文脈の高さから、歌詞を読む

伽墨

高くても低くても受けるものは受ける

1. 導入──水とお湯のあいだに


「ぬるい水」と「ぬるいお湯」は、どちらも日本語として自然だ。だが同じH₂Oでありながら、前者は水、後者はお湯と呼び分けられる。では境界はどこにあるのか。30度の水道水は水なのかお湯なのか。洗面所で出したぬるいH₂Oを、私たちはどちらと呼ぶべきか。


結局のところ、「水」と「お湯」の区別は温度計では測れない。場面や用途、つまり文脈によって決まっているのだ。

言語学者エドワード・ホールが提唱した「高文脈文化」「低文脈文化」という枠組みで考えると、日本語は典型的な高文脈文化に属する。状況や空気、言外の了解が意味を支えている。


この視点をポップスの歌詞に当てはめるとどうだろう。実は、ヒット曲の歌詞にも「高文脈」と「低文脈」があり、それが聴き手の心に違った形で響いている。



2. 2019年──ヒゲダンとKing Gnu


2019年、Official髭男dism「Pretender」とKing Gnu「白日」が大ヒットした。どちらも失恋や後悔をテーマにしながら、その歌詞表現は対照的である。


ヒゲダンの「Pretender」は徹底して低文脈的だ。


 君の運命の人は僕じゃない

 辛いけど否めない

 でも離れがたいのさ


ここには余白がない。「君」と「僕」という関係性が明確に示され、「運命の人」という言葉が二重の「の」を伴って繰り返される。文法的にはやや冗長だが、その冗長さが誤解の余地を消し去る。恋愛関係をめぐる力学が、手取り足取り説明されているのだ。


比喩も具体的だ。


 飛行機の窓から見下ろした知らない街の夜景みたいだ


視点は「飛行機の窓」、対象は「知らない街の夜景」、動作は「見下ろす」。これほど細かく指定された比喩は、日本語ポップスの中ではむしろ珍しい。聴き手は余計な解釈をせず、鮮明な映像を即座に思い浮かべることができる。ヒゲダンは解釈の余白を削ってでも普遍的な共感を取りに行く。まさに「低文脈ポップス」だ。


一方でKing Gnuの「白日」は高文脈的である。


 真っ白に生まれ変わって

 人生一から始めようが

 へばりついて離れない

 地続きの今を生きていくんだ


「真っ白」とは純粋さなのかリセットなのか。語られない。「へばりついて離れない」のは罪悪感か、過去の記憶か、それとも人間関係か。解釈は聴き手に委ねられる。歌詞は抽象的で、意味は「空気」の中に漂っている。


タイトル「白日」も象徴的だ。白日の下にさらされる罪、真昼の光に照らされた真実──解釈は無数に可能だが、正解は示されない。聴き手は自分の文脈を持ち込み、そこに意味を見出すしかない。これが高文脈文化的な歌詞のスタイルである。



3. コラム──受験英語で考える


この違いは、受験英語の観点から見ても際立っている。


「君の運命の人は僕じゃない」を訳せと言われれば、受験生はすぐに答えられるだろう。

 I’m not the one meant for you.

あるいは

 You’re not destined to be with me.

状況も関係性も明快だから、どの辞書を引いてもたやすく訳出できる。


しかし「真っ白に生まれ変わって 人生一から始めようが」と出題されたらどうか。「真っ白」は pure か blank か、「生まれ変わる」は reborn か start over か──選択肢は無限に広がり、答案は減点の嵐になるだろう。もし入試問題に出たなら「悪問」扱いされるに違いない。


受験生に優しいのは間違いなくOfficial髭男dismであり、King Gnuを訳すのは、まさに「白日の下」で右往左往する体験に等しい。



4. 2017年──世界のポップシーン


この「低文脈と高文脈の対照的ヒット」は、日本に限った現象ではない。2017年、世界でも同じことが起きていた。


Ed Sheeranの「Shape of You」は極端に低文脈的だ。


 I’m in love with the shape of you

 We push and pull like a magnet do


「君の体の形に恋している」「磁石みたいに惹かれ合う」。これ以上ないくらいストレートで、情緒的な比喩は最小限。さらに歌詞全体が「バーで出会った」「シーツの匂い」など即物的な場面描写で構成されている。英語の低文脈文化を象徴する歌だ。


一方、同じく2017年に世界を席巻したLuis Fonsiの「Despacito」はスペイン語圏の高文脈性を体現する。


 Quiero respirar tu cuello despacito

 (君の首筋にゆっくり息を吹きかけたい)


肉体的な表現はあるものの、それ以上に重要なのは「デスパシート(ゆっくりと)」という響きの反復と、リズム、情熱的な声の揺らぎだ。言葉そのものより、空気とノリで意味が伝わる。聴き手がスペイン語を理解しなくても「情熱的で官能的な歌」だと即座に感じられるのは、まさに高文脈的な共有によるものだ。



5. 同時代の二極


2017年の世界で、「Shape of You」と「Despacito」が。

2019年の日本で、「Pretender」と「白日」が。

それぞれ同時期に真逆のスタイルで大ヒットを記録したのは、偶然ではないだろう。


世界の聴き手は、あるときは「具体的で分かりやすい言葉」に安心を求め、またあるときは「曖昧で余白のある表現」に心を委ねた。低文脈と高文脈、どちらも必要とされ、どちらも魅力を発揮したのだ。



6. 結論──水とお湯のあいだに


結局のところ、「低文脈だから売れる」「高文脈だから売れない」と単純に決めることはできない。ヒゲダンもKing Gnuも、エド・シーランもルイス・フォンシも、それぞれ異なるスタイルで人々を魅了した。


低文脈の明快さに救われる瞬間があれば、高文脈の余白に身を委ねたくなる瞬間もある。つまり、どちらかが正しいのではなく、どちらも人間の心にとって必要なスタイルなのである。


「水」と「お湯」の境界が温度計だけでは測れないように、ヒット曲の条件も数値では決められない。歌詞が低文脈であろうと高文脈であろうと、最後に残るのは「その言葉が、どんなふうに聴き手に響いたか」という一点だけだ。

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文脈の高さから、歌詞を読む 伽墨 @omoitsukiwokakuyo

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