終章「無垢の魔女」

第25話

 静寂が支配するアトリエの中で、アロマを焚いてぽつんと一人。

 ここ数日、ずっと誰かの声や息遣い、笑い声が花を咲かせる暖かな空間だったために、久しく忘れていた孤独が彼女の瞳を揺らす。

『……大丈夫か、イリア?』

「なにが? 私はなんともないわ」

『そうか。……少し、寂しそうな顔をしていた』

「別に寂しくなんてないわよ、ちょっと前までこれが普通だったじゃない」

『……早く帰ってくるといいな』

「なによ今生の別れみたいに。向こうには王権もいるんだから、なにも心配することはないでしょう」

『ふっ……心配はしているんだな』

「なっ、この……揚げ足を取らないで!」

 頬を赤く染めて抗議するイリア、その視線の先には虚空がある。

 何もない空間にうっすらと浮かび上がる輪郭の主は、イリアのパートナーだ。

 肩をすくめるその悪魔に背を向けて不貞腐れるイリア、そこに普段の余裕に満ちた面影は欠片もない。

「ふん……飲み物入れてくるから」

『……む、待てイリア』

「なによもう」

『感知してみろ』

「感知……?」

 パートナーからの助言を元に感知能力を張り巡らせたイリア。

 専門としているレレン程ではないにせよ、イリアもまた超のつく一流の魔女だ。

 その感知能力や範囲は他の魔女とは比べるまでもない。

 そんなイリアの感知機能に引っかかったのは、三つほどの魔女の反応。


 二つはイリアのよく知る魔女のもの、そしてもう一つも。

 しかしそのもう一つの魔女は明らかに弱っている、それこそ消えかけのロウソクよりももっと頼りなさげだ。

 誰かなど聞くまでもない。

 イリアは急いでアトリエの扉を開けた。

 ──ゴツンっ!

「っったぁぁぁっ……!」

「えっごめんなさい! ──って、アウラ!」

「もーイリア、気をつけてよー……」

「すまないね、お邪魔するよ」

「ロイも、わざわざこんなところにまで来るなんて」

 イリアが勢いよく開け放った扉に運悪く激突したアウラは、額を両手で押さえ込んでしばらくアトリエの前で悶絶している。

 そんな友人の姿を素通りし、七種を背におぶったロイが足音も控えめにアトリエに入店した。


 少し急ぎめに、しかしぐっすり眠っている七種を起こさぬよう、物音に気を使いながら二人分の飲み物を用意するイリア。

「て言うか貴女、未来が見えるんだからぶつけないよう回避できたでしょう?」

「そんな日頃から常に未来見てるわけじゃないわよっ!」

「それより、話を聞かせてもらってもいい? こんな時間まで、それに七種の魔力がほとんど残っていないようだけど……」

「問題ない、命に別状はないよ。ただ魔力を使いすぎて眠っているだけだ」

「頑張ったもんね、お疲れさま。七種ちゃん……」

 ソファで寝息を立てる七種。

 猫のように膝を抱えて眠る本日の主役へ、そっとブランケットをかけるアウラ。

 その姿は紛うことなき姉のそれ。


 キッチンよりマグカップを二つ。

 時間はすでに深夜を目前に控えているため、カフェイン控えめのホットココアだ。

 客人用のテーブルに二人を招いたイリアは、

「早速だけど聞かせて、首尾を」

「まず結論から言おう。七種は魔女の力を覚醒させたと言っていい、勿論完全ではないが。浮雲より転醒ドライヴシステムの技術も盗んだようだしね」

「浮雲……!? この子、あのペネロペと戦ったの!?」

「ちょ、イリア静かに……! 今日のMVPが起きちゃう」

「ご、ごめんなさい。けど……この子に魔女の力の使い方を教えてあげて欲しいとはお願いしたけど、まさかあの浮雲と……」

「厳密には霧の妖狐フォッグスの頭三人と遊んできたんだけどね」

「あ、貴女たちなにをやっているの……?」

「ふふ……手っ取り早く魔女としての力の使い方を学ぶには、実践の中で体で覚えるに越したことはないからね」

「貴女から負の蕾トゥーバッドが観測されたと七種に連絡してくれと言われた時には何を考えてるのかと思っていたけど、まさか霧の妖狐フォッグスと事を構えさせるつもりだったなんて」

