第九章

 Next Standard Era-1――。

 商業区で大学に最も近いコンビニ。付近の公園に来る会社員や研究棟の職員が主な客のため、日曜日は比較的緩い客入りだ。

「あれ、今日ミオリちゃんは休みだっけ?」

 店長がバックヤードから顔だけ出して、カウンターにいるケレンに声をかける。

「いるっス」

「え?」

 ミオリは黙々と商品補充をしている。

 常に何か喋り続けるミオリは、“声が聞こえる”ことで所在確認されがちだ。

「なぁ、その列、別商品だぞ」

「……え」

 機械的に動かしていた手を止め、声のした方を見るミオリ。

 フロアモップの柄に両手を乗せたケレンが立っていた。

「ミオリが大人しすぎるから、店長お前いないと思ってたぞ」

「は? なにそれ、私だって黙ってる時くらいあるし」

「いや、ねぇから。俺もお前具合わりぃのかと思ってたわ」

「別に大丈夫。ちょっと考え事してただけだよ」

「ならいいけど。そのポテチそんな並べても捌けねぇから、少し戻せよ」

 入店のチャイムが鳴り、ケレンはモップを動かしながらバックヤードに戻っていく。

「ポテチで捌けないってそんなわけ……」

 手にしているパッケージには『漬物樽仕込み“厳選ぬか床の樽で半年漬け込んだ本格蔵元の香り!”』とある。

(店長……)

 バイトの帰り道。普段は暗くなってからの公園を避けるが、噴水のあるベンチへと向かう。

「……キャップ、いる?」

 アパートの自室以外でCAPを呼ぶことも、普段はしない。口数の少なさなど、いつもと様子が違うことは明らかだった。

 球体がミオリの横に現れるが、照明の灯りも吸い込む黒曜石の色は闇に溶けている。

 噴水は二十時までライトアップされているが、今はただ頼りない街灯を乱反射する水の音だけがしている。

 あの日も日曜日のこの場所だった。CAPに触れたことで動き出した因果。“観測者”から“選択する者”になる――アレクシスを追うと決めた時にCAPが言った言葉が、ミオリの口数を減らしていた。

「キャップ、あのね、私はアレクシスを助けたい。でもキャップが言ってたアクシオムって、アレクシスが設計したんだよね? 本当なら死んじゃうはずのアレクシスを助けたら、どうなると思う?」

