血の生け花 ~クロフィニウム~
序章「空の薬莢」
第26話
夏の日差し照りつけるこの日。
猛暑に目を細めながらも清掃業務に精を出す、一人の少女の汗が弾ける。
何気ない住宅街の境目に構えられたそこは、悩める者たちの集う場所。
白で統一された外観に控えめに主張している植物の数々。
窓から見える店内には、経営者の厳選した絵画やアンティークの数々が顔を覗かせる。
店の名前はアトリエ〈いりあ〉、しがない魔女の営む斡旋所である。
ホースから吐き出される水とデッキブラシを両手に、アトリエ入口の石畳を磨きあげている少女の名は
蛍光色のアクセサリーを身にまとい、毛先を遊ばせるように整えられ黒髪からは明るい印象を感じさせてくれる。
七種はアトリエ〈いりあ〉で働くたった一人の従業員であり、
「今日も暑いなぁ……
付与と呼ばれる魔術を得意とする無垢の魔女である。
ひと月ほど前に自身のパートナーとなる悪魔、ストラスと出会い魔女となった七種。
今や様々な付与魔術を習得し、アトリエにやってくる依頼者の心身を癒すセラピストとしても、小さな人気を集めていた。
「ふぅ、こんな感じでいいかな。イリアさーん、掃除終わりましたー」
「お疲れさま、少し早いけどお昼休憩していいわよ」
掃除を終えた七種を迎えたのは当アトリエの店主。
深みのある紺青の長髪を一束にまとめ、透けた前髪より紅の双眸を覗かせている彼女の名は
長く引き締まった両足を強調する白のデニムパンツ。
それらを強調する黒のTシャツの上に重なるノーカラージャケットは、イリアの切れ味にも似た魅力を一層引き立てていた。
「はーい。いこ、ストラス」
『わーい! ごっはーんーごっはんー!』
「やっぱり悪魔もお腹空くんだ?」
『空くよー! 魔力使ったらお腹空くんだもーん』
勝手知ったる我が家かのように、アトリエのキッチンにて人数分の昼食を用意し始める七種。
今現在、もはや七種はアトリエより切っても切り離せない存在になりつつある。
イリアの至らない部分を補って余りある労働力だ。
そしてなにより、作るご飯がことごとく美味。
それこそがイリアがなにより七種を気に入っている大きな理由の一つである。
「今日は何を作るの?」
「夏野菜でカレーとか作ろうかなって。どうですか?」
「いいわね、少しボリュームのあるものを食べたかったところよ」
「よかったです、もう少し待っててくださいね」
キッチンより聞こえてくる小気味のいい野菜を切る音に、自然と凝り固まっていたイリアの表情がほどけていく。
しかし今目の前に直面している問題は、すぐにまたイリアの面持ちを曇らせた。
打つ手がないわけではない、ただその手はなるべく打ちたくない。
そんな絶妙な表情だ。
「うーん……これは私が直接いかないとダメかしらね」
「どうかしたんですか?」
「ええ、大したことではないとは思うのだけれど、少し調査したい案件があってね」
キッチンより顔を覗かせる七種が首を傾げる。
これまで七種が務めてきた期間中、イリアが唸り頭を抱える内容の調査依頼は見慣れたほど舞い込んできた。
しかし、イリアが自らその重い腰を上げた機会はただの一度もない。
簡単な悪魔の討伐依頼ですら、七種が戦えるようになってからと言うもの、そのすべてを七種に任せているほど。
イリアは自身の力を使うことがない。
そんなイリアが、だ。
「イリアさんがわざわざ出向くなんて、どうしたんですか? ……夏バテですか? もう少し野菜増やした方がいいかな……」
「あのね、貴女最近レレンだけじゃなくて私まで扱い雑になってない?」
「いえいえ、そんなこと。それよりイリアさんがわざわざ動かなくちゃならない調査依頼って?」
「はあ、少々厄介でね。あの件以来、久々のアウターとの合同調査になるわ」
「あの件……あ、ストラスの」
「ええ、けど今回は個人同士じゃなく、あの
「ペネロペさんたちと? なんだか、連絡を取るのは久しぶりですよね」
