第19話:魔女の祈り

小学校に通うとき、子供達は通学班と呼ばれる集団で学校に通い同じように通学班で帰るのだ。

そして新入生が来るときには、班長となる高学年が迎えに行くというのが定石となっている。


その例に漏れず、伊達は今日から一緒に学校へと通う新入生を迎えに行っていた。


ポツポツと雨が降る中、傘を差して憂鬱に歩く伊達、余裕を持って家を出たため、少し早めに目的地に到着した。

白い外壁の一軒家、表札には『五月雨』の3文字が刻まれている。

チャイムを押してしばらく待つと玄関の扉が開いた。


「おはよう、わざわざ迎えに来てくれてありがとうね」


そこに立っていたのは透き通るように白い長髪に底の見えないほど赤い瞳が映える女性だった。

小学5年生にもなればバカでも目の前の相手が日本人ではないことが察せられるだろう。


幼いながらも賢い伊達は日本語が難しい言語だと知っていた。

目の前の外国人は日本に来て長いのだろうとすぐにわかった。


「おはようございます、あのお子さんは?」


「ちょっと待っててね」


中入ってていいから、と許可を受けて靴で入れる玄関のところで雨を凌いで待つ伊達。


「青嵐!お姉ちゃんが迎えに来たよ!」


ひとりっ子の伊達はお姉ちゃんだなんて呼ばれたことがない、なんだか新鮮な気分だった。

しばらくするとドアの奥から伊達よりも幾分か背の低い男の子がひょっこりと、恐る恐る顔を出した。


おそらく彼こそが女性の呼んだ『青嵐』なのだろう。


「ほら青嵐、挨拶しないと」


「………さみだれ、せいらんです」


たどたどしい挨拶を母親の後ろから離れないままする青嵐に、伊達は自身に母性が芽生えるのを感じた。

いや、ちょっとした嗜虐心だったかもしれない。


「ああ、よろしく青嵐、早速だが学校に行こうか」


伊達はすっと青嵐に右手を差し伸べた。

幼い青嵐はそれを握ってもいいのか悪いのかわからず、オドオドしながら母親の顔を見つめる。


「ほら、一緒に行こうって言ってくれてるんだから」


母親は苦笑しながら伊達の手を取るように促す。

それを見て青嵐は意を決して恐る恐る伊達の手を握った。

小さくてか弱い手だった。


「ほら、行こうか」


握られた青嵐の手を引っ張って、外に出るように促す。


柔らかなそよ風がぴゅうっと吹いた。

風に促されるように伊達は女性の方に振り向いた。


「どうか貴方達に神の御加護在らんことを」



透き通るような、確かな存在感のある声が2人の子供に祈りを捧げた。

胸の前で手を握り、目を閉じて、まるで本物の聖職者よように。


「あの、それは?」


今まで聞いたことのないフレーズに、見たことのない動作に、伊達の知的好奇心は刺激されてしまった。


「私が昔信仰してた宗教の御祈りの言葉よ、私結構偉い聖職者だったんだからね」


自慢げに胸を張る姿すら様になっていてどこか神秘的だ、聖職者というのが何かよくわからなかったが、嘘をついているようには見えなかった。

マジックテープの靴を青嵐がしっかりと履いたのを見て、玄関ドアを開いて傘を差し外に出た。


「行ってらっしゃい、気をつけてね!」


笑顔で小さく手を振って2人を送り出す青嵐の母親の姿が、やけに脳裏に焼きついた。

その透き通る純白、深き真紅、指先まで込められた無事を願う祈りが彼女の記憶に強烈なまでに刻み込まれた。


「「行ってきます!」」


青嵐と伊達と、2人の元気と不安と全てが入り混じった声が重なり、雨にかき消された。






「………それがキミと初めて会った時の事だな、可愛らしかったのだが…」


遠くを見ていた目が青嵐を一瞥して残念そうにため息をついた。


「今は見る影もないな」


「可愛くなくて結構だ、というかそれしかないのか」


一度話し終えてチョコフラッペを飲む大学生の伊達、うーんと思い出すもあまり心当たりがなさそうな様子だった。


「あるにはあるが、キミが1番欲しいのは五月雨さんの事だろう?」


「そうだな」


極論言ってしまえば、青嵐にとって過去の自分は知れたらいいなぐらいにしか思っていない。

1番欲しいのは母親の事だ、青嵐には己の過去などどうでも良かった。


自分は今記憶がなくても生きられているのだから、母親とさえ会えれば自分のことなど二の次である。


伊達は口の中のチョコフラッペを飲み込んでから、少し大きなため息をついた。