 CAPが演算をするとコアは光るが、しかしこれを答えるCAPは闇に溶けたままだった。恐らくは、何度も繰り返し可能性を探ってきたのだろう。

「タイプⅠ到達が大幅に遅れるか、あるいは確立しない可能性があります」

「あの人ひとりがただ生きる道に逸れるだけで、そんなに変わっちゃうの?」

「未来の世界で、AXIOMは為政者です」

「王が変われば国も変わります」

「だけど助けたい。どう干渉すればいいの?」

 CAPに向いているミオリの顔は、乱反射を受けて瞳が揺れているようにも見える。

「変わらないようにすることは可能です」

「え! どうすればいいの!?」

 ミオリが身を乗り出す。

「タイプⅠ確立に必須なのはクラリス・レネヴィルの事業計画維持です」

「えっと……もうちょっと分かりやすく……」

「アレクシスを排除したがっているのは財団関係者です」

「排除できなかった場合、クラリスとの関係が悪化する可能性があります」

「財団の後ろ盾がなくなれば、資金不足により計画は停滞、あるいは失敗します」

「そっか……資金か……」

 乗り出した身をゆるゆると戻していく。大学生にどうこうできるような額ではないだろう。

「もう一点。アレクシスを何度でも排除しようとする可能性もあります」

「そう……だね……。一回助けたくらいで、ずっと安全でいられる保証はないよね……」

 ネクスト財団のシンクタンクは学園都市外の都心にあるが、近い地理にあるためセントリスにもいくつかの財団施設がある。

 アレクシスの研究所である13-Eもその一つだ。

 セントリスで何かする場合のほとんどで、財団の影響がある。

「クラリスが財団を切れるくらいの資金源ってなると、そうとう確かな企業じゃないと無理だよね……」

 CAPのコアは柔らかい明滅をする。

「非財団系企業からの出資者が一名」

《Helios Type-I Program 出資者:キリシマ・レンジ(桐嶋 蓮司)》

《所属:セレスティア・インダストリーズ(Celestia Industries)》

《セレスティア・インダストリーズ プロフィール解析開始》

《創業年:NSE-48》

《主力分野:航空宇宙用軽量複合素材/先端医療用生体適合素材》

《財団関連契約:継続中(材料供給:医療デバイス/研究設備)》

《代表者:キリシマ・ヤスオミ(桐嶋 泰臣)/創業者・現CEO》

《キリシマ・レンジ:副社長、後継者候補》

「セレスティア……え、超有名企業じゃん! クラリスと面識ありそう?」

 再び身を乗り出すミオリに、CAPが検索を続ける。

《クラリス社用端末通信ログ検索》

《検索条件:送信元 セレスティア・インダストリーズ》

《結果:受信履歴 1件》

《件名:祝賀会でのご挨拶》

《本文要旨:社交辞令的内容/具体的交渉履歴なし》

「祝賀会?」

《財団メールサーバーから招待状送信履歴検出》

《件名:創業記念祝賀会 招待》

《送信者:ネクスト財団系列対外広報部》

《宛先:クラリス・レネヴィル 他13名》

《日時:NSE-2/05/09 19:00》

《会場:ホテル レガリア・グラン》

《添付ファイル:出席者リスト(暗号化)》

《暗号解読開始……》

《進捗:42%》

「暗号読めちゃうんだ……。どこまで無双なの」

《進捗:100%》

《出席者リスト解析完了》

《出席者:財団幹部、系列企業幹部、協力企業次期幹部候補数名》

《該当者:キリシマ・レンジ(セレスティア・インダストリーズ)》

 今日一日別人のように大人しかったミオリの顔が明るくなる。

「これは観測しに行くしかないでしょ!」

「了解。目標座標を設定します」

《目標座標到達:NSE-2/05/09 19:00》

《観測地点:ホテル レガリア・グラン バンケットホール》


 Next Standard Era-2――。

 高い天井には繊細なガラス細工が光の粒を散らすシャンデリア。その光を淡く返すフロアタイルは、複雑に組まれた板が美しく幾何学模様を生み出す。

 ホール奥のガラス扉から続くテラスは、視界いっぱいに庭園を見下ろせた。街灯と植え込みの間接照明が、樹々と芝生に柔らかな輪郭を描く。

 さらに遠く、間を縫うように立ち並ぶ高層ビルの窓明かりが、静かな商業区を飾っていた。

 ビュッフェ形式で並べられた料理は、本来それが主役になるほど贅を尽くしているが、見向きする者はあまりない。

 さざめく人々は皆、衣装も振る舞いもフォーマルだ。

《参加者スキャン開始……》

《主要招待者:13名》

 - 財団幹部:4名(対外広報部、研究開発部、系列監督役 ほか)

 - 財団系列企業幹部:3名(レオン・ヴァーグナー含む)

 - 協力企業代表:3名(キリシマ・レンジ含む)

 - 政府省庁推薦枠:3名(科学技術省、財務省、産業連携局)

