第八章

 Next Standard Era-1――。

 レポートのためにバイトを休んでいるミオリは、午後早々からアパートの部屋にいる。

 全開にした窓から入るぬるい風と、動いているのが奇跡的な扇風機が、デザインの古いカーテンを揺らす。

 ミオリの部屋にあるものは概ね、前の住人が置いていったものをそのまま使用している。そしてミオリがこのアパートを出る時も置いていき、次の住人が引き継ぐのだろう。

 この格安アパートを借りる入居者が代々引き継いできた伝統の家具は、二十年や三十年では通用しないほど古い。

 ノートパソコンの前で、テーブルに足を投げ出し、天井を仰いだまま動かないミオリ。

 アレクシスの研究所に侵入失敗して、昨晩出直してみたが、不審な侵入の検知でセキュリティレベルが上がってしまった。一度ロックのかかった認証コードは解除に手間がかかる。

 万が一大学関係者に侵入が発覚すれば、ミオリの学籍もただでは済まない。

「クラリス・レネヴィルはなんかやってる。それは間違いないんだけどなぁ」

「間違いない根拠はありますか?」

「ん? 勘」

「……」

「あ、バカにしたでしょ今。私こういうの外さないよ? 結構自信あるんだけど」

 テーブルから足を下ろし、顔よりやや低い位置で浮いている球体を覗き込む。

「勘でレポートを執筆するのは非推奨です」

「分かってるよ……。だから一文字も書けてないんでしょ」

 CAPの位置に合わせていた上体を戻し、つれない相棒にむすっと目をすがめる。

「物理アクセスではなく、因果観測を提案します」

「いんがかんそく?」

 CAPの言葉は簡潔すぎて、時々咀嚼が間に合わないことがある。

「――て、ああ! タイムマシンで見るだけのやつね!」

 ふと、VRでのタイムトラベルで思い出す。

「ねぇ……。前に実体移送はリスクがあるとかなんとか言ってたけど、この間は未来に飛んだよね? 普通にできるの? キャップ記憶戻ったの?」

「……」

「あとさ、あの未来にいた男の人、誰? 知り合い? ――にしては、向こう微塵も知らないって感じだったよね」

「……」

「私の“勘”だと、彼は将来キャップを造る人なんじゃないかな~、って思ってるんだけど」

 この規格外のAIがはっきり「大丈夫」と言える人物は限られる。そして奇妙な素材で“自作した”と言っていたクッション。

 何より、彼は忽然と消えたCAPに対し、物質移送なのかと聞いてきた。消えた事実よりも、技術的な関心が高かった。

「……」

「違いますって言わないの本当正直だよね~」

 顔を斜にしてにやにやするミオリ。

「違います」

「遅いのよ」

 CAPは、話す必要のないことは聞かれなければ自ら言うことはない。話したくないことを聞いても返事をしないことはある。

 言わなかっただけか、話したくないのか、反応の区別がつかない相棒に短い溜息を漏らす。

 未来から帰還して、時々思う。

(実体移送……できるんだ)

 母、サトの倒れた日が脳裏に蘇る。

 実体移送のリスクについて、CAPが説明したところでミオリに理解できるレベルではない。リスクは事実、あるのだろう。しかし無事に帰ってきた。

(言えばお母さんが倒れる前に連れて行ってくれるかな? いやいやでも……)

 あの夜、CAPの様子は普通ではなかった。

“焦り”――行動は極めて冷静だったが、ミオリの意思を全く無視した行動は、これまでになかった。あれは余程の緊急であり、そしてそれは恐らく――

(――私のためだった? あの後ひとりでどっか行ったもんね。キャップには、もしかして敵みたいなのがいるのかな……。元居た時代に帰れない理由があるから、少し前の時代に私を避難させた――とか?)

 ザイードの言葉を思い出す。働かなくても不自由はしない。しかし人は減り続け、都市だけが美しく整えられていく。笑っている人間を見たことがない――。

 軽く首を振り、転々とする思考を追い出す。

(今はレポート!)

