』。巨大で透明な鯨。特筆すべきはその魔力量。

地球上の生物を全てかき集めたところで半分にも満たないその生物にアリシアは魅せられていた。


「……見てみたい」


初めて、この目ではっきりと見てみたいと思った。

それが最初に観測されたのは1566年アメリカ。

極限まで凝縮され、極限まで存在がゼロになった巨大な鯨を『スタークラウン』アイリス・スターマインドの『技術』のひとつ、『魔力探知』によって発見。その後、三年周期で『呼吸』を行っていることが判明。目を凝らせば僅かに見える。深く蒼い鯨。

それを──


「見てみたい!」


好奇心はガソリンだ。

動かずにはいられない。

本物が欲しい。

絵画や小説では補いきれない現実を。

辞書にも論文にも乗っていない叡智を。

アリシアは滞っていた『ここから出る方法』を探し始める。

走ったり、飛んだり、転んだり、色々試してみた。

どこかで見た何かの攻略本の何かのコマンドのように。

──それが200年続いた。

気が狂いそうになったら本を読み、トライアンドエラーの繰り返し。

地獄の沙汰も金次第という言葉がある。

本当の地獄とはそもそも金すら使えない場所に一人で先の見えない作業を延々と続けることであることだとアリシアはそう感じた。

逃げ場がない。

──逃げ場。あるじゃないか一つだけ。

それは『死』だ。

例え、ここが魔術で作られた世界だとしても死んでしまえば脱出することができる。

さながら、仏教の解脱のように。苦しみからの脱却だ。

──だが、本当に最適解なのだろうか。ここで死んだら家族にはもう会えない。

『蒼すぎる空』にも会えやしない。


「まぁいいか」


アリシアは疲れてしまった。やりたいこともできないこの場所で、何を希望に生きていけばいいのか。

指を銃の形にする。そして、ゆっくりと頭に突きつける。

『技術』の三番目。『魔弾』。魔力をそのまま発射する。それだけ。

勢いよく発射された魔力の弾丸はアリシアの頭を貫通し、脳みそをぶちまけた。

意識は白い世界に手を振って闇の中へと消えていった。


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「……シアー?アリシアー?……なんだここにいたのー?ねぇ今日の夜ご飯何にしようか?」


アリシアはゆっくりと瞼を開け、母親に抱きつく。

戻ってきたのだ。

──なんだ。簡単じゃないか。

アリシアは撃ち抜いたはずのこめかみを触る。

傷は残っていない。夢だったのだろうか。


「……今日はママの作ったハンバーガー食べたいな……いつもパパが食べてるやつ」


「OK! じゃあママ頑張っちゃう!」


いや夢ではない。

手のひらに確かに残る魔力の波動をアリシアはぎゅっと握りしめていた。


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こちらへ戻ってから数ヶ月、魔術を専門的に学ぶことのできる機関を調べていた。

そこでわかったのは全ての魔術を総括する『魔術協会』の存在。そして、その中に存在する三つの派閥。

魔術戦闘に関するルール設定、魔獣への対策、人員配置をする『境界ボーダー』。

魔術協会の原点。「魔術は魔術師にのみ存在する」という古典的価値観をもつ『摩天楼ルクス・エッジ』。

そして、魔術を研究、開発を行う『Cosmic Scope《コズミック・スコープ》』。

アリシアは派閥の三番目、『CS』に目をつけた。

正しくはその『CS』の事業のひとつ『魔術大学』に焦点を当てた。

アメリカ、イギリス、ロシアの三箇所にのみ存在するという『魔術大学』

アリシアは『魔術大学』へ通うための父親を説得をした。秒で了承を得た。

父親の見てきたアリシアは、口を開けば知識が、身体を動かせば才能が、頭頂部から土踏まずまでもれなく全て天才だった。親馬鹿になるのも無理はない。

アリシアはアメリカ最難関の大学への受験を決めた。


「アリシア……お前のすごさは分かる……とっても分かる……だがな、結局は世の中経験がものを言うんだ」


父親ダニエルは賢明な人間だ。


「確かにそう思うパパ。私にあるのは知識だけ」


「そうだ。パパやママのようにいい人もいるが、悪い人もいる」


「それを学ぶために学校に行くってことだね」


「そーいうことだ。ただ、それだけじゃない。常識も学ぶのさ。この世界は自分だけの世界じゃないからね」


ダニエルは指を鳴らして言った。

それからすぐにアリシアに弟が生まれた。名前はカイン。

五歳のアリシアの腕に抱えられたカインはあまりに大きい。だが、自分よりも明らかに小さい存在に胸がときめいた。

守らなくては、私が。命を懸けてでも。

彼女の生活はカインが中心になった。カインがぐずれば母親よりも早く駆けつけ、解決策を見つけ、彼の世話をした。

そのことにアリシアはなんの不満も持っていなかった良くも悪くも大人になりすぎてしまったのだ。

それに弟が可愛くて仕方がなかったからだ。

数年越し高校への入学が決まった。

カインと離れるのは心苦しかったが、心を鬼にして高校に足を踏み入れた。


「入学おめでとう!」


「卒業おめでとう!」


一言で言うと、何も無かった。

高校の勉強はアリシアには退屈であった。

知っていることの復習。教師のレベルも低い。

授業中は酷いなんてものではなく、動物園の猿よりも騒がしかった。

早く卒業したくて堪らなかった。

ここで過ごした四年間はあの世界で過ごした時間よりも長く感じた。

我慢の四年間を乗り越え、ようやく大学に入学することができた。

『マサチューセッツ魔術大学』。

マサチューセッツ州のダンバースに一八九六年に創立され、二〇三六年まで魔術師しか知らない、知られることのない施設であった。

しかし、前年十二月に『魔王』により魔術の存在が公となったことでその存在が露呈。二〇三六年から非魔術師に対する募集を開始した。

結果、世界中から魔術師の他、魔術を学びたい人間、単に興味がある人間、ただイタズラしたい人間などの様々な者からの応募が今も尚続いている。

だが、この大学、入学が難しい代わりに卒業が難しい。二年生に上がるまでに全体の七割が、三年生に上がる頃にはその内の六割が留年もしくは退学。四年生になる頃には顔見知りしかいなくなっている。


「明日から寮生活……大学に至っては来週からだなアリシア……寂しくなるなぁ……パパ心配だよ……」


ステーキを切り分けながらダニエルは言う。


「荷物運び終わるの間に合って良かったわねぇ」


「心配しないでパパ。私、今年の合格者の中で三番目の成績で入学したのよ。筆記に関しては一番だし」


アリシアは野菜を口に入れる。

ベジタリアンとまでは言わないがアリシアは肉より野菜の方が好きだ。

理由は特にない。


「へぇーすごいね」


カインはステーキを口いっぱいに頬張る。


「でしょ〜? お姉ちゃんすごいんだから」


「うーん」


肯定とも否定とも取れる曖昧な返事をしながら食事を続けるカイン。


「そうじゃなくてね……寮生活になるわけじゃん? 一人で大丈夫かなぁって……思って……」


「大丈夫よ。高校と違ってアリシアにとっても楽しい場所になるんじゃない? ほら、ママには魔術? がよく分からないけどやりたいことなんでしょ? 応援しなきゃ」


「わかってる……わかってるんだけどね……寂しいなぁ」


ビールを飲む手を止めない。食事開始してからの三十分でもう既に三缶開けている。


「ほどほどにしなよパパ? 明日の朝アリシアを空港まで送るんでしょ?」


「そうだな……そう……そうなんだけどなぁ……」


結局ダニエルは時刻が次の日になる直前まで飲んでいた。



翌日。

ダニエルの運転する車で空港へと向かう。

不安だ。

ダニエルが時々頭を抑えながら運転していることが特に不安だ。

時刻はまだ午前七時になったばかりである。

子供のために、と大金を叩いて買ったSUVは新品同様に綺麗だった。


「昨日は久しぶりにパパとご飯食べられて良かったよ」


「ははは……やめろよ……もっと寂しくなるだろ」


笑い声からは寂しさが感じられる。

それもそのはず、アリシアはまだ十二歳の女の子なのだ。

一番目の子。可愛くないはずがない。


「だってパパ休み全然ないんだもん」


仕事柄ダニエルは休みを取りづらい。

そんなことアリシアも重々承知している。これはアリシアのちょっとしたワガママだ。


「ごめんなぁ……悪いと思ってる……よし! 心配はもうしてないぞアリシア! パパは覚悟を決めた! アリシアはなんせパパとママの子だからな! ははは……」


「強がらなくてもいいのに……」


強がるダニエルの気持ちを悟る。

話に夢中になっているとあっという間に空港に到着してしまう。


「フライトにはまだ時間があるな。最後まで見送ってやりたいけど、ちょっと仕事が入っちゃってな……」


「大丈夫だよパパ。パパが忙しいのは知ってるし、一人で過ごすの慣れてるから」


「……そうか。強いなアリシアは……じゃあ、しっかり頑張りなさい。行ってらっしゃい」


くるりと振り返り手荷物検査へと向かうアリシア。

それを惜しみながらダニエルは出口へと向かう。


「あ、待ってパパ」


ダニエルはその言葉に振り返る。

アリシアが思い切り抱きついてくる。

突然抱きつかれたことに驚きつつも、愛しのアリシアの頭を撫でる。


「じゃあね!」


一言だけ言ってすぐにカインから離れる。

そしてそのままくるりとカインに背を向け、手荷物検査の入口へと歩き出した。


「寂しくなったら帰ってこいよ〜!!」


後方から聞こえる声に答えるように腕を上げ、親指を立てる。

カインは小さくも大きな背中の愛娘の成長を祈りつつ、仕事へと向かった。

手荷物検査を終え、搭乗口の近くへと向かう。

窓の奥には飛行機がよく見える。

人が豆粒のように見える。


「飛行機に引かれたらどうなるんだろうなぁ」


嫌な想像をして勝手に身震いをする。

アリシアは一番外が見えるソファへと向かい、深く座る。

左手の親指と人差し指を立て、銃の形にして、決意を固めたように呟く。


「さて……ふぅー…………ばん……」


瞬間、忙しなく動いていた時間は動きを止め、眩い光とともに白い世界へと変化した。

『領域魔術』と呼ばれるソレは、自身の心の奥にある理想郷を具現化する魔術。

数ある魔術の中でも最高峰の魔術であり、人智を超えた力の一つである。


「カ、ハッ…………ハァ……!ハァ……!」


問題は魔力の消費量が他の魔術と比べ、極端に多いことである。

アリシアの魔力量は同年代の魔術師に比べてしまうと多い方ではない。むしろ少ない。

肉体の成長がないこの白い世界ではもちろん魔力量を増やす訓練はできない。

元の世界へ戻ってから訓練するしかない。

しかし、魔力量は才能に依存することが多く、『領域魔術』を何度も使用できるほどには増えなかった。


「ぇ……と、た、確かこっちに……」


おぼつかない足取りで目的の本棚まで向かう。

数分階段を上った後、目的地に到着する。

頭文字を指でなぞりながら目当ての本を探す。


「あ、あった……ふぅ……」


本を丁寧に取り、腰を下ろす。

左腕で本を抱え込む。

少しだけ息を整えてからこめかみに魔力の鉛玉を打ち込む。


「……ッ!! ハァ……!!」


アリシアが戻ってきたと同時に世界が再び動き出す。

ただ、先程と違うのは、選んだ本が腕の中にあることだ。

アリシアの領域の特徴の一つ。

領域内の本は一つだけ元の世界へ持ち込むことができる。

アリシアが何百回と検証を重ねた努力の賜物だ。

もちろん無限に取り出すことができる訳ではなく、持ち込んだ本は領域を次に使用すると同時に消滅する。

ページをめくりながら飛行機を待つことにした。



既にあの時から二時間が経過していた。


(ほんと、本を読むと時間が過ぎるのが早いなぁ)


マサチューセッツ州ボストン行きの飛行機へと乗り込む。

約十時間の道程、秘密組織からのハイジャックやアリシアを狙った魔術師からの襲撃などなく実に平々凡々で安心安全なフライトであった。

ボストン空港からダンバースの学生寮まではバスで約三十分。


「疲れた〜〜〜〜〜」


キャリーバッグに腰をかけ、学生寮の目の前で一息をつく。



「……しかし、いつ見てもこんなボロ雑巾みたいな建物まだ存在してるんだな」


傲慢にも立派に建てられた開いたままの門を潜り、敷地に足を踏み入れる。

そこは、先程までとは全く違う気候かつ、土地。少し暑さが目立ったダンバースから一転、暑くも寒くもない山。しかし、息苦しさを感じない。そして、ブルジュ・ハリファと見違えるほどの立派な建物。

認識阻害の魔術の類ではない。おそらくは空間転移の魔術。

ここに来るのは三度目だが、未だにその技術に気圧される。


「アリシア・プラウラーさんですね?」


いつの間にか目の前に立っていた女性から声を掛けられる。

金髪に吸血鬼を彷彿とさせる赤い目。整った顔立ちとすらっとしたスタイルに思わず見蕩れてしまう。


「! は、はい! そうです! 」


「新魔術研究科三年メリッサ・レインと申します。女子寮の方へ案内させていただきます。こちらへ」


新魔術研究科。

この大学にはいくつか学科が存在する。一つはこの新魔術研究科。文字通り、新しい魔術の研究、提供をしている。一番偏差値が高い。

次に戦闘魔術科。提供された魔術や自身の固有魔術を研究し、戦闘に活かし、使い方のマニュアル作成などを行う。

最後に応用魔術科。これは提供された魔術や既存の魔術を商学や経営、ひいては農業などに活用し、経済を良くする学科である。

アリシアはこの中でも特に偏差値の高い新魔術研究科に所属となった。

驚きを隠せないアリシアには目もくれず、メリッサは綺麗に舗装された道を歩いていく。


「は、はい!」


正面にはいかにも魔術、魔法を取り扱ってそうな大学。

しかし、向かうはその左横、「こちら女子寮。ここから先、男子進入禁止」と書かれた看板の道筋に従い、二人は進む。

行き着く先は木造のアリシアの家には比べ物にならない程大きな建物。もちろん大学に比べてしまえば象と蟻程の差はあるが。


「こちらが女子寮になります。木造ですが、耐火、湿気防止、防虫、その他もろもろ魔術がかけられているため、安全性はバッチリです。では入りましょう」

親指をぐっと立てるメリッサに少し萌える。


入ってすぐの階段をのぼりながらメリッサは言う。


「……はぁ……はぁ……あ、貴方の部屋はさ、三階の……はぁ……はぁ……」


十数段のぼるだけで死ぬ程息が切れているメリッサ。

アリシアは少し引きつつ、彼女に着いていく。


「はぁ……はぁ……はぁ……こ、ここです……」


何とか部屋に辿り着いた二人。


「 こ、これが部屋の鍵です……い、一応、予備はありますが、無くさないようにしてください……」


メリッサがポケットから鍵を取り出す。一見何の変哲もない鍵だが、鍵穴に差し込むと直ぐにガチャリと音を立て扉が開く。

捻っていない。差し込んだだけだ。


「すごい……どうなってるんだこれ……」


「ま、魔道具の類ではありますが、作り方に関しては企業秘密だそうで私たちにも分かりません。この鍵がない限りこの部屋には入ることはできません」


息を整えたメリッサがアリシアの独り言に答える。


「他の部屋の鍵を使っても入れないんですか?」


「もちろんです」


「ふぅんそりゃそうか」


アリシアは部屋の中を見て回る。

テレビにベッド、キッチン、広めのお風呂にトイレ。

もちろん風呂、トイレは別だ。

適当なホテルよりも格段に綺麗な部屋になっている。


「この寮を使用するにあたり、幾つか注意点があります」


興奮するアリシアの隣に寄ってきたメリッサが言う。


「注意点……? はい」


「まず一つ目、如何なる理由があろうと男性を招いてはいけません」


「ナルホド……一応なんですけどそれは……性自認が女性の方もです?」


「もちろんです。そもそもこの寮自体が男女を識別し、男性を弾いてしまうので」


「……? じゃあ招いたら男の人も入れるってことですか?」


「そうです。最近では公衆トイレや、大衆浴場、更衣室などにもこの魔術が使用され始めています。実はこの魔術は我々の研究室が作ったんですよ」


鼻を高くして胸を張るメリッサ。

──張ってもさほど……いや……やめておこう。私も将来どうなるか分からない。


「へ、へぇー!!……あれ? でも許可したら入れちゃうのって結構な欠陥じゃないですか? 全部弾けばいいのに」


「それはそうですが……万が一があるから……って上は言ってます」


「はぁ……」


「次に魔術の使用についてです。この寮には対魔術結界が展開されていますが、所詮は薄く伸ばした盾。威力の高い魔術には些か心細いのです」


「OK……やりすぎんなよってことですね?」


メリッサは軽く頷く。


「そして三つ目。門限は夜の十時です。これを超えてしまう場合には必ず寮長に連絡をしてください。連絡がない場合如何なる理由があろうと寮に入ることはできません」


「……万が一連絡忘れちゃったら……?」


「寮長は夜十時に寝ます。寮長が起床する朝五時まで待ってください」


「健康だ……ちなみに寮長っていうのは?」


「私です」


これ私の連絡先です。と、スマホの画面を開く。

アリシアは急いでその連絡先を登録する。


「優秀ですねぇ……」


「責任を押し付けられているだけですよ」


抑揚のない、だがどこか寂しそうな声。

謙虚で気丈に振る舞っているが、そこには幾度となく別れを経験してきたことが伺える。


「最後に、隣人トラブルについてです。基本的には本人同士で解決して頂きます。トラブルになることはあまりないのですが……防音ですし、洗濯物も魔術で洗濯、乾燥が全部できますし」


「でも解決の目処が立たない時はどうするんですか? 両者一歩も引かない場合です」


「その時は『決闘』になります。魔術、武器など、殺害以外なんでもあり、ルール無用の真剣勝負です」


「……はぁ」


「そそられませんか?」


「武闘派ではないので」


「まぁかくいう私も武闘派ではないので……と万が一襲われそうになったら頑張って叫んでください。この建物、人の声がある一定の大きさになると全部の部屋に聞こえるようになります。それができなかったら頑張って殺しちゃってください」


「殺しちゃうんですか……?」


「正当防衛です」


淡々と告げるメリッサの顔はとても冗談を言っているようには見えなかった。


「注意事項は以上です。質問は?」


「相手が自分よりも強かったらどうするんでしょう?」


相手より強かった場合。つまり、抵抗ができないぐらい、殺すまでいけなかった場合はどうするのかという疑問だ。


「実はですねこの寮、先手は不利になるようにできています。どういうことかと言いますと、先に攻撃したと寮が判断した場合、先手の人間に魔力制限のデバフが付与されます。逆に後手に回ってしまった人間には身体能力強化のバフが付与されます」


「え、と……じゃあ先に手を出したら負けってことですか?」


「そうです。魔術界において先手は圧倒的に有利ですからね……不意打ちを無傷で受けられる魔術師なんて力のさがよほどない限りはいないでしょう」


「相手が初撃に全てを賭けていた場合はどうなりますか?」


「良い質問です。この寮、とても都合が良くてですね。誰であっても初撃には完全無敵が付いています。じゃあ全部の攻撃に無敵を付ければいいじゃないですかって思うでしょ」


完全に思っていたことを言い当てられたアリシアはぎょっとする。


「例えば、本当に侵入者がいた場合。完全無敵がずっっと続いていたら捕まえられないんですよ。なので不意打ちの初撃を耐えて、デバフで無能になったところをムキムキの我々が捕らえるという戦法です」

ボディービルのポージングをするメリッサ。

その腕には筋肉のきの字すらない。


「他にありますか?」


「え、えーと……だ、大学は楽しいですか」


メリッサは赤い目を見開いて少し考えた後、微笑みながら言った。


「ええ、死ぬ程」


─────────────────────


アリシアはベッドで寝転びながら自身の魔術で持ってきた本を読んでいた。

時刻は夜の十時を回っている。


「……明日はメリッサさんが大学を案内してくれるって言ってたし、早く寝よう」


部屋の電気を消し、ベッドに入る。


「──寝れない…………」


時差ボケと新しい生活に対する興奮からアドレナリンが出て眠れない。

アリシアは枕元の携帯を手に取り、父と母だけが登録されている電話帳を開く。


「パパは……まだ仕事かな…………ママ……」


母親マリアに電話をかける。

コール音が部屋に響く。


『……ーイ? アリシアどうかした?』


機械を通してノイズ混じりマリアの声がアリシアの心を落ち着かせる。

スピーカーにしているのかガチャガチャと環境音も聞こえてくる。


「……ちょっとだけ寂しくなっちゃった」


『……アハハ!寂しくなっちゃったか〜〜〜ママもだよ〜』


「明日ね、大学を見学しに行くの……学校見学の時よりも詳しく……先輩が案内してくれるの……それでね……不安なの……上手く馴染めるかが……」


胸の内を吐露する。

言いようのない不安感を何とか言葉にする。


『最初はそんなものよ。大丈夫。新しい環境に恐れることはないわ。だってあなたはママとパパの自慢の娘で、カインのお姉ちゃんなんだから』


「うん……」


『でも、無理はぜっったいダメ。心を壊してまで頑張る必要はないよ。いつでも帰ってきていいからね!』


「……うん、ありがとう」


『あー! カインッ!!! ごめん切るわね!!』


ブツりと電話が切れる。

またカインがやらかしたのだろう。可愛いヤツめ。

自分がいなくても変わらない家族に安心感を覚えつつ、アリシアは眠りについた。


─────────────────────


「ここが中庭になります」


翌日、予定通り、メリッサに大学を案内してもらっている。


「そして、ここが教務室になります。ただ、総合成績が十番以内の学生である貴女は特待生に該当します。つまり──」


メリッサはアリシアの歩幅に合わせながら解説をする。


「必要単位はない。通常二年次からの研究室に一年次から所属することができる。その代わり結果が求められる」


「よくご存知で。講義は任意ですが、出席すれば加点されて就職に有利になりますが……貴女はこの教務室はあまり使うことはないでしょう」

教務室を横目に廊下を進む。

木造であるが、恐らくは鋼鉄よりも頑丈な建物。隅々まで清掃が行き届いており、埃一つ見当たらない。


「ここってアメリカなんですか?」


いつ見てもこんな大きな建築物が人目の多いアメリカにあると思えない。


「さぁ……? 私にも詳細なことは分かりません。噂だとエリア52だとか、南極だとか言われています。まぁあくまで噂ですが、真実は神のみぞ知る……と、着きましたよ」


メリッサはある部屋の前で立ち止まる。


「ようこそ。ここが新魔術研究科第三研究室です」


扉を開けると魔道具や術式、研究資料がアリシアの目に飛び込んでくる。


「すごい……」


思わず口から本音が零れる。

アリシアの領域内とは違い、種類別に整理整頓された専門書。

普通の教室よりも一回り大きな部屋。

その中心で術式を描いているのか数人が集まっている。


「おはようございます。ミス・ミッシェル」


学生とは少し離れた距離で資料を読んでいた中年の女教諭にメリッサが話しかける。


「おはようございます。メリッサ……この子は?」


「昨日言った子ですよ。彼女はアリシア・プラウラー。筆記試験ぶっちぎりの一位、実技試験五位、総合成績三位、十二歳の才女です」


アリシアは頭を下げながら挨拶をする。

他人から褒められると少しむず痒い。顔が緩みそうになる。


「は、はじめましてっ! アリシア・プラウラーですっ! よろしくお願いします」


ミッシェルは少し驚いた表情をした後、すぐに微笑みを浮かべた。

そして、彼女は手を差し出した。


「はじめましてアリシア。ミッシェル・ブライトよ。普段は『Cosmic Scope』で魔術師を、ここでは新魔術研究科のメンターとして働いているわ。よろしく」


アリシアは差し出された手を握る。

少しシワのある優しくもいくつもの困難を乗り越えてきたと容易に察せられる手だ。

アリシアは手をしっかりと握った後、学生たちの方を見る。


「これはなんて言う魔術の研究ですか?」


「これはね『反重力魔術』の研究よ」


「『反重力魔術』……」


反重力という言葉は聞いたことがあるが、それを魔術で再現しようとしているのか。


「術式魔術は自然界で発生する現象を環境、物理法則、その他もろもろを無視して発動させるものなのはご存知かしら?」


「はい。でも、反重力なんてもの自然界には存在しません。現代科学でも実現できてないですし。……空を飛びたいなら磁力の方が良いのでは?」


「実は磁力での実験も行ったことがあるのだけど、これなら魔術じゃなくて科学を使用した方が良いって結論になってねぇ……」


空中浮遊することだけを目的とするなら、磁力は優秀な力であると言える。

しかし、それはあくまでも科学における回路や配列があってこそである。

魔術の利点である過程の省略が足を引っ張り、科学にはない不利益をもたらしているのだ。


「それで反重力ですか……研究資料を拝見してもよろしいですか?」


「え、ええいいわよ」


アリシアは資料を受け取り、流れるように読み進める。

目が滑る。良くも悪くも大学らしいお堅い文章だ。


「すごい資料です。魔術理論から術式構築までの無駄が一切ない。流石新魔術研究科ですね」


半分褒め言葉であり、半分皮肉だ。


「あら、ありがとう」


だが、ミッシェルは純粋な褒め言葉として受け取ったようだ。

アリシアは資料を片手でミッシェルに返す。


「ところで、アリシアさん。貴女はこの研究室でどんな魔術を研究したいのですか?」


メリッサが様子を見て尋ねてくる。


「そうですねぇ……逆にメリッサさんはどんな研究を?」


メリッサは面食らった顔をする。


「質問を質問で……いえ、なんでもありません。私は寿命の延長をする魔術の研究をしています」


「……寿命の延長? 医療ってことですか?」


「はい。私の為でもあり、兄弟の為に」


「兄弟?」


「私が……いえ、私たちは実はホムンクルスと呼ばれる人造人間なのです」


「ホムンクルス!!??」


アリシアは思わず声を上げてしまう。

研究室中の視線が一点に集まる。

バッと口を両手で塞ぐ。


「シー声が大きいわよ」


「……ホムンクルスってパラケルスス以来、成功した者はいないって話じゃないですか!?」


蒸留器に人間の精液、数種のハーブ、糞を入れ、四十日間密閉し、腐敗させると透明で人間の形をした物質が現れる。

それが、ホムンクルスである。

パラケルススこと、錬金術師テオプラストス・ホーエンハイムが禁忌を破り、生み出した生命とされる。

人体錬成ギリギリの人間の上位互換ホムンクルス。

それが目の前にいる。

頭の上から足の先まで普通の人間に見える。


「ええ、成功はしていません。我らが父、クリストフ・レインはホムンクルスを『生み出す』ことで『人体錬成』に抵触しないという世界の真理の穴を突きました」


淡々と自分の素性を明かしていくメリッサ。その目には光がない。


「不完全なホムンクルスは通常個体と違い禁忌である『人体錬成』の条件に当てはまりません。やつは臆病ですから私たちの身体に不完全な人間の要素を加えました。私たちは生まれながらに身体の一部分が欠損しています」


ほら、とメリッサはおもむろに左手に着けていた手袋を外す。

銀色に輝く義手。かぽ、と音を上げながら義手も外す。

元から存在していなかったような綺麗な肌がそこにはあった。


「……私はまだいい方です。……両腕や両足、その両方、内蔵の一部、中には顔がない子もいました。……すぐに死んでしまいましたが」


「──すみません。そんなこと聞いてしまって……」


「いえ、お気になさらず。この辺りのことは普通の人間にも起こりうることです。大して気にしていません。ただ、一番の問題は私たちは三十歳で死んでしまうことです」


「……な、何故ですか!?」


衝撃の事実にまたもや大きな声を出す。


「なるべく不完全な人間を作りたかったのでしょうあのクソ親は……保険に保険を重ねて……自分が子供を作れないのが悪いのに」


唇を噛み、天を仰ぐメリッサ。

出逢って数日だが、ここまで感情を出す彼女を初めて見た。


「本当に……三十歳で死んでしまうのですか?」


「ええ、例外なく」


アリシアは頭を抱える。


「…………今幾つですか?」


「ええと……今年で二十七? になりましたね」


「え! ? じゃあもうすぐじゃないですか!?」


「ええ、でも大丈夫です。私が死んでも弟たちが研究を継いでくれるので。……大丈夫です」


メリッサは少し悲しそうに呟いた。


「そんな……」


アリシアはそんな彼女の様子を見て何か自分にもできることはないかと思った。


「それで、アリシアさん。貴女はどんな魔術を研究したいのかしら?」


ミッシェルが、メリッサのことなど微塵も気にしていない様子でアリシアに問いかける。

アリシアはミッシェルの無神経で薄情な言動に不快感を覚える。


「私は……まだ決まって……ない……です……」


言える訳がない。

メリッサの崇高な志を聞いた後に私利私欲の魔術研究など言える訳が。


「そ、研究室は毎日九時に開いてるから来たい時に来なさい」


とミッシェルは言い、学生たちとの研究に戻って行った。


───────────────────


入学式が無事に終了し、寮へと戻る。


「ちょっと待ってよ〜アリシア〜」


駆け足で向かってくるこの少女はエレナ・ベイカー。実技二位、筆記二位、総合成績二位の秀才。

年齢は十六歳。入学生の平均年齢が二十一歳であるため、彼女も世間一般的に言えば天才と呼ばれる存在である。

入学式の席が隣になり、話しかけてきたため友達になった。

彼女もアリシアと同じく新魔術研究科であり、研究室は違うが情熱のあるところだそうだ。


「ねぇアリシア? アリシアはなんで魔術大学に入学しようと思ったの?」


「……『蒼すぎる空』って知ってる?」


ここまで誰にも打ち明けてこなかった本当の目的を口に出す。

別に隠していた訳ではないのだが。


「『グランドブルー』? ……あ! 知ってるよ! 透明ででっかいクジラのことでしょ?」


「私はそれが見たくて入学したの。だって魔力量がこの世の全てを合わせても半分にも満たないんだってすごいと思わない? 」


自分の得意な分野でヒートアップするアリシア。


「そ、そうなんだ……」


アリシアの熱に少しだけ押されるエレナ。


「あ! ご、ごめん……私だけ熱くなっちゃって……」


熱くなってしまい距離感を間違えてしまったことを反省する。


「え? あ、いや、大丈夫! 」


「エ、エレナは確か魔術を医療に応用したいんだっけ……?」


「そう! 外傷を癒す魔術はもう既に開発されているけど、心臓だったり胃だったりの内部の不具合を治す魔術って実はあまりないの。研究自体は何十年も行われてるんだけどなかなか認可が降りなくてねぇ……」