「う……。字幕早すぎて主要招待者が十三人しか見えなかった」

 CAPはわざわざログをディスプレイで見せているが、情報量の多さにミオリが読むのを諦めている。

「会場全体人数:推定60〜65名」

「今ここにそんないるの!? キリシマさん探せる?」

「メディアの露出は多くない人物ですが、問題ありません」

《優先観測対象:クラリス・レネヴィル/レオン・ヴァーグナー/キリシマ・レンジ》

「主要会話発生地点を優先的に追跡します」

「……私、完全に場違いだよねこれ」

 夜中にコンビニへ買い物にでも行くような、自分のティーシャツを摘まむ。

「本観測は不可視設定のため、服装は影響しません」

「いや、気分の問題っていうか、メンタルが殴られる感覚分かる?」

「分かりません」

 一向に寄り添う気の感じられない相棒に、くっ……と奥歯を噛む。

「マスター、キリシマ・レンジです」

「え、どれ!? どこ!?」

 CAPのホログラムディスプレイに、三十代と見える男が映し出される。仕立ての良いスーツということは分かるが、あまり派手さのない、どちらかといえば品の良さが目立つ。

《対象人物発見:キリシマ・レンジ》

《外見照合:髪型/服装/体格一致率99.2%》

「おお、あれがレンジさんか……。なんか見た目普通だね」

「容姿は交渉能力には影響しません」

「そーゆーとこだよ、キャップ」

 ディスプレイのレンジが何かに気付いた顔をした。視線の先には、レオンとクラリスがいる。

《行動パターン解析:接触優先対象=レオン・ヴァーグナー》

「レオンって誰だっけ?」

「クラリスの後ろ盾となっている財団関係者です」

「あー。……って、爆弾のやつか!」

「キリシマ・レンジがレオン・ヴァーグナーに接触します」

 レンジが動き出したやや後に、レオンとクラリスに気付いた会場がざわめきを止めた。

「うわ、会場に入っただけでこんな大勢を黙らせたよ。映画のワンシーンみたい」

 数人に声をかけられるも、にこやかにそれをかわすレンジ。

「レンジ、誰とも話してなかったのに……。レオンには真っ直ぐ向かったね」

「事業参画が主要な目的と推測します」

 そうと知らなければ、いかにも社交辞令で近づいたように見える。

「やあ、レオン。羨ましいパートナーを連れてるな。今夜のクラリス女史は一段と眩しい」

《発言者:キリシマ・レンジ》

《接触会話開始。優先度:高》

 CAPがノイズをキャンセルし、レオンとレンジの会話を拾う。

「聞いたよ、また事業を拡張するそうだね。今度は何を始める気だ?」

「耳が早いな。まだ数年先の話だよ。彼女とは今、その事業で組んでる」

「詳しく聞いても?」

「ごゆっくり。私は他に挨拶してくるわ」

 レオンから腕をほどいたクラリスは、レンジには微笑みをひとつ送り、顔見知りの傍に行く。

 レオンは銀盆を抱えたスタッフからワインを受け取り、レンジにテラスへ出るよう仕草で誘う。

「あれ、行っちゃった……。えーっと、どっち?」

「今はキリシマ・レンジ追跡を推奨」

「オッケー、ついてこ」

 レオンとレンジの後を追い、ミオリとCAPもテラスに出ると、レンジの声が聞こえる。

「例の事業、少し興味があってね。特にHelios Type-I Program……将来的な市場規模が読めない分、投資としては面白い」

 石造りの手すりに腰を預けたレンジが、探るように言葉を選ぶ。

「面白い? 僕はもっと現実的な言葉を使ってほしいね」

「じゃあ、魅力的と言おうか。僕は計算できる事業が好きなんだ。君が担保になってくれるなら、なおさらだ」

 隠れる必要はないが、二人の足元にしゃがんでいるミオリ。

「なんでこう、回りくどい話し方するのかなぁ。出資したいです! オッケー! ――でよくない?」

「観測:交渉成立確率 68%→74%に上昇」

「今の会話で成立確率上がるのも意味分からないし」

「担保ね……まあ、君なら悪くない出資者だ」

「光栄だな」

 グラスのワインを一口含むと、レオンは話を切り上げる。

「会社のほうから直接君に連絡させるよ」

「分かった、良い報せを待ってるよ」

 後ろ姿で手を振り、レオンは会場に戻っていく。

