第18話:利益
人は考え事をするときには糖分が必要だ。
勉強をした後に甘いものを食べたくなるのも糖分が消費されているから自然なことである。
今の何も考えることのできない青嵐には糖分が不足していた。
ちゅーっと透明のストローの中を抹茶フラッペが登っていき、やがて青嵐の口の中へと吸い込まれた。
その様子をここまで青嵐を連れてきた女性は真正面からじーっと見つめる。
「まさかキミが記憶喪失になっているとはね、流石の私も予測できなかったよ」
「予測できてたら逆に怖いだろ」
青嵐は目の前の女性に自身が記憶喪失であること、そして論文を書いた綾小路教授に話を聞きに椿とここへ来た事を話した。
記憶を無くしたことに驚きこそしたが彼女は距離を置くのではなく、同情するでもなく、知る前のように接してくれるのが青嵐にとって1番嬉しかった。
「それで、名前も覚えてないから教えて欲しいんだが」
「ああすまない、今更自己紹介というのもこそばゆいものだからね…まあ伊達とでも呼んでくれ」
女性は伊達と名乗り、チョコフラッペをズズズと音を立てて飲む。
何か企んでいるような微笑みをずっと青嵐の顔を見つめている。
「……やっぱり知らないな…」
間違いなく青嵐の記憶に伊達の存在はいない。
やはり彼女は青嵐の記憶を取り戻す鍵となる重要人物、彼にとって逃すわけにはいかなかった。
ワイワイガヤガヤではなく上品なざわめきが店内に響き、ガラス張りの壁の向こうに桜島が存在感をアピールしている。
青嵐がカフェテリアにいるのすら知らずにずっとエントランスホールで待ち続けているであろう椿に申し訳なく思いつつも、青嵐は自身の欲求を抑えられなかった。
因みに椿に連絡しようとしたら野暮なことをするなと伊達にスマホを没収された始末だ。
「それで、聞かせてくれないか伊達さん、昔の俺と母さんのことを」
「教えても構わないが」
「“が”ってなんだよ」
思わせぶりに『教えてもいい』ではなく、『構わない』と言ったのを青嵐は見逃さなかった。
「教えて何か伊達さんに不利益でも?」
「特にないのだがね、面倒を見てきたガキに無償で情報を与えるというのも癪なものでね」
「あんた絶対性格悪いだろ」
「ユニークと言って欲しいね」
そう言葉の端を訂正する伊達、しょうもない理由に青嵐は呆れた。
「なら何をすれば教えてもらえる?」
「相手にメリットを提供しようとする姿勢、素晴らしいじゃないか」
「そうするように誘導したくせに何言ってんだよ」
それもそうだと声をあげて笑う伊達に対して青嵐は大きなため息を吐き出した。
椿とはまた違うタイプだが、伊達は伊達で随分と癖のある人間らしい。
「少し話は逸れるがこれから大学生に、そしてゆくゆくは社会人となる弟分にひとつアドバイスをやろう」
一頻り笑い終えた後、伊達の声色は真面目で真っ直ぐなものへと変化した。
変化を察知した青嵐もごくりと唾を飲み、アドバイスを受ける準備をした。
「人間は利益がないと動かない、それをよく覚えておくことだ」
「それって当たり前じゃないのか?」
青嵐は不思議に感じた、わざわざそんな当たり前のことをアドバイスだと言うなんて考えづらかったからだ。
「そう、これは当たり前のことだ、だからこそそれを忘れてはならないんだ」
飄々と話して先に進めようとしない伊達に対して青嵐は少しだけムッとした。
「忘れようがないだろそんなこと」
「勘違いだったら申し訳ないが、キミをエントランスで待っていた彼女に何かメリットはあるのかい?」
青嵐はハッとした。
伊達は全てを見透かしたように的を射た発言をしたのだ。
「わざわざ人のために金を出して遠いここまで来るだなんて、キミに求められて必然の対価が何処にも見えない、話を聞いて私は彼女が不気味だと思ったね」
霞草はそんなやつじゃない、その言葉は青嵐の喉で詰まって出てくることはなかった。
椿自身にメリットのない行動、そこにある真意が突然わからなくなり青嵐は少し怖かった。
数秒考え、ようやく反論らしくもない反論を青嵐は得ることができた。
「友達だから、じゃダメか?」
伊達は眼を見開き、ニヤリと笑った。
「いいや構わない、というよりそれが正解さ、友達だからやってくれると思っていいだろう」
だが、と一拍空けて続きを語り出した。
「それを当たり前だと誤認しないことだ、友達だからやってくれるが普通の人はメリットがなければ動かない、メリットがないと取引は成立しない、それを肝に命じておくと良いだろう」
確かに今の青嵐は、椿が隣にいてくれることが当たり前だと感じ始めていた。
だがしかしそれは当たり前ではないのだ。
忌み嫌われてきた青嵐にとって隣に誰かいるなんて普通じゃない、相手の好意に甘えるな、相手の利益を提供しなければ動いてくれないのだ。
ギブアンドテイクな関係でないと取引は成立しない、伊達はそう伝えたかったのだと青嵐は理解した。
「いいアドバイスをありがとう伊達さん」
「それで、キミが提示するものは何かな?」
「ここの支払いを持つとかでどうだ?」
「取引成立だ」
年下に奢らせて恥ずかしいとかそんな思考など伊達にはないことを青嵐はこの数十分で理解していた。
「では語ろうか、私の覚えているキミと、キミの母親のことを」
どこか遠い目をする伊達の口から綴られるのは青嵐のずっと探し求めていた記憶の破片だった。
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