認可が降りないのには訳がある。

一つ目はは魔術に対する偏見だ。十年前の魔王との影響で魔術は、「人に危害を加えるものである」と多くの人々に誤解されている。

二つ目は精密な動作が難しいことである。術式を用いる魔術は与えられたことしかできない場合が多い。

要は単純に魔術に命を預けるには心細いということだ。


「まぁ……偉い人がこんだけ頑張ってもできないなら私にも無理かもねぇ……」


ベイカー家はアメリカ魔術界としては最近力をつけ始めたルーキーだ。

経験も技術も他と比べて半歩劣る。


「弱気になっちゃダメだよエレナ」


アリシアはそれを知っている。だからエレナの言うことに否定しない。

アリシアは魔力の可能性を信じている。

エレナが失敗しても志同じくする者が必ずやり遂げるはずだ、と。


「……ん? あれは?」


女子寮へ行く通りに何やら困った様子の警備員がいた。


「どうしましたか?」


エレナが彼に話しかける。

彼女のコミュ力には感服する。

警備員の格好をした顎髭を生やしたの男。見たことはない。だが、それは自分が一年生だからだろうと、自分を納得させる。


「おお、これはいい所に来てくれたね。実は教員宛の手紙をうっかり落としてしまってね。女子寮の方に風で流されてしまったんだ。入らせて貰ってもいいかな?」


「あー! それなら──」


「駄目。エレナ、どんな理由でも女子寮に男の人入れてはいけない。忘れたの?」

女子寮には何人たりとも男を入れてはいけない。


この人はなにか理由をつけて寮に侵入し、なにかをしようとしている。


「あ、そっかそっか! ごめんなさい! 私たちが取りに行くからどこに運ばれて行ったか教えてくれますか?」


「なら……あそこの街灯の近くの花壇に飛んで行ったはず……」


「分かりました! 取ってきまーす」


残された警備員とアリシア。

二人の間に不穏な空気が流れる。


「……ここに勤めて長いんですか?」


アリシアが口を開く。


「ええ、もう五年になるのかな?」


「へぇ、初めましてですよね? 何日か朝、散歩してますけど会ったことなかった気がします」


「そうですかね……私は何度か見掛けたことがある気がしますが……まぁ人の記憶に残らないタイプの人間とよく言われますので」


「ほう……」


疑惑が増していく。

アリシアは記憶力は良い方だと自負している。 そんな自分が忘れているなんて有り得るだろうか。


「見つからないです!! ねぇアリシアも一緒に探してよ!!」


エレナが花壇を穴が空くほど見ながら叫ぶ。


「ほら、呼んでますよ」


「……手紙って、風に、運ばれて行ったんですよね?」


「ええ、僕としたことが……情けない話です」


警備員の男は肩を竦める。

その様子からは嘘をついているようには見えない。

だが、違和感がアリシアの頭の中にこびりついている。


「……この場所、実は大規模な結界が張られているらしく、晴れや曇りはあれど雨や雪はないんですよ……正しくは入ってこないんです」


「……らしいですね」


「結界魔術で展開された結界は室内と同じ扱いになるんです。つまり、風は発生しないんですよ」


「ええ、だから誰かが風の魔術を放ったのではと」


「魔術の使用は九時から二十四時の間のみ許可されています。今の時刻は八時五十八分。それに新入生と在校生はみな入学式に出席していました」


アリシアは早口で捲し立てる。

魔術大学は九時から二十四時の間は魔術の使用ができない。そういった制限がされている。

時間になると結界が魔力を放出する。高濃度な 魔力の圧力により、術式にエラーが起き、魔術が使用できなくなる。

『妨害術式』と呼ばれる『技術』だ。


「驚いた……君のようなガキがアメリカにまだいるとはね……どうやら僕は運が悪かったようだね……」


「おじさん何者……?」


「しがない警備員だよ!」


男はどこからともなく拳銃を取り出しアリシアに向けて構える。

アリシアは男の目を見て離さない。

彼の腕時計は九時丁度を指している。

今にも引き金が引かれるその瞬間。


「ダメェ!!!!」


エレナの叫び声。

彼女は男に向かって手のひらを向けている。

男は自分の身体が急激に重くなるのを感じるのと同時にエレナの方向へと振り返り銃を撃つ。

放たれた弾丸はエレナの左脇腹に小さな風穴を空けた。


「……ッ!!」


エレナは空いた穴を咄嗟に抑える。


「……チッ」


エレナの魔術が解除される。

しかし、周りには銃声を聞きつけた魔術師たちがいつの間にか集まっていた。

分が悪いと判断したのか男は大衆の中へと凄まじい勢いで走り出す。


「逃がさない……!」


アリシアは魔弾を構えるが人が多く撃つのを躊躇する。

その隙をつかれ、男の姿は人混みへと消えていった。


「チッ………エ、エレナ!」


撃たれた彼女の方へと目を向ける。

脇腹を抑え、蹲るエレナ。


「エ、エレナ……」


アリシアはエレナに近づく。


「あ、あはは……撃たれちゃった……け、結構銃って痛いんだね……」


痛みに耐えながらも笑顔を絶やさないエレナ。

すると救護班が駆けつけてくる。

誰かが既に呼んでいたようだ。


「弾が貫通してくれたのと当たり所が良くて助かりました。処置は終わりましたが安静にしていてください。この後、救護室へと向かいます」


救護の男が冷静にエレナに話しかける。

手際よく処置を終わらせた男は担架にエレナを乗せる。

エレナはこくりと頷き返事をする。


「ね、ねぇなんで私を助けたの……? だってまだ出会ってから一日も経ってない……」


「あ、あれ? 私、てっきりもう友達になったと思ってたんだけど……」


アリシアはハッと息を飲む。


「夢を……語り合ったならもう友達じゃ……ない? と、友達を助けるのに理由はいらないよ……?」


「……!」


自分が読んできた本の主人公たちも同じようなことを言っていた。

所詮は一小説の、フィクションの綺麗事だと。 そう思っていた。


「担架通りまーす。道あげてくださーい!」


エレナは担架で救護室へと運ばれて行った。


「……はぁはぁ……ゴホッ……ゴホ……な、何があったのですか?」


騒ぎを聞きつけメリッサが人混みを掻き分けてきた。

走ってきたのだろうか息が切れている。

アリシアは今起こったことを事細かに説明した。


「侵入者ですか……それも女子寮に入りたいと……ふむふむ……変態さんなのかな?」


冗談を言ってアリシアの心を軽くしてあげようとする気概が伺える。


「……変態ならまだ良かったですよ。相手は銃を使います。しかも、あの動きと反応速度、相当な手練です」


冗談など言っている暇などないと突き放したように話を続けるアリシア。


「そして、まだこの大学の敷地内にいる、と」


それをメリッサも察したのか真剣な表情になり、顎を撫でる。


「はい」


「それは怖い。恐ろしくて夜も眠れなさそうですね。……三日、いや一日だ」


「?」


すう、と息を吸ってから大きな声で演説をするように大衆へ呼びかける。


「犯人は一日で見つけ出して追い出します! そして、適切な処罰を受けさせ、牢屋にぶち込みます!! !」


野次馬たちは盛り上がる。


「流石! メリッサ寮長!」


「カッコイイ!!」


「伊達に八年間留年してるだけあるぜ!!」


衝撃の事実にアリシアは驚く。

何をしたら八年留年できるのだ。


「は、八年間留年……?!」


思わず口に出てしまった言葉に慌てて口を抑える。


「ゴホン……八年間留年してるのは研究のためです! 第一! ただ単に留年してる人間が寮長になれる訳ないでしょう! あと犯人探しは私たちだけで行います! 勝手な真似はしないように!」


顔を赤くするメリッサ。

なるほど、愛されているのだなと感じた。

はーい、と思いの外聞き分けの良い学生たちに拍子抜けする。


「絶対犯人探ししますよこの子たち……アリシアさん、貴方も余計な真似はしないように」


「は、はい」


メリッサはスマホを取り出し、どこかへ電話をかける。

そして、そのまま寮へと戻って行った。

アリシアも救護室へと向かった。


─────────────────────


救護室には白衣を来た救護の先生がいた。


「エレナはいますか?」


「さっきの子の友達? その子ならそこのベッドで寝てるわよ」


カーテンを開け、エレナの様子を伺う。

エレナはベッドで毛布にくるまり、ぐっすりと寝ていた。


「寝てる……」


「なんかずーっと気張ってたみたいよ。まぁ入学式の後にこんなことに巻き込まれたら誰だって夢の世界へ逃げ出したいものよね」


気持ちよさそうな寝顔を見てアリシアは少しほっとした。


「帰ります」


「あら、置いてっちゃうの? 薄情ね」


「すみません……やることがあるので」


アリシアは足早に部屋を出る。

エレナは強い子だ。魔術は人を守るためにあるということを身を持って教えてくれた。

今日は充実した一日だった。

翌日、警備員の格好をした男が校舎裏の物置で気絶しているところを発見された。


─────────────────────


さらに翌日。警察官と中年の魔術師が現場で検証を行っていた。


「医師の検査によると大脳が正常に機能しておらず、意思疎通ができない状態。所謂、植物状態であると。しかし、外傷はなく、植物状態に至った経緯が全く分からないそうです」


若い刑事が中年の魔術師に状況を説明する。

ご苦労、と魔術師は言い、さらに続けて


「ここからは我々魔術師の領域だ。進展があれば報告する。君の方も奴に何かあれば随時報告してくれ」


「分かりました」


報告を終えた刑事は元の自分の仕事へと戻って行った。


「何か分かりましたか? ミスター・ヘンドリクセン」


ヘンドリクセンと呼ばれた魔術師は声のする方へ振り返る。

ミッシェル・ブライトがそこにいた。


「いーや、何も。戦った跡さえなければ、これをやった奴の足跡すらない」


「被害者? の名前は分かったの?」


「あぁ、あいつの名前はヴィンベルク・ワインショット。一九九一年四月四日生まれ。出身はイギリスのリバプール。父親はスナイプの銀メダリスト。二十歳の時に雷に打たれて魔術に覚醒だとさ。『境界』の所属魔術師のデータベースにあった」


「『境界』? 貴方と同じじゃないの!? 境界は何で女子寮に忍び込もうとしたの!?」


ミッシェルが耳元で叫ぶ。

思わずヘンドリクセンは耳を塞ぐ。

ヘンドリクセン自身も所謂、"上"の立場ではあるが、今回の件に関しては何も知らない。


「し、知らねーよ! 上の考えてることなんか分かるか! お前らと違って一枚岩じゃねーんだよ!」


耳を塞ぎながら言い返すヘンドリクセン。


「じゃあこの事件はこの人が勝手にやったって事?」


ミッシェルが不安そうな顔をする。


「まぁ待て、まだ監視カメラは見ていない。奴らが『技術』『スタイリッシュ・ムーブ』を使用していなければ手がかりが写っているはずだ」


奴らと言ったのは、ヴィンベルク・ワインショットと、そのヴィンベルクをやった犯人を総じて言っているからだ。

名乗り出ていない以上、ヴィンベルクを再起不能にした犯人も第三陣営の侵入者である可能性が高い。

『スタイリッシュ・ムーブ』とは魔術とは異なる『技術』の一つであり、極限まで圧縮された魔力は透明になるという性質を活用した『技術』。体内を循環する魔力の動きを加速させ、魔力濃度を濃くすることで透明化することを可能。諜報活動や潜伏に主に用いられる。

『技術』自体、魔術師には邪道として扱われることが多いが、近年では再評価されつつある。


「あ、それなら……」


と、ミッシェルは何かを取り出そうと自分の鞄を漁り出す。

およそ十インチのタブレット。

ミッシェルは慣れた手つきで液晶を操作し、画面をヘンドリクセンに見せる。


「監視カメラ……か? これ? なんか違和感あんな」


「これは別に大したものじゃないわ。ただの監視カメラをAIで補正しただけよ」


「へぇてっきり魔術でなんかやってんのかと思ったぜ」


「ここの魔力も有限じゃないのよ。……これね。それじゃあ事件があった時間まで巻き戻すわ」


カメラの時間を遡る。

すると昨日の十九時三十分が過ぎたところで男の姿が現れる。

男は辺りを何かを探すように動き回り、直ぐに物置の中へと入っていった。

そこからの動きを倍速にして再生する。

二時間経過した時、物置の扉がスっと開く。


「出てくるか……?」


その後直ぐにヴィンベルクと思われる男がうつ伏せに倒れ、その頭だけが開いた扉に現れた。


「……何が起こったんだ?」


「さ、さぁ……」


「やはり、『スタイリッシュ・ムーブ』か」


「でも、完全なものでない限り足跡は消せないんじゃ?」


『スタイリッシュ・ムーブ』は基本的に不完全状態で使用する。完全にしてしまうと星が透明になった人間を認識できずに落ちていくからだ。地球の中心へと。


「ああ、だから『スカイウォーク』も使ってるんだろうよ。てめーら固有魔術師は知らねーかもしれんが術式がなかった時は技術で魔術師を出し抜く、魔術を展開させる前に暗殺するってのがセオリーだったんだ」


「……『スカイウォーク』って何なのよ……」


「……『スカイウォーク』は……簡単に言えば魔力で自分の足元に架空の足場を作るんだ。どんなところにでも身体が触れてさえいれば作ることができる。完全な『スタイリッシュ・ムーブ』から脱出するために作られたとも言われてる。……なんで『スタイリッシュ・ムーブ』は知ってて『スカイ・ウォーク』は知らねんだテメェ」


ヘンドリクセンはヴィンベルクを襲った犯人は 『スタイリッシュ・ムーブ』で接近し、何らかの魔術で再起不能にして『スカイウォーク』で逃げたと予想する。


「まぁこの話はこれで終わりだな。『スタイリッシュ・ムーブ』を使用された時点で解決は無理だ。迷宮入りってやつだ」


ヘンドリクセンは立ち上がり、腰を伸ばす。


「ちょっと!? こんな危険なことをする人間が敷地内にいるかもしれないのよ!? 野放しにする気!? 」


「どっちかって言えば、このヴィンベルクって奴の方が危険だった。この技術師は危険を排除しただけだ。誰かがやらなければならなかったことを死者を出さずにこいつはやった」


「……ッ! それでも私は教師よ……学生たちの安全を守るために危険因子は排除しなければならない……!」


「……好きにしろ。だが、お前の行動が学生たちを危険に晒すかもしれないことを忘れるな……もしかしたら犯人はお前んとこの学生かもしれねぇけどな……お前んとこに『技術』の使い手はいねぇか?」


ミッシェルはヘンドリクセンの目を見つめる。

永遠とも感じられる数秒の緊張を解いたのはヘンドリクセンの携帯電話の着信だった。


「……もしもし。俺だ」


『もしもーし? ヘンディー?私私アカリだよ〜』


電話の向こうからは若い女性の声。所々違和感はあるが流暢な英語。


「おお、着いたか」


『うん! そんでさぁ〜迎えに来て欲しいんだよねぇ空港まで』


「………………分かった。三十分はかかるがいいか?」


『おーけぇ』ブツッ……


一方的に電話は切られる。


「……俺は協力しない。何故ならまだ仕事があるからだ。その代わり、俺の友達がここに観光に来る。なんかあったらそいつに頼れ」


「貴方よりも優秀なの……?」


「ああ、あいつにできないことはない。この世界で一番頼りになる奴だ」


ヘンドリクセンはミッシェルに背を向け、現場から離れていった。


「『技術の使い手』……か」


─────────────────────


「はめてまして……お名前は?」


ミッシェルは目の前の女性に話しかける。

ミッシェルよりも大分小柄で華奢な女性。肩にかかるぐらいの比較的短めの黒髪。女性と言うよりも少女といった印象。


「アカリ・ササキ。好きな食べ物はクッキーアンドクリーム。好きな色は青。嫌いなタイプは自分は名乗らずに先に人の名前を聞いてくる女」


アカリは道中で買ってきたであろうスムージーを飲みながら不機嫌に答える。

初対面からエンジン全開のアカリに少したじろぐミッシェル。


「あ、ごめんなさい。私はミッシェル・ブライト。ここで教授をやってるわ。……アカリ・ササキ……聞いたことがある気がするわ……」


日本はアメリカとは違い、姓が前に来ると聞いたことがある。

──ササキアカリ……ヘンドリクセンの友達……境界……まさか……


「ササキアカリ……もしかして……『切札』って貴方のこと?」


「あんまりその呼び方好きじゃないかも」


魔王との戦い以前まで覇権を握っていた覇山律、『英雄』戦場霧矢の死後、彗星の如く現れ、多くの功績を残し、多くの魔術師の自信を喪失させ、引退に追い込んだ名実ともに日本最強、否、世界最強と名高いと噂のあの……佐々木朱里。

それが今目の前にいる。

意識してしまうと皮膚で感じる圧。圧倒的格上であるという魔力の波動をひしひしと感じる。


「な、な、何故こんな所に、いるのですか……?」


「やめてよね。ミッシェル・ブライト……ただの観光だよ」


「か、観光でこんな所に……?」


「うん。だから案内よろしく」


「わ、分かりました……」


自分よりも圧倒的に歳下、小柄、華奢、経験も 技術も術式魔術も絶対に負けない自信があるのに、萎縮してしまう。

まるでヘッドライトの中の鹿、ヘッドライトどころではない。太陽の中の鹿。


「こ、こちらへどうぞ……」


ミッシェルはアカリを大学内へと案内する。


アカリはパーカーのポケットに手を突っ込みながらついて行く。


「なーんにもないんだね。もっと美術系の大学みたいな学生の作品が置いてあるのとか想像しちゃった」


「え、ええ、すみません……」


「謝んないでよ。別に怒ってる訳じゃないから」


「こ、ここが私たちの研究室です。い、今は反重力魔術について研究しています」


研究室には数名の学生が術式を作動させている。


「ミッシェル先生。この方は?」


一人の学生がアカリを見て訊ねる。


「こ、この人は───」


「はじめまして。私は佐々木朱里。よろしく」


「ササキアカリ? ……ってあの!?」


アカリはいつもと変わらない反応にため息をつく。

名乗っただけでザワつく教室。

注目はやはりササキアカリ。好意と恐怖と畏怖と嫉妬の入り交じる目がアカリに刺さる。


「え、ええそうよ……あのササキアカリ」


「そんなこといいから研究資料見せてよ。多分分からないだろうけど」


「え、で、ですがこちらまだ未完成ですし、それに、えーと企業秘密と言いますか……」


「そんなの完成したら世に発表するんでしょ? いいじゃない。プロトタイプとか好きよ私」


渋る学生とは対照的にアカリは全く意に介さない様子で要求する。


「ミ、ミッシェル先生? どうしたら良いでしょう……」


「……見せて差し上げなさい」


「は、はい……」


学生が資料を持ってきてアカリに手渡す。

アカリは片手で資料を受け取ると、ペラペラと絵本を読むようにページを捲る。


「ど、どうですか……? 成功しますかね……?」


学生の言葉にピクっと反応する。


「……君、君ははなから”できない”と思ってこの資料作ったの?」


「い、いえ……そういう訳では…………」


「残念ながら良い資料とは言えない。何故なら私には分からないから。けど、自分の研究に自信を持て。できないと思っていると本当にできなくなるよ」


「は、はい」


アカリは片手で資料を学生に返すと、ミッシェルに向き直す。


「失敗は悪いことじゃないってことちゃんと教えた? 謙虚と卑屈は違うからね」


アカリは困ったように笑う。


「すみません……」


作られた偽物の笑顔は一気に本物の怒りの顔に変わる。


「何謝ってんだよ!! あんたがそんなんだから───」


アカリの激昂した声に研究室が静まり返る。

しかし直ぐにやってしまった、という表情に変わる。


「……ごめんなさい」


すると、メリッサが扉を開け、研究室に入ってくる。


「おや、珍しい。お客さんですか?」


メリッサはアカリを見て訊ねる。

ミッシェルの返事を待たずにアカリに近づき、手を胸に当てお辞儀をする。


「はじめまして。私はメリッサ。メリッサ・レイン。ここで寿命延長魔術の研究をしています」


「あ、は、はじめまして……さ、佐々木朱里です」


顔面偏差値高めのお姉さんを目の前にタジタジになるアカリ。

メリッサはこれでもかとじっとアカリの顔を凝視する。

みるみるうちにアカリの顔が赤く染まっていく。先程の鬼の形相とはまた違う。


「アカリさんは何故こんな辺境に?」


「え、えと、か、か、か、観光です!」


厚底ブーツのおかげでいつもより身長が高くなっているメリッサ。

先程まで大きく見えたアカリの身体が今は小動物のように小さく見える。


「よろしくお願いしますアカリ。ごめんなさい面白みのない研究室で」


「い、いえ、とっても楽しんでます!」


「それは良かった」


メリッサはにこっと笑うと右手を差し出す。

メリッサの左手、ちらりと覗かれる銀の義手を アカリは見て見ぬ振りをした。

アカリは右手を差し出し、握手をした。


「ところで、ミス・ミッシェル? アリシアは今日はいないのですか?」


「え、そ、そう言えばそうね」


ミッシェルは研究室を見渡す。


「アリシアならお腹が痛くて休むって連絡来ましたよ」


ひとりの学生がミッシェルに言う。


「昨日は入学式の後に事件に巻き込まれましたからね。神経がすり減っているのでしょう。後でお見舞いに行きます」


「ええ、お願い」


すると、アカリがメリッサに尋ねる

先程とは一転して真剣な顔つきに変わっている。


「事件ってのが女子寮侵入未遂変態魔術師事件の事ね?」


「そうですけど……何です? その長ったらしい事件名」


「変態魔術師女子寮侵入未遂事件の方がいいか」


「どっちでもいいですよそんなの」


メリッサはツッコミつつ、事件の詳細を大まかに語り、ミッシェルが情報の補強を行った。

一通り聞き終えたアカリはなるほど、と言い、持ってきた鞄から水を取り出し口をつける。


「一旦、そのアリシアって子に会いに行こう。十二歳なんだっけ? 優秀とはいえまだまだ子供だ。大人が傍にいてあげないと」


「何か気づいたこともあるかもしれません。ここからの案内は私がやります。ミス・ミッシェル」


そう言うとアカリとメリッサは部屋から出ていった。

研究室に取り残されたミッシェルは重圧から解放された安心感から大きなため息をついた。


─────────────────────


アリシアは自室で昨日から続く腹痛に悩まされていた。

ベッドで横になり、気休めではあるが痛む箇所にバスタオルを巻き付け、気を紛らわせようとしていた。


「ちくしょう……何でこんな……」


天井を見つめながら考え事をする。

徐々に瞼が重くなり、眠りに入ろうとしたその時、部屋のドアがノックされる。


「アリシアさん? お見舞いに来ましたよ」


外からメリッサらしき声が聞こえる。

アリシアはスマホを操作し、部屋の鍵を遠隔操作で開く。

ガチャりと音を立て、女性が二人入ってくる。

一人はメリッサ、もう一人はアリシアとは面識のない人間だった。

黒髪セミロング。アリシアよりも少し身長が高く見える。


「え、えーとどなたでしょう?」


「体調が悪いのにごめんなさいアリシアさん。あたしは佐々木朱里。境界の魔術師よ」


「はぁ……よろしくお願いしますアカリ」


ベッドに横になったまま挨拶をする。


「……で、何の用ですか?見ての通り、とても体調が悪いんですよ。簡潔にお願いしたいです」


アリシアは分かりやすく不機嫌な態度をとる。

アカリはすんすんと鼻を鳴らすと何かを察したかのようにアリシアに言う。


「必要なものがあったら言ってね。買ってくるから、後は、お腹はしっかり温めなさい。カフェインはダメよ。甘いものは平気? 待ってて今、暖かいココアを入れるわ」


マシンガンのように話を進めるアカリに二人は唖然とする。


「え、えーと、アリシアさん。我々二人がここに来たのには理由がありましてね。一昨日の一件覚えていますか?」


「もちろん。怖かったです」


「なら、あの犯人と犯人をやっつけた犯人について何か気づいたこととかあったりしますか?」


ややこしい議題に少し目眩がする。

──犯人をやっつけた犯人を探している?