 テラスに残ったレンジはレオンが他の参加者に話しかけるのを見届け、スマホを取り出す。呼び出し音を待つ間に、CAPは通話の傍受を開始した。

「……俺だ。言われた通り、出資を志願した。また貸しだからな」

『貸しぃ? 俺の貸しを返しただけだろ。忘れたとは言わせないぞ』

 CAPを介して、気怠そうな男の声が聞こえる。

《通話相手:シミズ・リョウスケ》

「シミ先!?」

《声紋解析完了:感情傾向=皮肉 41%/満足 33%/警戒 26%》

 レンジはシミズの返しに、喉の奥で愉快そうに笑う。

「忘れてないさ。でも教壇に立ってるあんたは未だに想像できないな」

『お前、面白がってるだろ』

「まあな」

 フン、とシミズの短い嘲笑が聞こえる。

「WLIから俺に連絡をくれるそうだ。詳しくはまた後日」

『ああ、悪いな』

「いいさ、こっちにとっても悪い話じゃない。でなければ乗らない。じゃあな」

 通話を終了したレンジは、数人と挨拶を交わすと、ほどなくして会場を去った。

 テラスに残ったミオリが、まだ整理しきれない顔でレンジが出ていくのを目で追う。

「どういうことだと思う?」

「シミズ・リョウスケはキリシマ・レンジの行動を予測済みと判断」

「キリシマ・レンジの端末からは、シミズ・リョウスケとの通話履歴が複数回検出されました」

「さっきの感じだと、相当親しいよね……。ちょっと面白くなってきた」

 厄介ごとに好きこのんで首を突っ込む時のミオリは、妙に生き生きしている。CAPは主の性質をそっと行動記録に書き加える。

「マスター」

「ん?」

「そういうとこです」

「なにが!?」

 レンジが去ったあとも、もう一人の観測対象――クラリスを追い続ける。

「キャップ、このパーティって、あとどのくらい続くのかな。お腹すいてきた」

 ビュッフェ形式で並ぶ一流ホテルの料理を前にしても、手を伸ばせない。なぜ一度帰宅せず、公園から直行してしまったのか。自分の判断を悔やむ。

「平均的な祝賀会の開催時間は二、三時間です」

「……うぅ」

 うなだれるミオリの視線の先で、クラリスが会場奥の専用エレベーターに向かう。行き先は別フロアだ。

「クラリスが移動した……キャップ、追っていい?」

「追跡可能ですが――」

 クラリスがフロアボタンを押した瞬間――

《フロアガイド照会:スイートフロア》

《該当フロアスキャン開始》

《人物照合:レオン・ヴァーグナー》

 ミオリの視界が闇に閉ざされた。

「うわ、なに!? 真っ暗なんだけど!? キャップ、暗い! なにも見えない!」

「現在、観測映像の出力を制限しています」

「いやでも、これじゃ移動できないし!」

 目は開いているのに何も見えず、腰を引きながら両腕をわさわさと動かし、その場で回転するミオリ。

 すると、黒一色の視界に白線だけで壁と床が描画される。

「そうじゃなく……普通に見せてよ」

「観測対象の映像は、マスターの精神安定を著しく損なうおそれがあります」

「……は?」

「倫理指標E24です」

 視界はまったく臨場感を伴わないが、ベルの音が目的フロアに着いた事を知らせる。

「倫理……なんか分からないけど、平気だからっ! オトナだから私っ! ね、ちょっとだけ見せて? 確認のために⋯⋯」

「確認の必要性は認められません」

 突然、古代ギリシャの戦士のような男と、魔法使いのような女が現れる。

「キャップ!! なんか出てきた!!」

 二人の会話が、なぜか視界上部にテキストで表示された。

『おい、そんなに飲んだのか?』

『違うわよ、酔ってなんかないわ。ねぇ、どうだったの? 資金源になりそう?』

「あれ、音が!? 音も聞こえなくなったんだけど!? ねぇ、キャップお願い! 元に戻して!」

『ああ、君が優秀なおかげで、資金的にはもう少し計画を早められそうだよ』

『ふふ……』

「解除リクエスト、却下します」

「マスターはそれを倒していてください」

「やだあああああああああ!!!」

 静まり返ったVR空間に、ミオリの叫びが反響した。


 Next Standard Era-2――。

「……なに、これ」

 割れて中身をぶちまけたコーヒーカップ、横倒しになった観葉植物からこぼれた土、床に落ちたブランケットや脱ぎ捨てられたジャケット、倒れたスタンドライト、ベッド脇で転がる目覚まし時計。