「実際にはジェイルに算段を伝えてのことだけどね。だけどペネロペも腰を抜かしていたよ、七種の土壇場の底力にね」


 時は小一時間ほど遡り、七種がペネロペとの戦いに幕を下ろそうとしていた頃。

「え、うっそや──」

『逃げろペネ──』

月華冥梟アルクリスメイビス──ッ!!」

 音はない。

 ただ全てを置き去りに振り下ろされた刃は空気を、空間を、その直線上にあるものを全て等しく撫で切るのみ。

 月下に照らされ命を吸い上げるその一太刀を、咲き誇る一輪の花に準えて。


 月華冥梟アルクリスメイビス

 特訓中、唯一アウラへ一太刀を浴びせた一撃である。

「──翔鹿の抱擁ディアスフルメール!」

閲覧アクセス王命オーダー──

 ペネロペへと必殺の一太刀が振り下ろされる刹那、二人の間に割って入ったアウラによって、七種の一太刀は受け止められ、急激に魔力を吸い上げられていく。

 加えてロイは七種へと、聴覚をトリガーとして発動する独自開発の魔術、王命魔術を用いて七種の意識を鎮めた。


 ロイの用いる王命魔術は絶対的な強制力を持ち、ロイを凌駕する魔力と耐性を持たない限り、それに抗うことは不可能。

 つまり現存する魔女の誰一人として、ロイの王命には抗えないのだ。

 別名『王の権限』、正しくロイの代名詞とも言える魔術である。


 アウラから魔力のほとんどを吸収され、ロイに命じられた七種はなすすべもなく意識を刈り取られて、アウラの胸に受け止められる。


 ようやく安寧を取り戻したペネロペは、すっかり忘れていた呼吸をようやく思い出し、肺の中に溜め込んでいた息を吐き出した。

「はぁぁぁあもぉぉぉぉ……おっそいわお二人さん! 危うく死ぬとこやったで!」

「いや、まさか七種がここまで君を追い詰めるとは思わなくてね。その様子だと転醒ドライヴシステムも使ったんだろう? 万に一つも負ける可能性はなかったはずだが」

「盗まれてん! この子一回ワイの蹴り食らっただけで盗みよって、すぐに使いこなしたんや……どうなっとんねんオタクらの連れてきた新米は」

「おい酒クズ! テメーだらしねぇ真似してンじゃねぇよ!」


 アウラを追って後から飛び降りてきたのは、締結状態コンクルージョンのままのヴェロニカ。

 少しはためくだけでも強風を巻き起こすヴェロニカが着地するだけで、力の抜けたペネロペは軽く煽られこかされてしまう。

 文句の一つでも言おうと身構えたペネロペへ、ヴェロニカの容赦ない胸ぐらの掴みあげが襲った。

「しかもなに王権どもに助けられてンだ!」

「無茶言うなや……てかコイツら二人が連れてきたヤツってだけで察してくれ」

「おい王権、ねぇねはどうしたンだよ!」

「って無視かーい!」

「心配しなくとも今クラブでお酒を飲んでいるだろう。血の気の多い君たちと違って私とジェイルは事を構える理由がないからね」

「ンだとぉ!? つーかテメー、オレらを利用したんだってな、天帝から聞いたぞ! このガキを鍛えるのが本命でオレはただの遊び相手だってよ! 舐めやがってッ!」

「はいはい、突っかからないの」

「ちっ……」

 ヴェロニカはすっかりアウラに手懐けられている。

 二人の様子を見れば勝敗の程は明らかだ。

 盛大に当たられて不貞腐れるペネロペ、懐から取り出し火をつけたばかりの煙草をヴェロニカに強奪され踏んだり蹴ったりである。

「あっお嬢、それメンソール……」

「んっ──けほっ! ごほっ、オレメンソール苦手だっつったよな!?」

「人の煙草とっといてなに文句言うとんねん……」

「今日はこちらの都合で付き合わせて悪かったね。特にペネロペ、君のことは七種が目覚めたら十分に弁明しておくよ」

「ほんまに頼むで大将……うちら確かにアウターでこっすいこともするけど、流石に人間を魔晶に変えるようなタブー犯してへんねんから」

「ふふ、すまないね」

「なにわろてんねん、ほんまにぃ……ちゅーか誰の差し金か知らんけど、この新米にアウターとのガチバトルなんかさせてどーゆーつもりやねやろ。下手したらこっち側来てまうで。ただでさえスタイル完全に暗殺向きやのに」