「……詳細をください。私はあの日のことと犯人が植物状態で発見されたことしか知りません」


メリッサは頷き、事件の詳細を話し始めた。

一通り聞き終え、アリシアは自分が知っている 内容と齟齬がないかを確かめるため、話し始める。


「……まず、奴は手紙が風に運ばれてしまったから女子寮の敷地に入らせてくれと言いました。しかし、奴は五年警備員をしていると言っていたので、この場所で風が吹かないことを知っていないのはおかしいと私が論破した。仮に本当に五年間警備員で風のことを知っていたとしたのであれば比較的無知な私たち一年生を狙って侵入しようとしたのでしょう」


「……そんな賭けしますかね?」


「はい。ですから仮にです」


学生だからと見くびっていたのだ、とアリシアは続けた。


「疑問は残りますが、実際そんなもの本人にしか分かりませんし、ガンマンを植物状態にした理由の方が気になりますよ。……イテテ」


アリシアは痛む腹をさすり、アカリが持ってき たココアを啜りながら独り言のように呟く。


「そうですね。偽警備員をやっつけた犯人が何故殺さなかったのかが疑問に残ります。……いえ、殺して欲しかった訳ではないですが……些か不自然で……」


「大丈夫。分かってます」


アカリがすかさずフォローを入れる。


「一瞬でやられたんですよね? だったらそういう魔術だったとしか思えないです」


「殺さず、外傷も倒れた時に打った頭のみ、かつ敵を完全に無力化。しかも一瞬と来たか」


アカリは顎を撫でる。


「……お手上げです。……少なくとも私にはそんな高性能な魔術聞いたことありません」


魔術大学に八年いるベテランがそう言うならそうなのだろう。

メリッサは大袈裟に両手を広げ、やれやれといったジェスチャーをする。


「……ところで何故私なんですか? 他にも目撃者いたと思うんですけど」


メリッサは少しキョトンとした顔をしてそれに答える。


「簡単な話です。目撃者の中でも一番近くにいましたし」


それに、とメリッサは続ける。


「現在の魔術界において貴方ほど優秀な存在はいません。断言します。一般家庭ながら筆記試験満点での一位。若干十二歳での入学。史上初かつ歴代最年少での合格です。貴方はこれからの魔術師界を変えるきっかけとなる。そんな貴方なら何か他とはない視点で気づくことがあるのではと思ったんです」


アリシアはカップを両手で包み込み俯く。


「すみません……期待に応えられず……」


「そんなことはありませんよ。意見交換することは良いことです」


「そうよ〜気にする事はないよ。挫折も経験。失敗の積み重ねで成功に繋がるんだから」


「……『シッパイハセイコウノモト』ってやつですか?」


アカリはぱちくりと瞬きをする。


「今日本語喋った?! よく知ってるねアリシア!?」


思わず聞こえた日本語に驚きを隠せない。

いきなりの大声に身体を仰け反らせるアリシア。


「あ、ごめん。でもすごい! なんでもできるじゃん!」


「勉強したんです。……読み書きはできるレベルまで、でも話し相手が周りにいないのでスピーキングはなかなか上手くならなくて」


「なら、あたしが話し相手になるよ! 一緒に勉強しよう! メリッサも!」


ココアを飲み終え、カップを洗っていたメリッサは思わず咳き込む。


「わ、私もですか……? ……分かりました」


「決まり!」


アリシアの返事も待たずに決定する勉強会という名の女子会。

しかし、アカリの太陽よりも明るい笑顔を見てしまえば断るなど不可能に等しい。


「あ、もうこんな時間。ごめんね長居しちゃって」


時刻は既に十八時を回っている。

アカリとメリッサが帰り支度を終え、玄関のドアを開ける直前、アカリが思い出したかのように見送りに来たアリシアに言った。


「あ、そういえばアリシア? アリシアには夢とかある?」


「『夢』ですか……そうですね……『蒼すぎる空』」


「『グランドブルー』?」


アリシアは本棚から一冊の図鑑を取り出す『魔獣名鑑』。『領域』で見つけたものをこの世界でも探し出し購入したものだ。

メリッサは周囲が少しだけ寒くなったと感じる。


「はい。簡単に言うと魔力量が多すぎて身体が常に透明になっている鯨です。それを見たい。この目で」


付箋の貼られているページを開き二人に見せる。

テリトリーに侵入してきた獲物を捕捉し、追走し、貪り食おうとせんとする獣の目。

しかし、アカリはそんなアリシアに一歩も引かない。


「ロマンがあるわね……あたしは花屋さん。メリッサは?」


またもや急に話題を振られるメリッサ。

だが、今回は読んでいたようで間髪入れずに答える。


「私は延命魔術を発明し、兄弟を救います」


「二人ともいい夢ね。よし夢を語り合ったならあたしたちはもう友達だな! これからもよろしく!」


夢を語って友達になりたかっただけなのかもしれない。

何故か満足気な様子のアカリは握り拳を作り、アリシアとメリッサのちょうど中間に差し出した。

メリッサは一泊置いてから同様に拳を合わせる。

アリシアはそれに対して手のひらを広げ突き出す。

じゃんけんのぐーとパーの形だ。


「ちょっと!」


「アハハ! ごめんごめん!」


アリシアはパーにした手をぐっと握り、再び突き出す。


「よーし! じゃあ帰るまたね!」


「お邪魔しました。お大事になさってください」


あまりにもあっさりとした別れの挨拶に拍子抜けする。

彼女たちを送り出す扉が音を立て開いて閉じるの送った。

さて、と依然として痛む腹を撫でながら鍵を閉めようと手を伸ばすが、鍵は既にしまっていた。


─────────────────────


「──だから見たんだって!」


閑散とした食堂でルーク・フォーセリアは二つ下の幼なじみエレナ・ベイカーへ必死に訴える。

ルークはイングランドの没落貴族生まれであり、エレナとは十数年前、幼稚園で出会った。

フォーセリア家四百年の歴史上最も優れた逸材であり、家族、親戚間では『千年に一度の天才』とまで言われている。

それに対して本人は「四百年しか歴史ないのになぁ」と心の中で思っている。

事実その才能は顕著であり、彼はこの大学に実技一位、筆記三位の総合成績一位で入学している。


「多分妖精だと思うんだ。だってさ、曲がり角を曲がったと思ったら急に姿が消えたんだ」


戯言を聞きながらエレナはペットボトルのコーヒーに口をつける。

入学式の後、警備員の服を着た侵入者に撃たれたエレナの傷は完全に治療され、むしろ以前よりも元気になったとさえ思える。


「妖精なんてこんなところにいるわけないでしょ? 最後に観測されたのって確かスコットランドだし、それも三十年前の話よ? 見間違えたんじゃない?」


「いーや? 僕はぜーったい見たぞ。……まぁ妖精かどうかなんて大した問題じゃなくて……大した問題か。世紀の大発見だもんな」


「下手したら魔生物賞受賞ものよ」


熟年夫婦のような相性のあった掛け合いをする二人。

最早腐れ縁とは言いきれないほどの多くの時間を共有してきた。

実際のところ婚約者同士なのでそれもあながち間違いではないのだが。


「まぁ百聞は一見にしかず、だ。ちょっと現場まで行こうぜ」


「現場……ってそんな麻薬取引みたいな」


二人は席を立ち、妖精を見たという場所まで移動する。


「ここなんだけど……まぁ見たところでって感じだよね」


校舎の裏に続く曲がり角。

曲がる前にも後にも特に変わった様子はない。

しっかりと整備された道。


「急いで隠れられるスペースは……ないわね」


曲がった先には校舎の壁と結界の壁。それに挟まれるように幅五メートル程の道。

人が隠れられる場所はなかった。


「だろ? だから妖精だよ。背も低かったし」


「背が低いだけ? 羽とか生えてなかった? 妖精なら飛んで行っちゃったんじゃないの?」


「羽……はなかった気がする。飛んで行ったのか……? いや、空も一応見たけどなんにもいなかった……てかそもそも妖精ならどこから来てどこへ飛んで行くんだ……?」


ルークは顎に手を当て、ブツブツと一人で話を進める。


「妖精じゃないなら……なんだろ?」


「ここって結構丈夫な結界張られてるのよね? 魔獣の類は入れないって話を教授から聞いたわ」


「妖精じゃないなら……人間、か。おそらく内部の」


「ええ、しかも透明になれる人間」


ルークはおもむろに校舎裏を歩き出す。

エレナもそれに着いて行く。

すると、歩いたその先にはキープアウトと書かれたテープが物置を取り囲むように張り巡らされていた。


「……無関係って思えないよね」


「……だな」


二人はゆっくりと現場へ近づく。

そこには警察官と思われる男が警備のために立っている。しかし、その目にはやる気が感じられない。


「ここってなにかあったんですか?」


ルークが尋ねる。


「ん? 知らないの? 一昨日この物置で事件があったんだよ」


「事件?」


チャラチャラとした見た目の警察官は得意気に 話し出す。


「そう事件。あの日、侵入者が現れたってのは知ってる? その侵入者がこの物置で発見されたんだ。そいつがなんと植物状態だったんだよ。怖くね?」


その後もペラペラと詳細に語る男に少し不信を覚えつつ会話を続ける。


「植物状態? 」


「ほんとになんにも知らないんだね君たち。何者かによって侵入者が植物状態にさせられたってことだよ。今も意思疎通できてない」


「何者かって……って、犯人ってまだ捕まってないってこと?」


警察官は怪訝な表情を浮かべる。


「警官の俺が言っちゃ悪いけどさ、侵入者だよ? 負傷したって子もいたみたいだし、一件落着じゃないの?」


「それはそうだが……」


ちらりとエレナを見る。

エレナは既に痛みの消えた左脇腹を抑える。


「まぁ、気になる気持ちは分かる。こんなことできるやつが身近に潜んでいる可能性があるってのは怖いよね」


二人の表情を見て警察官は頭を搔く。


「あくまで可能性だよ。俺たち警察官も捜査してるし、もちろん『CS』も、なんなら『境界』のお偉いさんも来てるらしいし、君らが心配する必要はないさ」


「そ、そうですよね……」


強がるように笑うエレナにルークの心がざわめく。


「そうだ! ここで話したことはなるべく秘密で、結構話しちゃいけない内容もいったから。……でも、最後に一つだけ……実は犯行に使われたと思われる拳銃が見つかってないんだよね」


途端に嫌な空気に変わる。


「え、それって」


「そう。侵入者をやった犯人は拳銃を持っている可能性が高い。それだけで探す価値があると思うよ。……絶っっ対、首突っ込んじゃダメだからね!」


ルークは何も言わずに来た道を戻っていく。エレナもそれに着いて行く。

角を曲がり、警察官が見えなくなったところでルークが口を開く。


「……なぁ、あれお前が撃たれたってやつだよな? 事情聴取も受けたって言ってた」


「……うん。銃がないって言ってた……怖いよ」


自らの身体を抱く。その身体は僅かに震えている。

誰かが解決してくれたと思われた事件。しかし、それは善意か、はたまた悪意か。

常に命の危険に晒されている。

たかが拳銃一本。だが、手に渡ったのがヴィンベルクのような手練であるなら。


「……僕がやる。……確か警備員室に学校全体の監視カメラがあったはずだ」


「わ、私もやるよっ!」


ルークはエレナの返事に頷く。

エレナは自然とルークの左手を握る。ルークもそれを握り返す。


「行こう」


握った手を離さないように、二人は警備員室へと向かった。


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「監視カメラ? ダメだよぉ今の映像ならまだしも過去の映像なんて」


少し太ったアジア人の警備員がドーナツを片手にルークたちの願いを拒否する。


「そこをなんとかできませんかね……?」


「そこをなんとかって言われてもねぇ……じゃあそこのお嬢ちゃんがおじさんの言うことを聞いてくれたらいいよ」


ルークには目もくれず、エレナの身体を舐めまわすように見る。

ルークはその言葉に殺意が沸く。次に口を開いた瞬間に首をはねとばす。

そんなルークをエレナは静止する。


「な、何が望みですか……?」


「うーん……じゃあ肩叩いてよ」


「は? 肩?」


思わぬ言葉に二人は言葉を失う。


「そ、ほら早くして」


警備員は回転椅子をくるりとさせ、スムーズにエレナに背中を向ける。


「……おじさんねぇ君ぐらいの娘がいたんだ。反抗期で口も聞いてくれなかった」


「そ、そうなんですね……」


肩を叩きながら適当に相槌を打つ。

ルークは腕を組みながら壁にもたれ掛かり、警備員を睨みつけている。


「だけど、いくら目に入れても痛くなかった。……肩叩きなんかはよく小さい頃にやりたいやりたいって言うもんだから毎日やってもらったんだ」


警備員は二人の様子に気づくことなく話を続ける。

しかし、次に口を開けたのはエレナだった。


「……娘さんは今何をしてるんですか……? 」


「 ……おじさんがこの仕事を勤めるようになったのは今から十年ぐらい前なんだ。娘はその時十一か、十だったかな? 『CS』からの要請だったんだ」


エレナは肩を叩きつつ、静かに聞く。


「見ての通り、真面目が取り柄だからね。それだけで選ばれたんだよ。断る訳にもいかないから仕方なく了承したんだ。……家族を日本に置いてね。……あぁおじさん日本人なんだよ。もちろん定期的に連絡は取ってたけどね」


楽しそうに話していたのが一変、空気が重くなる。


「……娘の……リツの誕生日だったんだ。忘れもしない五年前、十六歳の誕生日だ、いつも通りにお祝いをして次の週に日本に行くと約束をしたんだ……そしたら……三日後、リツが娘が死んだって……妻から」


エレナは驚きのあまり手を止める。

ルークも同様に驚きからか目を見開いている。


「片目がくり抜かれていたらしい……爪も剥がされ、歯も数本しかなかった。髪の毛は半分燃えていたと。それでいて死因は溺死だそうだ」


手で口を覆うエレナ。最早言葉など出ない。


「復讐を、しようと思ったんだ。だが、数日後に犯人が捕まったと知らせが来た。……やるせなさで胸がいっぱいだったよ。……しかもあんなに酷いことをしておいて死刑にはならなかった」


許せない、と先程までの穏やかな話し方から一変、どこか圧のある重い話し方になる。


「私が許せないのは奴らがまだのうのうと牢獄で生きていることだッ……」


「そ、そんな……」


警備員はタバコを取り出し、火をつけようとする。しかし、エレナとルークの二人を見てライターを胸ポケットに仕舞う。


「……肩、ありがとう。監視カメラは自由に見るといい」


「な、何故この話を私たちに……?」


「さぁね……強いて言うなら君が娘に少しだけ似てたからかな?」


「復讐はしないのか? 日本に行ってそんな外道たちに怒りの鉄槌をお見舞いしてやらないのか?」


ルークが煽る。だが、その目は人を馬鹿にしたような目をしていない。

ルークは昔から共感性が高い。だから、彼の娘がされたことを怒っているのだ。

警備員はゆっくりと首を振る。

「もう疲れてしまったよ」と、警備員は部屋を出ていった。

残されたルークとエレナは話をしていた間に用意されていた監視カメラの映像を見る。

映像を戻す。時間は入学式の日の夜。

しかし、この場所へ来る人間は件の警備員を除き怪しい動きはしていない。

ましてや事件のあった倉庫に近づいてさえいなかったのだ。


「手がかりはなさそうね……そうだ! ルークが見た小さい子? って監視カメラに映ってないかしら?」


「でも僕が見たのは午後四時頃だ。こいつがやられた時とはあまりに離れすぎている」


「他に怪しい人いないし、本当に妖精だったらカメラに映らないはずでしょ?」


エレナはルークの返事を待たずに映像を巻き戻す。

カメラや鏡に映らないことが妖精の特徴の一つ。


「お、ここだ」


カメラには小さな女の子が映っている。


「そうだ! 僕が見たのはこの女の子だ! この服の柄も、歩き方さえ覚えている!」


興奮するルークをよそにエレナは先程とは打って変わって神妙な面持ちをしている。

妖精の姿には見覚えがあった。

入学式、首席合格したルークは新入生のスピーチで緊張し腹を下したため、エレナと共に帰ることはなかった。

その代わりにエレナは入学式で隣の席になった 女の子と帰ることにした。

名前は───


「……アリシア」


蚊の鳴くような声にルークは気づかない。

カメラに捉えられた横顔はあの日、一緒に寮に戻り、一緒に侵入者と戦ったアリシア・プラウラーであった。

アリシアが校舎裏へ消えた数秒後、背の高い男がその後を追っていく。ルークだ。


「お目当てのものは見つかったかな……? 何について調べてたか聞いてもいいかい?」


気がつくと先程の警備員が後ろに立っていた。


「……ええ、構いません」


ルークが返事をする。


「僕たちは入学式の日にあった女子寮侵入未遂事件の犯人……を再起不能にした犯人を探しています……前者はここの警備員だったそうですね……しかも五年勤めていたと」


「……ああ、ヴィンベルクか。あいつはおじさんと同じ『境界』の人間だよ。上からの命令を絶対遵守する真面目なやつだ。別にまさかあいつが……みたいなのはないよ。良くも悪くも信頼しているからね」


「つまり、『境界』の上層部からの命令に従っただけだと言いたいのですか? あなたにはその命令は来てなかったのですか?」


「質問はひとつずつにしてくれると助かるなぁ。……まず一個目、十中八九そうだろう。勝手なことするやつじゃない。何も言わなければ毎日一日十何時間も門の前に立ってる男だ彼は。そして二個目、私には来ていなかった。嘘だと思うだろ? しかし事実だ。信頼されていなかったんだろうな」


違う。とルークは気づく。


信頼されていなかったのではなく、信頼されすぎているのだ、と。

信頼されているからこそ、危険を犯させないのだ。

──何者だこのじじいは……。


「あんた……名前は?」


一瞬キョトンとする警備員。

しかし、直ぐにさっきまでの朗らかな顔に戻る。


「そうか……自己紹介、してなかったね……私の名前はシラハマキョウイチ。君は?」


「ルーク。ルーク・フォーセリア。……シラハマキョウイチ……覚えておくよ。もしかしたらまた世話になるかもしれないし、世話するかもしれないからね」


キョウイチは口を大きく開け笑うと、「私も覚えておく」と言った。

ルークはいつもなら「失礼なことを言うな」と、注意してくるはずのエレナが何も言わないことに気がつく。

エレナの顔は苦虫を噛み潰したような渋い顔をしている。


「ど、どうしたエレナ?」


エレナはちらりとルークを見ると直ぐに画面に向き直し、口を開く。


「……これ私の友達……かも、アリシア・プラウラー。ほらあんたと私に次いで総合三位の」


「あー見たことあるかも」


絶対覚えていないルーク。無視するエレナ。


「私、この代の合格者の実技試験の映像全部見たんだけどこの子だけ術式使ってなかった! この子だけ『魔術』じゃなくて『技術』使ってた!」


「なるほど『スタイリッシュ・ムーブ』か……」


二人の話についていけないキョウイチ。


「何の話をしているんだい?」


「知らないのかキョウイチさん。『技術』だ。一般人が魔術師に対抗すべく作り出した文字通り技術だ」


キョウイチしかり、ミッシェルなどの世代『技術』をよく知らない。

理由は主に三つ。

日本で古くから発達した魔術師殺しの技術であること。

そして、その存在がつい最近まで秘匿にされていたこと。

ただのリサーチ不足であることだ。

近年では『魔術師殺し』や『影修羅』といった『技術使い』が魔術界に名を轟かせたため、余程の関心がない限りは知っているはずなのだが。


「……まぁ決定的な証拠って訳じゃあないな。だってそうだろ? 倉庫で事件が起こったとして数時間その倉庫の中にいたってことになる。しかも『技術』であんな風にはできないはずだ」


「私たちはあの子のことをまだよく知らない。何時間も何もないところで耐える忍耐力があるかもしれないし」


「じゃあなんだ? 鉄砲マンがここに来るって予想してずっと待ってたってことかよ」


「そうとしか考えられない。……もしかしたらとんでもない魔術を隠し持っているかも」


「お前って変なとこ馬鹿だよな」


このままでは拉致が開かない。ルークは頭を搔く。


「じゃあエレナ、お前はアリシア・プラウラーを調べろ。僕はこの学校に登録されている魔術師のデータを調べあげる」


ルークの提案にこくりと頷く。


「キョウイチさん助かりました。ありがとうございます」


エレナは椅子を引いて立ち上がり、お辞儀をした。


「いや、どういたしまして……困ったらいつでも来なさい」


「キョウイチさんの方こそ」


軽く抱擁を交わし、二人は警備員室を後にした。

それから三ヶ月が経過した。


─────────────────────


アリシア・プラウラーの目的は『蒼すぎる空』を見ることだけではない。

ゆくゆくは吸収することである。

アリシアの魔術は領域魔術の中でもより高度な『新しく世界を創る領域』である。

過去から現在に至るまでの書物。そして世に出ていない書物までがその領域に保管されている。人間が創作を辞めない限り無限に増え続けるため、その領域の大きさは地球と同等の規模、否、それ以上あると考えられる。

最初こそ展開時少し疲労が溜まる程度だったが、今は十分程の休憩をしなければならなくなってしまった。

地球上の生物をまとめたとして『蒼すぎる空』の魔力量には半分にも満たないことを知ったアリシアはその強欲さから気の済むまで魔術を使用しようと考えたのだ。

よって、アリシアは生物から魔力を吸収する魔術、技術を会得するために大学に入学した。

しかし、よくよく調べてみると吸収魔術は魔術師からの風当たりが悪いらしい。

その魔術は上位の悪魔が使用していたと言われているらしく、忌み嫌われていると。

そのため、大学で満足に研究ができないかもしれないと思ったが事は既に後の祭りであった。

仕方ないのでこっそり一人で実験できる場所を探し、校内、校外を他人にバレないようにウロウロしていたところ侵入者ヴィンベルクと鉢合わせてしまったのだ。

犯人が倉庫で息を潜めていることを『スタイリッシュ・ムーブ』ですり抜け、視認したアリシア。

まさかこんなところにいるとは思わずびっくり、一度は見逃したものの、数時間後戻ってきたらまだいた。

他に良い場所が見当たらず、仕方がないのでどいてもらおうと解除した瞬間。

目と目が合う。

まさに青天の霹靂。

気を張りながらもやっと気を休めることができたヴィンベルク。

両者の視線が交わる。コンマ数秒の間。

口を開けようとするアリシア。

懐に手を入れるヴィンベルク。

これから彼が何をするのかを察したアリシアは右手を銃の形にし、ヴィンベルクへと向ける。

それはあくまで無意識で何となくそうすれば良いと思ったアリシアの勘だった。


「バンッ!!」


ヴィンベルクが愛銃を取り出すよりも早く、アリシアは開戦の合図を唱えていた。

瞬間──白い光が二人を包み、四方八方が本棚で囲まれた新世界が構築された。

アリシアはこの時初めて領域内に人を招き入れることができるということを知った。

通常、領域魔術使いはここぞと言う時にしかその魔術を使用しない。領域に誰かを招き入れるという行為は自分の心の中をさらけ出すのと同義だ。

古今東西、例外なく領域魔術師の性分なのだ。

だからこそ今、アリシアにはヴィンベルクを葬り去るという強い意志があった。

一方のヴィンベルクは突然現れた奇っ怪な図書館を前にしても対して動揺を見せることはなかった。

それよりも領域に呑まれる直前、自らの魔術が発動しなかったことに疑問を覚えていた。

アリシアはそんな様子のヴィンベルクを置き去りにし、果てしなく伸びる螺旋状の階段を駆け上がっていく。


「高い方が有利だってばあちゃんが言ってた……!」


魔術を使用したことで呼吸が浅く、荒くなるが、そんなものは気にせず懸命に足を動かす。

どこから酸素が生み出されているのか、二酸化炭素が吸収されるのか分からない空間。

いくら走ったとしても疲れることはない。ふと気づくタイミングで呼吸が安定するからだ。

一心不乱に体力が戻るタイミングまで走り続ける。

ヴィンベルクの放った銃弾が顔を掠める。自分で死ぬことはあれど、他人に殺されたことはない。

直観的に感じる死。

殺られる前に殺らなければ。


─────────────────────


それから三時間程、走り続けるアリシア。そしてそれを追うヴィンベルク。

いくら走っても肉体に疲労が現れないことにヴィンベルクは恐怖を覚えていた。


「俺より圧倒的にガキだってのになんで追いつかねぇんだ」


いくら走っても、ギアを上げてもアリシアに追いつかない。

当たり前だ。歴が違うのだ。

アリシアはこれまでに何十、何百、何千、何万、何億、何兆もの階段を駆け上がってきた。

そして、自ずと見つけた最適解。

己の知識欲を満たすためには必要な技術だった。

一向に縮まらない差を感じ、一度立ち止まる。


「チッ……拉致が開かない」


作戦を考えるべく腰を下ろす。

どうせアリシアの方もいつか降りてくるだろうという予測だ。

ヴィンベルクは階段と並行して連なる本棚に手を伸ばし、無造作に一冊選ぶ。


「お、懐かし。学生時代読んでたなこの人の本。……見たことないタイトルだな」


一枚一枚丁寧にページを捲る。

学生時代、電子書籍で買って読んでいたが、就活やら環境の変化やらでいつしか買うこともなくなってしまった。

それでも新刊は常に把握し、情報も集め、追っていた。──つもりだった。

今、ヴィンベルクの手の中にあるのは名も知らないない、もちろん内容も知らない作品だった。


「この状況で読書なんて結構余裕のようだね」


すると突然、上から女の声がする。

アリシア・プラウラーだ。

ヴィンベルクには目もくれずに一心不乱に逃げ回っていたアリシア・プラウラーがいつの間にかそこにいた。


「テメェだって本持ってんじゃねぇか……」


アリシアの左腕には彼女の顔よりも一回り程大きな書物が開かれている。


「昼間みたいな丁寧で取り繕った話し方はやめたの? あっちの方がいいと思うな」


「黙れ。ここから出しやがれクソアマ!」


「おお怖い。およそ十二歳の女児に言っていい言葉ではない」


「テメェ……ッ」


ヴィンベルクは本を放り投げ、拳銃を構える。

残弾数は六発。十二分に殺せる。

この距離なら──。

しかし、それは相手が一般人の場合だ。

目の前にいるのは曲がりなりにも魔術師。かつ、ここは相手の領域。無策でヴィンベルクの前に現れたとは考えられない。

冷や汗が頬を伝う。


「そんなに警戒しないでよ。気づいてるんでしょ? 魔術が使えないこと」


気づいていたが、目を瞑っていた。

認めたくなかったのだ。プライドの塊のような典型的な魔術師であるヴィンベルクは。

ヴィンベルクの魔術は『初撃を必ず回避し、自動で反撃する』というものだ。

ここに来るまで体感三時間の中でアリシアからの迎撃が三回。

それら全てを魔術の効果ではなく、自分の反射神経で回避していた。

──認めたくなかったのだ。


「黙れ。魔術なんてなくともテメェの脳みそに弾丸ぶち当てりゃいい話だ」


「やってみるか?」


「……言ったな?」


引き金が引かれる。

破裂音とともに弾丸が勢いよく飛び出す。

放たれた弾丸はアリシアの額目掛け一直線に突き進む。

弾丸がアリシアの頭蓋を吹き飛ばさんとした時、白い空間に硝子が割れるような音が響きわたり、アリシアの上半身が大きく仰け反る。


「──────────っっテェ!!」


命中した弾丸はアリシアの足元へ甲高い音を上げ転がり、階段から果てしない奈落へと落ちていった。

手に持っていた分厚い本も手からこぼれ落ちる。

──耐えやがった。だが……


「ッーぅ、うおおおおぉ……!」


想像以上の痛みにアリシアは額を抑え、悶絶し、その場にうずくまる。

そんな隙をヴィンベルクは見逃さない。

弾数は残り五発。

見る限りアリシアは出血していない。

『マジック・クロス』の強度的に銃撃二、三発で破れるだろうがそれだけで倒せるとは考えにくい。何か策があるはずだ。

至近距離で確実に仕留めるために一歩ずつ近づく。

アリシアとヴィンベルクの距離は約十メートル。

ゆっくりと、音を立てないようにゆっくりと。

残り八メートル。

アリシアは未だに悶絶している。あの様子であれば脳震盪すら起こしている可能性がある。

残り五メートル。

最低三メートルまでは行きたい。

至近距離で五発放てば流石の魔術師だとしても致命傷だろう。

なるべく早く近づくために、大きく足を踏み込む。

瞬間、ヴィンベルクの右足。足首が切断され、ヴィンベルクの身体は前に崩れ落ちる。


「なっ……!?」


ヴィンベルクは痛みのありか、自らの右足を見る。切断された足首の断面から鮮血が溶岩の如く溢れ出ている。

何が起こったのか状況が理解できない。


「いたぁーい……そっちも痛い?」


顔を覆っていた指と指の間からちらりと目を覗かせる。

にやけ顔が鼻につく。


「安心してよ。ここでおった傷は十分ぐらい経てば治るから」


「な、何しやがった……」


「うーんやっぱりその言葉遣いちょっとやめた方がいいかも棘があって似合ってないよ」


「このガキ!早く言えッ!!」


上体を上げてアリシアに向けて叫ぶ。


「『不可視一閃(インビジブルライン)』だよ! 纏った魔力を極限まで凝縮すると透明化して物を貫通するようになるのは知ってるよね? あれって元々あったものの存在が極限までゼロに近づいて世界がそれのことを『なくなったもの』と勘違いするからなんだよ! 実態のある物はそうなってしまう。だけど! 空間に存在する魔力を凝縮するとあらゆるものを切断するようになるんだ!」


興奮しているのか鼻息が荒く、早口になるアリシア。

何を言っているのかいまいち理解ができない。


「つまりは魔力を魔力で圧縮するってこと。こんなもの使う機会あんまりないからまんまとハマってくれて嬉しい! ありがとう!」


「テメェ……」


「テメェしか言えないの? せっかく頑張って作ったんだけどなんか感想とかない訳?」


領域内時間約四年かけ作り上げた自慢の技について反応が薄くがっかりする。

それでもなおヴィンベルクはアリシアを睨み続けている。


「……はぁ……もういいや」


大きな溜息をつき、アリシアは床に落ちた本を拾い上げ、ページを開き、パラパラと捲る。


「ま、待て! 取引をしよう! もうお前たちには危害は加えない! 仕事も辞める! 国へ帰る! だから見逃してくれ!」


ヴィンベルクは 命乞いを開始する。

魔術師としてのプライドはあれど、命に変えられるものはない。幾度となく死線を潜り抜けてきた知恵だ。

アリシアは十二歳と言った。まともな教育を受けているのであれば情けをかけてくれる可能性がある。

交渉が失敗したとしても十分経てば傷が癒える。それまで耐えなければならない。


「取引って、立場が対等な者同士でしか成り立たないと思ってるんだけど……」


「……さっき言った通りだ。今後一切お前たちには手を出さない。この領域が解けた時、しっぽを巻いて脱兎の如く逃げ出し、二度と、金輪際お前の前に姿を見せないことを神に誓おう……」


アリシアを見上げる目からは嘘をついている様子はない。少なくともアリシアにはそう感じた。

昼間にも同じことを思った気がする。


「いいやダメだね信用できない。たかだか足首一本失っただけの魔術師がガキに頭を下げるなんて何かあるに違いない」


「う、嘘じゃない! 約束は守る! た、頼む……」


醜くも地面に頭を擦り付ける。

アメリカでは滅多に見ることのない日本名物土下座を目の前にし、少し感情が昂る。


「じゃあ何で君が女子寮に入りたかったのか教えて貰おうかな。ただの変態って訳じゃないでしょう?」


「──答えたら見逃してくれるのか……?」


「それを聞くのって酷ってやつじゃない? だって返事が適当でも私見逃さなくちゃいけなくなっちゃう」


アリシアを睨みつける。


「生殺与奪の権は私が握っていることを忘れるなよ小僧」


「……ガキはテメェだろ……」


「なんか言った?」


ヴィンベルクの呟きにすら反応する。


「俺たちの目的は『延命術式』の入手だ!」


「……! 何故……?」


「なんでか知らんが『摩天楼』のお偉いさんが欲し言ってんだ!! だから『延命術式』を研究してる奴がいるって言うから忍び込んで盗もうと思ったんだよ!!」


ヴィンベルクは観念したように話し始める。

足首を抑え、痛みに耐え、情報を叫ぶ


「『摩天楼』と『CS』が半ば冷戦状態なのは知ってるだろ!? だから『CS』に対して恩がある『境界』の人間が貧乏くじ引かされてんだ! やらかしても向こうは許すしかねぇからな!!」