「いつも散らかってるけど、これ⋯⋯暴れた?」

 クラリスが社用端末を置き去りにした理由を観測しにきたミオリだが、何度も訪れたアレクシスの研究所で、こんな荒れ方は初めてだった。

「原因はラップトップの記事と推測」

 CAPが検索結果を表示する。画面には、祝賀会のドレスを着たクラリスが、地下駐車場でレオンと腕を組んでいる写真。

「あー……これ、VIP用の出入り口だよね」

 戦士と魔法使いがテキストで会話するようなゲーム画面しか見られなかったミオリでも、記事の内容は察せられた。

 感情のまま荒らした後なのか、今はその気力すらなく、アレクシスはデスクに伏したまま動かない。

 VRでこの二日後を観測しているため、アレクシスの無事は分かっているが、あまりにも動きがない。様子を見に研究室へ入ろうとすると、背後でドアの開く音がした。

 唖然としているクラリスが、周囲を見回しながらソファにショルダーバッグを置く。

 テーブル横に落ちているパソコンの画面を覗き込み、表情を険しくした。

「……いつの間に」

 ハッとしてアレクシスを見やり、研究室のドアへ駆け寄る。鍵がかかっていると分かると、何度もガラス戸を叩いた。

「はい、キャップさん注意喚起です。今日はEなんとかで賢者と魔法使いに差し替えるの禁止! もしやったら、この後のアレクシスとクラリスの様子、全部キャップが説明だからね! ぜーんぶ!」