 ずっと同じ姿勢で固まった身体をぐっと伸ばし――

「じゃあ、VRで因果観測しますか!」

「了解」

《クロノジェル接続、脳波同期開始》

《目標座標:Next Standard Era-07》

 視界が白く滲み、心臓がひとつ強く跳ねる。

《観測モード:非実体干渉型/実影投影演算へ移行》

《Chrono-Transposition Architecture、始動》

《因果追跡ユニット:データベース照合中》

《該当記録:Vol.1/論文提出前期ログ》

 耳鳴りが広がり、シートに座っている感覚が薄れていく。

《記録同期:完了》

《視界投影準備──》

 VRは二度目だが、CAPの挙動が初回と明らかに違う。

 おびただしいログの波は曲線幾何学を描いてより緻密になり、全ての動作が格段に速い。

(やっぱり、なんかあった……?)

 収束したオーロラ色を合図にCAPがキュルッと回転する。

《タイムマシン起動》

《観測開始まで、3……2……1》


 Next Standard Era-7――。

 強く閉じた瞼をゆっくり開けると、大講堂の北側にあるアレクシスの研究所前にいた。景色はあまり変わりない。

 夜間に人目を忍んで侵入しようとしている時には気付かなかったが、すぐ隣には駐車場と思われる整備された空地に、研究隔離区画13-Eと書かれたボードがある。

 棟は地上二階だが、一階は集合ビルの一室程度しかなく、二階部分は更に狭い。駐車場の広さから考えると規模が小さいように見える。

 赤いランプが点灯したドアロックに触れようとして、自分の手がすり抜けるのを確認しながら言う。

「来たのはいいけど、ここ何年? 何すればいいの?」

「マスターの“現代”からおよそ六年前です」

「何をするかはマスター次第です」

「……はいはい、マスター様ですからねー」

 言うほど主従ではない呼ばれ方に、短い溜息を漏らすミオリ。不意に駐車場の方から車のドアが閉まる音が響き、小さく肩が跳ねる。

「キャップ! なんか来た!」

 若い男女が、キャリーケースで小旅行程度の荷物を引きながら、ミオリの方に向かってくる。

 女の方は、一度見れば忘れようもない――クラリス・レネヴィルだ。

 クラリスがミオリのすぐ横でカードを通すと、ドアは横にスライドして開いた。

 見えていないと分かっていても、何かしらオーラのあるクラリスが間近にいると緊張する。

(うわ~、近くで見てもすっごい美人。毛穴なさそうな肌! スタイルいい! 女優さんみたいだけど、研究者なんだよね)

 一方同行している男はというと、容姿には何の特徴もないが、森から連れてこられた小動物のような動きをしている。洗練された彼女との対比が凄まじい。

(付き人? 荷物持ちとか?)

 二人に続いてミオリも後を追う。

 中に入って、地上部分が狭い理由が分かった。主要な施設は地下にあるのだ。

 入口には受付のような窓があるが、天井の角にある監視カメラのみがこちらを向いており、人はいない。

 圧迫感のある狭い廊下の奥にエレベーターがあるが、やはりカードキーがなければ動かないようだ。

「なんか研究所っていうより、秘密基地みたい。ていうか私たち壁とかすり抜けられるんだよね? エレベーターいる?」

「エレベーター利用は任意です」

「ただし“床”を再現していない領域では落下します」

「バーチャルのくせに、そういうとこ妙にリアルなんだよね……」

「現在起こっていた事象を“当時の主観”に近づけて再構成中です」

「脳はこれを実体験として記録しています」

 僅かに内蔵の浮く感覚で、エレベーターが目的階についたと分かる。確かにこれは“実体験”だ。

 エレベーターのハッチドアが開くと、廊下は相変わらず狭いが、地上階以上に広いということは分かる。

 左右に伸びた廊下の左は突き当りに非常口、右には折れ曲がった先がある。それなりに広い間隔で複数のドアがあり、一室ごとに十分な間取りがあることも窺える。

 角を曲がった突き当り、地下の最奥とも言える部屋の前で、クラリスが再度カードキーを使う。ここまで立ち入りを徹底する理由は分からないが、“隔離”と名のついた区画だけある。