「それで今こんな目にあってんだ可哀想。『摩天楼』の奴がやればいいのにね」


「ああ!! そうだよ全くその通りだちくしょう! だけど、俺らがやんなきゃ戦争が始まっちまう可能性があんだよ! もういいか!? 見逃してくれよ!」


時間稼ぎなどもう頭にないのか早口で捲し立てる。


「『延命術式』……メリッサの研究テーマか。ふむ」


アリシアは分かりやすく顎に手を当て、悩む振りをする。

ヴィンベルクをこのまま野放しにするのは危険だと考えたのだ。

幾らこの男が誠実で、真面目で、約束を守る珍妙な魔術師だったとして、それに賭けるほどアリシアには度胸はない。

ヴィンベルクがどれだけ追い詰められていたとして、この男は腐っても魔術師。幾つもの死線を潜り抜けて来たはずだ。

今は勝てたとしても向こうの世界へ帰った暁には目にも止まらぬ速さで勝つというビジョンがあるかもしれない。


「……やっぱ殺すわ! ごめんね!」


「──ッ! わぁてたよそんなこと! 死ね!!」


ヴィンベルクは渾身の力を込め、トリガーを引く。

残った五発の弾丸全てを。

音速の弾丸たちはそれぞれアリシアの急所を確実に捉え、飛んで────


「──『ドゥラ・メトヮーテ』」


ヴィンベルクへと真っ直ぐ伸ばされた手のひら。

五つの鉛玉を全てを、ヴィンベルクを、アリシアを、空間を焼き尽くす豪炎。


「!? ま、『魔ほ───」


かつてエルフの聖域を燃やし尽くした地獄の業火がヴィンベルクの命を飲み込んだ。


─────────────────────


果てしなく続く図書館を全て焼き尽す勢いの炎は術者のアリシアさえも飲み込んだ。

焼死、と言うには余りに生ぬるい。

痛み、苦しみなどなく、一瞬にしてアリシアの意識を狩りとった。


「戻ってきたか……」


ぼやける視界の正面。そこには領域内で始末したはずのヴィンベルク・ワインショットが拳銃を構え、今にも引き金を引かんとしていた。

この展開を予想していなかった訳ではない。

アリシア自身も領域内で死んでも領域外に出てさえしまえば何事もなかったかのように生き返るのだから。

だが、『魔法』による焼死の影響か、アリシアの判断を鈍らせた。

魔力を纏った弾丸がそれにより抑えられた破裂音と共にアリシアの脇腹を抉りとった。


「っ!?」


完全に目が覚めたアリシアは追撃に備える。

が、二発目が来ることはなかった。

ヴィンベルクの目は既に死んでおり、銃弾を放った腕は地面に叩きつけられた。

そのまま力なく倒れたヴィンベルクの身体が偶然にも倉庫の戸を開けた。

反射的に戸を閉めようとするが──


「いや、誰が見てるか分からん止めとくべきか……てか、『魔術』かよ……展開前に発動してたのか。……死んでるのか……? いや……」


殺したが、殺していない。

アリシアの中には絶対に人を死なせないという強い意志がある。

一見、矛盾した思考だが、それはアリシア自論だった。

物語において"人が死んで感動、ハッピーエンド"などナンセンスであると。

そんなことより───


「し、止血をしないと」


ダラダラと床に流れる血が痛々しさを助長させる。

アリシアは羽織っていた上着を脇腹に巻き付け、魔力の流れを意識する。

通常、致命傷になり得る傷でも魔術師には問題ないこともある。

痛みが徐々に引いていく。止血は終了したが、完璧に治ったとは言えない。

安い布に自らの鮮血が染みているのをただただじっと見る。

一度治療を止め、足元に広がる血の水溜まりを消すことにする。

落ち着いてみると意外と広めの倉庫。幸いにも 倉庫内の備品にはアリシアの血はかかっていないように見える。

『清掃魔術』はあれど、あれはあくまで洗濯の為だけであり、こういった処理には使えない。

はてさてどうしたものか、と痛む脇腹を抑え、涙目になりながら思考する。

一応持ってきていたハンカチで吸い取ろうとするが、雀の涙にも達しない。


「このハンカチお気に入りだったんだけどなぁ」


そうだ、と思いついたかのように魔力を練る。

できた血溜まりの床を魔力でできた透明な刃で 真円を描くように切断する。

我ながら上手く描けたと感心する。

外れた床の血を現れた地にビシャビシャとぶちまける。

切り取ったコンクリート製の床を裏返し、元の型にはめる。

そして、『接合魔術』で文字通り接合する。

魔術とは便利なものだとつくづく思う。

所々違和感があるが倉庫の備品を上に置いてしまえば問題はないだろう。

位置が変わってたことを気づかれたとしてもヴィンベルクの仕業だと勘違いしてくれるだろう。

アリシアはヴィンベルクを置き去りにし、『スタイリッシュ・ムーブ』で倉庫を抜け出し、戻って行った。




女子寮の自室へ戻り、電気をつける。

この電力も魔力によって稼働している。

魔術が、魔力がなくなったとしたら現代の生活は困難を極めるだろう。

ふと、机の上を見るとそこには──

ヴィンベルクの愛銃がぽつんと置いてあった。


「な、何で……」


あの拳銃は確かにヴィンベルクの手の中にあったはずだ。あそこを出る時も確認した。

──ここにあるはずがない。

アリシアは拳銃を鷲掴みにすると痛む脇腹のことなど何もないように外へと走り出した。

時刻は午後九時半を回り、外出している人間などいない。

寮の前の花壇に着くと雑草の生えた粗悪な土を掘り、そこに拳銃を埋めた。


「い、一旦ここで──」


「何をしてるのですか?」


姿は暗くてよく見えない。

だが、声がその正体を物語る。

メリッサ・レインだ。寮長として見回りをしていたのだろう。

向こうもこちらが誰だかわかっていないようだ。

冷や汗が花壇へと落ちる。

コツコツとこちらへと向かってくる足音が聞こえる。

アリシアは『スタイリッシュ・ムーブ』を発動し、足早に自室へと戻る。

自室の電気は着いたままだった。

リビングの、一般的にリビングと呼ばれるドアを開けると──

机の上に粗悪な土まみれの拳銃が鎮座していた。

理解ができない。


「……呪いの人形ならぬ呪いの拳銃だな……本質的には人形と変わらない。めんどくさいメンヘラ呪術如きが……これもあいつの『魔術』なのか?」


とりあえず拳銃をゴミ袋の中へ入れ、机の上の土を片付ける。


「……どういうことなんだよ…………」


袋の中の拳銃を見つめ呟く。

捨てようとすると、部屋に戻ってくるのか。

そもそも何故机の上なのか。洗面台かベランダにして欲しい。


「……」


とはいえ、今日はなんとも色々ありすぎて疲労が溜まってしまった。

脇腹もまだまだ痛む。

明日以降のことは明日考えようと、拳銃を引き出しにしまい、眠り着くことにした。


─────────────────────


それから三ヶ月が経過した。

拳銃に関して法則が分かった。

一定の距離を離れるとアリシアの手元、または何か入れ物がある場合にはその中に転送されるといったものだ。

例外として『スタイリッシュ・ムーブ』を使用している時は部屋の中に転送される。

アリシアの部屋が初期リスポーン地点のようなものになっているのだろう。

そして、幾ら分解しても、破壊しても、跡形もなく消し去っても数分後には何事もなかったかのように元の姿で机の上に鎮座しているのだ。

ということで普段は引き出しの中に板でフェイクの底を作り、その下に収納している。

部屋には人を招待することを頻繁にはしないが念の為だ。

外出する時は大きめの鞄を持ち歩くようになった。いつ転送されてきても見た目に違和感がないもの。万が一開いてしまっても中まで見えないものを選んだ。

不安要素はない。ひとつを覗いて。

それはここ二ヶ月程、エレナがアリシアの部屋に遊びに来ることだ。

それもなんとも高い頻度でだ。

いつ隠し場所がバレるか心底恐ろしい。


「──アリシア?」


「え? あ、あぁごめんね。考え事してた」


「そう……何かあったら直ぐに相談してよね」


アリシアを見る目は些か訝しげに感じる。


「……ねぇアリシ──」


チャイムが鳴る。

時代にそぐわぬ古い音。アリシアはこの音が嫌いだ。


「アリシア。私です。ミッシェルです」


アリシアは鍵を開け、「どうぞ」、と一言だけ言った。

靴音を立て、リビングへと歩み入る。


「おや、エレナさん。貴方もいたのですか。お邪魔でしたか?」


「いえお構いなく」、と言った後、エレナは一瞬だけ口をすぼませるとすぐにいつもの笑顔に戻った。


「何か用事ですかミッシェル?」


「ええ、実は『蒼すぎる空』の呼吸前活動を観測しました」


「──ついにですか!」


『蒼すぎる空』の呼吸前活動とは、文字通り 『蒼すぎる空』の呼吸の前に観測される大気中の魔力の乱れである。

人体や魔力の操作、魔術に基本的には影響はないが、近年の魔力を用いた発電や通信に不具合が起きることが最近わかった。


「恐らく二週間後。場所は推測だけどオレゴン州の上空二百メートルだと思われます」


「オレゴン州って……ざっくりしすぎてませんか? 図体がデカイのは分かりますけど」


アリシアがミッシェルに苦笑いしながら問う。


「そうねぇ……そうなんだけどそうとしか言えないっぽいのよね」


「そんなに大きいんだ……」


エレナが枕を抱えながら呟く。


「大きいらしい。エレナも一緒に見に行く?」


アリシアの問いかけに思わず驚いた表情をするエレナ。

アリシアから何かを誘うことはあまりなかったので驚いたのだろう。


「──いいの!?」


「もちろん」


エレナはアリシアの手を握るとニコッと笑った。


「話は以上よ。研究室の皆と行きましょう」


ミッシェルはそう言うとアリシアの部屋を後にした。


「──そう言えば、さっき何か言おうとしてなかった?」


「あー……ううん何でもない」


アリシアは胸をときめかせ、退屈な日々に光を灯した。

ようやく夢が叶う。そう思った。


─────────────────────


三日後、ひとつの報せがアリシアの胸を貫いた。

友人メリッサ・レインの訃報だった。


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享年二十七歳。

メリッサ・レインの人生は決して生ぬるいものではなかった。

錬金術師クリストフ・レインによって不完全な人間。ホムンクルスとして生み出された。

兄弟と定義すれば五番目であり、次女という肩書きにあたる。

これまでに二人の二人の兄と一人の姉を亡くしている。

生まれつき左手がない。これがメリッサに課された不完全な部分だ。

まだ健在の兄は片目がないため、それに比べると軽い代償と言える。

完全なホムンクルスと違い、生まれながらの知識を持たない兄弟。

どちらかと言えばホムンクルスよりも人間に近かった。

兄弟仲は良かったが、父とされるクリストフとは生まれた時以外声を聞いたことがなかった。


「また失敗か」


兄弟の中でも群を抜いて学習能力の高かったメリッサは六年前に魔術大学に特待生として入学した。特待生として入学することで学費が免除されるからだ。

他の大学と違い、四年生になってしまえば卒業が確定してしまうため、三年生で留年することに決めた。

研究のためだ。寿命を伸ばす。そのために。

メリッサは死ぬのが怖くなかった。他の兄弟もそうだ。

完全な人間とは健康な精神と健康な身体で成り立つ訳ではないとメリッサは考えた。

病気でも、事故でもなくただ単純に、三十歳で尽きる寿命が不完全をたらしめているのだ、と。

人体錬成は魔術界では禁忌のひとつとされている。

科学や人類の神秘ではない神の力『魔術』。

『無』から人間を生み出して良いのは神だけなのだ。『神の魔術』なのだ。

六年と三ヶ月かかってしまった。

昨日の身体の状態を保存し、翌日に貼り付ける。それの繰り返し。

昨日を繰り返す魔術。これが延命術式『親殺し』。

完全な人間となり、父を殺す。

禁忌で間接的に殺す。

父への復讐がメリッサ・レインの真の目的だった。


─────────────────────


メリッサは自室のベッドの上で冷たくなっていた。

集合時間のない研究室でいつも朝一で研究しているメリッサがいないことを心配したメンバーが彼女を発見した。

医者曰く、目立った外傷もなく、病気であったということもないらしい。

曰く、過労。

葬儀は色々な人が来ていた。

大学内外の彼女に縁があった主に『CS』の魔術師が多く参列した。

中には彼女の兄弟もいた。

メリッサと同様に優しい人たちだった。

何か会話をしたような記憶はあるけど内容はよく覚えていない。

ずっと頭の中が真っ白だった。

不思議と涙は出なくて、あの後式が終わっても魂が抜けたように座ったまま動かなかった。

ミッシェルに促されて棺桶を埋める所を見に行った。

『Rest In Peace』の文字を見てやっとメリッサがこの世からいなくなってしまったことを実感した。

悔しかった。なんと言うか悲しいけど、諦めきれないような気持ちの方が大きかった。

彼女と過ごした僅か数ヶ月。

休みの日にも研究室に篭もる彼女を引っ張り出してアカリと買い物に行ったり、映画を見たり、遊園地で遊んだりもした。

毎回外出する時は「研究がありますから」が彼女のお決まりだった。

でも、三人の誰よりも楽しそうな顔をしていた。


─────────────────────


大学寮の自室に戻るとベッド上で二時間程、上の空だった。

音が鳴る。チャイムの音だ。

ここ数ヶ月、嫌という程聞いた。

心地よいと感じていたこの音も今は違う。今じゃない。

もう一度鳴る。

──違う。やめてくれ。後にしてくれ。

さらにもう一度、チャイムが響く。


「誰だよ……」


鍵を開け、犯人の顔を扉の隙間から覗く。

そこにはエレナがいた。


「なんの用……?」


「えーとね……ごめんね忙しいのに」


「………………今度にしてくれる?」


「そ、そうだよね──」


「──そうはいかない」


突然、男の手が半開きの扉を勢いよく掴んだと思うと、勢いそのまま強引に扉を開いた。

見たことがある気がする。確か──


「ルーク・フォーセリア……何故男の君がいる?」


アリシアはギロりとルークではなくエレナを睨みつける。

招かれざる客の来訪。

ルークがここに来たことだけに怒っているのではない。


「ここは男子禁制。絶対に招き入れてはいけない決まりだろうが……ッ!!」


「そ、そうなんだけど……ご、ごめん」


「ごめんで済む話じゃない! 入寮する時メリッサに言われただろ!? なんで守れないんだ!!」


思わず目を伏せるエレナに怒号を浴びせるアリシア。


「そんなことはあくまで些細な問題でしかない」


「はぁ? 何言ってんだよ?」


するとルークはアリシアの体を押し退け、部屋の中へとズカズカと踏み入る。


「ちょっ……何で勝手に入ってんの!? エレナ!?」


エレナは「ごめん」と言うだけでそれ以外は何もない。


「『ブラウニー』、『シェイド』」


ルークは二人に聞こえないぐらいの声量でリビングに手を翳し呟く。

『ブラウニー』と呼ばれた薄汚く清潔感のない小さな中年男性といった容姿の精霊と、『シェイド』と呼ばれた身長が一八〇センチのルークよりも大きな背丈に黒いフードを深く被ったような顔のない──否、顔が自然界のどれよりも黒い、吸い込まれるような漆黒の精霊が宙に浮いていた。

アリシアは驚きのあまりエレナを責める口が開いたまま固まる。


「精霊……」


『シェイド』は『ブラウニー』の目を異様に長い腕で塞ぐと『ブラウニー』がアリシアの部屋を物凄い速さで掃除し始めた。

ブラウニーは部屋にある『必要でないもの』と、『必要ではあるがそこにあるべきでないもの』を判断し、前者はゴミ箱へ、後者は机の上へと運ばれる。

ホコリや髪の毛、中身のないペットボトルが捨てられる中、ヘアゴムやペン、本などが机の上に置かれていく。


「やはりな……これはなんだ? アリシア・プラウラー」


ゴト……と、金属特有の重さを感じる音が鈍く三人の耳を殴打する。

机の上に置かれたヴィンベルクの愛銃が、先までの異様な雰囲気をさらに深める。

アリシアは二人への疑問が確信に変わる。

何故ここに来たのか。何故ルークがここにいるのか。

疑問が確信に変わる。

しかし、それは二人も同じこと。

アリシア・プラウラーは黒か白か。

ブラウニーはルークの合図で虚空へと消える。


「アリシア……答えて……っ!」


エレナが絞り出すように声を出す。

アリシアはエレナへ背中を向けているため姿は見えない。

アリシアはスっと両手を上に挙げる。


「拳銃。魔術大学の学生は拳銃を知らないのかな?」


恐らく術式を展開し、いつアリシアが抵抗しても良いように備えているだろう。


「というか急に女児の部屋を漁ったと思ったら拳銃見つけて喜んで……やりたかったのはそれだけか?」


「質問の意図が分からなかったか? 小学生。僕は今、これはお前のかって聞いたんだ」


「……これはなんだって言ったのお前だろ……私のだよ」


「何故小学生が銃なんか持ってる? どこで手に入れたんだ?」


ルークが手袋をはめ、拳銃を拾い上げる。


「そりゃお前みたいな変態の脳天ぶち飛ばすためだよ」


「こんな重たい銃でか? 引き出しの底から出てきたように見えたが……何故そんなところに入れておいたんだ?」


「常に見えるところに置いてたら怖いでしょ。客人も来るのに拳銃なんかあったら萎縮しちゃうだろうし」


力は相手を屈服させるためにあるのではない。

切り札は意表を突くから切り札なのだ。

攻撃手段が魔力操作しかないアリシア。十分に納得できるはずだ。


「もう一度聞く。どこで手に入れた!?」


「──どこでも良くない? 異性に対して色々気になる年頃なのは分かるけどさぁそれじゃあ女の子にはモテないよ」


ルークはアリシアの態度に苛立ちが止まらない。


「拉致があかん。お前の論点ずらしには感心すらするぞ」


「ア、アリシア! 真面目に答えて! あなたの銃がヴィンベルクさんのものだってのは分かってるの!」


部屋の外から声を荒らげるエレナ。


「……そのヴィンベルクさんってのは誰だね?」


しかし、アリシアにはその名前に聞き覚えはないようだった。

もちろん嘘だが。


「は、ハァ!? わ、私を銃で、その銃で撃った人! 知らない訳ないでしょ!?」


「そう言えば名前知らなかったな」


「もういい。エレナ埒が明かない。最初からこうすれば良かったんだ」


シェイドが虚空へと消える。


「『決闘』だ。僕が勝ったら全てを話し、警察に出頭してもらう」


「待て待て私は今忙しいのが見えないのか? こんな時に手間増やしやがって」


その言葉に一瞬怪訝な表情を浮かべ、


「? 『蒼すぎる空』だろう? そんなものいつだっていいじゃないかまた数年後にでも見れば」


拳を握り、今にも飛び出しそうな右手を精神力という名の急ブレーキをベタ踏みする。


「違ぇけど分かったいいよ。やってやるよぶっ殺してやるよ。かかってこいよボケカスオラ」


しかし、たまたまシートベルトをしていなかった暴言は急ブレーキに対応できずに口から飛び出してしまった。


─────────────────────


ルーク・エドワード・フォーセリアは精霊術師である。

彼はイギリスの没落貴族の精霊術師元名家フォーセリア家三百年の歴史上、随一の天才である。

代々、フォーセリア家の当主となる器には上位精霊一体、下位精霊数体と契約して生まれてくる。

上位精霊が一体である理由は上位精霊同士の自我が強く、反発してしまうからである。

しかし、ルークは違った。十二代目当主エドワード・ローズ・フォーセリアの子として生まれた彼は精霊に愛されすぎた。

歴代フォーセリア家と契約を結んだ精霊たち、主の死に姿を見せなくなった者、以降契約に現れなかった者、通常滅多に世に現れない者までもがルークの誕生を祝福した。

それからのルークの人生はあまりにもイージーモードであった。

幼なじみかつ、婚約者のエレナに出会い、勉学も何もかも困ったことがなかった。

今に至るまで全ての勝負事で負けたことがなかった。

もちろん自分が興味がないことと、勉強などに関しては上がいたが。

だが、これら全てルークにとってはあくまで通過点に過ぎなかった。

ルークの最終地点は世界最強である。

魔術が全世界に広まり、隠れた才能が猛威を振るう魔術界。

魔王が死んだ直後の平和な現在で一番強いとされているのは『切札』佐々木朱里である。

魔王戦後、彗星の如く現れその圧倒的な強さから世界最強とまで謳われることとなった。

ルークは朱里を認めていない。プライドの高いイギリス魔術師の血が認めてはいけないと叫んでいるのだ。

実際、朱里を良く思っていない層は少なくない。

だが、認めざるを得ないのだ。世界最強、 否──宇宙最強は彼女だと。

それでもルークは最強を求め続ける。

かつての最強『無敵』の覇山凛が呆気なく散ったように。いくら『切札』でも万能ではないはず。いつかその命が尽きる日が来る。

その後に最強に──その前に最強になるために。

恐らく、数年後には世界最強の七人。『七星』に彼は選ばれただろう。

アリシア・プラウラーに出会わなければ。


─────────────────────


「『決闘』……のルールは知っているな?」


体育館の地下深く、決闘場にアリシアは連れてこられた。

テニスコート二枚分程の大分大きなフィールド。

魔術師にとってはこの大きさが丁度いいのだろうか。

その外側には観戦席が設置されている。もちろんギャラリーなど一人もいない。

ルークとアリシアはフィールドの端と端で対面するように立つ。

エレナはその真ん中に審判として立っている。


「殺人以外なんでもあり……だっけ? あんたが勝ったらどうすんの?」


「僕が勝ったら、お前には罪を認めてもらい、警察に出頭してもらう」


「やってないんだけどね。わかった認めよう。私が勝ったら?」


ここまで来てまだシラを切るアリシア。


「なんでも良い。どうせ勝てんお前は」


自信満々に答えるルークに対して不快感を顔に出す。


「てか、思ったけどなんか服変わってない? 気のせい?」


ルークは呆れたような顔をし、ため息をついて言った。


「今気づいたのか? 『魔装』だ。入学した時に貰っただろう……」


『魔装』。魔術が復旧しだした直後、世界的衣料品メーカーと境界が協力し生み出した魔力の籠った服だ。


「ちょっ……ちょっと待ってよ。持ってきてないんだけど」


一般人が買おうと思うと、一番安くても数千ドルになる『魔装』。

魔術大学に入学した時、特待生には無料で一枚配られていたのを思い出した。

戦闘することなどないと思っていたため今はクローゼットの奥に眠っている。


「知るか。忘れる方が悪い。──エレナ合図を」


「……いいの?」


「おう。忘れる方が悪い」


ルークの言葉にエレナが少し戸惑いながらも頷き、そして右手を真っ直ぐ伸ばし──


「これからルーク・フォーセリアとアリシア・プラウラーの『決闘』を始める。ルールは魔術の使用、武器の使用、相手の殺害以外全てアリの真剣勝負。──それでは始め!!」


「ま、待ってよ!?──」


アリシアが言い終わるより先にルークが距離を詰め、脇腹に光の拳を放った。


「言っておくが隙があれば行くぞ僕は」


アリシアはその衝撃に受身を取ることができず、そのまま壁に激突する。


「おがッ!!」


揺れる視界、アリシアはルークの右手が欠損していることを視認した。

しかし、その右手は瞬きの間に再生した。

目の錯覚かと思った──

ルークの姿が蜃気楼の如くぶれる。


「来る!」


アリシアは咄嗟に身体を捻り、床に魔弾を放つことで跳躍する。

ルークの脚が空を切る。

アリシアは技術『スカイウォーク』で距離を取り、策を練る。

ルークの魔術の詳細な情報が分からない以上、無策に攻めるべきではない。

だが受け身ではいつか必ずやられる。

技が空振ったルークは空を闊歩するアリシアを片目で捉え、友の名を叫ぶ。


「『ジン』!!」


虚空から現れたアラビア伝承の魔人。

特筆すべきは四本の腕と屈強な肉体。

別名、『ジーニー』とも呼ばれる『ランプの魔人』がそこにいた。

ジンは四本の腕をアリシアに掲げると雄叫びを上げながら『風』を放った。


「HeyHeeeeeey!!!」


『風』はアリシアの頬を、足を、腕を掠め、切り傷を作り出す。

際限なく放たれる『風』は正確には風ではなく空気の圧縮体であり、破壊力もスピードもアリシアの魔弾よりも遥かに強力に見える。

それでも微量な傷しか作ることができないのは距離減衰、命中率の低さだとアリシアは推測した。

恐らくは牽制目的。あくまでもとどめはルークの手で下したいのだろうか。

実際『ジン』に攻撃を任せっきりでルーク自身は空を歩くアリシアのことをズボンに手を突っ込んだままただ見ているだけである。

そして、『ブラウニー』、『シェイド』、『ジン』、これら三体の名前からルークの能力を推察する。


「精霊術師か……フォーセリアってやっぱりあのフォーセリアだよな……ウィキペディアに載ってた……ゲームの話じゃないのかよ」


初撃の『光の拳』、異常な再生能力も精霊の力だろう。


『風』も受け続ける訳にはいかない。無尽蔵に生成される空砲を避け続けるのにも限界がある。

かと言って脳死で飛び込んでも返り討ちに合うだけだ。


「よし」


アリシアは『スタイリッシュ・ムーブ』を発動し、姿を消す。

ジンは素っ頓狂な声を出し、エレナは目を見開き、声こそ出さなかったがそれでも分かりやすく驚く。

対してルークは目を細め、「やはりな……」と呟いた。


「やはりお前だったかアリシア・プラウラー! その『技術』によってヴィンベルク・ワインショットを奇襲し、拳銃を奪った! そうだろう!」


ルークの言葉に虚空へ消えたアリシアは答えない。

この三ヶ月間、ルークはヴィンベルク・ワインショットについてとアリシア以外の容疑者がいないかというのを調べ上げた。

怪しい人間はいれど、その人間の実力がヴィンベルクの足元にも及ばない。ヴィンベルクに勝てる見込みはあってもアリバイがあるなどといったことで捜査は難航した。

ルークも探偵ではない。どちらかと言えば肉体派の足を使う探偵助手の方が性に合っているとルーク自身も思っている。

そのため、痺れを切らしたルークはアリシアの部屋にエレナを利用し、無理矢理乗り込んだのだ。

とは言えど、アリシアが犯人である確証はなかった。証拠と言えば監視カメラに一瞬だけ映ったアリシアらしき人間の消える瞬間とヴィンベルクの意識が沈黙する瞬間だけだ。

だからこそ賭けだったのだ。アリシアを激高させ、命の危機に陥らせられれば堪らず姿を消すだろう、と。

『スタイリッシュ・ムーブ』は『技術』の中でも特に難易度が高く、習得に時間がかかる。その上、小細工の好まない多くの魔術師はこの技術を使おうとしない。異端とさえ言う。

