第12話:気楽に気丈に着実に

ぺら、ぺら、ぺら。


静かな館内に、紙が擦れる音が響く。


かり、かり、かり。


静かな館内に、シャーペンを走らせる音がする。


ヴヴヴと、ポケットに入っているスマホが太腿の上で震えて連絡が来たことを持ち主に伝える。

画面を見るとメッセージアプリに同い年の少女からの連絡が一件、指紋認証でロックを解除してすぐに確認する。


『進捗どう?』


簡単な一文だった。

その一文に青嵐は『全然ダメ』と返信した。


送った瞬間に既読がつき、数秒後には残念がるカワウソのスタンプが画面に表示された。

続いて『こっちもあんまりよくないよ』と、椿の方も成果があまり振るわないようだ。


「はぁ………」


自分を含めて数人しかいない図書館にて、青嵐は疲れの念を込めて大きなため息を吐き出した。

固まった体をほぐすために座りながら一度大きく伸びをした。

思わず欠伸も出てしまいそうだった。


青嵐が正対する机には2、3冊の本とノートが広げられている。

一見すれば真面目に図書館で自習しているように見えるだろう、しかし開いている本は参考書でも教科書でもなく、ノートもほとんどまっさらだ。


「この本もハズレっぽいな」


青嵐は本を閉じた。

その本の表紙には『魔女から考える』と書かれている。

内容としては魔女のおとぎ話から現代社会を考えていくというもの。

言ってしまえばただのエッセイであり、青嵐の求めるものではなかった。

また別の本を開く、今度は魔女とタイトルについているライトノベル、なんの手がかりもなさそうなジャンルにも手を出さざらない状況なのだ。


“魔女”とタイトルに入っている本を手当たり次第に読んだり、数々の出版社の絵本を読み比べてみたり、既に図書館に来て数時間は経過しているものの成果は芳しくない。

学校もない休日の日、青嵐は図書館を訪れて魔女のおとぎ話について調べていた。


母親の知られざる物語、それがあるかも不明なのに愚直に探し続けていた。

メモを取るためのノートを広げているが、結局書くことはこれっぽっちもなかった。

連絡を見る限り、図書館の別室で備え付けのパソコンを使ってネットで魔女の話について調べている椿の方も成果は振るわない。


「八方塞がりだな…」


再びスマホが震えた、椿だ。


『どこかで休憩しない?』


成果は芳しくない、このまま無駄な時間を過ごすくらいなら気分転換する方がよっぽどマシだろう。

青嵐の返事は決まっていた。


『図書館前のカフェ集合で』


賛同するしかなかった。

手元の画面に表示される時刻は既に3時を過ぎている、小腹が空いてくる時間だ。

本を元あった位置に戻してまっさらなノートをを鞄にしまい、他の利用者の迷惑とならないように静かに図書館の外へと出た。


カフェは細い道路を挟んだ向こう側なので、車が来ていないタイミングを見計らって青嵐は走って渡った。

多少濡れてしまうが、気にならない範囲内だ。


ドアを開けばカランコロンとドアベルが音を奏でる。

古き良きといった感じの落ち着いた店内のカウンター席に待ち人は座っていた。


「ヘイ彼氏、私とお茶しない?」


「お前とお茶するために来たんだろ」


「そうだった」


ふざける椿の隣の席に腰掛けた、彼女は既に飲み物を注文しているようだ。


「ご注文はお決まりですか?」


白髪混じりのオールバックが似合う初老の店主が聞いてくる。


「とりあえずコーヒーで」


青嵐はひとまず無難な選択をすることにした。

青嵐自身コーヒーはよく飲むし、そろそろ眠くなってくる頃合いだ。

カフェインを摂取しておくのは悪くないだろう。


「それで、少しでも情報はあったか?」


「数時間が水の泡、ふざけた記事しか出てこないよ」


「同感だな、まともな情報がない」


もとよりあるかすらわからない情報を探しているのだ、すぐに見つかるとは思っていないが、それにしても情報が少なすぎる。


はあ、と青藍も椿も同時にため息を吐き出した。


「何やら困られているようですね?」


カウンターを挟んだ向こう側から店主が挽いたコーヒー豆の入ったドリッパーにお湯を注ぎながら話しかけてくる。


「いえ、たいしたことじゃないので」


どうせこの人も話せば自分のことを気味悪く思い腫れ物のように扱う、それこそ店を出禁にされるかもしれない、青嵐はそう考えて詳しいことを答えなかった。


店主も引き下がってくれると思ったその時だった。


「実は私達、おとぎ話の魔女について調べてまして…」


椿が青嵐の代わりに答えた。