 中に入ってやっと、ここまで会話のなかったクラリスと男の声が聞こえてくる。

「私が個人的に使ってる研究室よ。あなたの名義にしておいたから、好きに使って」

「生活に困らないだけの設備は整っているわ。これからはラボに出勤する必要はない。あなたはもう、ただの助手じゃないのだから。そうよね?」

 男の頬を両手で包み意味深な言葉を言うクラリスは、突然黒く遮られた。

《映像制限:記録者保護モード》

《センシティブ判定:カテゴリーL2》

《ユーザー確認中……》

「保護モードってなに!? ちょ――ねぇ、キャップ、見えない!」

《映像制限:センシティブコンテンツ検知/対象ユーザー非対応》

「非対応!? 成人なんですけど!? 身分証見せる!?」

 ミオリが身をひねるたびに、CAPは同時に移動し、ちょうど目の前にぴたりと位置を取る。機械的で完璧な軌道予測だ。

 CAPを両手で掴み、顔を出そうと攻防していると――その名が呼ばれた。

「アレクシス、ここはラボじゃないのよ? 二人きりなんだから――、クラリスって呼んで」

(アレクシス!?)

「ク……っ、クラ……! クラリス……」

 おどおどとした、見た目に素朴なこの青年こそが、疑惑の渦中にあるアレクシスだった。

 CAPが強制帰還するようなセンシティブな情事はなく、クラリスはあっさりと出て行った。

 アレクシスはというと、崇拝の宿る目で、クラリスが出ていくのを見送っている。

 勝手にあがりこんでいるミオリはソファに座り、胡坐に頬杖をついて半ば呆れている。

「はー、これはもうカンペキにアレクシス利用されちゃってんね」

 アレクシスは荷物の中からUSBメモリと一冊の本を取り出すと、他には目もくれずガラス張りの奥にある研究室に入る。

 代わりにミオリがそこらじゅうを見て回る。

「わ、ベッドふかふか」

「え、ミニキッチンおしゃれ! カウンターもかわいい!」

「私の部屋より全然綺麗だし整ってるなぁ……。ねぇ、キャップ!」

 ふと見れば、CAPはすでに研究室にいた。中央にある巨大なシェルの前で、コアが忙しく点滅している。

 横に立ち、シェルを見てみるが、液体のようなもので満たされた中は他に見るべきものもない。

「このスノーグローブみたいなのがどうかした?」

「これはAXIOMの卵です」

「卵?」

「今はまだ――」

 アレクシスもまた、この“卵”に釘付けになっている。

「アクシオムって、前にも言ってたよね。確か、本体格納されてる場所がアレクシスの研究所と同じ位置にあるとかなんとか……」

「……応答域、まだ広がる。これ……使えるな」

 静かに確信するアレクシスの独り言を聞いて、ミオリにも分かった。

 目の前の光景は、単なるレポートの裏取りでは済まない予感に呼吸が浅くなる。

「ねぇ、キャップ……。もしかしてアレクシスって……」

《……該当情報、照合済》

「AXIOMの設計者です」

 AIに管理され人類が衰退していく未来。それをどこか悲しく語ったザイード。元居た未来には帰れないCAP。

 現時点では推測だが、クラリスに裏切られたと見られるアレクシスという男。そしてその男が設計したAXIOMとCAPには因縁がある。

 ミオリの頭の中にあるピースが、一つひとつ背景になっていく。

 ただ一つ、見つからないピースの空白を残して――。


 Next Standard Era-1――。

 セントリス第二環の研究棟。

 ほとんどの施設が照明を落とし、時折警備員が持つ巡回の灯りが動くだけの静寂。一棟だけ、タスクライトの頼りない灯りを漏らす窓がある。

 提出されたレポートを読むシミズ・リョウスケは、メールに添付されたファイルを開いては、本当に読んでいるのか疑わしい速さで閉じる。

「大手コンビニエンスの独走を支える要因。まぁ面白いが、俺の話を聞いてないのは分かった」

 開けては閉じるクリック音が続き、やがてシミズも得点の入らない試合を見ているような顔になってくる。

「タイプⅠ確立の論文における――」

 ページスクロールの手を止める。

「消えた連名……」

 シミズの目がタスクライトの光を受け、鋭く光る。ファイルを閉じ、送信者を確認すると――『Miori Shinozaki』


 午前の講義を終えたミオリが廊下に出ると、背後から呼び止められた。

「シノザキ」