だからこそルークは賭けに勝った。彼の魔術はアリシアの首元をまさに今、掻っ切らんとしている。


「『ジン』! 嵐を呼べ!」


ジンはにかっと歯茎を出し笑うとルークを中心にして円を描くように走り出した。


「HAHAHAHAHA!!!」


徐々に加速していくジン。速度は音速を超え、ジンの姿がかえって遅く見える。

たまに変なポーズをしているが気にしたら負けだ。


「ッ!!」


堪えきれずにエレナは審判のために用意されたセーフティルームへ駆け込む。


「ふぅ」


と、一息つく。


「いやぁあんな嵐久しぶりだね」


「え!?」


驚くエレナの視線の先にはジンの起こした嵐を穏やかな目で眺めているアリシアがいた。


「な、なんで……」


「そりゃあエレナの想像通りだよ。……他に聞きたいことない?」


恐らく今ならアリシアは答えてくれる。ルークと話していた時とは違う雰囲気。


「── ヴィンベルクさんをやったの……? 本当に…………?」


「──ほんと。でも安心して、エレナが撃たれた脇腹の怨み晴らしておいたから。逆になんでエレナたちが血眼になって犯人探ししてるのか分からないよ。だって──」


うっすらと笑みを浮かべるアリシアだが、その目は笑っていない。


「──だって良くない? 犯罪者いなくなったじゃん」


鳥肌が立つ。歯が震える。

正義の名のもとに悪を砕く純粋。

──この子は悪しき芽を摘むことに一切の躊躇がない。容赦がない。


「で、出てって! ここは審判席! は、入っちゃいけないの!!」


「えールールで言ってた? それぇ」


「いいから出てってよ!! いまルールで決めたの!」


「ちぇっ」と悪態をつきながらも席を立つアリシア。


「あ、待っ、待って」と、アリシアの服の袖をエレナが引く。


「る、ルークを殺さないで……お願いします……」


瞳に涙を溜め、アリシアに懇願する。


「──もちろん。ハッピーエンドに死はナンセンスだから」


アリシアはそんな様子のエレナに約束すると 『スタイリッシュ・ムーブ』で消えていった。


─────────────────────


アリシアは悩んでいた。

嵐で近づけない以上、台風の目の如く、中心のルークに接近する他に手がない。

だが、それはルークの思うつぼだ。


「よし」


アリシアは台風の目の真ん中。ルークの頭上五メートル程上で『スタイリッシュ・ムーブ』を解除するとルーク目掛けて落下する。

アリシアが落下してくることを下位精霊によって察知するルーク。

大きな隙。だが、なにか、なにかあるはずだ。

光の拳を放つ直前、アリシアが姿を消す。


「ならこっちか!?」


背後に回ったと予測し拳を振り下ろす。が、アリシアの空中からのかかと落としがルークの後頭部に突き刺さる。

『スタイリッシュ・ムーブ』によるフェイント。

すぐに持ち直すが、アリシアの姿が見えない。

いつ『技術』を解除し攻撃してくるかが分からない。

平静さを保っていれば対応できるはずのルークがアリシアから一撃貰っただけで冷静さを失っている。

ただの不意打ちだ。過度に恐れる必要はない。

呼吸を整えろ──

左足に衝撃が走り、バランスを崩す。

もちろんアリシアだ。アリシアがルークの足に蹴りを食らわせている。だが、その表情は限界に見える。

無理もない。特に魔力消費の多い『スタイリッシュ・ムーブ』。それを長時間かつ頻繁に行っているのだ。

ルークは追撃に備え、倒れぬように踏みとどまる。

大きく空いた隙、アリシアは見逃さない。張り裂けそうな胸と今にも崩れ落ちそうになる足を 奮い立たせ魔弾を胸部に───


「吹き飛ばせ! 『ジン』!」


「アイアイサー!!!」


高速移動を止めたジンの腕から放たれた竜巻がアリシアの軽い体を吹き飛ばす。

衝撃音とともに観客席に突っ込む。

決めポーズをしてアピールしてくるが無視をする。

ルークは目を凝らし、様子を伺う。

撃墜位置、ジンの風によって破壊された観客席にアリシアは──いない。


「上か!?」


ルークは学びを活かす人間だ。

魔力が枯渇していた様子のアリシアは『スタイリッシュ・ムーブ』の使用はリスクが大きすぎる。またしても上に逃げたのだと。


「またッ……下だよッ……!」


下から聞こえた声にルークは反応し、反応したが、避けられない。

『スタイリッシュ・ムーブ』で近づいたアリシア。

大きく踏み込み、渾身の魔力を放出する。

──魔力の放出の刹那。四本腕の魔人が二人の間に割り込んだ。


「ふん!!」


屈強な腹筋で発勁を受け止めたジンは高らかに笑い言った。


「アー……大将、一ヶ月ぐらい休暇いただくぜ」


ぽっかり空いた腹筋をルークに見せ、有給休暇申請書を手渡してきた。


「──あぁゆっくり休め」


ルークはふっと笑い、ジンもそれに応え太陽のような笑顔でサムズアップし、虚空へ消えた。

アリシアは魔力切れにより、後ろに倒れ込む。

ルークはその顔にただの拳を優しく放った。

アリシアの体は抵抗することもなく、地面に叩きつけられる。

死体蹴りではなく、ルークが倒したというアピールだ。


「エレナ合図を」


審判席からエレナが駆け足で出てくる。

ルークはこの勝負に手応えを感じなかった。

才能の獣であるルークだが、実際の実戦経験はまだまだ乏しい。


「僕はもっと強くならなくては……」


実力不足を嘆いた。

不意に足元から声が聞こえ──

とてつもない気配を感じ取り、ルークは咄嗟に叫ぶ。


「──ばん」


「『ヴァルキ────」


言い終わるよりも早く、ルークの視界が白く染まり、純白の世界は超スピードで螺旋状の図書館を形成していった。

一瞬何が起こったかが分からず硬直する。

すると、足元から息切れからか声にならない笑い声が聞こえてくる。


「わ、私が魔術、使えないとでも思ってた訳?」


アリシア・プラウラーが産まれたての子鹿のような足で立ち上がりそう言った。


「領域魔術か……!?」


だが、ルークが有利なことには変わりがない。


「来い! 『ヴァルキリー』!!」


その声虚しく図書館の無限の彼方へ消えていく。


「ざんねん……ま、魔術は使えないよ……」


息も絶え絶え、今にも倒れそうな酸欠の中、頭を振り、意識を保つ。


「あ、あ、あと、私を殺してもここからはで、出られないよ。りょ領域のせいしつだか、らね」


戯言だ。きょげんだ。ハッタリだ。

──とも言いきれない。

ここはアリシアの領域だ。条件は彼女次第。


「つ、着いてきなよ。少し話そう。冷静な状態で君と話をしてみたかったんだ」


─────────────────────


一瞬だった。

ルークが勝利したことを宣言するためにエレナは審判席から出てきた。

エレナを見るルークの表情は硬かった。不思議なことじゃない。最近ずっと気を張ってたように見えたから。

だが、その硬い表情の中に少しだけほっとしたような柔らかさを感じた。

すっと決着が着いたはずのアリシアの細い左腕がルークへ伸びた。

ルークは気づいていない。

叫びたかった。油断してはいけない。もう一撃来る。

───でもルークなら大丈夫。

刹那──そうルークは気づいた。アリシアが何をするのか分からなかったが、ルークは気づいたのだ。


「『ヴァルキリー』!!」


そう叫び、『ヴァルキリー』と呼ばれた精霊が三体召喚された。

『ヴァルキリー』は勇気の精霊だ。『戦乙女』とも呼ばれる彼女らはルークの友である精霊の中でも屈指の強さを誇る。

主君を守るためならば力の限りを尽くす気高き精霊だ。

それがどうだ。主君の様子を伺うだけで何もしない。ただただ突っ立っているだけだ。

数秒後、アリシアの腕が地面に叩きつけられ、汗の湿った音が決闘場に響く。

それと同時にルークが魂を抜かれたように崩れ落ちる。

頭から倒れ込みそうになるルークを三人の中で一番小柄なヴァルキリーが支える。

エレナもそれに急いで駆け寄る。

息はあるが、目に光がないヴィンベルクと同じ症状である。


「私の勝ち……だエレナ……約束通り、殺してない……よ」


ルークに向けていたアリシアの手の中からペンダントが転がり落ちた。


「そ、それルークの……だ、だって私も同じの持って、る……な、んで」


「さぁ……? 命の代わりとかじゃ……ない? わ、私は『領域』で『命』を奪った……でも『こっち』では『命』はある……もの、ごとには辻褄を合わせなきゃ世界も混乱しちゃう……」


呼吸を整えながらアリシアは口を回す。

今にも意識が飛びそうなのだ。喋っていればそれが紛れる。

一方、エレナはアリシアの話が一切理解できない。


「な、何を言っている……の? ルークはどうなるの……?」


「わかんない。ごめんね」


「ごめんじゃ済まないよ!! なんでわかんないの!!?? このまま目を覚まさなかったらどうなるのよ!!」


エレナが大粒の涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら叫ぶ。


「……そんな事より早く救急隊読んだ方がいいんじゃない?」


エレナの訴えに何も響いていないような顔をし、アリシアがヴァルキリーの方を見て提案する。

ヴァルキリーはルークを心配そうな顔をして見つめている。

エレナはハッとして審判席から救護室に直接繋がっている電話で救助を呼んだ。


「それと、私が勝った時の条件……いい?」


「……何?」


アリシアはふっと笑い、家畜を狙う獣の目で言った。


「『蒼すぎる空』を吸収する。それに二人には協力して貰いたかった。だから切り札は取っておいたんだけど……彼強かったね。手加減されてもダメだった……」


「そんなの……そんなの協力する訳ない!」


エレナは怒りで拳を強く握る。余程強く握ったのかぽたぽたとアリシアの顔の横に血が落ちる。


「向こうでルークには許可もらったけどね……ダメならルークとはサヨナラだ。これが終わったら何とか頑張って見ようかと思ったんだけどね……残念」


「──」


──何を言っているんだ。

ルークに許可を得た? そんな訳がない。私以外の女のお願いを聞いたってこと?

強く唇を噛む。


「……言っておくけどこれは『決闘』の報酬だよ……断るなんてルークの意志に反することだ」


「──わ、わかった!! 協力すればいいんでしょ!? やるわよ!!」


アリシアは瞼を閉じて緊張を解く。


「じゃあ……後はよろしく……」


そういうとアリシアは意識を闇へと沈めて行った。


「は、はぁ!? よろしくってどういうこと──」


すると、入口から救急隊が駆け足で入ってくる。

救急隊は担架でルークとアリシアを運んで行った。

余りに俊敏かつ手馴れた動きにエレナは呆気に取られてしまう。

彼らが出て行くとほぼ同時に学生の集団が入れ違う形で決闘場に入ってくる。

三十人程だろうか。今日はここの予約は入っていなかったはずだが。


「エレナさんですね……?」


一番前を歩いていたエレナより少し背丈の高い男性が話しかけてくる。


「そうですけど……」


「ああ! 良かった違ったらどうしようかと思いましたよ!」


爽やかな笑顔を浮かべる青年。しかし、ルークには及ばない。


「私たちは第三研究室の学生です。……メリッサとアリシアが所属していた……アリシアは今もいますが、ご存知ですか?」


「え、ええ……そ、それがどうかしましたか?」


エレナは理解ができない。

第三研究室の人間は研究しかしない。戦闘に興味などなく、自分たちの知識欲を満たすことが最大の幸福と捉えている異常者集団だ。

決闘場にいるなんてこと南アフリカに雪が降るようなものだ。


「……アリシアから何も聞いていないのですか?」


「は、はい! 何が何だか……」


青年たちは顔を見合わせ呆れたような仕草をした。

よく見れば彼らの姿は黒いスーツが多い。喪服だ。

葬式終わりだということが分かる。

──そんな時に押しかけてしまったのか。

ルークが突然、今日決行すると言い出した時は遂に我慢の限界が来たのだろうと思ったが、ルークはもしかしたら知っていたのかもしれない。今日葬式が行われたことを。

メリッサが亡くなったことは知っていた、仲が良かったことも──


「───」


──ああ、だからあんなにも激怒していたのか。

流されすぎていたのかもしれない。ルークが一 番正しいと思いすぎていたのかもしれない。

アリシアには悪いことをしてしまった。


「え、な、なんで泣いてんの? ごめん、え、悪いこと言ったかな?!」


青年はあわあわしながら周りに問いかける。


「……ぇ」


エレナは自分の目から涙が零れ落ちていることに気がつく。

スカートのポケットからハンカチを取り出し、涙を拭く。

罪悪感からだろうか、ルークが敗北してしまったからだろうか。エレナには分からない。


「ご、ごめんなさい……え、と……皆さんはどうしてここに?」


エレナの質問に青年が先程までの爽やかな笑顔から一転し、真剣な表情に変わる。

発された言葉にエレナは絶句した。


「それは君とルークくんに──メリッサ・レインを生き返らせる。その手伝いをして貰うためだ」


─────────────────────


二週間後──オレゴン州セイラム。

『Cosmic Scope』管轄の天文台にアリシアたちは集まっていた。

約五年前に作られた天文台は近未来的で、色鮮やかなステンドグラスが特徴のアリシアの趣味には合わない建物だ。


「予測だとあと二時間程で『蒼すぎる空』が現れる。全員持ち場に移動しろ」


指揮を執るはメリッサの後任の青年。オスカー・ウィリアムズだ。

普段はミッシェルが行うのだが、彼女は急遽 『境界』に招集されてしまった。

ミッシェルにはこの計画について話していない。

彼女は『CS』の人間だ。禁忌である『人体蘇生』など阻止されるに決まっている。

エレナとルークには彼女の足止めをして貰うつもりだったがミッシェルが来ないのであれば好都合。他の場所に人員を割ける。

もっともルークの意識は依然として戻っていないが。

アリシアも罪の意識がない訳ではない。

やりすぎた感じは否めないが、やられたからやり返しただけであり、正直七割は悪くないと思っている。

十二歳の女児をボコボコにしたのだ。時代が少し前であればポリコレが黙っていなかっただろう。

アリシアは天文台の屋上のベンチの上で背中を丸め座っていた。


「……いつも思ってたけどアリシアって猫背だよね」


エレナがアリシアの隣に腰掛けてくる。

アリシアはそれに返事をせず、地面に写る自分の影を見つめている。


「蘇生ってほんとにできると思う? 仕組みがよく分からないんだよね」


「……まぁ分からなくても大丈夫。他の人が分かってるから……」


「それでいいならいいけど……ね、ねぇアリシア……この間のことなんだけど……わ、私たちすごく無神経なことをしたと思う……本当にごめんなさい」


エレナがあの日のことを謝罪し、頭を下げる。


「……エレナは私がルークにやったこと、恨んでる?」


この二週間、アリシアとエレナはまともに会話をしていなかった。

避けていたと言う訳ではない。あの一件でエレナはルークの見舞いに行くことが多く、一方アリシアは研究室で作戦の概要を念入りに話し合っていた。

タイミングが合わなかっただけ、のはずだ。


「……あ、あの時は、なんでこんなことするんだ、って思っちゃったけど……真剣勝負だしね……悪い意味でルークのこと信頼しすぎてたのかも」


エレナは俯き、絞り出すように言葉を紡ぐ。

一つ一つ丁寧にアリシアを傷つけまいといった意思を感じる。


「……私はエレナたちがやったこと恨んでるし、許さないよ。まだ許さない。だから、これが終わるまでエレナも私を許しちゃいけない」


俯いた顔をゆっくり上げると、アリシアはこちらを真剣な目で見ていた。

ルークは植物状態となり、活動を停止している。

アリシアが死ねば意識は戻るという保証はない。

だが、魔術にできないことはない。


「……魔術を医療に生かすんでしょ。私がやったことだから落とし前はしっかりつける。協力する」


エレナは目尻に涙を溜め、「ありがとう」と呟いた。


「……エレナは泣き虫さんだね」


─────────────────────


予定時刻五分前──

空には分厚い雲が現れ始めた。


「なーんか雨降りそうな天気になってきてない?」


アリシアがそう呟いた直後。


『いつ来てもおかしくない時間帯になったぞ。──気合い入れろ』


オスカーが無線を使い、皆に呼びかける。

今年二十四歳になるオスカー。彼もまたメリッサに恩がある。

お世話になったどころの話ではない。

研究で発明した魔術で大学の一部を破壊した時、彼女は一緒に謝ってくれた。

研究に没頭し、日を跨いで寝落ちしてしまった時、彼女は布団を掛けてくれた、差し入れをくれた。

他のメンバーもそうだ。

皆、彼女に恩がある。

だからこそ、葬式の後にアリシアが小さく呟いた死者蘇生の話に乗っかったのだ。


「この世に存在する魔術を全て繋ぎ、大きな術式として魔術を発動する」


これはアリシアのアイデアだ。

死者蘇生には条件がある。

一つ、代償を捧げること。

二つ、魔力を捧げること。

三つ、術式発動者を中心とした『災害』を乗り越えること。

術式を用いるのは代償のため。

『蒼すぎる空』を取り込むのは魔力のため。

皆がいるのは『災害』を乗り越えるため。

機は熟した。


「───来たぞ」


魔術師にしか聞こえない特別なホイッスルボイス。甲高い音は耳鳴りにも近く、雷に打たれたような痺れが大多数のメンバーを襲い、耐えられずうずくまる人間もいる。

アリシアも例外ではないが、何とか気合いで立ち上がり、空を見据える。

詳しい高さは分からないが、恐らく二〇〇メートル以上上空に恐ろしく巨大なクジラがその身体を大きく揺らしていた。

『蒼すぎる空』の『蒼すぎる』はその魔力の濃度から。

『蒼すぎる空』の『蒼』はその鮮やかな体の空色からだ。

思わず見蕩れてしまう。アリシアは感嘆の声を漏らす。

他の人たちも同じようで目的を忘れその姿を瞳を介して記憶に刻み込む。


「───ッアリシア……!」


思い出したかのようにオスカーが合図を出す。

アリシアも同様、その声にはっとなり技術を発動する。

足に魔力を溜め、力いっぱい地面を蹴ると勢いよく空へと飛び出した。

文字通り『空を飛んだ』。

飛行だ。ミッシェルたちが研究していた『反重力魔術』ではない。

それよりも一段階上、何不自由のない無制限の飛行。


「あいつ本当に空を飛びやがった……なんだったんだよ俺たちの研究……」


とある学生が誰にも聞こえない声量で言った。

空へと飛び出したアリシアはその速度を上げ、 『蒼すぎる空』へ徐々に近づいていく。

その速度は宛ら戦闘機の如く。凄まじい重力と 空気抵抗を感じながら身体に纏った魔力で無理矢理推し進む。

遂に到達した空飛ぶクジラは思っていた程の大きさはなかった。

魔力量の多い生物にはしばしば実体が変化して見えるという錯覚が起こる。

優れた魔術師程その錯覚を顕著に起こし、一般人には視認することすら叶わない。『蒼すぎる空』を含め、強大な魔獣が一般人の間で話題にならないのはこういった理由がある。

アリシアはシロナガスクジラより少しだけ大きい『蒼すぎる空』を正面にする。

身長が小さなアリシアには巨大なことには変わりがないが、魔力量がピカイチの生物にしては小さすぎると感じる。

アリシアはクジラの頭に手をかざすと形だけの呪文を唱える。


「『ベルゼブブ・キッス』」


完成した吸収魔術を『蒼すぎる空』へと惜しみなく使用する。

余りに膨大な魔力を限界以上に吸い尽くす。

クジラは抵抗することはなく、ただ静かに『呼吸』をしている。

魔力量は身体の大きさに比例しないことをこの生物が身をもって証明している。


「できるはずさ……ッ!!」


─────────────────────


魔力吸収を二十分、三十分間根性で続ける。

過食とは違った満腹感がアリシアを襲う。

頭痛がする。身体の節々が悲鳴をあげる。身体が重い。辛い。憂鬱感。悲壮感。興奮。嘔吐感。

何事もやりすぎは良くないなと感じる。


「それでも……だッ!」


身体の内側から破裂しそうになる。

胃の中の不快感を思いっきり吐き出す。

全てが嫌になり辞めたくなる。

徐々に目の前に相対する化け物の気配が小さくなるのを感じる。


「底が見えてきた……いや……違う……お前逃げようとしているな……ッ!」


底が見えてきたというのはあながち間違ってない。実際、アリシアは気づいていないが既に残り六割を切っている。

魔力は残量が四割を切ると行動に制限が起こり出す。

生物の逃走本能だ。だが、『蒼すぎる空』には天敵と言える生物が今の今までいなかった。

それは自身の魔力が強大すぎるゆえ、他を寄せ付けない威圧感。好奇心は猫を殺すと言うが大いなる力の前では好奇心すらも殺す。

だからこそ『蒼すぎる空』は戦い方を、逃げ方を知らない。

脂汗を袖で拭い、アリシアはギアを上げる。

この不快感にも慣れたものだ。

己の強さに溺れた傲慢を、強欲の権化が喰らい尽くす。

逃げようとするクジラの背中をアリシアは追従し、掴んで離さない。焦りは隙に繋がり、却って吸収の効率化を進めてしまう。

それからは早かった。

十分間逃げ続けた魔力の権化である『蒼すぎる空』は遂には全て持っていかれた。

魔力が完全に尽きた『蒼すぎる空』はその身体を保てず消失した。


「……こちらアリシア。吸収完了した」


終わってみれば意外と呆気ないものだった。

魔術で強化された妨害不可の無線で作戦の成功を報告する。

無線の奥から研究室のメンバーの歓喜の声が聞こえてくる。


『よくやったなアリシア! ……それじゃあ次の作戦を開始しよう。休憩はいるか?』


オスカーの切り替えの早さに思わず苦笑する。


「──必要ない。異変を嗅ぎつけた魔術師がすぐに来るはず。……邪魔はさせない」


『了解、じゃあ頼むよ』


無線を切り、深呼吸をする。

飽和などない限界を超えた魔力の波動を感じる。

地上へとゆっくりと降りていく。

都市部から離れた天文台の一棟の屋上に着地する。

街を見下ろす。

アリシアの故郷であるオレゴン州セイラム。

こんな天文台があるなんて知らなかった。

──あ、あそこ私の家だ。あっちは高校だ。みんな元気かな。最近連絡してなかったからなあ。

一息、深呼吸。

一言、呟く。


「術式起動」


瞬間、街の灯りが消える。

昼間であるため、さほど騒ぎにはならない。

実際、外を歩く人は気がついていない様子だ。が異変に気がついた人々が徐々に外へ出てくる。

アリシア、研究室メンバーを除く、全ての魔術の使用が制限した。

五年前の魔王戦により公表された魔力の存在。

それに目をつけた政府が魔力発電をメインに置いた。

風力発電よりも効率がよく、火力発電よりも環境に優しく、原子力発電よりも安全な魔力発電。

魔力発電が魔術発電に変わり、より効率化され、現在の発電の大部分を占拠している。

それを『妨害術式』を使用し無効化した。

魔術は『誰が』、『誰に』、『どのように』、『どうした』が組み合わさり発動する。

これらの条件をバラバラに入れ替えたり、書き換えたりすると魔術は発動できなくなる。

だが、それも基本的に一つの術式にだけだ。二つでも熟練の魔術師でも骨が折れる技術であり、アリシアの無限に近い魔力が為せる技だ。

アメリカ全土に及ぶ超広範囲の妨害。

それに加え、任意の対象の選択。アリシアの努力の結晶と言える。

すると、すぐに街の灯りは再点火し、混乱も収まる。魔術が妨害されたなど一般人には分からないことだ。

予備電源が起動したのだろう。予想通りだ。

準備は整った。


「さぁやろう───」


蘇生術式の展開を始めるため、無線で呼びかけようと───

瞬間。

轟音と共にアリシアを取り囲む建物が半壊する。

散乱する瓦礫と土煙の中に人影。

日本が誇る圧倒的最強。『切札』佐々木朱里がそこにいた。


─────────────────────


時はアリシアが『蒼すぎる空』を吸収する少し前に遡る。

その時には既に『蒼すぎる空』は出現していた。

『境界』へと招集されたミッシェル・ブライトは皆と『蒼すぎる空』を見られないことを悔やんでいた。


「何故今日私を呼んだのですか? ミスター・ジョンソン」


「何、君のとこの『反重力魔術』について進捗を聞きたくてね」


ヨハン・ジョンソン。


顎髭を生やした屈強な肉体をした黒人男性。

数百年の間、幹部は白人のみ、その他魔術師もで構成されていた『魔術協会』。

その歴史上初の黒人幹部。それが彼だ。

アメリカが植民地支配された頃、彼の先祖である先住民族のとてつもない身体能力を危険視したイギリス魔術師は彼らに呪いをかけ、術式を未来永劫会得できない体にした。

呪術により生まれながら魔術を習得できない彼らはいつしか魔術の存在を忘れ、魔術協会からも忘れ去られた。

それから数百年公表された魔術をいち早く商売道具にしたのがヨハン・ジョンソンだ。

その手腕から昨年度から『魔術協会』の幹部に推薦された。


「『反重力魔術』なら進捗七割程です。……もういいですか? 行っても?」


ミッシェルは腕時計を分かりやすくチラつかせる。


「まぁまぁ……しかし、そこまで急ぐのはやはり『蒼すぎる空』ですか? 」


「そうです。学生たちと見る予定だったんですよ」


ふむ、とヨハンは顎に手を当て、少し考えた後に、横で作業をしていた部下の男に言った。


「中継映像を」


指示された部下は慣れた手つきでパソコンを操作すると、ミッシェルとヨハンの目の前にホログラムでできたテレビが現れる。

それは『蒼すぎる空』を中継した映像だ。

ヨハンは画面をズームすると指を指しこう言った。


「これは貴女の学生ですか?」


映像に映ったそれは、空を飛び、『蒼すぎる空』の正面で何かをしている少女。

見覚えは──ある。


「『反重力魔術』はまだできていないのですよね?」


ヨハンが顎髭をなぞると訝しげに尋ねる。


「ま、まだのはずですが」


ミッシェルが不安げに答える。

記憶では試作の術式が完成したところで、これから不具合がないかのチェックを行う段階だったはず。

ふむ、とヨハンは再び髭をなぞる。


「その様子だと何も知らないようですね。少し様子を見てみましょう面白そうだ」


「……近くで見たかっただけという可能性もあります。彼女が一番見たがっていましたから」


世界の危機となるとも知らずに。

だが、その好奇心がヨハンの評価された部分でもある。


「彼女のことを教えてくれますか? ミス・ミッシェル」


『Cosmic Scope』には魔術師に他の魔術師の名前を言ってはいけない暗黙の了解がある。

『魔術協会』には危険因子の抹殺を行う秘匿組織が存在するという噂もある。

断らないといけない。


大変申し訳ありませんが───


「──彼女の名前はアリシア・プラウラーです」


しかし、ミッシェルは言ってしまった。決して ヨハンの圧にやられた訳ではない。

ミッシェルの意に反して自然と口が動いた。動いてしまった。


「どんな子ですか?」


「──はい。あの子は筆記試験を史上最年少で満点合格、総合三位の成績で入学しました。とても優秀です。しかし、自分の正しいと思ったことに一直線になりすぎる性格です。それもまた彼女の良いところでもあります。ただ、研究室に顔を出す頻度は他の学生よりも少ないです」


ペラペラと自分の意思と反して口から出てしまう。

ふむ、と顎髭を触るヨハン。


「まぁいいでしょう。ありがとうサクヤ」


ミッシェルの後ろへと声をかける。

冷や汗をかき、恐る恐る振り向くとそこには典型的なシスターの装いの女性がロザリオを両手で握りしめ、微笑を浮かべヨハンをじっと見ていた。


「ヨハン様……この為だけにわたくしをお呼びになったのならば貴方様は実に……実に性格が悪い」


ヨハンは視線をミッシェルに戻し言う。


「ミッシェル。彼女はサクヤ・イクサバ。『英雄』キリヤ・イクサバの妹にあたる」


紹介されたサクヤがお辞儀をする。


「いきなり失礼な挨拶ね。これが貴方の魔術?」


「大変失礼致しました。責任はヨハン様が全て取ってくださいます。ご意見ならヨハン様に」


平然と責任を擦り付けるサクヤ。

彼女の魔術でミッシェルに喋らせたのは事実だ。


「すまないね。気になっただけさアリシア・プラウラー、が───」


ヨハンは映像を見て言葉が止まる。

吊られて画面を覗き見るミッシェルとサクヤ。


「「──小さくなってませんか?」」


ミッシェルとヨハンがハモる。

つい十分ほど前まではもっと大きかった気がする。若干、心做しか小さくなっているように見える。


「移動して距離が離れて小さく見えている訳ではございません? ヨハン様はご存知ないかもしれませんが遠近法というものがこの世には存在していてですね」


「魔獣には魔力総量でその見え方を錯覚させるものが存在します。遠くから見れば大きく見えていても実際、近づけばどうということはないみたいなことが」


煽るサクヤの口撃をヨハンは軽く受け流す。というか無視する。


「つまり、あのクジラは今、何かしらの原因で魔力が減少している可能性があります。もちろん、サクヤの言う通り移動している可能性もありますが、ただ」


「アリシアの大きさは変わっていない」


変わっていないのだ。

現在のメインカメラではクジラは背を向け、ア リシアの体を隠す形になっているが、別角度だとしっかり映っている。

やはり、クジラは縮んでいる。


「至急、リオとヘンドリクセンを呼びなさい。二人は今日ここにいたはずです」


通りかかった部下に神妙な面持ちで指示する。

その鬼気迫る様子に自体の重さを察したのか急いで携帯電話を取り出すとどこかへ電話をし始めた。


「な、何が起こっているんですか?」


ミッシェルが恐る恐る訪ねる。


「あの子、もしかしたら『蒼すぎる空』の魔力を何らかの方法で減らしている可能性があります。魔力の塊のアレは魔力切れしてしまうと恐らく存在が消滅する」


「そのアリシアって子が魔力を吸収している可能性はないのですか?」


サクヤの一言にミッシェルは凍りつく。


「ま、まさかアリシアに限ってそんな───」


「悪魔に魂を売るような行為を……しないとでも?」


サクヤがそう言うのには訳がある。

ご存知の通り、吸収魔術は古の悪魔が使用していたとされる、高等かつ高尚、そして魔術界では低俗な魔術だ。


「悪魔崇拝大いに結構。誰が何を信じるかなんて人それぞれでございますからね。きっと主は許して下さいます。ただ、それで人を傷つけるならば別問題でございますよ。──ミッシェル様? 被害が出た場合、一体誰が責任をお取りになられるのですか?」


シスターとは思えない程のガン開きの瞳孔。

その瞳には光が写らず、深淵がピークして来ている。


「も、もしそうなった場合……私が責任を取ります……ッ!」


「いやいやそんなの当たり前のことでございましょう。言ってしまえば責任なんて誰が取ったって構わないのです。わたくしが聞いているのはどのようにして悪魔に魂を売った者の責任を取るかです」


「そ、それは……」


ミッシェルが返答に困っているとヨハンが間に入り込んで来る。


「虐めるのもそれぐらいにしなさいサクヤ。責任の所在など発生した時に考えればいい。そんなことよりもアレをどうするかです」


アレというのはアリシアのことだ。

魔力を吸収している可能性がある以上、確認の後、やめさせなければならない。

だが、彼女たちがいるのは三百メートル程上空。

今すぐに行ける場所ではない。


「おーい来てやったぞー」


思案を重ねるヨハンの耳に若い女性の高い声が突き刺さる。

一同が振り向くとそこにはサクヤより少し背の低い中性的な顔立ち、金髪に赤いメッシュの入った今どきの若者といったカジュアルな装いの「七星」リオ・レオンハート。それと、こちらはヨハンと同じぐらいの背格好、所々に白髪の生えた一般中年男性のようなこちらも「七星」ヘンドリクセンの二人がいた。


