第27話
今日はいよいよ現地へと向かう日だ。
少し遠方へ足を運ぶために着替えを始めとした、旅行に必要なものを詰め込んだスーツケースを引きずり、七種は単身現地へと向かった。
心地よい揺れが眠気を誘う電車道。
窓から見える景色は気づけば視界の端へと流れていく。
普段であれば心躍る夏休みのちょっとした冒険、しかし七種の面持ちにはその高揚感を素直に味わえない理由があった。
幸い調査にかかる滞在費やその他諸々はイリアが負担するため、七種は心置きなく調査に集中できるわけだが……。
「大丈夫かなぁ……」
『どしたの七種ー? 忘れ物でもした?』
「ほら、今回はアウターの人と一緒でしょ? エリちゃんとなら大丈夫かもだけど、霧の妖狐の人たちとはほとんど関わりがないから不安で……」
『だいじょーぶだよ、いざとなればパワー! で分からせちゃえばいいんだから!』
「だーめ! もう、今回は合同調査! 協力しないといけないんだよ?」
『ちぇー、最近中級ばっか相手しててつまーんなーい』
悪魔にはそれぞれ、低級から最上級までの階級が存在する。
その中でも名を持つのは上級から最上級までの数少ない悪魔のみ。
そしてストラスは上から二つ目に当たる
日頃人間相手に悪さをしている
元々キラキラした感情とやらを求めて日々空を飛び回っていたような悪魔が、七種の過ごす平和な日常に耐えられるはずもなく。
ストラスは退屈な日々を持て余していた。
「あ、次の駅だ。降りる準備しないと」
『ぜーったい飛んでいったほうが速かったよねー』
「そう言わないのー。こんな荷物持って飛んでくの大変でしょ? ほら、いくよ」
『ぶーぶー』
終始不満げなストラスを引き連れて七種が下車した駅のホームからは、視界を埋めて余りあるほどの一面真っ青が広がっていた。
陽の光を反射する眩い水面、肌を包む熱気でさえも気分を上げる。
鼻腔をくすぐる潮の香りに先ほどまでの不安はどこへやら、七種はすぐさま駅のホームを後にして合流地点へと急いだ。
「どんな人かな……ペネロペさんみたいに気さくな人かな」
『退屈しない子だといーなぁー』
「……あれが、今回の任務の相棒」
『かわいい子ね。でもちょっと頼りなさそう』
「ちょっと……? どこが」
『昔のあなたにそっくりよ』
「……その冗談は、ちょっと不愉快」
七種のいたホームの反対側に位置する乗り場で、足早に駆けていく七種の後ろ姿を眺める一人の少女の姿があった。
霞がかった白い髪をなびかせて、少女の姿は車両の到着と同時に溶けて消え去る。
黒の瞳に落胆の色を残して。
「おかしいなぁ……確かホテルの前で待ち合わせって聞いてたんだけど」
『早く来すぎちゃったんじゃなーい?』
今回合同調査をするに当たり、拠点となるホテルの前で合流する運びになっていたのだが。
残念ながらホテルの前にもロビーにも、七種の探し人となる人物は見つからない。
そもそも七種は協力者の顔も名前も知らされていないため、合流しようにも見つけるすべがないのだ。
「どうしよ……先にチェックインとか済ませた方がいいのかな」
『……待って七種、なんか臭うよ』
「えっうそ、そんなに汗かいたかな……?」
『もーばか、そうじゃないよ! 周りを感知してみて!』
「んん……? 閲覧、付与──
何かを嗅ぎつけたストラスの叱咤によって、七種は自身の
それは自身の感覚を研ぎ澄ますもの。
しかし七種もこれまで何度も中級悪魔をストラスとともに討伐してきた。
わざわざ付与を施さずとも気配を感じとることができる。
──そう、並大抵の気配であれば。
「だれ、この感じ……ピリピリする」
『どっかに隠れてるよ、多分ワタシと同じ上級悪魔……気をつけて七種!』
これまで何度も中級悪魔をストラスとともに討伐してきた七種だったが、上級以上の悪魔との交戦経験はないに等しい。
唯一例を挙げるならば、ひと月前に交戦したペネロペと言う魔女のみ。
それも後に手加減されていたと知らされた。
つまり七種にとって、上級悪魔を従えた魔女との交戦はこれが実質的に初である。
「……気配に気づいたのはいい。でも、付与魔術を使って感知能力を高めておいて、正確な位置を割り出せないのはやっぱり素人」
「だれっ?」
「調査依頼の協力者、そう言えば……伝わる?」
殺意とは程遠い丸みを帯びた手のひらを銃の形に変えて、指先を突きつけているのは七種の心臓がある位置。
接近されている、それこそ指先が触れられるほど近くまで。
仮にも付与魔術によって感知能力を高めているはずの七種に、一切気づかれることなく背中を取った者の声は、意外にも鈴を鳴らしたかのようにか細く透き通っている。
ただのジェスチャー、しかし全身の毛が逆立つほどの殺意は本物だ。
ほんの数秒の沈黙を経て生唾を一つ、七種は口を開いた。
「……振り向いてもいい?」
「好きにすれば」
殺意を放つ主は意外にもあっさりと、七種より少し距離を取り、肌を刺すような殺気を鞘に納めてくれる。
人波を掻き分けて七種のすぐ背後にまで忍び寄っていたのは、小さな女の子。
身長は七種の胸の辺りほど、体格は年相応より少しばかり華奢に映る。
パーチメントカラーの白みを帯びた髪は、肩甲骨の辺りまで伸びる長いストレート。
吸い込まれそうな大きな黒い瞳には人間らしさを感じさせない。
コルセットにより絞められた腹部の下より伸びるスカート、裾から覗く色白の太ももを辿りその先には厚底のブーツ。
黒で統一された衣装は、少女の白い柔肌をより強調させた。
少女の姿を見た七種の感想は、
「人形みたい……」
その一言に尽きた。
「えっと、あなたが協力者さん、なんだよね。お名前は?」
「リージェ。リージェ・クルムナヴァ、リジェでいい」
「リジェちゃん……えと、私は」
「知ってる。名取 七種、まぐれで師匠に勝った魔女」
「師匠……?」
「ペネロペ、それが私の師匠の名前」
「なっ、ペネロペさんのお弟子さん……!?」
ペネロペ・クリーチェリ。
浮雲の魔女としてその名が通っている彼女は、霧の妖狐を統括している三人の魔女のうちの一人だ。
過去に一度七種との交戦経験があり、その実力は七種もよく知るところ。
あの常に下着姿でクラブをうろちょろしているペネロペに、弟子がいたことだけでも驚愕の事実。
増してやその弟子が几帳面を絵に書いたような出で立ちをしていることこそ、七種は驚愕を禁じ得なかった。
「こ、これから一緒に調査するんだよね。えっと、よろし」
「これだけは言っておく。私の邪魔はしないで」
「あっちょっと! 待って──」
……取り付く島がないとはこのこと。
すでにチェックインを済ませていたのか、リジェと名乗る少女は一瞥もなくエントランスを後にした。
友好の意思を示した七種の右手は、力なく下に落ちていく。
『なーにあいつ! 感じわるーい!』
「こ、これからあの子と一緒に調査するの……? 大丈夫かなぁ……」
初の調査依頼は未だ始まってすらいない。
七種はその場でしゃがみそうになる膝に必死に鞭を打ち、ひとまずチェックインを済ませた。
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