「説明要求に応じるかは観測後に判断します」

「差し替える前提かっ!」

 クラリスはソファのバッグから端末を取り出し、取り乱した声でアレクシスへ電話をかけた。

「あの写真は財団関係のパーティに出席した時のものよ。ホテルは会場だったの。調べてくれてもいいわ。彼はただのビジネスパートナーよ」

 アレクシスの頬にそっと手を添えた――その瞬間、クラリスの全身に高強度のモザイクがかかる。

「キャップぅぅぅ!」

「情報価値としては蛇足です」

 アレクシスをなだめ終えると、クラリスはバッグだけを手に部屋を出た。ヒールの音を殺した歩みは、いつも通りの上品さを保っている。

 駐車場まで追うと、車のドアを開けた手がふと止まった。

 その手はそっと自分の唇に触れ――すぐに握りしめ、車に乗り込んで走り去った。


「あれはもう、アレクシスのこと本気で好きだね」

 クロノジェルのシートで胡坐になっているミオリが、一人で納得している。

「それは――」

「勘だよ? でもキャップも見たでしょ、クラリスのあの取り乱しよう。アレクシスに電話する時なんか手が震えてたじゃん。それに――」

 強モザイクで見えなかったが、CAPが隠したということは、キスはしたのだろう。

 その唇に触れる手は、不本意なキスを拭うのではなく、そっと余韻を確かめる仕草だった。

「あの感じなら、クラリスにアレクシスへの気持ちを自覚させれば、レオンから守ってくれないかな?」

「クラリスは不確定要素がある限りアレクシスを選ぶ確率は低いです」

「先にキリシマ・レンジとクラリスを繋ぐことを推奨します」

「繋ぐって言ってもどうやって……」

「NSE-2でシミズ・リョウスケに接触することを提案します」

「あー、シミ先! 去年か……。大学にはもういたし、私一応講義受けてるから、行ってみよう!」

 球体はコアを緩く光らせ応答した。

「マスター」

「ん?」

「まさかシノザキ・ミオリ当人として会うつもりですか?」

「え? あ、そうか……私本人が行くと、その時代の私に不都合でるか」

「高確率で因果干渉が発生します」

 ミオリからシミズにアレクシスの話をすれば、まだCAPと出会う以前のミオリにシミズが混乱することになる。

「じゃあ、どうすればいいの?」

「偽装します」

 クロノジェルの床に淡い光の輪が広がり、衣装が投影された。

「……嘘でしょ」

「安価で入手可能かつ、投影効率が最も高いです」

 三百六十度を見せるように回転しているそれは、目と口の部分が開いた全身タイツだ。

「いや、言いたいこと分かるけど……これ着て外歩くの?」

「その上からホログラフィックを重ね、別人物として認識させます」

「声もフィルターをかけ、全く別のものに変声します」

「気のせいかな。キャップ楽しんでない?」

「気のせいです」


 Next Standard Era-2――。

 セントリス総合大学構内。

 スーツを着たやや太めの男が、シミズの研究室前でうろうろと様子を窺っている。

『マスター、動きが不審です』

 無線イヤホンからCAPの声が聞こえてくる。

 数時間前――。

 ディスカウントストアから出てきたミオリが、レジ袋の中を覗き込み、溜息をつく。

「……着るのか」

 クロノジェルに戻り、着替えている間も文句が絶えない。

「うわ、やば。絶対知り合いに見られたらダメだこれ。特にケレン」

「ねぇこれ本当に着ないとダメ? キャップなら普通の服でもホログラ重ねられるんじゃないの?」

「可能ですが効率は重要です。諦めてください」

 ピッチリと体表に沿った全身タイツを着込んだミオリを、CAPは一周スキャンし、空中に淡い人型の輪郭を描き出す。

「偽装完了」

 やや太め、サラリーマン風の男が身体を捻りながら、自分の手や服装を確認する。

「キャップ!? なんで男にしたの!?」

 声が野太い。

「マスターとの一致情報を極力排除しました」

「ぜっったいに同期ずらさないでよ!」

 無線イヤホンで音声を繋ぎ、観測遮断したCAPもすぐ隣にいる。

『この時間、シミズ・リョウスケは講義を持っていません』

『研究室の入室ログにもシミズ・リョウスケのタイムスタンプがあります』

『偽装情報:ナルセ・タツロウ(成瀬 達郎)/32歳/中小技術コンサル勤務/経歴全て安全に偽装済みです』

『交渉の話は練習した通りです』

「わ、分かった!」

 セキュリティチャイムを鳴らすと間もなく、シミズの声がする。

『……どなたですか?』

「あの……っ、私ナルセ・タツロウと申します。セントリス市内で技術コンサルをしております」

 ホログラムの男は、少し頭を下げながら声を張った。

「クラリス・レネヴィルの研究について、共通の知人から教授を紹介いただきまして」

『……共通の知人?』

「はい。財団に頼らず研究を維持する道を探していまして。その……アレクシスのために」

『……』

 シミズは沈黙したが、ドアは開かれた。

 椅子の背にもたれ腕を組んだシミズが、元ジャーナリストらしい視線を向けている。

「前置きは苦手だ。率直に聞く。財団に頼らない道っていうのは具体的に何の話だ?」

「……資金力です」