やりやがったなこいつと青嵐はほんの少しだけ苛立ちを感じた。


「魔女ですか、これまたどうして?」


店主はコーヒーを淹れる手を止めずに尋ねた。

ひとつひとつ工程を進めつつ、椿の発言を深掘りしようとしてくる。


「おい霞草」


青嵐は椿が口を開こうとするのを止めた、これ以上店主に聞いてもらったところで結末はわかっているからだ。


「いいじゃん、人に聞いてもらうって大事だよ?」


何か変なことが?と言わんばかりの自信満々な表情を前に、青嵐は引き下がることを余儀なくされた。


「お嬢さんの言う通りです、どうしてもと言うなら止めておきますよ?」


「………続けて下さい」


自分は意志が弱く、周囲に流されやすい人間だと青嵐は思った。


「それで理由なんですけど、人を探してるんです」


「人探しですか」


「その人が魔女の研究をしていたので、同じことをしていたら会えるんじゃないかって」


「それが行き詰まっている、と言ったあたりでしょうか?」


「さすがマスター!よく分かりましたね!」


「これでも人生相談はよく受けるものでして」


青嵐を置いてけぼりにして2人だけで盛り上がっていた。


「そうですね………少しだけ、爺の話を聞いていただけますか?」


首を縦に振った。


「お二人は今、試されているのかもしれません」


「試されている、ですか」


今度は店主が首を縦に振った。


「私には夢がありました、自分の店を開いてこうしてコーヒーをお客様に提供する夢です」


どうぞ、と青嵐の前に出来上がったコーヒーが置かれた。

ほろ苦い湯気がたちのぼっていて美味しそうだった。


「その夢って叶っているじゃないですか」


全くもってその通りだ。

今彼はこの喫茶店の店主として客である青嵐にコーヒーを提供した、店主の夢は叶っているのだ。


「ええ、嬉しいことに今私はこの店の店主です、しかし長い道のりでした」


店主は遠い目をして自身の苦労を語り始めた。


「私がお嬢さん程の年頃でしたか、最初は喫茶店のアルバイトを始めたんです、当時からコーヒーが好きで、腕にも自信がありました」


ですが、と次に紡がれた言葉は明るくなく暗いものだった。


「お客様に提供するにはまだまだだったのです、井の中の蛙大海を知らずというやつです、堪えましたよ、夢を諦めかけたほどですから」


あまり乗り気ではなかったのに、青嵐はいつの間にか店主の話に聞き入っていた。

店主の苦労話に口を挟むことなど許されるはずがなかった。


「それでも私は努力しました、ずっと目指してきた夢でしたからね、自分の求めるレベルに至るまで、研究して、練習して、その度に停滞して、こうして店を開くまで何十年もかかりました」


数秒の沈黙を挟んで、初老の店主は未来のある若者2人に優しいエールを送った。


「夢は遅かれ早かれ叶うものです、お嬢様方の夢ももしかすると明日叶うかもしれませんし、何年も後かもしれません、その道程には進歩も停滞も後退もあるでしょう、苦しくても歩みを止めてはなりません、寄り道をしてもいいと思います、気長に柔軟に精一杯を続けることです、止まっているように見えても必ず進んでいますから」


人生の大先輩のお言葉はとても重く、同時に柔らかかった。

今まさに停滞している2人にとって1番必要な言葉を店主は投げかけてくれた。

ポットを握る少し皺の寄った手には確かな力強さがあるのを青嵐は感じた。


「俺は、何を焦っていんでしょうか」


「探し人は貴方にとって余程大切な人なのでしょう、ステイクールです、焦っては叶う夢も叶いませんよ、気長にその時を待つのです」


店主の微笑みはまるで実家のような安心感がして、青嵐は心がすっきりとした気分だった。

まだ湯気の立つコーヒーを一口飲む。

目の前の初老が幾度となく困難や試練を乗り越えてきたことがわかる味わいだった。


「諦めたらダメ、か………ね?やっぱり話してよかったでしょ?」


相談する側なのに何故か誇らしげに胸を張ってドヤ顔をする椿、彼女にも店主の言葉は響いたようだ。


「本当に、なんて礼を言えばいいか」


「追加で何か注文して頂けると喜びますよ」


ワイングラスをグラスクロスで拭きながら抜け目のない笑顔を見せる。

商売上手な店主だなと青嵐は心の中で苦笑した。


「じゃあおすすめ2つお願いします」


「ではパンケーキに致しましょう」


苦情をこぼしながら、青嵐は追加の注文をするのだった。





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