「で、なんの用だ? ヨハン」


ヘンドリクセンが懐からタバコを取り出し、火をつける。


「ここは禁煙でございますよ。ヘンドリクセン様」


サクヤがヘンドリクセンのタバコをひょいと奪い取ると、手のひらで握り潰す。


「あ、あぁ悪かった」


柔らかな笑顔で突飛なことをするサクヤに苦笑する。


「お二人のとも、まずはこちらを見てください」


─────────────────────


リオとヘンドリクセンに事の経緯を説明した。

ヘンドリクセンは相変わらず落ち着いている。 リオの方は普段見せないなんとも言えない表情を浮かべている。


「こいつ強いの?」


リオがヨハンを見上げて言う。


「どうでしょう?」


ミッシェルに視線を誘導する。


「入学試験では実技成績が五位。魔術は使わず、『技術』のみで五位でした。『決闘』で一位を倒したとも噂で聞きましたけど……」


「魔術使えないならボクの方が強いか」


「大体の魔術師よりお前の方が強いだろ」


呆れたようにヘンドリクセンが言う。


「で、ボクは何すればいいの?」


飽きたのかヘンドリクセンの腰に腕を回し抱きついている。


「君たちにはこの子が降りてきた時に拘束してもらいます……と、言いたいところでしたが……一足遅かったようです」


『蒼すぎる空』は徐々に薄くなり、やがて光のフラグメントとなり完全に消滅した。

アリシアは地上へとゆっくり降りていく。


「オレゴン州セイラム担当の魔術師に告ぐ、『CS』管轄のセイラム天文台に危険因子出現。早急に向かい、相手の出方次第で生死は問わない。繰り返す──」


無線を介してヘンドリクセンが指示する。


「ボクも行こうか?」


「間に合いますか?」


「誰にもの言ってんのさ」


瞬間、『境界』ロサンゼルス支部の、否、町中の電気が消える。


「やられたな。俺たちの負けだ」


ヘンドリクセンが何かを察したかのように呟く。

消えた電気はすぐに復旧した。


「負け? どういうことです?」


「ヨハンは分からねぇと思うが俺らは分かる。魔術が使えなくなった」


「『妨害魔術』でございますね。それも超広範囲の」


「なるほどこれが狙いでしたか。ヘンドリクセン、何故気づいたのですか?」


「ここの電力は魔力発電の使ってっからな。──それと『繋がり』が消えた。俺の分身との」


ヘンドリクセンの魔術は実体を持つ分身だ。

世界中に何百人もの分身が存在し、それぞれが自我を、家族を、職を持つ。

それを統率しているのが今ここにいるのも分身。本体には常に情報が頭に流れ込んでくるが分身にはそうではない。『繋がり』によって互いの無事を確認しあっている。

だが、真の強点は本体が死んでも次の本体が現れる事だ。つまり、寿命以外で死ぬことはない。

無限に生成される分身。やろうと思えば数の暴力で世界を支配できる。

故に『七星』。

他の魔術師が実力、人気で得た立場を、魔術の危険度のみで獲得し、胡座をかいているそれがこの男だ。


「つまり、今本体が死んでも誰も分からない。次の本体が誰になるかなんて予想もつかない。ヘンドリクセン暗殺計画があるならタイミングとしては今だな」


不意にヘンドリクセンの手をにぎにぎしだすリオ。


「ヘンディーお前消えるのか……?」


「消えない」


「消えろよ」


「消えろよはおかしいだろ」


「コメディーをやっている場合ではないんですよ」


熟年夫婦漫才をやっているようなテンポ感の二人にヨハンは頭を抱える。


「本格的に責任の取り方を考えなくてはならなくなってきましたねぇミッシェル様?」


違った意味で頭を抱える女史。


「と言うか俺よりお前だよリオ。お前の体大丈夫か?」


「ん? そういえば……言われたら悪くなって、き、た」


「おっと」


リオは不意にふらつき、ヨハンがその体を支える。

あまりにも軽い体重に驚く。


「大丈夫ですか?」


リオはヨハンの腕に支えられ、


「大丈夫、ちょっと目眩がしただけ……魔力はまだ使えるっぽい。……だから意識保ててる……のかな」


「なるほど……じゃあ魔力のみの攻撃ならあの子を止められるんじゃねぇか?」


ヘンドリクセンが口元を隠し、案を出す。

魔力のみの攻撃──つまり、『技術』だ。魔力が練れるならば『技術』は使えるはずだとヘンドリクセンは踏んだ。


「アリシア・プラウラーは『技術』のみで実技試験を突破したのですよ? しかもかなり上位で。所詮は付け焼き刃、取ってつけたような我々の『ぎじゅつ』で対抗できると本気でお思いですか? もう少し踏み込んで考える癖をつけた方がよろしいのでは?」


煽りカスシスターがヘンドリクセンを煽る。

あまりに早口、キツい言い方だが、ぐうの音も出ない。

実際、ここにいるヘンドリクセンは魔術師のヘンドリクセンだが、普段は術式魔術を使用している。『技術』は専門外だ。


「誰でも魔術が使用できるようになる『術式魔術』ですが、その影響で『技術』を会得する者は減少しました。不測の事態中の不測の事態に備えるべきでしたね。しょうがないです」


それもそうだ。

ここまでの大規模な『妨害術式』。皆、心のどこかで「ありえない」として切り離していた。

そもそもが『ロストテクノロジー』。昔とは違い対策必須ではなくなった。


「『黒』に頼みましょう」


「魔術師絶対許さないマンだよ」


「『ディメンション・トリガー』は?」


「二ヶ月前に死にました」


ヨハンが分かりやすく頭を抱える。


「──そんなに悩まなくてもいるじゃねぇか」


不意にヘンドリクセンが扉の方向を見て言う。

全員が視線をヘンドリクセンの目線の先へと移す。


「お待たせ待った?」


そこにはお洒落に決め込んで両手に大量の荷物を抱え込んだササキアカリが立っていた。


「アカリ!」


リオがよろよろと駆け寄る。

倒れ込むようにアカリに抱きつき、顔を埋める。


「来てたんだ!」


「リオ! みんなのピンチにタイムズスクエアから飛んできたわ!」


数少ないリオより強い魔術師。

数少ないリオと対等に接してくれる人間。

リオはアカリが大好きだ。


「朱里ちゃんわたくしもいますよ〜」


サクヤがヒラヒラと手を振る。


「なんでいるの?! 朔夜ちゃん!!」


驚くのも無理はない。ここはアメリカニューヨークの都市部。

普段田舎の教会でにこにこしているサクヤには似合わない。

再会も束の間、アカリは声を出す。


「ヘンディー方角は!?」


ヘンドリクセンは一瞬遅れて反応する。


「西の方かな? 多分。ナビ送った」


「せんきゅーヘンディー! ヘンディーなら走ってどのぐらいで着く?」


「えぇ? うーん……二日かなぁ?」


アカリはフンと鼻を鳴らす。


「足おそヘンディー」


「おそー」


アカリに続きリオまでもがヘンドリクセンを茶化す。

──こいつヨハンの腕の中でぐったりしてたくせに……


「黙れ! ニューヨークからオレゴンで二日は早いだろ!」


ヘンドリクセンが吠える。それをヨハンが宥める。


「じゃあまた後でねみんな!」


リオを引き剥がし、アカリは西側の壁まで移動する。

高級感、重厚感のある壁。魔術と魔力による補強がされていたはずだが、今は魔術の波動は感じない。


「ちょっと待てお前はどんぐらいで行けるんだよアカリ?」


「うーん十秒かな? そのタブレットで見ててよ」


そう言うと、アカリは腰を落とし、壁を勢いよく殴りつけた。

建物が大きく揺れたと思うと壁がそこだけ砕け散った。


「いってきまーす」


アカリは外へと飛び出すと一瞬にしてその速度は光を超えた。


「……なんと言うか忙しい人でしたね」


息を殺し、影を薄くしていたミッシェルが口を開く。


「あれ? お帰りになられたではなかったのですか?」


「サクヤ……いい加減ミッシェルをいじめるのをやめなさい」


ため息をつき、ヨハンがサクヤを叱責する。


「いじめ……他人が見てそう思うならそうなのでしょう。ミッシェル様大変失礼致しました」


あまりの手のひら返しにミッシェルは拍子抜けする。


「い、いえ」


「前々から気になっていたのですが、サクヤは何故そこまで人を煽るのですか?」


「煽ると言いますか……わたくしは許せないだけでございます」


サクヤはロザリオを強く握る。


「と、言いますと?」


サクヤは少し躊躇うように話し出す。


「人は生まれながらにして悪です。純粋な悪。環境や、教育によって正しい行いというものを学んでいきます」


なんか語りだしたな、といった顔をするヘンドリクセン。リオに至ってはいつの間にか彼の背中で眠っている。


「世の中にはそれを十分に学べなかった人間が存在します。悪いということを悪いと思えない不完全な人間です。そんな人間も我が主は平等に愛し、最後には許してしまう。なんとも慈悲深い」


ヨハンは黙って聞いている。


「神は寛大です。だから、彼らを許さない人間がいないといけない。……昨今、魔術の商品化、公用化に伴って色々便利になりました。何かが便利になるということは誰かの職がなくなるということです。実際、わたくしの孤児院にも親に捨てられた子が増えました」


サクヤはアカリによって開けられた穴から顔も知らぬ少女を思い浮かべる。


「悪い人間にさせない為に叱るのです。だからこそ、だからこそ環境も関係も何不自由なく、彼らが持ち合わせていない全てを持っているのに完璧ではない人間に心底呆れるのです」


ヨハンは何か言おうとするが口が思うように動かず、空回りする。


「……魔術なんてなくなってしまえばいい」


数秒間の静寂。

そんな静寂を切り裂いたのはヘンドリクセンだった。


「それでも魔術に救われた人もいる。環境が悪くなった人と比べれば前者の方が圧倒的に多い。魔術は人類の進歩だ」


「魔術は人類の進歩ではなく、神の奇跡です。と、言うかエルフの技術をエルフが恵んでくださっただけです。我々魔術師は他人から施しを受けて我が物顔で威張っているのでございます」


ピシャリと言い切り、ちらりとヨハンを見る。

ヘンドリクセンはシュンとした顔をしている、


「言い合っている場合ではない。私たちにはまだやることがあります」


お前が焚き付けたんだろ、と言うツッコミは一旦置いておくことにする。


「リオを起こしなさい。行きますよ」


「行くって……どこに?」


「決まっています。アリシアを操っている黒幕を捕まえにですよ」


ミッシェルとヘンドリクセンが顔を見合わせる。


「あんな小さな子が一人でこんな大規模なことできる訳ないでしょう。黒幕、ないしは指揮官がいるはずです」


「……お前も行くのか? 魔力すら練れないのに?」


「必要であれば」


「やめとけ。お前は後方から指示でもしてろ。俺が行く」


ヨハンは肩をすくめ、両手を小さく上げやれやれといったジェスチャーをする。


「リオに連れて行って貰いなさい。魔術は制限されていても魔力を纏うことはできるでしょう」


「じゃあ行くかリオ」


「……うん」


寝足りないのか目を擦るリオの手を引くヘンドリクセン。

アカリが破壊した穴の方へと向かう二人。


「だ、ダメ!」


しかし、それをミッシェルが行く手を塞ぐ。


「どきなよミッシェルさん。今忙しいのがわかんねえか?」


「だ、ダメよ行かせない! わ、私の生徒よ!!」


埒が明かない。──であれば力ずくだ。


「なぁ……これが最後の忠告だぜ……」


ヘンドリクセンが魔力を身体に込める。

だが、ミッシェルは一歩も引こうとしない。

ヘンドリクセンが押しのけて行こうとするより 先にリオが弾丸の如く飛び出し、ミッシェルの脇腹に蹴りを入れた。


「──っ!! い、いかぜないわ!!」


それでも動こうとしない。

ミッシェルは懐からステッキを取りだす。

指揮棒とも見えるその木の棒をとリオへと向ける。

すると、地面から植物が生え、二人を襲い出す。

ムチのようにしなる植物たちをリオは華麗に避けるのに対し、ヘンドリクセンは攻撃を体術で受け流す。


「魔術、は、使えなくなったんじゃっ、ないのかよ!!」


ヘンドリクセンの疑問は正しい。

現在、アメリカないしはその周辺まで魔術の使用が制限されているはずなのだ。

だからミッシェルが魔術を使えているのはおかしい。

思考を巡らせようとするが魔術を捌くのに必死でそんな隙はない。


「うあぁぁぁぁあぁぁあ!!!!」


ミッシェルは一心不乱に指揮棒を振る。

徐々に魔術の使えない魔術師が集まってくるが、暴れる植物に怯み、近づくことができない。


「ミッシェル・ブライト。十数年前は第一線で活躍していた一流魔術師です。結婚、妊娠を機に引退。その後、子供の自立に伴い、魔術大学で教鞭を執りだしたようですね」

サクヤは傍若無人に魔術を操っているミッシェルを静かに観察している。


「時にサクヤ。あそこで暴れ回っているミッシェルのことどう思いますか?」


「と、言いますと?」


「自分の生徒のために命をかける人間は悪い人間ですか?」


ヨハンの言葉に瞳が揺らぐ。

サクヤは首を振り、それを否定する。


「いいえ……やり方はどうあれ素晴らしい行いでございます。……完璧でなくとも」


すぅと大きく息を吸い込むと、


「ミッシェル様〜!! 負けないでください〜!!」


激励を飛ばした。


「頑張れ〜! ミス・ミッシェル〜!!」


何故かそれに続くヨハン・ジョンソン。


「あ、ありがとう!!!」


「何応援してんだ! お前ら!!」


「……」


ヘンドリクセンは会話できているため、かなりの余裕があると見える。

と、言った束の間、リオは感謝の隙すらを見逃さない。

植物の隙間を掻い潜り、懐に潜り込むとローキックを食らわせ、脛を砕く。バランスを崩したミッシェルの顔面に容赦なく渾身の一撃を叩き込んだ。


「「あ〜〜〜」」


一撃で伸びてしまったミッシェルに落胆の声を上げる二人。

魔術なしでもこの強さ。

リオ・レオンハートの実力に恐れおののくヘンドリクセン。


「じゃあ二人とも頑張って。もう既に捜査が始まっているはずなのでそれに合流してください」


「なんなんだよお前ら……」


「ん。じゃ行ってくる」


ヘンドリクセンはリオに担がれ、一瞬にして姿を消した。

さて、とヨハンは映像を開く。

そこには既に到着しアリシア・プラウラーと対面するササキアカリが映っていた。


「本当に十秒で着いてそうですねこの様子だと」


「これ……何をなさっているんでしょうか」


ミッシェルを介抱しながら映像を見るサクヤ。

それほど怪我はないようでリオの技量が伺える。もしくは魔術が使えない弊害で力が出せないのか。

アカリとアリシアは何かを話しているようで動きがない。


「ヨハン様? コーヒーでもどうですか」


「頂きましょう」


動きはないにしてもアカリが来たことによって世界の無事が確定した為、コーヒーブレイクをすることにした。


─────────────────────


「アリシア……アリシアだったんだね」


アリシアは答えない。

予想外の刺客に驚きを隠すのに必死なのだ。

妨害術式は正常に発動したはず。もし、日本から飛んできたとしても途中で魔術が制限されるようになっているはずなのだ。

そもそも、すぐに来れる訳がない。


『どうしたアリシア? こっちは準備できているぞ』


無線の奥からオスカーの声がする。

いつまで経っても蘇生術式が発動しないことに痺れを切らしたようだ。


「……まずいぞササキアカリが来た」


『──そりゃまずいな。うん。とてもまずい、まさかこいつ魔術が制限されてない感じか?』


「みたい……気づいてすらない、と思う」


空から降ってきたアカリ。

それは魔力のみの飛行ではない。魔術の波動。


「ねーえ! 聞いてるの!?」


「───聞いてるよ」


無線を無造作に外し、アカリに向き合う。

オスカーの声が無線の奥から微かに聞こえるが、何を言っているかまでは聞き取れない。

瓦礫の上に立つアカリ。その表情は困惑と疑問と怒りがまぜ合わさった複雑な顔をしている。


「なんでこんなことしたの!?今、アメリカ中が混乱してる!まだ復旧していないところだって多い!」


「魔術が制限されていることに気がついていたのか!? じゃあなんでアカリは魔術が使えている?! 答えろ!!」


「私の質問に答えてよ! そうじゃないと答えない!」


失敗に対するフィードバックをするのは研究者の性だ。

今回、起動した『妨害術式』は『研究室のメンバー』は対象外になっている。

例外や不備があっては今後に支障をきたす。


「──メリッサを生き返らせる! それが私たちの目的! 魔術を使えなくしたのはアカリみたいな厄介な相手に邪魔されないためだよ!」


「っ!? そ、それで魔術を使えなくしたってこと……? に、人間の蘇生は禁忌だって知らない訳ないでしょ!?」


「禁忌がなんだってんだ!! 私たちは理屈で魔術やってねぇんだよ!! アカリの方こそメリッサの葬式の時何してたんだよ! 三人で遊びに行ったろ!? 三人で買い物行ったのに……友達だったのに……」


アカリはメリッサの葬儀には立ち会わなかった。

間が悪かったのだ。アカリはその時、日本の数少ない友人の結婚式に出席していた。

訃報が届いていたことに気がついたのは結婚式も葬式も全てが終わった後だった。

間が、悪かったのだ。


「い、言ってくれれば協力したのに!」


「じゃあ今から協力してくれって言ったら協力してくれるのか!?」


アリシアが声を荒らげる。

アカリはここまで激怒するアリシアを見たことがなかった。

思考が巡る。

ここで友達を取るか、世界の平和を取るか。

アカリの答えは──


「……ごめん……それはできない」


「───わかった。じゃあ交渉決裂だ。エレナ!!」


アリシアの足元が砕け、少女が飛び出してくる。

咄嗟に防御姿勢を取るアカリ。

しかし、エレナはアリシアの腕を掴むと、アカリではなくアリシアと自分に重力魔術を発動した。

すると、重力の向きが九十度変わり、市街へと 自由落下を始めた。

空へと放り出された二人はビルへと突撃し、魔力で強化された超強化ガラスを粉々に破壊した。

使用中の会議室に突撃したようで使用していた人間から悲鳴が上がる。続々と外へ避難していくがそんなことは微塵も気にすることはない。

エレナは魔術を解き、アリシアの安否を確認する。


「だ、大丈夫!?」


「──大丈夫だけど、なんであそこにいたの!? オスカーの護衛してたはずじゃ……」


「代表から不測の事態が起きたから向かえって言われて何が何だか分からず……」


流石オスカー。適切な判断だ。

エレナの『重力操作』は強力な武器となる。


「……逃げる判断はナイス。まともに戦って勝てる相手じゃない。……とは言っても現状はまずいことには変わらない……って、来るぞ!」


アリシアがそう言った瞬間。割れた窓ガラスから室内へと入ってくる人影。

見間違えでなければ跳んできたように見えた。


「ね、ねぇまだ間に合うよ。話し合いをしようよ……」


「まだそんなこと言うのか……話し合うことはない! 私たちは計画を遂行する! これは確定事項だ! 中止も延期もない! 例え雪が降ろうと、槍が降ろうと、ササキアカリが現れようと変更などしない!」


アリシアは魔弾を指先から繰り出す。

膨大な魔力が凝縮された魔弾は確実にヒットした。普通の生物ならひとたまりもないはずだ。

だが、アカリには届かない。それどころか、当たった素振りすら見せない。

会議室の静寂に鳴り響く靴音。

二発、三発と魔弾を喰らわせるアリシア、それに続いてエレナも『重力魔術』で応戦するが、その足取りは止まる気配がない。


「──私の全力の重力なのに……っ! なんで止まらないの!?」


エレナの魔術は重力操作。強さ、方向、位置を指定することができる。条件は無制限でどんなに力の差があろうと発動するという点が長所のはずだった。

しかし、『七星』ササキアカリは止まらない。普段通りの足取り、一歩一歩踏みしめている。


「……無駄よ。魔力がもったいないからやめなさい二人とも」


「……ッ!! エレナ、手!」


手を差し出し、そう言うとエレナは察したのか アリシアの手を取る。

すると、二人は姿を完全に消し、アカリは完全に見失ってしまう。

最初からこうすれば良かったのだ。

『スタイリッシュ・ムーブ』によって歪む視界。 魔力量だけで言えば人を二人包むことなど容易なように思えるが、『スタイリッシュ・ムーブ』の特性上、視覚以外の感覚がない。つまり、掴んだ手は今掴んでいるのか分からない。エレナも透明化しているため、どこに落としてきたとしても分からない。

一人の命を握っている緊張感と不安感でで視界が歪む。

──エレナはもっと不安なはずだ。

アカリから逃れるために落下していく。二人で。多分。

恐らくどれだけ離れていてもアカリは察知して跳んでくる。

今のうちに作戦を練らなければ───

突然、腕を引っ張られる感覚を覚える。

──ありえない。ありえない。ありえない。ありえない!

何故なら感覚などとうに──

畑からさつまいもを収穫するようにいとも簡単にアリシアとエレナは引き上げられる。

エレナは驚愕した表情を浮かべているそれは 『スタイリッシュ・ムーブ』の性能に大してか、はたまたササキアカリの性能に対してか。

『スタイリッシュ・ムーブ』も何故か解除されており、道路のコンクリートへと優しく下ろされる。

エレナが無事なことにまずは安心する。それと同時に絶望する。

───こいつからは逃げられない。

逃げ出したい、だが逃げられない。皮肉にも生物としての生存本能が早く逃げろと叫んでいる。


「もうやめて。こんなこと」


アカリはアリシアを見下ろす。


「……ッなんでなの? なんで邪魔するの? アカリはメリッサにまた会いたくないの?理由を教えてよ!?」


鋭い目で睨みつける。その姿はアカリには追い詰められた野鼠にしか見えない。


「会いたい。会いたいけどダメなの。だってそうでしょ? 人間の蘇生なんて人の道から外れてる。私は会えなくなっちゃった友達よりもまだ会える友達を大事にしたい。……嫌だよアリシアも遠くへ行っちゃったら……」


アカリは真っ直ぐ見つめる。憐れみの表情を浮かべたアカリにアリシアは不信感を覚える。

──アカリは私が遠くへ行くことを嘆いているんじゃない。お前は私があっち側へ行ってしまったら私を殺さなくてはならなくなるから必死に説得しているんだ。

今度はエレナへ歩み寄っていくアカリ。


「はじめまして、ですよねお名前聞いてもいい?」


「ふぇ?」


あまりに突飛な物言いにエレナは素っ頓狂な声を出す。


「名前」


「あ、ぇ、エレナ・ベイカー……」


あまりの気配と威圧感に思わず答えてしまう。

魔力の総量としてはエレナと遜色はない。しかし、エレナの方が消耗しているようにみえるのは魔術の特性と効率が段違いということなのだろう。


「私は佐々木朱里。日本の切り札。世界の切り札。宇宙の切り札。全てを打ち砕く一発逆転の切り札。それが私」


魔術師としては珍しい名乗り。基本的に情報を開示しないのが定石だ。


「エレナさんはアリシアの友達? アリシアのこと止めようと思わなかったの?」


「え……?」


至極当然な言動にエレナは口が吃る。

エレナは 何とか立ち上がろうとするが足に力が入らない。

そこにすかさずアリシアが割って入る。


「私が脅したんだよ……私の魔術でそいつの婚約者を昏睡させて、人質にとってやった。私に命令されているだけだ……一応言っておくぞアカリ……私を殺せばエレナの恋人も殺すことになる。そして、私はこの作戦が成功しない限り魔術を解かないという『契約』だ! いいか!? これは脅しだアカリ!」


アリシアが大声でぶちまける。エレナにヘイトを向かせないためだ。アカリはアリシアと友達だが、エレナとは初対面。何をしてくるか分からない。

魔術師とは非情なもので邪魔者は切り捨てる性分の人間が多い。世界一の魔術師が例外であるとは考えにくい。


「そんなに警戒しないでアリシア。別に捕って食おうなんて思ってないよ」


閑散としていたはずの昼間のビル街にはいつのまにか大勢の野次馬が集まっていた。

彼らの目にはアジア人が白人二人を追い詰めているように見えているらしく、周囲の人間が罵 詈雑言をアカリに浴びせている。それどころか小石やらペットボトルやらを投げつけてくる人間さえいる。

アカリに身体に当たっても埃一つつかない。


「……」


「……なんか言えよアカリ。お前は正義の元に行動しているだけだ。何も悪くない」


「……そうはいかないよ。民衆にとっては瞳に映ることが真実。それ以上でもそれ以下でもないよ。実際、私からしても弱い者いじめをしているようにしか感じてない」


アリシアは何も言えない自分に、立ち向かえない自分に腸が煮えくり返る。

『蒼すぎる空』を吸収し、圧倒的なまでの魔力を手に入れた自分が、たった一人の女に完膚なきまでに打ちのめされている。

何とか一矢報いてやりたい。


「アリシアが友達思いなのはよく分かってる。……もう終わりにしよう」


すると、アカリは深呼吸を数回した後、言った。


「メリッサのことは諦めて。そうじゃなきゃメリッサの遺体を破壊する。……本で読んだことがある死者蘇生には遺体の七割が無事であることが絶対条件だって」


アリシアとエレナは絶句する。何故なら、何故ならばそれは────


「そ、それこそ人の道を外した行為だろう!? 自分の言ったこと覚えていないのか!?」


「私だってやりたくない。メリッサは友達だ。でもそうでもしなきゃアリシアは止まらない。もう分かったんだ。……アリシア、これは脅しだよ」


冷たい目線がアリシアに突き刺さる。強く噛んだ唇から血が滲み出す。

脅迫返し。まさかアカリがここまでするとは思っていなかった。


「遺体を破壊すること自体は禁忌じゃない。だからそっちの方が良い……そういうことですね……? ササキアカリ」


民衆が三人のあまりの迫真さに何かの撮影かと 騒ぎ始める中、口を開いたエレナ。

アカリは何も言わない。それを肯定と取り、エレナは続ける。


「ササキアカリ……あなたは“世界か恋人か”という問に対して世界を取るタイプでしょ? それじゃあ───」


エレナを睨む目がさらに鋭くなる。


「それじゃあ、あまりにもロマンティックに欠けますね」


アカリの雰囲気がガラリと変わる。

威圧感の中に優しさがあった先程までとは違い、言うなれば檻の中にいたライオンが鉄格子を破壊し接近してきたかのような圧。

次々と野次馬たちが気を失って倒れ出す。


「アリシアは友達を助けるために世界を破壊しようとしている。あなたの世界を救うために友達を失う覚悟とは訳が違う」


「何を言ってるの? 私はアリシアが道を外さないように手を差し伸べているんだけど」


「あまりに稚拙。慈悲深いという面をしながら実際は選択肢を一つしか与えない傲慢の権化。話し合いを求めておきながら力で支配しようとするエゴイスト」


詭弁に振舞っているが、その身体は震えている。

エレナは首にかけたペンダントを握る。


「世界最強だとか何とか聞いていたが、蓋を開けてみれば友達のために世界を捨てることすらできない。軟弱者……結局は自分の地位を手放すことが怖かっただけでしょう?」


アカリの足元が亀裂しはじめる。


「何が言いたいかッて聞いてんだけどッ!」


「ごちゃごちゃうるせぇからさっさとかかって来いっつってんだよ!! ボケカス!!」


道路がアカリを中心に陥没し、エレナの肩を目掛け、彼女の手刀が振り下ろされる瞬間。衝撃に備え、エレナは目をぎゅっと瞑り───


「バン!!!!」


アリシアの『領域魔術』が発動した。

時間が止まる。世界は白く染まり、巨大な図書館が目にも止まらぬスピードで構築されていく。

咄嗟に発動した魔術が正常に作動して自分でも驚く。

『領域魔術』は通常の魔術よりも優先度が高いため当然なのだが、『妨害術式』さえ無効化したアカリの魔術に効果があるのか不安があった。

エレナへと振りかぶったはずの手刀は空を切る。

辺りを見渡し、周囲を確認した後、アリシアへと対面する。


「──これがアリシアの魔術? センス良いね……名前は?」


口調は最初の頃と同じで柔らかい。だが、甘さがない。いつだって首をちぎることができるぞという威圧感がある。

──そう言えば名前を考えたことはなかった。


「……名前……名前か。そうだなぁ……うーん『ミクロコスモス』とか……どうかな? この図書館にはこの世に存在する古今東西あらゆる書物が保管されているんだ。小さな宇宙って言っても差し支えないと思う。この図書館では静かにすることが求められる。どういうことかって言うと単純に魔術が使えなくなるってこと」


領域の特性を説明するアリシア。


「『ミクロコスモス』かぁ知的でいいね」


「テキトーすぎるだろ……私の魔術の詳細を教えたんだからアカリのも教えてよ。アカリを倒して世界を破壊しなきゃいけないから」


「魔術が使えないこの世界で倒せば良くない? まぁいいけど」


アカリの魔術について調べなかった訳ではない。

『魔術協会』内部のデータベースには魔術師一人一人のデータが詳細に記されている。『七星』はもちろんのこと、今はなき過去の魔術師についても調べることができる。

しかし、あくまで任意の調査であり、協力してもらった魔術師には特別なサポート、任務成功報酬が数割増になる程度であるため、データのない魔術師も少なくない。

ササキアカリも同じであった。

存在するのはおびただしい数の功績だけであった。


「えーそれじゃあつまらないよ」


瞬間──蜃気楼の如くぶれたアカリの身体は落雷の速度を軽く凌駕する勢いでその距離を詰める。

およそ人間から放たれたとは思えないほどの風圧。ソニックムーブと呼ぶには幾分激しすぎる爆発にも似た風の波は周囲の本をも巻き込みアリシアを吹き飛ばす。

吹き飛ばされたアリシアはエレナの『重力操作』による空への落下よりも何倍もの速さで本棚に激突する。


「ぅ」


魔術は使えないはずだ。


「少なくとも勝算があるから魔術を使ったんでしょう? 学校にも、私にも隠していた魔術を……なら──」


アカリは着ていた上着の袖を捲る。


「ならば、君の真の力を見せてみろ」


友人ササキアカリではなく、『切札』佐々木朱里がそこにいた。


─────────────────────


魔術協会は三つの部門に分けられる。

魔術協会の心臓部『摩天楼』。

戦闘・戦略を総括する『境界』。

主に新魔術の研究・観測を行う『Cosmic Scope』。

厳密に言ってしまえばそれぞれ別々の組織のような状態になっており、実際『摩天楼』と『Cosmic Scope』は仲が悪い。

古きを重んじ、魔術は格式高く、庶民には手に届かぬ物であるべき派の『摩天楼』と新しい物を創造し、魔術を広め世界をよりよくしたい派の『Cosmic Scope』とではまさに馬が合わないのだ。