「なるほど。しかしそれなら俺より他を当たったらどうだ? しがない大学教授に何ができる」

「では、教授は研究を財団に任せておいてもいいと思いますか?」

 短く息を吐き、視線を窓の外にやった。

「まぁ、思わないよ。連中、表向きは科学の保護者を気取っているが……資金の流れ一つ取っても、説明がつかないところはいくらでもある」

「説明がつかない?」

「今は……まだ証拠がない。さすがに研究畑の元記者じゃ限界がある」

 指で顎に触れ、しばらく思案していたシミズは、机の引き出しから端末を取り出した。

「会わせられる人間がいる。セレスティア・インダストリーズのキリシマ・レンジだ。私が教授になった時、彼に世話になった」

「紹介してもらえるんですか?」

「ああ。ただし――これで私の貸しを一つ使うことになる。君は私に何をしてくれる」

 シミズはナルセの反応を窺うように、首を斜に構える。

「……アレクシスは今、名前が消されかけています。私が助けになれると思います」

 ここまで表情に変化を見せなかったシミズの眉間にしわが寄る。

「いいだろう。キリシマのことは君への貸しだ。返す気があるなら、……アレクシスを頼む」

 研究室から出てきたナルセことミオリが、ビジネスマンらしく一礼する。

「ありがとうございました」

 ドアが閉まると、無線イヤホン越しにCAPの声が響いた。

『キリシマ・レンジへの接続ルート確立』

「……ありがたいけどさ」

『何か疑問がありますか?』

「あるよ。シミ先は課題出す時もああいう言い方するんだよね。財団に裏があるって言いたそうだった」

 クロノジェルが再びミオリの前に広がると、CAPも姿を現す。

「補足情報:財団は年次会計報告を公開しているが、資金流用検出率は低い」

「つまり……見えてない金の動きがあるってこと?」

 ナルセ・タツロウの偽装が溶けるように消え、ミオリは座席に座り膝を組む。

「可能性はあります。推定5%以上の不明支出が存在します」

「五パーセントって……何に使ってんのかな」

 CAPのコアが淡く脈動し、複数の契約書や入金履歴がホログラムで並んだ。

「現時点で判別可能なのは、“架空の取引先”と思われる企業への支払い」

「そういえばCAP、爆弾設置してったのもペーパーカンパニーだって言ってたね」

「取引金額、時期、担当役員を照合すると、ひとりの名前が頻出します」

 ホログラムの一枚が拡大され、契約書の末尾にサインが浮かび上がった。

 ――Leon Wagner。

「……これって爆弾のあいつだよね? いいじゃん、好都合!」

「完全な裏付けには、過去ログの照合が必要になります」

「よし、ペーパーカンパニーに潜入しよ!」

「了解。――マスター」

「なに?」

 全身タイツを脱ぎながら、CAPの続きを待っていると――

「念のためその衣装のままでいてください」

「え!?」

《クロノジェル接続、脳波同期開始》

「え、理由は!?」

《目標座標:ネクストシティ臨港区 東倉庫街ブロックD-17》

「説明なし!?」


 薄暗い室内には、油と埃の匂いが立ちこめる。

 金属ラックが壁に沿って規則正しく並び、一見すると清掃用具にしか見えないものが収納されている。

「ダミー法人、クロニクス環境メンテナンス合同会社の倉庫内部です」

 しかし清掃会社であれば消耗品は洗剤やスポンジなどの劣化する清掃用具だと思うが、備品にそれらはあまり見当たらない。

「本当にダミーっぽいね」

 奥には段ボール箱や古いファイルが積み上げられ、まるで物置だ。

 事務室の扉をすり抜け、CAPがデスクの端末を走査するが――

「デジタルではそれらしいファイルが見当たりません」

「うっそ、まさかアナログ!?」

「恐らく」

「……キャップの得意分野終わったじゃん」

《局所構造透過観測》

 ミオリの視界ではただ環状の光が床から天井へ動いただけだが、CAPには棚の中身まで見えている。

「ありました。倉庫奥の格納庫です」

「おお、さすが未来の違法AI!」

「その呼称には異議があります」

「すぐにその場所に実態移送できる?」

「先に目的座標に移動すれば再計算の必要がないので、コスト余力はありますが――」

 見る限りセキュリティレベルはそう高くない。

 しかしそれは逆に言えば、CAPもこの倉庫の出入り頻度の解析や侵入発覚をジャミングできない事を意味する。

「関係者がいつここに来るか予測不能です。推奨はできません」

「とか言って、タイツのままでいさせたの、これを予想してたんでしょ?」

「帰還のための演算コストを確保するために、安全地帯まで倉庫離脱は自力になります」

「分かった。頑張る」

 格納庫にすり抜けて侵入すると、CAPのコアが周囲を白く染める閃光を放ち、空間が波打つように歪んだ。

「いだっ!」

 ミオリの立っていた位置が僅かにずれ、棚に強か顔をぶつける。

「狭いのでご注意ください」

「先に言って……」

 鼻を抑えながら蹲っている。

「――で、どれが証拠のファイル?」

 CAPの先導についていくと、棚と棚の間を縫うように進んだ先、他のファイルと区別できないように紛れたファイルを赤いポインタが示す。

 手にして開くと、契約書、送金記録、領収書――すべてレオンの署名入りだ。

