第12話

 その後すぐに、僕は彼女に起こされた。


 シャワーを終えて部屋に戻ると、何やらテーブルの上が賑やかになっていた。


 半濡れの僕に気づくや否や、テレビを流し見ていたつまらなさそうな表情から一転、ぱぁっと華やかせて手招きをしてくる。


「ねぇねぇ、ゲームしようよ。さっき下のロビーで色々売ってたから買ってきたんだ。あと飲み物とかお菓子とか」


「飲み物はありがたくいただくよ。でも僕寝たいんだけど」


「えー! さっきまで寝てたじゃん!」


「無理やり起こしてきた上に寝覚めの悪いことした人がなんか言ってるよ」


 棒読みでそう言ってやると、彼女は、う……と言葉を詰まらせた。


 ついさっきのこと。

 中途半端に深く寝ていた僕は、一度彼女が起こしてきたのを気付いていながらも寝返りを打って無視し、そのまま寝てしまおうとした。

 ベッド汚れるって言ったのは君だのなんだの、まともに記憶はないがぐちぐちと彼女が言うのを無視し続けた挙句、


「じゃ、じゃあ、私も同じベッドで、隣で寝ちゃうぞー……」


 女性全般に全く耐性のない僕にとって、そんな行動には否が応でも目を覚まさざるを得なかった。


「だからそれはごめんって。というか思い出させないでよ! こっちも意外と恥ずかしかったんだから……」


 テーブルに置かれていたペットボトルのお茶と一緒にその言葉を飲み込む。

 先も言った通り、疲れている。でも今はシャワーを浴びて、しかもどうでもいい言い争いを彼女として、妙に目が覚めてしまった。


 これじゃあ寝付くのに時間かかるだろう。


「ゲームってなにあるの? あまり時間のかからないやつで」


「ほんと!? えっとね、トランプと……私はこっちやりたいかな。はい」


 言って、渡されたのは正方形をしたプラスチック製のボード。


「これは?」


「チェスと、将棋、あとオセロが入ってるんだって」


 その言葉に、微かに心が疼くのを感じた。


「ルールは分かるの?」


「オセロは分かるよ。将棋はあんまりだけど、チェスなら駒の動かし方なら知ってる」


「チェスにしよう。五回やって先に三勝した方ってことで」


「りょーかい! 今夜は寝かさないよ!」


 場違いなセリフを決めて言う彼女のそれを切り口に、ゲームが始まった。





「チェックメイト! だよね? もう逃げ場ないよね? ねぇねぇ!」


「そうだね。詰んでるから君の勝ち」


「やったぁ! これで二勝追いついたよ!」


 人間相手のゲームは意外にも頭を使うものだった。

 コンピュータは常に最善手を打ってくる。だから読みやすい。一方で彼女は、本当に最低限の動かし方を知っているだけの人間は奇想天外な動きをしてくるだけあって非常に読みづらかった。


 その分だけ頭を使うと、自然と頭が冴えて目が覚めて最速で勝つ気は薄れていった。それどころか、感情を剥き出しにして一喜一憂する彼女は見ていて面白かった。僕は気づかれない程度に手を抜き、お互い二勝二敗で最終戦を迎えることになった。


「せっかくゲームしてるんだしさ、なんか罰ゲーム決めようよ」


 駒を並べ直している時のそれも、また突飛な内容だった。


「罰ゲームって、具体的にはなにするの?」


 言いながら、手先のポーンを二マス進める。


「んー、なんだろ、負けた方が勝った方の言うことなんでも一つ聞く、とか?」


「そういう『なんでも』って言葉、安易に使うべきじゃないと思うよ」


 その言葉に対する程度の広さは人それぞれだ。程度を弁えた人もいれば、平気で無理難題を要求してくる人もいる。でもそれは大人の世界でのこと。今僕らが使っている『なんでも』は子供の罰ゲーム程度の意味合で、ならきっと、無理な要求は断れて、断られても容認できてしまう。それは『なんでも』ではない。