『摩天楼』が主導権を握っていた魔王戦以前、歯痒い思いをしていた『CS』はそれ以降、日常を良くする魔術を多く展開、ビジネスとして覇権を握り、魔術協会の主導権が『CS』に渡るにはそう時間はかからなかった。

他方、『境界』は戦闘特化の先鋭が所属しており、戦闘狂が多いと思われがちだが、内部情勢には中立。基本的には傍観者の立場にある。

しかし、他と比べ異質な要素がしっかりある。

それは明確なリーダーがいないことである。

「強い者が偉い」精神の『境界』には頭がいない。そのため、所属魔術師の思想は一枚岩ではなく、『摩天楼派』、『CS派』、『完全中立』といった考え方の近い方に分かれることがある。

そういった魔術師はしばしば表向きの中立の立場を利用した潜入・諜報の依頼をされることがある。

佐々木朱里は『摩天楼派』の人間だ。

魔術は高貴であるべきで、誰でも使えて良いものではない。独占すべきだ。

───とまでは言わないが、使えない人間、魔術に職を奪われた人間からの反感を買いかねない。現実、世界の各地で高い頻度で魔術廃止のデモが行われている。

このままでは二十一世紀の『魔女狩り』が行われるまで秒読みだろう。

───と、佐々木朱里はこういった自体を危惧している。だから『摩天楼派』なのだ。

話は変わるが『覚醒魔術師』である佐々木朱里の功績はここ十年間に集中する。

魔術界において、生と死は同一視されている。

その理由として、固有魔術の発現条件は『この世に生を受けた瞬間』、そして『死の淵から蘇った瞬間』であるからだ。

前者の魔術師を『生得魔術師』。後者を『覚醒魔術師』と呼ぶ。

もう一度言う。佐々木朱里は『覚醒魔術師』だ。

いつのまにか現れた超新星は自分を騙し、他人を騙し、偽物の勇気で自分を奮い立たせ、それでも実力は本物で、いつしか『切札』と呼ばれるまでに成り上がった。

泣き虫で、寂しがり屋で、虫が苦手で、美人に弱くて、謝られることがに嫌いで、それでも優しさの塊の史上最強の魔術師は今まさに僅か十二歳の女の子を、自らの友に正義の鉄槌を下さんとしている。

余裕綽々で、傲慢で、冷徹な態度を取っているのは苦しくて今にも泣きそうだから。

友を亡くしたアリシアを抱きしめてあげたい。 でもそれは全部が終わってから。


「一緒に泣こう。受け入れようメリッサの死を」


思わず出たその言葉は風の音にかき消されて届かない。


─────────────────────


アリシアは図書館の中を飛行し、魔法書を探し回る。

ヴィンベルクを殺した火の魔法じゃ届かない。

ルークを殺した風の魔法じゃ貫けない。

攻撃が通用しないならではどうしろと言うのだ。

大いなる力には大いなる代償が伴う。物語のセオリーだ。


「──実際、話し合いで解決できるならそれが一番なのかもしれないな……」


実態が見えない。

防御系の魔術かと思えば、攻撃力が死ぬほど高い。

魔力によるゴリ押しかと思えば、総量はエレナと同じぐらい。「一般人にしてはだいぶ多いね」と言われる程度だ。

魔力効率が良すぎるのかもしくは───


「もしくは、『無限』か」


底がしれない。そもそも底がないのかもしれない。

何とかして弱点を見つけて一撃で叩き込まなければ。


「あった! 一冊目!」


火の魔法書を見つけ、身体を捻り、向きと速度を制御をする。

基本属性魔法書は全部で五冊。

アリシアの目的は五種類の魔法書を集めることだ。

そのためには、猛追してくるアカリの攻撃を捌き続ける必要がある。

アリシアは本を脇に抱え、飛び立つ。

だが、アカリはそれを許さない。アリシアが来るであろう地点を予測し、大きく踏み込み、跳ぶ。そして、飛び立つアリシアの頭に踵落としを食らわせる。


「……ッ」


一瞬にして意識が刈り取られる。が、全身の魔力をフル回転させ、意識を復活させる。

『オートリカバリー』。魔力の回転速度を上げることでで血の巡りを無理矢理早くし、意識を強制的に復帰させるという『技術』だが、大量の魔力を消費をするため実践する機会がなかった。一か八かの賭けだったが、どうやら上手くいったようだ。

空中で何とか踏みとどまったアリシアは再び魔法書の捜索を開始する。

二冊、三冊と順調に集めていく中、やはり違和感を覚える。

実に順調、順調過ぎるのだ。もちろん追撃こそあれど、致命傷になるほどの攻撃を受けていない。

ありとあらゆる攻撃が命を奪うには些か火力が足りない。手足の欠損もしなければ、打撲こそあれど流血はしない。


「手加減してくれてるのか……」


アカリはアリシアが死なないように手を抜いている。そう感じた。

魔術師はどいつもこいつもお人好しだ。


「優しいな……でも、私は殺すぞアカリ……ッ」


四冊目を手に取る。

アカリはその隙を狙って追撃してくる。

アリシアは『スタイリッシュ・ムーブ』を使用し、攻撃を免れようとするが、発動が遅れたのか一撃を食らってしまう。

二発、三発、四発と重い打撃がアリシアの身体に響く。

武道のぶの字もないような腰の入っていない一撃一撃。それでもルークの『光の拳』以上の痛みを感じる。

魔力でコーティングした肉体をも貫通する攻撃に為す術がない。


「くっ・・・」


アリシアは両手を広げ、敢えて無防備になり拳を食らう。

防御ありきのアカリの攻撃をわざと防がないことでノックバックを増やそうと考えたのだ。

意識が飛ぶ。魔力をぶん回し瞬時に復活させる。追撃に備え、顔を上げる。そこにはアカリの小さな拳が目前に迫っていた。

アカリは読んでいた。全く無駄のないコンマ一秒の差もないスムーズな動きでアリシアを殴り続ける。

アリシアは今度は防御姿勢を取り、思い切り目を瞑り叫ぶ。


「え『エァル・ノルヮージュ』!!!」


一つの魔法書が空中で開き、光の魔法が発動される。

魔法書から放たれた閃光がアカリの目を焼き尽くす。

咄嗟に目を抑えるアカリ。


「な、なに……!? 何も、何も見えない……!!!」


「は、はは、なんでだよき、効くんかい……」


どういう基準かは分からないが光の魔法は効くらしい。


「『エァル・ウルガーラ』!!」


無数の光の矢がアカリを貫くが特に効いた様子はない。

本当にどういう基準なのだ。


「なんでなの? ……ほんとに……ま、まぁいいさ」


アリシアの魔力によって宙を舞う五つの魔法書。

速読の要領でそれらのページを同時進行で捲る。


「『ドゥラ』『サリィ』『バアル』『エァル』『ベガ』」


紡ぐはエルフの魔法の言葉。

五つの魔法書を起点とし、魔法陣が浮かび出す。

火、水、風、光、闇の基本五属性の融合。

アリシアが新魔術研究科で学んだのは術式魔術の作成法。

魔術が、人間でも魔法を使用できるように改良されたものだとするならば、これは魔法であると言える。

魔法が、エルフにのみ許された神秘であるならば、これは魔術であると言える。

アリシアはアカリに向かって指を銃の形に変え、唱えた。


「『イミテーション・レイ』」


どす黒く輝く『光』。

『光』を何と定義するかによるが、誰がどう見たとしてもそれは『光』ではない。ただ、『光』と言うしかないのだ。

世界には存在してはならない『矛盾』のエネルギー。

外界から乖離された『領域』という世界だからこそ許された禁術。

放たれた『光』はそれを中心として全てを飲み込む。さながら、ブラックホールのように。

アカリも例外ではない。『光』に晒されたアカリは粒子の如く分解される──────はずだった。

手刀が、この世の誰もが見逃す程の恐ろしく速い手刀がアリシアの身体を、正しくは『光』と手首と魔法書五冊、そしてアリシアの後ろにある本棚ごと切り裂いた。


「か、が、え、は? な、」


抵抗虚しくアリシアの上半身は容赦なく床に叩きつけられる。

呼吸が浅くなり、脂汗が止まらない。

視界が復帰するには早すぎる。


「魔法は……融合魔法は食らったことがないから不安だった……悪いけど私も負ける訳にはいかない」


アカリは気がついていた。

アリシアがアカリが殺す気がないことを気がついたのと同様に、アリシアが本気で殺そうとしてきていることに。


「アリシアは優しい子だから……人を殺すような真似はしない。しかも、さっき言ってたよね? 『私の魔術でエレナの婚約者を人質に取った』って。『ミクロ・コスモス』はアリシアの魔術。だから、『領域』の特性でここでは死んでも死なないんじゃないかって思った」


アリシアは魔力を加速させ、切り離された上半身と下半身の接合を急ぐ。


「本当に終わりにしよう」


振り上げられた拳を見ることしかできない。こうなってしまえば回避不能。

死を待つのみ。

──なるほど。彼らはこういう気分だったのか。

古今東西、森羅万象、一切合切を破壊する一撃。


「『ディープ・インパクト』」


痛みなど、ない。

瞬殺とはまさにこのこと。死体すら、塵一つすら残さない一撃。

衝撃が本だけの白い世界を揺らす。


「…………ぁあ」


友人を手に掛けてしまった罪悪感からボロボロと大粒の涙が溢れ出す。

仕方のないことだった。アリシアを止めるためにはやるしかなかった。

本来なら死体があったはずの場所に膝を抱えて蹲り、大声を出して泣いた。


─────────────────────


「……ここを出ないとダメだよね」


ひとしきり泣いた後、ゆっくりと立ち上がり、呟いた。

アリシアが死してなお維持し続ける『ミクロ・コスモス』。

それだけでアリシアが生きていることの証明になる。

アカリは足に力をため、思い切り地面を蹴飛ばした。

数分間の跳躍の後、ようやく頂上に到達した。

頂上とは言えど、階段が途切れているだけでまだまだ本棚は果てしなく伸びている。


「あ……これ、懐かしい」


肩を落とし、階段に腰を下ろすと一冊の本が目に入った。

それはアカリが小学生時代に学年の垣根を越えて流行していた本の英語版だ。

もちろんアカリも読んだことがある。

少し離れたところに日本語版も置いてある。


「本、ほんとに好きだったんだなぁ……」


アリシアのことを考えると瞳に涙が溜まってくる。

いけない、と涙を腕で拭う。


「私がやったんだぞ! 泣くな私!」


本棚に本を丁寧に戻し、固まった身体を伸ばす。

見えない天井を見据え、覚悟を決めたように呟く。


「アリシアには申し訳ないけど……あ、本の作者さんもか」


戦闘の構えを取る。

アリシアに対してやっていた腰を入れない生半可なものではない。


「ここ破壊すれば外に出られるでしょう……!」


何となく、そう思った。

拳が本棚を破壊したその瞬間。

ガラスの割れるような音がして世界は転換した。


─────────────────────


「が、ぁあああぁあがあ、ううぅあ!!!!」


アカリの手刀が来ないことを不思議に思ったエレナ。聞こえてきたアリシアの悲痛な叫びに恐る恐る目を開く。

アリシアは大きく身体を仰け反らせ、白目を向き、唸っている。


「ア、アリシアッ!!」


エレナはアリシアに駆け寄り、身体を支える。

アリシアは『ディープ・インパクト』を食らう直前に魔力を暴走させ、自身の脳みそを破壊し、自殺を図った。

一世一代の大勝負。アリシアの意地だった。

自殺という賭けには勝ったが、アリシアの脳は大きなダメージを受けた。

直ぐに意識の復帰は難しい。

この一瞬で何が起こったのかがエレナには理解ができなかった。


「アリシア……良かった生きてる……」


そして、何故か涙を流しているアカリに困惑するエレナ。


「な、何をした……?」


「アリシアの『領域』でアリシアを……殺した。……終わりよ。どんな手を尽くしたとしても貴方たちは私に勝てない」


ルークすらも再起不能にしたアリシアの『領域魔術』を防いだ上で、彼女を殺したと言うのだ。エレナは絶句するしかない。

どんよりとした空気はやがて大きな粒となって大地に降り注ぐ。


「諦めなさい」


アリシアは未だに呻き声を上げている。早急に病院に連れていかなければならない程の障害を負っているかもしれない。


「ッ……わ、分かった。……ただし、条件があるアリシアを早く病院に連れていくこと。そ、それと私たちの仲間を───」


「あ、ああああああああぁぁぁ、あ!!!!!」


エレナが言い終わる寸前、アリシアが空高く飛び上がり、住宅街へと急降下して民家へと突っ込んでいった。


「アリシア!!」


一瞬遅れてアカリがそれに着いて行こうと足に力を貯めるが、無線に情報が入って来て動きが止まる。


『協力者と見られる学生を捕捉。魔術を使用できる模様、抵抗される可能性あり。至急応援求む』


自分だけに知らされた情報ではない。だが、アカリはそれに気を取られ、判断が遅れる。

数秒間の思考。

──魔術大学の学生ってことは結構強いんじゃないか? 魔術を使えるのは自分しかいない。いの一番に行くべきなのは私だ。だが、あの状態のアリシアをほっとく訳にはいかない。


「何してんの!? 早くアリシアを追わないと!」


『OK。ボクが行く』


リオの声が無線を駆ける。

アカリに次ぐ実力者。リオが一番になれないのは時代が悪かったとしか言いようがない。

そんなリオが行ってくれるのであれば安心できる。

アカリはアリシアの後を追うために跳び上がった。


─────────────────────


アリシアの弟。カイン・プラウラーは熱を出して学校を休んでいた。

父ダニエルは出張で日本へ。母マリアは大事な会議があると、両親共々出払っていた。

平日の昼間は閑散としていて、少し寂しい気分になった。

しかし、気分とは裏腹に昼前にはすっかり良くなり、リビングでビデオゲームをしていた。

急な大雨の影響か大規模な通信障害起こっており、仕方なくオフラインでゲームをプレイすることにした。

皆が勉強をしている中、ゲームをしているという背徳感というものは格別で、優越感に浸りながらゲームを楽しんでいた。


「ははwEZやっぱNPCざっこ!」


ゲームが一段落したのも束の間、家が震え、天井から埃が落ちてくる程の爆音と地響きがカインの小さな身体を揺らした。


「な、なんだよ……地震? じゃないよな……ち、近くね? て、てかうちじゃねこれ?!」


カインは慌てて階段を駆け上がり、ドアというドアを開け、中を確認しては閉じるを繰り返す。

とある部屋のドアノブに手をかけた時、異様な気配を感じた。

この部屋は姉アリシアが大学に行く前まで使用していた部屋であり、部屋の状態は以前と変わっていない。

ドアノブを開ける手が止まる。

開けてはいけない、という考えが脳を支配する。

好奇心は猫を殺す。


「ふー……」


カインは深呼吸を数回して、怖いもの見たさでドアを思い切り開けた。

重圧が、嫌な風がカインの身体を突き抜ける。

吐き気と悪寒が襲ってくる。


「う……」


まず、目に入ったのは床に散乱した窓ガラスと、さっきまで壁や天井だったはずの木の欠片。

そして、瓦礫の上に蹲るおどろおどろしい異形の姿だった。

異形は邪気、瘴気に覆われ、実態が見えない。

だが、それを異形と言うには十分すぎる。


「え、えはあ、……」


最悪の出会いに口から声にならない声が溢れる。

クトゥルフ神話に出てきそうな異形は、何やら呻き声を上げ、細かく震えている。

あまりの恐怖から大粒の涙が頬を伝い、口の中が塩味で支配される。

必死に口元を抑え、気づかれないように後退りをする。

──が、脅威を前に腰が抜け、上手く逃げられない。

すると、異形はこちらへ気がついたのかゆっくりとした足取りで近づいてくる。


「く、来るなあ!!」


万事休す。

何かないかと辺りを懸命に顔を動かす。ベッドの上に拳銃が転がっていることに気がついた。

何故そこにあるのか、というのは疑問に思わなかった。それ以上に必死だった。

足は動かない。腕の力を使い、這いずってベッドへと向かう。


「はっはっふぇ……はぁっ」


上手く息を吸うことができない。

ベッドの距離が遠い。二メートル程のはずなのに、その距離が縮まらない。

異形との距離はじりじりと近づく。

やっとの思いで辿り着き、拳銃を手に取る。

ずっしりとした金属の重さを感じる拳銃を握り、異形へと向ける。

拳銃がカチャリと音を立てる。

何の音か分からないが、気にしている余裕はない。

異形は拳銃を装備したカインに臆することなく近づいてくる。


「ち、ち、近づくな! う、撃つぞ!!」


カインは躊躇いながら引き金に指をかける。

異形は一瞬だけ動きが鈍ったが、カインはそれに気づかず、発砲した。


「うああああああああああああ!!!!!」


腕が反動で壁に叩きつけられる。

轟音とともに飛び出した弾丸は異形の頬を掠め、勉強机の電気スタンドを破壊した。

異形は腕を大きく広げ、こちらに一歩一歩、歩み寄ってくる。


「あ、あぁぁあ……」


カインはぎゅっと目を瞑り、もう一発、二発と放った。

発砲音が耳を殴打する。鼓膜が破れた気がする。

すると、異形の気配が消えた気がした。

恐る恐る目を開ける。

確かに異形は消えていた。が、その代わりに夥しい量の血とその上にうつ伏せになっている女の子の姿があった。

その女の子はカインよりも少しだけ年上に見えた。

化け物だと思っていたのものは人だった。


「あ、ぁぁ……ち、血を止めなきゃ……で、でもお前が悪いんだぞ……襲って来たから……」


何とか自分が悪くならないように自分に言い聞かせる。

昔、父親に教わったように包帯を、しかし、近くにないため代わりにベッドの布を使って──


「──アリシア!」


「──ぇ」


窓ではなくなったバラバラの窓枠に女性が立っていた。

こちらの女性はうつ伏せの女の子とは違い成人していそうだ。

──じゃなくて、今、何て?


「い、い、今、何て……」


行き過ぎた動揺は最早涙など出さない。

女性は異形だった少女を、アリシアの身体に近づき、布団の布で必死で血を止める。


「死ぬな! 死ぬな死ぬな! アリシア!!! お前はこんな所で死んでいい人間じゃない!! アリシア・プラウラー!!」


姉だった。

異形で、化け物で、自分に襲ってきた存在は姉のアリシア・プラウラーだった。

自分は姉を撃ってしまった。取り返しのつかないことをしてしまったと幼いながらに思った。


─────────────────────


銃声が、聞こえた。

──嫌な予感がする。

朱里は住宅街の家々の上を駆け、銃声のした方へと向かう。

すると直ぐに銃声が再び聞こえてくる。今度は一発だけではない。


「──魔力が小さくなってる……? ちょ、ちょっと待ってよ──!?」


先程まで目を閉じてでも感じていたアリシアの 気配が弱まっているのだ。

朱里は急ぐ足を更に早め、アリシアが落ちたであろう民家を見つけた。

明らかに天井が陥没しており、悲惨な状態になっている。


「アリシア!!」


遅かった。

瓦礫を乗り越えた先にいたのは血溜まりに伏しているアリシアだった。

尋常ではない血の量。これは助からないかもしれない、と思ってしまった。

まさかだった。まさかアリシアが銃如きでやられるはずがない。


「い、い、今、何て……」


アリシアよりも小さな小学生くらいの少年が、 ベッドのシーツを持ってアリシアの横に立ち竦んでいる。

傍らには拳銃が転がっている。

彼がアリシアを撃ったのだろうか。

そんなことを考えている場合ではない。

朱里は少年からシーツを強引に奪い取ると、アリシアの傷口を抑える。


「死ぬな! 死ぬな死ぬな! アリシア!!! お前はこんな所で死んでいい人間じゃない!! アリシア・プラウラー!!」


必死に叫ぶ。誰でもない誰かに助けを乞うように。


『──あー……こちらヘンドリクセン……協力者と見られる学生数名を拘束。恐らく指揮官と思われる。繰り返す。協力者と見られる学生を数名確保。恐らく指揮官だと思われる』


無線に流れる情報など朱里の耳には入ってこない。

アリシアから流れる血は次第に止まっていった。傷口も完全に塞がっている。

しかし、アリシアの命の灯火はとうに──

呼吸も脈もない。

生気のない顔を着ていた上着で隠す。


「……君、名前は?」


朱里は止血を止め、鮮血に染まったシーツを握ったまま少年に尋ねる。


「あ、あ、あ」


大粒の涙を瞳に貯め、頭を抱える少年は呻くばかりで答えない。

無理もない。自らの手で人を殺めてしまったのだ。


「ここは危ないから避難しよう?」


朱里は少年に手を差し伸べる。

だが、少年は差し伸べられた手には目も暮れず、冷たくなったアリシアに駆け寄り叫んだ。


「姉ちゃん!!」


──ああ、そうか。

あのアリシアが拳銃如きで死ぬ訳がない。頭の中にこびりついていた違和感の正体。

本能的に実家へと帰ってきてしまったアリシアは何らかの要因で正気に戻る。はたまた、戻っておらず無意識のうちに弟を安心させようと魔力を解いた。しかし、気が動転していた弟に撃たれてしまった。

なんともできたシナリオだろうか。

朱里は居た堪れなさから奥歯を砕く。

泣きじゃくるアリシアの弟の背中を眺めることしかできない。


『アカリ・ササキ。状況はどうなっている?』


無線の呼び声に思わずハッとする。


「あ、……こ、こちらササキアカリ……実行犯アリシア・プラウラーは沈黙……し、死亡しました……巻き、込まれた少年を保護し、帰還します……アリシア・プラウラーの実弟かと思われます」


震える唇を必死に取り繕い、言葉を紡ぐ。


『そうか。実行犯はもう一人いたはずだが……』


エレナ・ベイカーのことだ。すっかり忘れていた。


「あ……そ、そちらも近くで無力化しているはずです……す、直ぐに回収しに行きます」


無線を切り、深呼吸をする。

そして、もう一度。


「君、名前は?」


「カイン……カイン・プラウラー……ご、ごめんなさい……ごめんなさい……」


変わらず泣き続ける少年カインに朱里も思わず 我慢できずに泣き出しそうになる。

──まだ泣いちゃダメだ。


「ごめん。アリシアちょっと乱暴するよ」


アリシアの遺体の横に膝をつく。アリシアの血液が膝にこびりつく。

唇を噛み、姫様抱っこの形でアリシアを持ち上げた。

その身体は羽根のように軽くそこでまたも涙が溢れそうになる。しかし、先程までとは違い、 涙を拭う腕はアリシアで埋まっている。


「ね、姉ちゃん!」


「仕方なかったんだよ……気にしないで……仕方がなかった。タイミングが悪かったんだ……私が……私が殺した。君じゃなくて私が殺したことに……私が、そうだ私が殺した……アリシアを私が、あ、ぁあ……」


嗚咽を漏らす朱里。

人格が変わったと、カインは直感的にそう思った。背筋が凍るのを感じた。

アリシアを抱え、外へと向かう朱里。


「ま、待って……!」


カインは着いていくしかなかった。

このままでは路頭に迷ってしまう。どうするべきかと迷ってしまう。

カインは朱里に着いていくしかなかった。


─────────────────────


──あれから約十年が経過した。

第三研究室のメンバーは国家転覆未遂の容疑で 全員逮捕され、ミッシェルの研究室は解体された。

魔術を用いたテロ行為は本来ならば極刑に処されるところだが、『切り札』佐々木朱里の裁量によって減刑された。

もちろん、この判決に疑問視する国民も多数いた。だが、もういない。

投獄されて数ヶ月で監獄というものが機能しなくなるのだ。

彼女らの研究室のリーダー格、メリッサ・レインの遺言により、彼女の兄弟に『延命術式』が使用されることとなった。

結果は成功。最年長の兄にあたるハンク・レインは三十歳を乗り越えることができた。

代償は『魔力の猛毒化』であった。

魔力に適応できない人間は、空気中に漂う魔力を吸い込むと血反吐を吐く、四肢が腐る、眼球が取れるといった症状を発症し、遂には死亡するというケースが世界で多発した。

これは一度使用したからではなく、メリッサの兄弟十人全員に使用したために起こってしまったのだ。

一発目は、彼らの父、クリストフ・レインの死亡。二発目、咳、痰といった症状。三発目、眼球からの出血。四発目、呼吸困難。五発目、強烈な自殺願望。六発目、殺害衝動。七発目、脳出血。八発目、四肢の腐敗。九発目、内臓が傷ついたことによる吐血。十発目、上記により死亡した人間の屍人化。

その結果、ほんの数ヶ月で世界人口の約八割が減少した。無論ヨハンも例外ではない

ホムンクルスが『完全なる人間』になってしまったことで間接的に『人体錬成』を完成させた。

『死者蘇生』と並び、禁忌とされる『人体錬成』の代償が世界を壊したのだ。

果たしてこれがメリッサの望んでいたことだったかどうかは今となってはもう分からない。

そして、『延命術式』を使用したミッシェル・ブライトは『魔力金庫三億年まりょくきんこさんおくねん』という死ぬよりも辛い処罰を受けることとなった。

それから十年である。

屍人と化した人間たちはほとんど駆逐され、復興が徐々に始まり、世界に再び平和が訪れた。

と、言いたいところだが、屍人は駆逐されたものの、討伐の中心となった魔術師たちによる実力主義の社会が構築されてしまった。復興とは夢のまた夢であり、各地で魔術師による覇権争いが始まってしまったのだ。

アメリカでは『七星』最強リオ・レオンハート率いるカリスマ派。こちらも『七星』オルター・ライト率いる民主派が争っている。

他方、イギリスでは王室の直属魔術師であった『七星』ルイス・ブレッド・キャメロンが統治。

ロンドンに拠点を置き、復興を進めている。

ドイツの『七星』フィリップ・ルーカス・ツー・フォルベックが軍事力を失ったロシアを乗っ取ることに成功。フィリップは勢いそのまま数ヶ月前イギリスに宣戦布告を申し付けた。

現在も依然として睨み合いが続いている。

混沌とした一番の原因は圧倒的な頭がいなかったからである。

所詮は魔術師。餅は餅屋と言うように、彼らの本分は政治ではない。導いてくれる政治家は根こそぎ死んだ。手探りでやるしかないのだ彼らのやり方で。

日本はと言うと、早々に屍人の捕獲に乗り出した。もしかしたら元に戻す手立てがあるかもしれなかったからだ。

最初こそ他国もこの傾向であったが、屍人に殺された魔術師も屍人になることが判明し、七十億を超える屍人を全員元に戻すなど現実的ではなかった。

日本も例外ではない。直ぐに当初の計画は頓挫することとなった。それでも、約七千万人いた屍人のうち二千万人弱を捕縛。

昨日を繰り返す魔術『延命術式』の改良・強化版魔術『リスタート』がエレナ・ベイカーによって発明された。

これにより、世界中の数千万人単位の屍人が生き返った。──何て美味い話はなく、彼らは元の人間の姿に戻り、安らかに眠って逝った。

目標を達成した日本の魔術師はその後、他国と同様に覇権争いに勤しむこととなった。

明確な頭がいないからだ。

それでは、『最強』はどこに行ってしまったのか。


─────────────────────


『切札』佐々木朱里はどこに行ってしまったのか。

彼女は長崎県青崎市の実家で死んだような暮らしをしていた。

壊れてしまったのだ。立て続けに友人が二人の死亡したことによって心の弱い朱里は疲れてしまったのだ。

そして、人類の屍人化によって常に朱里を支え続けてくれた親友をも失っていた。

自室は意外にも綺麗で、整理整頓されている。

その理由はカイン・プラウラーだ。

姉を殺してしまったカインは朱里の家に居候している。

あの後、ミッシェル・ブライトのかの事件によって母マリアは死んだ。アメリカ空軍の軍人であった父ダニエルも屍人との戦いによって四年前に命を落とした。

十四歳で本当に路頭に迷ってしまったカインはとある人物の打診により、朱里の家に転がり込んだ。

彼曰く、「責任を取らせろ」と。

朱里は苦虫を噛み潰したような表情をしていたが、渋々了承してくれた。

彼女はあの日から全く見た目が変わっていないように見えた。

家族は皆んな亡くなっているようで、彼女の家からどこか寂しさを感じた。

朱里は色々なことを話してくれた。

四人家族の長女で、妹がいたこと。

一家心中の唯一の生き残りであること。

それの後遺症で死にかけたこと。

その結果、魔術に目覚めたこと。

この家は差し押さえられた後、買い戻したものであること。

アリシアとは友達だったこと。

自身の魔術のこと。

カインの話を聞いてくることは少なかった。自分から話してくれるのを待っていたのだ。

朱里は自分の話する時、初めはいつもニコニコしているが、終わりには決まって泣いてしまっていた。

夜中には彼女の部屋から啜り泣く声が聞こえてくることもあった。

全て自分の責任だと思っているのだ。そうじゃないのに。

カインが十八歳になった時、ある人物が彼らを訪ねに来た。

その人物とはカインに居候を打診した男だった。


「久しぶりだね。カイン。背、伸びた?」


数年ぶりに再会した彼は依然よりも痩せていているように見えた。

物腰柔らかそうに見えるこの中年男性はの名前は烏養仁。『黒』とも呼ばれ、『魔術師殺し』だ。

かつて仲間を襲った熟練魔術師を復讐の為に単独で四十八人殺したという噂がある。

そんな悪魔のような男が自分に救いの手を差し伸べてくれたことが数年経っても未だに疑問である。


「お、お久しぶりです。今日はどうして……?」


扉を開けて、仁を家の中へと招き入れる。

スーツを脱ぎ、腕に抱える。


「なに、たまたま近くに寄っただけだ朱里はいるか?」


「ええ、いますけど……呼びますか?」


「いや、まだいい。にしても日本語大分上手くなったねカイン」


リビングのテーブルにつくと仁は突然そう言った。

急に褒められて小っ恥ずかしくなる。


「い、いえまだまだですよ」


照れ隠しからキッチンに向かい、コーヒーを用意する。


「朱里は変わらずかな?」


「……はい。仁さんの方は……?」


「僕か? 僕も相変わらずだよ。やっと仕事がまともに動くようになってきた。日本はゾンビになる人が比較的少なくて良かった」


屍人問題で一番の課題は食料問題だ。

全世界で農家、酪農家の多くは屍人になってしまい、生産者が減少した。

現在では植物系の魔術師や自動人形操作系の魔術師が食品の生産、流通を行っている。

それでも長い年月をかけて整備されてきた田畑の過半数は最早使い物にはならず、最初からやり直しになってしまった。

一方で動物に対しては魔力は有害ではないらしく、被害は報告されなかった。

飼育員をなくした動物園の肉食動物たちが屍人を襲って捕食し、生き延びていたというのはまた別の話である。

そして、ここ数年でやっと軌道に乗ってきたという訳だ。


「それでも全盛期の二割ぐらいの収穫量……先人の知恵とか人口とかってのは偉大だね」


「屍人たちが物を食べないということも良かったですね……良かったのか? まぁ良かったとしましょう。最近の食べ物が添加物モリモリで消費期限が長かったのも功を奏しましたね」


「項を奏したって……日本人じゃんもう」


仁の前にコーヒーを置き、カインは対面するように座る。

現在では貴重になってしまったコーヒーを大事に飲みながら仁は感動する。


「世の中がちょっと良くなったからと言って争っている場合ではないけどね。海外の馬鹿共は何やってんだ……カインのことじゃないよ」


「分かってますよ」


仁はコトっとコーヒーカップをテーブルに置く。

すると、神妙な面持ちでカインに話しかける。


「…………なぁカイン。この世界を変えたいと思わないか?」


「……どういうことですか?」


「世界を救いたいとは思わないか?」


「だからどういう──」


「君の姉アリシアを、救いたいとは思わないか?」


──どういうことなんだ。


「わ、訳が分からないですよ! 一から百まで説明してくれなきゃ分からないですよ!」


仁はおもむろに自分の持ってきた鞄の中を漁る。

出てきたのは分厚い布に包まれた何かだった。

それを仁は机の上に半ば乱暴に置いた。

コーヒーカップとは違い、重く鈍い音が机を揺らした。


「……」


布を丁寧に剥がしていくと、更に新聞紙に包まれ、その上には呪符が貼られていた。


「安心しろ。『妨害術式』だ。一応貼ってあるだけだから気にしなくても大丈夫」


カインは『妨害術式』を剥がし、新聞紙からそれを取り出した。

それは刀身が折れた西洋剣であった。

ところどころに傷がついており、刀身は十センチ程。最早剣と呼ぶには頼りない。

だが、見事な装飾がされており、格式高い騎士が使用していたものだと伺える。


「これは……?」


「こいつは『エクリプス』。十六世紀イギリスの三大魔術師の一角『タイム・クラウン』イヴァン・C・グレイが使用していた剣だ」


──何故そんなものを持っているのだ。

カインは柄を持ち、顔の前まで持ってきてじっくりと眺める。


「『タイム・クラウン』……聞いたことがあります。確か、時間を止められたって聞いたことがあります」


「うん。その人だよ」


「なんで持ってるんですか」


その疑問は正しい。

腐ってもイギリスの伝説の魔術師の一人の愛剣のはずだ。

グレイ家が手放すとは考えづらい。


「盗んだ」


「は?」


「うそ貰った」


──!? 時間を支配する魔術師から貰った!?