物憂げなその姿でさえどこか妖艶だった。


「残念な事に五月雨さんは排他的だったのでね、私も彼女について詳しいことは知らないのさ」


「取引破綻だ、今すぐフラッペ代を払え役立たず」


「キミはまず礼儀を知るといい、ヒントになるかもしれない情報を手放す事になるぞ青嵐」


「再度取引成立だ、是非払わせてくれ」


「よろしい、では続きを話そうか」


危うくチャンスを逃しかけた青嵐は慌てて前言撤回した。

そのあたふたした様子を見て伊達は「まだ幼いじゃないか」と声をあげて笑った。

その笑いに青嵐は何も反論することができなかった。


「青嵐、端的に言うと幼い頃のキミはなんでも出来た、きっと五月雨さんから教えてもらったのだろう、キミに出来ないことを探す方が難しかっただろう」


「記憶がない今も大体なんでもできるからな、文字通り叩き込まれたんだろ」


青嵐の日常の地盤となり支えてきた、細胞ひとつひとつに刻み込まれた“感覚”の正体。

記憶のない青嵐を支え続けたその“感覚”は母親によって刻み込まれた記憶にない教え、間接的に母は青嵐のことを支え続けていたのだ。

青嵐は嬉しかった、今も母親の温もりが自分を支え続けてくれていたことが、母親の教えが自分を守り続けてくれていたことが。


青嵐の顔から笑みが消えなかった。


「それで、それ以外に知ってることはないのか?」


「学校では年も離れていたものだからあまり関わりがなかったからね、学校内のキミのことは莉亜夢りあむに聴くのが手っ取り早いだろう」


「リアム?」


またもや青嵐の知らない名前が出てきた。

知らないはずなのにどこか聞き覚えのある名前に青嵐はうーんと頭を捻るが答えは出てこなかった。


「キミとよく一緒にいた子でね、苗字はなんだったかな………金持ちっぽかったのは覚えているのだが、思い出せないものだね」


「大雑把すぎるだろ、リアム君泣いちゃうぞ」


青嵐は性格はおろか顔すらわからない幼馴染が不憫に思えた。

それもこれも目の前の癖が強すぎる先輩が悪いのだが。


「莉亜夢もいい子だった筈さ、ただキミがなんでも出来たせいでいつも2番手だった気がする」


「それは仕方のないことだろ、それで恨まれるのはお門違いだ」


至極真っ当な主張だ。

たとえそれで嫌な思いをさせたとしても、青嵐には何の罪もない。

できることを精一杯やった結果他者の方が秀でていることなんてざらにある、他者が自分を比較することなんて止める術を人類は持ち合わせていない。


「まあそれはそうなのだが、もうひとつだけ弟分へアドバイスをやろう」


おふざけモードに入りかけていた伊達の雰囲気が一瞬で真面目なものに切り替わった。

しっかり者なのか遊び人なのか、青嵐は伊達の性格が掴めなかった。


「光が強すぎるとその分影も暗くなるものだよ、私がこの身を持って学んだことさ、しっかりと覚えておくといい」


「………わかった」


その影が何のことを指すのか、青嵐は朧げにしかわからなかった。

伊達の言う身をもって学んだこと、彼女の過去に何があったか聞くのは野暮だと青嵐は判断した。


それはそうとして、この旅が終わった後のことを青嵐は考え始めていた。

顔も声も知らない莉亜夢という名の幼馴染を探すことだ。

幼馴染ともなればもっと知っていることが多く出てくるだろう、探す以外に選択肢はなかった。


「さて、そろそろ行こうか、教授のところに行くんだろう?」


「ああ、これ以上霞草を待たせたらどうなることやら」


伊達に没収されたスマホが先程から忙しなく鳴りまくっているのを見る限り、椿が相当お怒りなのが青嵐にわかった。

抹茶フラッペを飲みきり財布を出してレジがどこか探す青嵐、それを見て「そういえば」と悪い笑みを浮かべる伊達。


青嵐は限りなく嫌な予感がした。

そして青嵐の悪い予感は大抵当たる、今回も例外なく当たることになった。


「ここ、関係者は無料だから一銭も払わなくていいんだった、いやぁすっかり忘れていたよ」


「俺が聞かされた説教の時間を返せ」


あっはっはと声をあげてゲラゲラ笑う伊達の手のひらの上で青嵐は見事なまでに踊らされていた。


こんな先輩の下で2年間も耐えていた過去の自分を褒めてやりたくなった。





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