 そんな無責任な言葉を約束するのは、なんか嫌だ。


「じゃあ、相手がいいって言ったことなら、なんでもいいってのは?」


 それじゃあ『なんでも』と矛盾していると思ったけど、細かい人と思われるので言わなかった。もう思われてるかもしれない。もしくは、つまらない人か。今更どっちでもいい。


「そういう罰ゲームにこだわるってことは、なんか僕にさせたいことでも?」


「それはどうでしょう? 君が負けてからのお楽しみだよ〜」


「君のお願い聞くのは嫌だから、勝ったらその内容を教えてもらおうかな」


「えー! そんなことに使っちゃうの? なんか他にないの?」


 心外だと言わんばかりに声を張り上げる彼女に、なら、ともう一つのお願いを挙げる。


「次の行き先でも決めてもらおうかな。特に思い浮かばないし」


「えー、それくらい自分で考えようよ」


 今度は本気で呆れられた。それから口を尖らせて何故か文句を言ってくる彼女は、これまた何故か、少し怒っているような口調で詰め寄ってくる。


「なんでもいいんだよ? 私に、だよ? 女の子になんでもお願いできるっていうのにそういうこと思わないの?」


「いや、だからなんでもじゃ……面倒だからやっぱいいや。僕は邪なお願いをする気は無いから安心しなよ」


「安心しなよって、君、ほんと欲がないね」


 欲。あるにはある。些細な欲望ではあるけれど、人並み程度には持ち合わせている。

 でも、そういった自分の本質的な問いについて考えてしまうと、どうしても理性が働いてしまう。一時的な欲求でしかないと、諦めてしまえるくらいに。


 思考に一区切り着いたところで、盤面に意識を戻す。いくらかゲームも進んで、モノクロに入り混じった盤面は僕の優勢に進んでいた。


 ちらと視線を前にやると、手持ち無沙汰にお菓子に手を伸ばす彼女が見えた。横に散らばっている将棋の駒をドミノのように並べ始め、一人一喜一憂していた。

 思えば、ルールを知っている程度に人に五戦は多かったのだろう。それに、僕はそこそこ長考するし、競技として待ち時間が長いことを理解している。しかし彼女はそうではない。

 退屈なのは分かるけど、そうつまらなさそうな反応を取られると申し訳なくなってくる。


「ねぇ」


「んー?」


 少し話しながらの方がまだ気が散らなくて済むだろうと声を出すと、間延びした声が、やけに遠くから返ってきた。視線を声の方に向けると、ベッドにうつ伏せになってごろごろと転がる彼女がいた。


 しかし、浴衣で動き回るのはやめてほしい。つい目を逸らしてしまう。


「君は、したいこととかないの? はい、君の番だよ」


「なに、罰ゲームのこと? それなら負けてからのお楽しみだって。どうぞー」


「そうじゃなくてさ。その、死ぬまでにやってみたいこと的な意味で」


 死ぬ、という言葉を使うのに抵抗はあった。死を約束した彼女に対して言うにはあまりにも重く、そして深く詮索しているような気がして、使いたくはなかったのだ。

 今使ったその言葉はあくまで人としてごく一般で使われるフレーズで、死ぬまでにやりたいことを聞いた。少なくとも、僕はそのつもりだった。


「なんだろ。なくはないけど、死ぬまでにどうしてもってほどのことではないかな……けど、なんて言えばいいのかな。人ってさ、いずれ望まなくても死んじゃうから、そうやって小さな目的とかを作って達成して、人生ってのを彩るわけでしょ?」


「そういうもんなんだ、人生って。はいチェック」


「まあ、そこはあまり関係ないから置いといて……うーん、これで、こうだ!」


 聞いていて、どうも僕と彼女では人生に対する意義や価値観が違うらしい。そうやってまた考え込みそうになったのを、けど続く彼女の言葉が遮った。


「それでさ、死ぬことなんだよ、今の私にとって、人生の目的っていうのが」


 駒を持ち上げていた手が、一瞬硬直した。

 僕が言葉にした『死ぬ』という言葉の意図は、彼女には伝わっていなかったようだ。

 そして平気な顔をして自分の死を語る彼女は、いつものように笑ったまま。

 人生を彩るためにあるのが目的だと、彼女はそう言った。そして、自分にとって人生の目的が死であるとも、また。

 それは矛盾している。彼女の掲げた目的は、彼女の人生を彩るようなものではなかった。人の死は美しいと誰かは言った。それでも彼女が語った死にまるで色はなく、ただ過程の一つとしてしか思っていないような、無感情なものだった。