平然と言い放った呑気にコーヒーを飲んでいる。


「バカだろ!? 家宝じゃないのか!?」


「だから馬鹿なんだよ外国の魔術師は。まぁ正しくは僕に預けてるって感じかな。今、イギリスは大変だろ? 奪われたくないから信頼のできる人間に預けたいんだってさ」


「だからって仁さんはないでしょ……」


「ははッそれはそうだ。多分、魔術師に信頼してなくて、ある程度強くて、それでも自分たちなら勝てる相手を選んだって感じなのかなぁ」


そこで一つ疑問が浮かぶ。


「なんでそこまでするんですかね? ただの剣ですよね?」


「おっと良い質問だね。答えは『ただの剣ではないから』。この剣はイヴァンが二十二歳から病気で四十五歳で亡くなる前の年まで大事に使用されたものだからだ」


魔術師に長年使用され続けた武器には魔術が宿る。

魔術が宿った武器は武器としての価値が一気に上がる。

しかし、重要な点はそこではない。


「そう、魔剣に宿った魔術は誰でも使用できるようになってしまうんだ。固有魔術も、領域魔術も、なんでも、魔術師であればね」


「……これをどうしろと言うんですか?」


「まだ分からないかい? 君の『全長約六十センチ以下の武器と分類されるものの性能を最大限引き出す魔術』で過去に戻るってことだよ」


「せ、西洋剣は六十センチ以上あります。俺にはできません……」


「手に持ってるその剣。折れてるね」


ゾクリと、ひんやりとした感覚が背中を駆け巡る。

この魔術で姉を殺した。この魔術さえなければ 姉は死ぬことはなかったかもしれない。

なのに仁はその力を再び使用させようとするのか。


「あんまりカインをいじめちゃダメだよ。仁くん」


カインの後ろから朱里が口を挟んできた。

朱里はカインの横に座る。


「あ、朱里……」


「いや……やりたくなければやらなくてもいいんだ。ただ、こういう選択肢もあるってだけさ。実際、過去を変えたところで、この世界が変わるとは限らない」


「なら私が過去へ行く。私が私を殺しに行く。それで解決する」


「どうやって? 君の魔術は君さえ殺せないだろ」


朱里の魔術は『パラノイア』。

朱里ができる思い込んだことが実際にできる能力だ。勝てると思ったら勝てるし、負けると思ったら負ける。ただ、それだけの能力だ。

魔術が効かないのも効かないと思い込んでいるから、不意打ちが効かないのも予測していないから。

彼女の魔術を支える要素は『成功体験』だ。小さなことの積み重ね、練習をコツコツした結果の賜物である。

言わばあの時の彼女は挫折を知らぬ全盛期、比べて今の朱里は精神状態が不安定で『七星』からも外れている。勝機はないと言っても過言ではない。


「それに君にはこれから激化する戦争から日本を守ってもらう必要がある。戻って来れる保証がないのに君に行かせる訳にはいかない」


「だったらお前が行けば良いだろ!! こんなことにカインを巻き込むんじゃない!!」


激昂し机を叩いて立ち上がる朱里。


「僕は行けない。行きたくても行けないんだよ朱里。僕は魔術師じゃあない」


それに、と仁は続ける。


「カインの魔術はすごいぞ。カイン、数秒前まで戻ってみろ」


そんな無茶なと、カインは柄を握り魔力を込める。

何も起きない。

──ほら何も起きない。


「僕は行けない。行きたくても行けないんだよ朱里。僕は魔術師じゃあない」


デジャブ。否。

時が巻き戻っている。だから、分かる。次、仁が言う言葉が。


「「それに、カインの魔術はすごいぞ。カイン、数秒前まで戻ってみろ」」


「なっ」


朱里が珍しく驚いた表情を浮かべる。

カインも同様に目を見開き固まっている。


「な、言ったろ。魔剣の魔術は使うのに技術を要する。熟練の魔剣士でも新しい魔剣の魔術を発動するのに一ヶ月は修行しないといけない。でもこいつはやってのけた」


「あ、朱里……お、俺」


「カイン……」


朱里は寂しい目をしていた。

──カインまでもが私を置いて遠くへ行ってしまう。

だが、朱里は直ぐに何かを決心した顔に変わる。


「カイン。今、何で迷っているの?」


「え、えーと」


「アリシアを救いたい?」


「……救いたい! 助けたいよ! でも……」


「……私か……?」


カインは思わず目を伏せる。

朱里はその様子に奥歯を噛み締める。


「舐めるのもいい加減にしろよ……! 私を誰だと思っているんだ……! 私は『切札』日本の切り札、世界の切り札、生きとし生けるもの全ての切り札……佐々木朱里だぞ! ……寂しくなんかないよ」


大粒の涙を浮かべ、カインを睨みつける。


「カイン……お前が必ず無事に帰って来るって思っている。……思い込んでいる」


『パラノイア』には他人を直接コントロールする能力はない。

だが、その言葉に勇気が湧いてくる。やれる、そんな気がしてくる。


「仁さん。俺やるよ。過去に俺がしてしまったことのケジメをつけなきゃいけないから」


「──あぁ頼むよ」


「……で、具体的にどうすればいいのかな……」


カインが首を捻る。


「メリッサが亡くなったことが事件のきっかけだから……メリッサが亡くならないように……ってのは難しいよね……」


「そうだな。メリッサ・レインの死因は限りなく老衰に近い過労死のはずだからどうしようもないだろう」


「そう、だよね」


朱里は困ったように笑って椅子に再び座った。

彼女はメリッサも救って欲しかったのだ。アリシアだけでなく。


「……私に出会わなければ……」


朱里はポツリと呟いた。


「そうだ……あの日、アリシアが体調を崩した日。偶然私もお見舞いに行って友達になって、仲良くなって行ったんだ……だから私がいなければ……」


「お前がいようがいまいがメリッサの遺言で世界はめちゃくちゃになるだろう」


「い、一旦、整理しましょう。メリッサさんが亡くなるのは確定ですよね? 彼女を蘇生しようとして姉さんは死んでしまう。…………僕が、殺してしまう。……で、その後、メリッサさんの遺言で世界がめちゃくちゃになる。つまり、姉を救いつつ、遺言をなかったことにする必要があるってことですよね」


アリシアを救うのが第一目標。

次に、メリッサの遺言阻止だ。

そして──


「で、アリシアの死者蘇生も食い止めなきゃいけないのか……頑張れよーカイン」


「他人事だなぁ……骨が折れますよ……」


やっぱ日本人だよなあとは呟く仁をよそに、カインは思考をする。

一つ考えが浮かぶ。


「……死者蘇生しても良くないですか?」


あまりに突飛な物言いに固まる二人。


「……何言ってんの? ダメでしょ倫理的に」


「朱里。本当にそう思ってる?」


「……」


「正直、『延命術式』それ自体の禁忌性は低いと思うんです。だって色々な症状が段階的に現れてきたんです。つまり、魔力が徐々により強い猛毒に変化して行ったと考えるのが自然なのではって……思った……んですけど」


自分で言ったことが段々と不安になってくる。

しかし、カインの言わんとしていることは二人にも伝わったようだ。


「つまりこう言いたい訳だ。一発で全員の延命を成功させたら代償は一回目のみで済む。と」


「そうです。確か咳と痰……でしたっけ? この程度なら医療が発達すれば何とかなりそうじゃないですか? 『蒼すぎる空』を吸収した姉さんならバカデカ術式も簡単に作動できるはずです。……多分、最初からその作戦だったのかもしれません」


「何故そう思う?」


「俺が姉さんの弟だからです」


「で、でも、死者蘇生はどうするの? 禁忌の代表格だよ? もっとすごい代償があるかもしれないんだよ!」


朱里の言っていることは最もだ。

死者蘇生など神の奇跡だ。それこそ世界が滅びてしまう可能性すらある。


「ギリシャ神話にはアスクレピオスという医療を極めた神が存在しました。死者蘇生をも可能にする奇跡の力です。彼はハデスという冥界の神の逆鱗に触れ、結果的にゼウスに雷に打たれて死にました。代償は神の裁きであると言えます。……この世界に神はいませんよ朱里」


「……じゃ、じゃあなんで『延命術式』には代償があったの……? 神がいないなら裁きを下す必要なんてないでしょ……? それに、魔術だって神がいないとこんな非科学的な力持てる訳ないじゃない……」


「神がいないから持てるんですよ。神に対抗できる力を神が人間如きに与える訳ないじゃないですか。貴方が一番よく分かっているでしょ? 代償は……一旦置いておきましょう」


朱里は唸るのみで反論ができない。


「まぁ神すら殺せない人間の心をズタズタにして再起不能にしようっていう神の作戦かもしれないけどね」


「そんなこと言ったらなんでも言えますよ……」


「代償も……いざとなれば万全の朱里もいるし、アリシアって頭が良かったんだろ? 何とかなるさ。……それに酷かもしれんがどうせカインがやらなきゃその世界は生まれない。絶望ですらなかった“無”が希望に変わるかもしれねぇんだ……」


朱里は俯いたまま沈黙している。

仁は手を叩き、言う。


「方針は決まりでいいな? 朱里をあの場に行かせない。つまり、アリシアの好きにさせる。異論はあるか?」


「俺はない」


「……」


朱里は何か言いたげだ。

仁は頭を掻き、朱里に問いかける。


「……さっきから何かと理由つけてやめさせようとしてるよな。人道的じゃないってのは分かるけど、本当は他に理由があるんじゃないか?」


朱里は少し躊躇いながら口を開く。

カインは朱里が言うことに予想がついていた。

だって数年一緒にいたから。それにカインもその方法しかないと思っていたけど、言わなかった。言いたくなかった。


「……友達じゃなくなったアリシアのことを多分私は容赦なく殺すと、思う。アメリカ全土を巻き込んだ行為、ううん……世界が危機に陥る行為を『切札』佐々木朱里は見逃さない……例え、世界の裏側にいたとしても、宇宙の果てにいたとしても、私はアリシアの元へ三十秒もかからず飛んで行く。だから……」


──聞きたくない。言うな。


「だから……私は……」


──ダメだよそれは。


「過去に戻ってすべきことは私の足止めじゃなくて……」


「──聞きたくない違うよ朱里」


カインの言葉は朱里の耳には届かない。

聞こえていないのかもしれない。一番言って欲しくない言葉だ。


「過去に戻ってやるべきなのは……私を、過去の、弱かった頃の私を殺すこと……だ」


─────────────────────


あの会議から三日後。

カインたちは現在はもう既に使用されなくなってしまった青崎駅に来ていた。

この駅に来たのには理由がある。

十五年前に朱里は生死を彷徨った。

一家心中の唯一の生き残りになってしまった朱 里は事故の後遺症によって、魔力回路に障害を負ったことが理由だ。

通常、古くなった魔力は呼吸、発汗、排泄によって外へ排出するが、朱里はその排出機能が上手く動かなくなってしまった。

当時、十歳。まだ世間に魔術の存在が認知されていない時だ。

つまり、何が不調の原因かが診察できないのだ。

家族を喪った朱里は祖母の家に引き取られることになった。

周りに心配を掛けないよう気丈に振舞っていた。その頃はまだ症状がなかったのだ。

だが、排出されず、溜まりに溜まった魔力は徐々に朱里の身体を蝕み、十四歳になった朱里は遂に中学の体育の授業中に限界に達し、倒れ、緊急車で運ばれた。

そして、十五歳の夏まで意識が戻らなかった訳だが──


「──由貴さん? って方が来てくれたお陰で意識が戻ったって? そんな美味い話あるか?」


カインが頭を掻きながら言った。


「そうだよぉ。お医者さんも言ってたし、後、数分来るのが遅かったら命が危なかったーって」


「非科学的だなぁ医者が言うかねそんなこと」


朝早い時間からか語彙がふわふわしている。


「で、その由貴さんを俺が足止めするって訳か」


「そゆこと。カインはただ由貴のことを邪魔しちゃっただけー」


朱里はカインの手を汚させたくないのだ。もう二度と。

だから、間接的に朱里を殺すことを選んだ。


「しっかし本当に来るのか? お前の親友」


コンビニで買い物を済ませてきた仁がそう言った。

買い物というか物色というか。


「来るよ。全てを見通す『目』を持った友達に見てもらったから」


何故かドヤ顔をしている朱里。

『目』。つまり、『魔眼』のことだ。

『魔眼』も魔術と同様に生まれた瞬間、もしくは生死を乗り越えた時に発現する。

神代の悪魔が使用していた魔眼が起源で、現代に使用される魔眼はその悪魔の残滓である言い伝えられている。

魔術との明確な違いは、代替品がないことだ。

死しても失われ、生きたままくり抜いても失われ、細胞を取ってみても異常はない。目としての機能が失われた時、魔眼は死ぬということだけが分かっている。


「魔眼持ちの友達がいるとか都合が良すぎないか?」


ピンポイントで過去を見ることができる魔眼持ちがいたってことだ。疑うのも無理もない。


「私を誰だと思ってんの? 天下無敵の佐々木朱里様よ。魔眼持ちの友達ぐらい一人や二人いるに決まってるでしょう。友達は多い方だったしね」


胸をぽんと叩く朱里。

頑張って背伸びしているが、カインはおろか、 仁の身長にすら届いていない。

これが今年三十歳になる女性の振る舞いか。


「でももうその友達いないじゃん」


「カスのアウラやめて」


「アウラは元々カスだろ」


仁の人の心のない発言を華麗にスルーする朱里。

「アウラってなんですか」というカインからの純粋な質問に卒倒する二人。


「こ、これがジェネギャ……」


「ふ、ふふ、久しく忘れていたな……懐かしいぞ、この感覚……っ!」


歳を自覚して倒れる朱里と、強者感が漂うセリフを吐く仁。

激しく動揺する二人にカインも困惑する。


「アメリカ人! ワタシアメリカ人ダヨ!」


「なんだアメリカ人なら仕方ないか……って、話が脱線しすぎ」


アスファルトに突っ伏していた仁が跳ね起きる。

──結局、アウラはなんなんだよ。

という、ツッコミはギリギリ飲み込んだ。


「朱里はいいのか? お前を殺すってことで」


「いいんじゃない? それよりもカインが戻って来れるかが心配だよ〜」


「軽いね。過去とはいえお前のことだぞ」


「どうせあのままだと眠ったようにそのまま死ぬからねぇこの世界の私は生きてるし」


あまりに楽観的な考えに呆れる仁。

カインはそれでも心が痛む。


「で、でもや、やっぱりやめない?」


そんなカインの心情を知ってか知らずか朱里が言った。


「朱里……お前、さっきと言ってることが違うぞ……」


「や、カインはまだ子供だからさ、こんな大きな責任を取るべきじゃないのかなぁ……なんて、アハハ」


アリシアは十二歳で世界を敵に回そうとした。

比べてカインは十八歳だ。子供であることは言い訳だ。


「……朱里。ありがとう。でも罪滅ぼしなんだ。これは俺にとって覚悟の証明だから」


「そうだ。お前が弱気になってどうする」


「うん……ごめん」


カインは持ってきたカバンから『エクリプス』を取り出す。

新聞紙をガサツに剥がすと、その折れた刀身が朝日を反射する。


「じゃあ行ってきます!」


「おう行ってこい」


「無事に帰ってきてね……!」


カインは『エクリプス』に魔力を込める。

限界ギリギリの向こうに行ったとしても動けるぐらい。

十五年前の情景を想像する。

朱里や仁から見せてもらった当時の写真や映像からその想像を膨らませる。

──来た。

時を駆ける感覚。さながら初めて飛行機に乗った時のような浮遊感と不快感と不安感がカインの脳を支配する。

青い光がカインの身体を包み込み、消えた。過去へ行ったのだ。


「……行ったな」


「うん……」


「……『パラノイア』は使わなかったんだな」


『パラノイア』。別名『偽物の勇気』。

認知の歪みを引き起こす魔術。

朱里は戦いに出向く前に必ずやることがあった。

まず、親友の牧野由貴に電話をすること。

次に、朱里が師と慕う如月光に近況報告のメールを送ること。

最後に、『偽物の勇気パラノイア』で自分を奮い立たせること。

不安だからだ。どうしようもなく不安なのだ。

朱里の本質はただのか弱い女性だ。

だから、勝つために負けないために自分を騙すのだ。


「……それじゃあカインの『本物の勇気』に失礼だよ」


朱里は手を合わせて願った。


「嗚呼神様……どうかカインを守ってください……」


─────────────────────


「あの〜大丈夫か?」


駅員らしき人間から声を掛けられカインは覚醒する。

激しい頭痛と、吐き気に襲われながら何とか立ち上がる。

辺りを見渡せば綺麗な駅と、活気溢れる商店街がそこにはあった。


「ア、アノ今日は何年の何月何日デスか?」


なるべくカタコトの日本語で話すカイン。


「今日? えーとね二千三十六年の九月二十日だよ。ほら」


と、カインのものよりも何世代も古いスマートフォンの画面を見せてくる

成功した。タイムリープに。


「兄ちゃん。あの剣は兄ちゃんのかい? 危ないからダメだよアレ」


「AH……ア、アレはオモチャだよ。えーと、そう、アニメ!イベントに行くんだよ!」


「ふーん。ちょっとまっててね警察呼んで調べてもらうから」


駅員の男は引き下がらない。当たり前だ剣を持ってる外国人など危ない所の騒ぎではない。

そんなカインたちの横を一人の女子高生が走り抜けて行く。

牧野由貴だ。以前写真を見せてもらったことがある。

追いかけなければ、でも、この人をどうにかしなければならない。


「じゃ、じゃあ、これで紙切ってみるよ! 切れなかったら行ってもいいでしょいくよ!」


カインはカバンから分厚いメモ帳を取り出した。

いや、自分でやったらいちゃもんをつけられてしまうかもしれない。


「やっ、やっぱり駅員さんがやってよ! 私がやるとフェアじゃないよ!」


「は? わ、分かった」


駅員は折れた剣でメモ帳に歯を入れた。

しかし、紙には傷一つつかなかった。

紙に魔力を込めたのだ。


「ほ、ほらね。偽物だよ! じゃあ私行くから!」


カインは駅員から半ば強引に『エクリプス』を奪い取り、振り向きもせず走り出した。


「ちょ、ちょっと!」


何か言おうとしているが無視して、交通系ICで改札を通り抜けて行く。

魔術によってどんな改札でも通行できるようになった便利道具だ。

この時代でも使えて助かった。


「次の電車まで後五分……流石に間に合うよな……?」


──いざとなったら緊急停止ボタンを……いや、関係ない人を巻き込む訳にはいかない。なるべく穏便にことを済ませたい。


「……いた!」


魔力で鍛えた足は、由貴の後ろ姿を捉えた。

電車ももう既に来ている。


「ちょっ、ちょっと待ってー!!」


由貴が電車に乗り込む瞬間のギリギリでカインは彼女の手を掴んだ。


「えっ?! な、なんですか!?」


「あ、い、いやその」


掴むつもりはなかった。ただ、必死で由貴を止めなければという気持ちが何よりも先に先行していた。


「お、落し物してたから!」


カインはカバンの中からペンギンをモチーフにしたキーホルダーを取り出す。

これは実際に朱里が由貴から十五年前にもらったものだった。

つまり、今日朱里にお見舞いの品として持っていくものの一つだ。

何かの役に立つかもと朱里が持たせてくれていた。

そう言うと電車のドアが閉まる。


「あ……ありがとうございます……」


由貴は電車が行ってしまったことに落胆しつつ、キーホルダーを届けてくれたカインに礼を言う。


「ごめんね! 急いでたと思うんだけど引き止めちゃっ、て」……


「? ど、どうかしましたか?」


頭の中をピラニアが暴れ回っているような痛みが駆け巡る。

カインはその痛みから由貴の足元に膝を付く。


「い、いや、す、少し気分が悪くなってしまって……」


「え、駅員さん呼んできますねっ!」


由貴に肩を借り、ベンチまで運ばれる。

横になって目を閉じる。

走馬灯のように頭の中に映像が流れ込んでくる。しかし、走馬灯ではない。見たことがない。──未来だ。

──来たか。『バタフライドライブ』……

仁が先日の夜に言っていた。かつての時の魔術師と呼ばれる人間の中で未来を変える行為をした人間は二名しかいないと言われている。

元祖時の魔術師イヴァン・C・グレイ。その曾孫であるエミリー・グレイ。

イヴァンは四十四歳、亡くなる前年に、エミリーは二十三歳、二人目の子供を出産した時にこう言った。


「刻が……近い……未来が変わった……誰も『意志』を止めることはできない………」


声が、意思が脳内で反響する。

カインの身体がポリゴンの粒子のように泡を立て、蒸発していく。

不思議と恐怖は感じない。

先人たちの日記にはこう書かれていた。


「こ、これは死ではない……き、来る日のため、の礎なのだ…………次の己が己の意志を継ぎ、世界を変える……我々は『主役』ではない……」


全身から脂汗が流れ、呼吸が浅くなる。

遠くから由貴の声が聞こえる。


「く、そくそくそ……ッ! 俺は戻らなくちゃいけないのに……! こんなのあんまりだ……!」


両手で顔を覆い、不甲斐なさを嘆く。

しかし、その手を崩れ始めており、顔の大部分を露出させていた。


「ああぁ……朱里……仁さん……姉さん……ごめん……帰れそうにない……クソッ」


最後の力を振り絞り、ボロボロのカバンの中から『エクリプス』を取り出す。


「……ダメだ……やっぱもう無理だ……頼むぜー」


『エクリプス』で未来に戻ろうにももうそんな力は残っていない。

未来で見た誰かも分からない誰かに『意志』を託す。

そして、意識が途切れるその瞬間、カインは見た。


「……なんだよ……心配することなんかなんにもないじゃあ……ああでも死にたくないなぁ……」


カインの身体は、その存在が、そんな人間が元からなかったかのように彼がいたという一つの証拠なく消え去った。

由貴のキーホルダーを除いて。


─────────────────────


数十秒後、由貴と駅員数名が駆け足でやってきた。

しかし、そこにはカインの姿はなかった。

由貴を誘うように各駅停車が到着した。

牧野由貴には日課があった。

それは、毎日、登校時と下校時に親友である 佐々木朱里の病室へお見舞いに行くことだ。

朱里は十四歳の時に病気で倒れてしまった。

原因不明の病気のようで倒れてから今まで意識が戻っていない。もちろん治療法は見つかっておらず、今はただ何とか命を繋ぎ止めている状態らしい。

いつも七時に電車に乗るところが、今日はアクシデントに見舞われてしまい、一つ後ろの電車に乗ることになった。


「あの外国人の人……大丈夫だったかなぁ……? 元気になって行っちゃったんだよね……多分。そうだよ絶対」


由貴は自分に言い聞かせる。気を紛らわせるべくイヤフォンを耳にはめる。

お気に入りの音楽。と言っても数週間で飽きてしまうような流行りの曲を流す。

すると、イヤフォンを貫通するような甲高い電話の音が耳を抉る。

びっくりしながらスマホの画面を確認する。そ こには見覚えのある番号が表示されていた。

──確か、朱里のおばあちゃん家の電話だっけ?

由貴は急いで電車の連結部分へと向かう。


「もしもし? ごめんなさい……今電車で……」


『もしもし由貴さん? ごめんなさいね落ち着いて聞いてちょうだい。実は朱里の容態が悪化しちゃったみたいで……もしかしたら……』


頭の中が真っ白になった。

いや、いつか来るだろうと覚悟はしていた。でも、心の中で思ってしまっていた。朱里は何事もなかったかのように目を覚まして、笑いかけてくれるだろうと。

電話の奥で朱里こおばあちゃんが何か言っていた気がしたけど最早何も覚えていない。

気がついたら病院の中を走っていた。

静止など、他人など気にしている余裕はなかった。

──朱里、朱里、朱里朱里朱里!


「朱里!!」


朱里の病室の扉を思い切り開ける。

由貴の鬼気迫る声が病院内に響く。

いつもは朱里一人しかいないはずの病室に何人もの看護師と医者が集まっていた。

勢いよく開けられた扉に反応したのか全員がこちらを向いている。その顔は──

そんな奇妙な様子に由貴は察した。察してしまった。

由貴は力が抜け、扉の前で泣き崩れた。

顔馴染みの看護師に付き添われ、朱里の亡骸に対面する。

朱里の髪は以前の綺麗な黒色は見る影もなく、白一色だった。

痩せこけた朱里の身体は見ことすら辛くなるほどだ。

担当医が色々言っていたが、何も頭に入って来なかった。

その時だった。

心電図が、先程まで沈黙を貫いていた心電図が水を得た魚のように動き出した。

瞬間、その部屋にいたほぼ全員が一瞬時が止まったかのように、しかし直ぐに一斉に動きだした。部屋の中で専門用語が飛び交う。

空気が一瞬破裂したような感覚。


「な、なに……?」


すると、慌ただしい雰囲気の病室で、朱里が一人静かに目を開けたと思うと勢いよく上体を起こした。

朱里は何かを言いたかったのか息を吸い込み、 だが、上手く発声できないのか大きく咳き込んだ。


「あ、朱里……!?」


由貴の言葉が聞こえていないのか、朱里は辺りを見回し、声にならないような掠れた声で言った。


「──こ、こは何処だ? 俺はどれくらい気絶していた?」


───Distortion Melody 完

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Distortion Melody Sister's_tale @Sisters_tale

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