「はっ……逆じゃねぇの?」

「逆ぅ? どういうこっちゃ」

「こっち側に来ねぇって信じてるから、オレらとぶつけたンだろうよ」

「ははは、よく分かってるじゃないか。まさにその通りだよ」

「って差し金お前かーい! なにやっとんねんほんまこの王権! アホちゃうか!?」


 ……と、散々ペネロペに突っ込まれたところで、ロイの記憶は締め括られている。

 あとは軽くジェイルと挨拶を交わし、謝礼である魔晶をたんまりと握らせてから七種をここまで運んできたわけだが……。

霧の妖狐フォッグス、特に浮雲には少々申し訳ないことをしたよ」

「あのねぇ……あーもう、いいわ」

「なら今度はこちらの質問にも答えてもらおうか、イリア」

「なんなのよもう」

「──この子は君にとっていったいなんなんだ? どうしてそう急いて力をつけさせようとする?」


 張り詰める空気、ココアから立ちのぼる湯気を跨いで交わる視線。

 それは滅多に見せないロイの魔女としての顔。

 またそんなロイと真正面から視線をぶつけ合うイリアの面持ちも、凄惨と表現するに相応しい厳かな印象を含む。

「建前としては、この子に魔女として独り立ちさせてあげたい、そう思ったからよ」

「なら本音の方を聞かせてもらっても?」

「────……ワルプルギスが近い」

「……もうそんな時期か。グリムは元気にしているかな」

「あの子のことだし、きっと元気にしているわ」

「それで? 今回のワルプルギスにはどんな魔女が集まるの? あなたのことだし目星くらいついてるんでしょー?」

「祭りだしエリスは間違いなく来るでしょうね。霧の妖狐フォッグスの連中どうかしら……インナーで言えばレレンは呼ばなきゃ来ないでしょうし、貴女たちの知る中で来るとすれば──宝石、冥海、傀儡……この辺りね」

「ねぇロイ、ワルプルギスって誰かを招待してもいいのよね」

「ああ、参加条件は魔女であることだけだからね。……それに、どうせ並の魔女ならすぐ淘汰される」

「なら一人呼びたい子がいるのよねー。多分七種ちゃんのいいライバルになれるわ」

「この子は条件付きならあの浮雲を凌駕するレベルよ。私の知る限りだとインナーの中で今のこの子と渡り合える魔女なんてそうはいないわ。だとすれば……」

「「──聖刻の魔女」」

 三者の声が重なる、満場一致だ。

 アウラの膝に頭を預けて寝息を立てている七種は、悪魔と契約を交わしわずか一日半にして、日々戦禍に身を置くトップクラスのアウターと渡り合う逸材。

 そんな素質の持ち主と互角以上に渡り合える存在となれば、三者の意見が交わるのも無理はなかった。

「今回のワルプルギスも荒れそうねー」

「ふふ……魔女になってこんなにも早くワルプルギスへの参戦を決めたのは彼女が初めてじゃないかな」

「仮にもあの浮雲に勝ったんだから、その資格は十分にあるはずよ」

「イリアはどうするの?」

「私は、いいわ。私が戦う時はどうにもならなくなった時だけ。そうじゃないと……また何もかもを壊してしまうから」

「そっかぁ……いつかあなたとどっちが最強の魔女が決める熱い戦いを、なーんて思ってたんだけどなぁ」

「それならこの子とやればいいわ。この子はいつか……私たちを超える魔女になる」

「七種ちゃんが……もし本当にそうなったらどうするー? ロイー」

「どうもしないさ。こうして語り合える魔女が一人増えるんだ、喜ばしいことじゃないか」

「まるで老人会だわ」

「私たちが言うと高齢化社会が可愛く見えるわねー」

「歳の話はやめておこう、気分が滅入るよ」

「くす……違いないわね。おかわりを淹れましょうか」

「やったぁ、ここの飲み物ほんと美味しいのよねー」

「君は以前に一度ここに来てからすっかりここの虜だな」

「お茶も茶菓子もとてもファンタスティックだもの!」

「ほとんどが貴女の国から仕入れたものなんだけど」

「どこで仕入れてるの? 教えてよイリアー」

「んん……にゅぅ……」

「七種……可愛らしい寝顔ね」

 穏健派とされるインナーの頂点に君臨する三人の魔女に見守られながら、本日の功績を打ち立てた功労者はかすかに寝息を立てる。

 この世の全てを従わせる王の権限を持つ王権の魔女。

 未来を見通し天を統べる力の結晶である天帝の魔女。

 そして──


「いつかこの私を──ふふ、まだ気が早いわね。今日は本当にお疲れさま、ゆっくりおやすみなさい、七種。いいえ──無垢の魔女」

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