ひと月ほど前、丁度七種が魔女になった頃の出来事だ。
後に自身の契約相手となる人間を探していたストラスの犯行であると。
そして消された人間は別の場所に転移させられていただけで、死んでもいなければ実際に消滅したわけでもないと判明し、終結を迎えたはずの一件だった。
しかしその直後、ストラスの犯行を真似た模倣犯がいると言う情報が七種の元に舞い込んできた。
その模倣犯こそが他でもない。
アウターの魔女が属するグループ、霧の妖狐なわけだが。
「あの時は驚きました、まさか私に戦い方を教えるためにわざとペネロペさんとぶつかるように仕向けただなんて」
「本当、ロイは何を考えつくか分かったものじゃないわ。あちら側もよくそんなロイの申し出を快諾したものよね。本当、トップに立つ人間の考えていることは理解できないわ」
「でも、おかげでイリアさんのお役に立てる力が身についたんですし、今は感謝してます」
「くす……本当に健気ね。一つ気がかりはあるけれど、まず一人の魔女として最低限必要な能力は身についたと思っていいわね」
「ほんとですかっ? ありがとうございます!」
「あくまで最低限よ。結局ペネロペから盗んだ技術も上手く機能していないみたいだし」
「どうしてでしょう、あの時……ほんとにあの一回っきりで」
「そこよ、私の気がかりな点は。あれはともかくとして、貴女はまだまだ自分の魔力をコントロールする技術が拙いの」
褒められたかと思えば落とされて意気消沈、七種は露骨に肩を落とす。
飼い主の反応に一喜一憂するその様はさながら犬そのものである。
七種には魔女としての素質がある。
それはイリアを始めとして、七種と出会った魔女の多くが認めるところだ。
しかし今はそれが障害。
魔女として求められる多くの技術、そのほとんどを自身の感覚に任せ補っている七種では多くの事柄が欠落している。
イリアの言う通り、拙いのだ。
「いい機会ね。七種、今回の合同調査はこちらとあちら側で一人ずつ魔女を選出して調査する運びになっているの。七種、貴女が行きなさい」
「わ、私がですか? しかも一人でなんて……」
「一人じゃないわ、向こうから選出されるアウターの魔女と二人でよ」
「私にできるでしょうか……?」
「いい七種? これは貴女の素質を誰よりも買っているからこそよ。貴女は伸びる、間違いなく。でもこのまま技術と経験を積まずに行けば、どこかで必ず大きな失敗をするでしょう。だから今は多くを体感して学ぶの」
「経験……」
「もし私の役に立ちたいと言うのなら、私のいない間このアトリエを任せられるくらい頼りになる魔女になってみなさい」
「……わかりました。私、やってみます!」
「いい返事ね。今回はロイの思惑もなく、正式な合同調査依頼よ。魔女として多くの経験を得てきなさい」
「はい! がんばろ、ストラス!」
『頑張るのはいいけどー、焦げてるよ?』
「え? あっ──」
先が思いやられるとばかりに頭を抱えるイリア。
無理もない、これから七種が調査へ向かおうとしている案件は、そして調査をともにする魔女は──
「じゃあ、相手は……素人?」
「まぁせやな、魔女としてはそりゃワイらからしたら素人かもしらん。けどあんま侮っとったらあかんで? なんせお相手さん、本気やなかったとは言えワイに勝ったんやからな」
「師匠に、勝った……?」
「ワイの強さは知ってるよな? 多分やけど、素質だけやったらあんたより上やで。格下や思わんと気ぃ引き締めていきや」
「……分かった」
──そして調査をともにする魔女は、アウターの中でも有数の規模と実力を誇るグループである霧の妖狐が抱える、新世代の実力者であるがゆえに。
そんなやり取りが行われていることなどつゆ知らず。
イリアより調査依頼への参加を命じられて、七種は与えられた一週間ほどを準備に費やした。
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