「それでも、やりたいことはあるんだよね……?」


 僕は逃げた。それ以上語らせまいと、話題を明るくしようと目を背けた。


「そりゃまぁね……っと、ふっふっふっ……まんまと罠にかかったね。これで……」


 チェックメイト! と駒を打ち付け、彼女はにんまりと笑って僕を見た。

 今一度盤面を見渡す。いつの間にか盤面が疎かになっていたことに気づく。

 あと一手でチェックメイトまで持って行けたのに、思考が浅はかだった。


「ん……?」


 微かな違和感を覚えたが、それ以上考えるのはやめた。


「僕の負け、かな」


 一瞬でも気が抜けたせいでどっと疲れが押し寄せてくる。

 久々に本気で頭を使った気がする。


「やったぁ! 負けたからにはお願い聞いてもらうからね! ちゃんと考えとくから」


 嬉しそうな彼女に水を差す気すら湧いてこない。


「はいはい。考えといて」


 嬉しそうな彼女をみると、どうも水を差す気にはなれなかった。

 素直に認めてソファから立ち上がる。


 まだ二日しか経っていないが、それでも今まで些細なことはあっても、基本彼女がなにかをしたいと僕に言ってくることはなかった。


 約束だと彼女は言い張り、僕の決定に異を唱えることもなくずっと付いてくるばかり。

 それがなんとなく気に掛かっていた。ほんとうにこれでいいのかと、彼女は他にしたいことがあるのではないかと。本人の口からこれでいいと言われても、素直に認められなかった自分がいた。


 二人で旅行して、遊んで、確かに隣には彼女がいる。なのにふとした時、独りでいる時と似たような感じがする。それが嫌だった。


 だから、たとえ罰ゲームでも、彼女から何か望んでくれるというのなら。


「僕は先に寝るけど、君は?」


「もうちょっとゆっくりしてから寝るよ」


「それじゃ、こっちだけ電気消すから。おやすみ」


「うん、おやすみ」


 背を向けて、思わず笑みがこぼれた。


 僕は一足先に今日を終えた。


 テーブルの上に、チェックで終わった盤面を残して。



 □



 あれからというもの。


 何をして過ごしたかといえば、ほとんど初日と同じようなものだった。適当に目的地を決めて、自由気ままに散策して、目を惹くものがあれば自分のしたいままに過ごすという、計画性皆無のそれ。


 けれどそれが僕の掲げる暇つぶしというもので、旅行の体ではあるけれど、本質的には同じようなものだろう。それなりに満足感も得られたわけだし、何も文句はない。


 一つ気づいたことがあるとすれば、本来の修学旅行で過ごす二泊三日という時間が、いかに長い時間であるかということ。


 広く浅くをモットーに、かつ朝から丸一日かけて満喫しようとした挙句、当初挙げていた名所や目的地はほとんど回り終えてしまったわけで。

 そんなわけで二泊三日は一泊二日へと短縮。今日の昼までここで時間を過ごした後、また新たな場所に向かうことになった。


 だから今日で旅行は終わって、けど、僕らの約束はまだ終わらない。

 まだ時間はあるのだ。遊ぶ時間も、話す時間も、考える時間も。


 だからまだ、僕らの旅行は続く、はずだった。


「君、こんな女の子を見かけなかった?」


 全てはまやかし。幻視ているのは、甘い甘い嘘の世界だと知った。


 麻薬のようなその場所は、一度訪れたら魅せられて、ずぶりずぶりと溺れていく。


 だから目を覚ましてはいけなかった。


 もし覚ましたら、きっと残酷な世界がそこに待っているから。


 今度こそ逃がさないと、現実の魔の手はバッドエンドへと引きずり込もうとする。

 

 

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