エピローグ

 春の風が頬を撫でる。満開の桜の花びらが、はらはらと舞い散りながら地面を淡いピンク色に染めていた。遠くでは鶯の鳴き声が聞こえ、春の訪れを静かに告げている。高校二年の終わり、俺は明と二人で墓地の前に立っている。柔らかな日差しの中、墓標に刻まれた「柏木秋音」の名前を静かに見つめ、俺たちは手を合わせた。


「姉ちゃん、来たよ。すっかり春だな」


 明が優しく語りかける。その声は穏やかで、どこか晴れやかだった。俺も続けて心の中で語りかける。——秋音、約束の桜を見に来たよ。今年の桜はとても綺麗だ。君が隣にいたら、きっと一緒に笑い合えただろうね。


 あの日、初めて人前で泣いてから、俺の中で何かが変わった。悲しみは消えないし、寂しさも残ったままだ。けれど、涙と共に心の底に沈んでいた感情が少しずつ解き放たれ、呼吸がしやすくなった気がする。最近では明に「お前、前より表情豊かになったな」などと茶化されることもある。でも不思議と嫌な気はしなかった。秋音が最後にくれた言葉——「泣いていいんだよ」が、今も胸の中で生き続け、俺を支えてくれている。


「春樹」


 隣の明が俺の肩を叩いた。


「そろそろ行こうか。部活の後輩たちと花見の約束してたろ?」


「ああ」


 俺は頷いた。新学期を控え、俺たちはそれぞれ前へ進み始めている。明はサッカー部のエースとして最後の大会に向けて意気込んでいるし、俺も卒業後の進路について真剣に考え始めていた。秋音が与えてくれた時間と想いを胸に、これからを生きていくつもりだ。


 墓前に供えた桜の小枝が、そよ風に乗ってふわりと空へ舞い上がった。「じゃあ、また来るよ」俺は静かに呟いてから身を翻す。明と並んで歩き出す足取りは、以前よりも確かに地面を踏みしめている。


 空を見上げれば、どこまでも澄みきった青が広がっていた。その青の向こうで、秋音が笑っているような気がして、俺はそっと目を細める。頬を伝うものがあって、指先で拭った。それは一筋の涙だった。悲しみの涙。でも同時に、前を向いて生きていくための涙だ。


 俺は小さく息をつき、そして微笑んだ。桜舞う春の空に向かって心の中で語りかける——ありがとう、秋音。君が俺に託してくれたこの涙を、忘れない。そう胸に誓いながら、俺はゆっくりと未来へ歩き出した。

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最後に流した涙 Loser @opp14

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