第13話:捜索のヒント
この時間にオムライスだとかガッツリしたものにしなかったのは店主なりの心遣いだったのかもしれない。
視界の端っこで無邪気な子供のようにパンケーキを心待ちにしている椿が入り込み、青嵐は呆れて軽いため息をついた。
「子供かよ」
「高校生なんてまだまだ子供だよ、青嵐はパンケーキ楽しみじゃないの?」
「………楽しみだ」
男子高校生の有り余る食欲を前に、理性など機能するはずもなかった。
店主が厨房に消えてから青嵐はパンケーキのことで頭がいっぱいだ。
どうやら喫茶店のパンケーキの魔力はどうも人をダメにするらしい。
魔女の残り香と同程度のものを秘めているかもしれない、人を狂わせてしまうだろう。
厨房の奥の方から香ばしい香りが漂う、待ち侘びるほどに何故こんなにも1秒が長く感じてしまうのだろうか。
10分もしないうちに分厚いパンケーキの重なった皿を2枚持って店主が奥の厨房から出て来る。
もはや涎を垂らして待ち侘びる2人を見てふふっと笑う。
「お待たせしました、パンケーキです」
コトっと目の前に置かれたパンケーキにはじゅわっと聞こえそうな具合にとろけたバターとドロっと流れる蜂蜜がかかっている。
例え腹が一杯だったとしても無理やり胃にスペースを開けてでも食べたくなってしまう香りと見た目だった。
「「いただきます」」
青嵐はナイフでパンケーキを一口大に切ろうとした。
しかしナイフを乗せた瞬間、柔らかすぎたパンケーキは切れた、力など微塵も加えてない。
ごくりと唾を飲み、フォークで刺したぷるぷると震えるパンケーキを2人は同時に口にした。
「パンケーキが消えた…?」
「消えたな」
口の中の熱だけで溶けてしまうほどふわふわで繊細な甘味が吹き抜けた。
もはや食べていないと言っても差し支えないだろう。
「お口にあったようで何よりです」
店主は嬉しそうに微笑んでいた。
「雲みたいにふわっふわで美味しい!」
「何よりです」
女子はスイーツが大好きだと青嵐は聞いたことがあるが、椿もその例外ではない、むしろ代表例と言っていいかもしれない。
青嵐がまだ1枚目を食べているのに対して椿は既に2段目に手をつけ始めている。
そんなに早く食べ進めてくどくなったりしないのだろうか、女子高生の生態は青嵐にとって理解不能だった。
ゆっくりとはいえ青嵐も着実に食べ進める、ふわふわもちもちとした甘い食感はやはり口に入れた瞬間溶けるように消えてしまう。
「確かに雲みたいだな」
実際のところ雲は水蒸気であり触ることはできないのだが、本当に雲が触れたらこれぐらい柔らかいのだろうと想像できる柔らかさだった。
今も雨を降らせてる雲は暗い色をしており、美味しいパンケーキの狐色とは似ても似つかないのだが。
「雲みたいか………」
「あの雲はあんまり美味しくなさそうだよね」
「私が生まれる前からありますからね、食べれても腐ってますよ」
それは嫌だと苦笑する椿、店主はワイングラスを拭きながら笑っている。
アイデアが温泉のように湧き出した。
その普通の会話に青嵐はヒントを見出した。
「マスター、ひとつ聞いても?」
「なんでしょう」
「あの雨がどれぐらい前から降っているか知りませんか?」
ワイングラスを拭く手を止めて、店主はしばらく考える素振りを見せた。
椿は青嵐の意図に気づいたようで驚きを隠せていない。
「そうですね……大昔としか言えません、ご期待に添えれず申し訳ない」
「いえ、無理な質問をしてすみません」
初老の店主ですら知らない事、勿論青嵐も椿も知りうるはずがない。
「霞草、あの雨が降り始めた年代を調べないか?」
「年代がわかれば資料が出て来るかもしれないから?」
「そういうことだ」
今まで魔女関連のことしか調べようとしなかったが、その周辺から断片的にでも情報を集めていけば求める情報が得られるのではないかと青嵐は考えた。
少しだけ考古学の分野に片足を突っ込みそうだが、多面的多角的に調べた方が結果は蜂蜜のように濃密になるものだ。
青嵐の心は今すぐに図書館に戻りたくてウズウズしていた。
柄にもなく両脚をバタバタさせるぐらいには早くしたかった。
止まれなかった青嵐はまだ温かいコーヒーをぐいっと飲み干した。
「霞草これあと食っていいぞ」
「え、ちょっと」
「お釣りは霞草に渡しといてください、ご馳走様」
「またのご来店をお待ちしております」
冷静な店主と唖然とする椿は甘いパンケーキと苦いコーヒーのように対象的だった。
空になったマグカップの横に5000円札を1枚叩きつけて駆け足で店を出る青嵐に店主は笑顔を崩さずに一礼した。
カランコロンとドアベルを勢いよく鳴らして図書館に戻る青嵐の背を見て椿は唖然とした。
一拍開けて椿はくすりと笑った。
「まったく、太ったらどうするのよ」
「何と言いますか、真面目なのか自由なのか読めない方ですね、こちらお釣りになります」
文句を言いつつも椿はパンケーキを食べ進め、差し出された2000円と小銭複数を一旦財布にしまった。
「ああいうまだ子供っぽいところが可愛くて好きなんですよ」
まだ知り合って長い時間を共にしたわけでもないのに、青嵐の全てを見通しているかのように椿は笑った。
その柔らかな瞳を店主はじっと真剣な表情で見つめ、くすりと笑い返した。
ふんわりとしたパンケーキが椿の胃袋に消える。
「ご馳走様でした、美味しかったです」
「また悩みを聞いて欲しくなったら是非お越し下さいませ」
店主の視線を背中に受け続けながら、椿は喫茶店を後にして青嵐の背中を追いかけることにした。
店の扉が再びカランコロンと鳴った。
店を出た青嵐の後ろで1人の女性が扉を開く。
「意地悪はお勧めしかねますよ」
店主は見透かしたような眼差しで喋りかけた。
その声に立ち止まり、妖艶な唇を開いた。
「食べ物は美味しいのに、食えない人だね」
「伊達に還暦を越えてませんから」
喫茶店の中にふわりと、魔女の残り香が香った気がした。
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