「うん、しっかりサインもある」

「マスター、物理ストレージに」

 CAPの下に付き従っているクロノジェルの一部が半透明に可視化され、ポケットのような口が開く。

「オッケー。――にしても、こんなヤバいものを管理するのに、このセキュリティ?」

 格納庫の鍵はアナログなシリンダー錠だ。

 内側の錆びたつまみをひねると、ガチャリと間抜けな音が響く。

「それは裏返せば、出入りが頻繁である可能性を示唆します」

 錆びた蝶番の擦れる音を響かせ、格納庫のドアを開けると、正面のシャッターが軋む音を立てて持ち上げられた。

 車のヘッドライトが差し込み、低い怒声が飛ぶ。

「誰だ!」

 声と共に、複数の足音。

 レーザーポインタの赤い点がいくつも壁を走り、それはミオリの上体に集まりかける。

 ミオリは清掃用具が収められたラックの影に身を滑り込ませた。

「マスター、予定変更です。VRで一旦身を隠します」

「クロノジェル起動まで七秒」

「七秒!? 無理! 銃持ってるじゃん!」

「では――派手に行きます」

《弾道解析完了》

 瞬時にCAPの照準がいくつかの目標物を捉える。

 鉄パイプ衝突、吊鎖揺動、棚ストッパー――。

《同時跳弾経路:銃グリップ》

 発砲と同時に――

《偏向角度2.7度設定》

 CAPからそれぞれの弾道に振動波が送られ、敵弾を微妙に逸らす。

 弾丸の一つは鉄パイプをかすめ、吊り下げられた鎖が揺れる。

 鎖の先のフックが棚のストッパーを外し、棚から滑り落ちた工具が銃を構えている男の頭に直撃する。

「うっ!」

 別の弾で業務用ワックスのポリタンクに穴が開く。

 コンクリートの床に乳白色の液体が広がり、間合いを詰めようとした男が転倒した。

「……このやろう!」

 転倒した男が膝をついたまま再び銃を発砲する。

《偏向角度4.2度設定》

 弾は倉庫手前にある消火器を直撃した。

 消火器は回転しながら噴射し、白い粉が宙を舞う。

《7……6……》

「くそ!」

 後ろに控えていた者が咳き込みながら、白く霞む空間に数発――闇雲に撃った弾の後に聞こえてきたのは、転倒している男の悲鳴だった。

「おい! やめろ、撃つな!」

《……3……2……》

 そして撃った当人にも、CAP誘導の跳弾が銃グリップを直撃した。

 金属音と共に武器が床を転がる。

《――クロノジェル起動》

 クロノジェルの光が足元から立ち上がり、ミオリの身体を包み込む。

 視界が蒼に染まる直前、CAPの声が低く響いた。

「偶発事象の発生確率――計画通りです」

「……ぜーったい楽しんでるでしょ!」

 球体のコアが機嫌よさげに光った。


 Next Standard Era-2――。

 コーヒーテーブルを挟んで座るシミズの前に、再びナルセ・タツロウの姿となったミオリが厚い封筒を置いた。

「これは……?」

「レオン・ヴァーグナーによる私的な資金流用の証拠です」

 シミズは瞠目し、ナルセと封筒を交互に見やる。

 開封すると、手書きで記された帳簿や、架空と思しき請け書がいくつもリングファイルに綴じられていた。

 紙の質感やインクのにじみが、これが単なるデータ出力ではないことを示している。

 視線を戻されたナルセは、淡々と続けた。

「私はメディアの伝手を持ちません。ですが、シミズ教授なら――元ジャーナリストとして、最も有効に活用できると思いまして」

「……確かに、元とはいえメディアの側にいた。だが、これが本物だという保証はあるのか?」

「保証します」

 短く言い切った後、やや間を置いて付け加える。

「それで――私はクラリスに、この件とキリシマ・レンジさんの助力が得られそうだということを伝えます。教授には、キリシマ・レンジさんとクラリスを繋いでいただけないでしょうか」

「それは構わないが……」

 シミズは珍しく視線を泳がせた。

「君は、アレクシスの名前が消されかけていると言ったな。どういう意味だ?」

 ナルセ――ミオリは一瞬言葉を探し、慎重に選ぶ。

「クラリスの論文は本来、アレクシスとの連名です。査読を財団と繋がりのあるメディアが奪ったのは、最初からアレクシスを排除する意図があったから。このままでは――」

 シミズの表情から、もはや疑念は消えていた。ただ静かに、目の前の男の言葉を受け止めている。

「……だったらクラリスも、アレクシスにとっては危険な存在じゃないのか?」

「いいえ。彼女は大丈夫です。私に任せてください」

 シミズは短く息を吐き、ナルセを観察する。

 信頼できる根拠はない。だが、この件で自分を頼ってきた理由が、アレクシスの身元保証人であると知っていたからだとすれば――。

「分かった。レオンの件とキリシマの橋渡しは引き受けよう」

 ナルセは妙に人懐っこい笑顔を見せた。

「ありがとうございます、シミせ――シミズ教授!」

 軽やかに立ち上がり、スキップでもしそうな足取りで去っていく。

「……妙な男だ」

 鼻で短く笑い、シミズは端末を手に取る。キリシマ・レンジの連絡先を呼び出すと、指がすぐに発信キーへと動いた。

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