「ふあ……ん?」

 欠伸を隠さず振り返ると、先ほどまで講義していたシミズが立っている。

「わ、シミせ――シミズ先生」

「悪かったな、退屈な講義で」

「やっ……寝てませんよ! 先生のレポートで徹夜だったんです」

 学生の、忖度なのか嫌味なのか分かりにくい言葉に苦笑いをするシミズ。

「そのレポートのことでちょっと聞きたいことがあるんだが、今時間あるか?」

「え……? はい……」

 シミズが日頃使っている研究室は、工学系とは違い、いまだに紙媒体の書籍やファイルが堆くデスクの席を取り囲む。壁一面を隠す本棚にも、隙間なく本が詰まっている。

「適当に座れ」

 ――と言われ見回すが、応接用のソファにも、触ると崩れそうな書籍の山がある。

 仕方なく、なるべく山から遠い端に腰掛ける。

「まぁ、前置きは苦手だからな、単刀直入に聞くが――、クラリス・レネヴィルが発表したタイプⅠ確立論の連名、どこで知った?」

 シミズも向かいの一人掛けに座ると、前に乗り出して質問を続ける。

「いや、伝手はどうでもいい。タレコミ屋の一人や二人、学生でも掴める時代だ」

「問題は確信の程度だ。裏は取れてるのか?」

 ――近代以降、重要な技術転換期に、一人の人物に功績が集約された事例を選び、埋もれたデータを発掘して報告せよ。という課題は、今のタイミングではクラリス・レネヴィルに焦点が集まるだろう。

(やっぱシミ先、クラリスのこと調べたかったんだ……)

「確信は百パーあります。勘とかじゃないですよ?」

「あれは匿名査読だった。何故連名だと分かった? 研究者が誰か分かるか?」

「それは、まぁ……。情報源は言えませんけど……、連名の研究者はアレクシス・ラインガーっていう、セントリスの博士号取得者です」

 シミズが、ゆるゆると前のめりの姿勢を戻していく。

「……あいつはギフテッドだ。俺が見つけた」

「……え?」

「学籍調べさせてもらったが、お前、養護施設出身だろ? アレクシスはお前と同じ施設にいた」

「え!? それは……知りませんでした」

「そうか。てっきりその筋で聞き込みしたのかと……」

 シミズは立ち上がり、シェードで細く刻まれた窓の外を見ながら続ける。

「施設に入ってなきゃ、もっと早くから大学に入学してもおかしくない天才だった」


 Next Standard Era-16――。

「Interdisciplinary Nexusのシミズです」

 名刺を手渡された職員が、「どうぞこちらに」と先導する。

 アークリス児童福祉施設。都市郊外にある児童養護施設で、義務教育課程を内部で完結できる体制を持ち、地域の学校と連携しながら、施設内で普通の教育が行われている。

 建物は古いが、丁寧な管理は行き届いていた。

 中庭に面した廊下を歩きながら見渡すと、初等部、中等部、高等部はそれぞれ別棟となり、各部に二十人前後が生活できるだけの規模だ。

「今回は対象の子が特殊ですし、Nexusさんだから特別に許可しましたが――」

 ジャーナリストの視線で施設内を観察しているシミズに、職員が遠回しに釘を刺す。

「あ……、ええ、もちろんです。施設内のプライバシーは厳守します」

 Interdisciplinary Nexus――総合系の学際ジャーナルとして一定の権威を持ち、学術機関との信頼関係も深い。その中で、次期編集長の声すら上がるエース記者が、シミズだった。

 そのシミズのもとに、ある原稿が届いた。


 人間の理解は、“線形性”と“因果”を軸に構築されている。逆に言えば、因果のない体系は、理論ではなく直感になる。

 私は、“理解の限界”に興味がある。


 冒頭にそう書かれたものは、ほぼ論文といってよかった。

 だがそれは、特別な教育を受けた研究者ではなく、ただの中等部の少年が書いた“読書感想文”──というには、あまりに完成されたものだった。

 メモには、名をアレクシス・ラインガー。事故で両親を亡くし、五歳で養護施設に入所している、と書かれていた。

「こちらです」

 教職員の棟は中等部と高等部の中間にあり、面談室も同棟一階にある。

 扉を開けると、座っている少年は十四歳と聞いていた年齢よりも幼く見える。それは見た目もあるが、室内に誰かが入ってきても、テーブルに置かれたティーカップの縁を指先でなぞり続けている様子も印象に加わっている。

「君が、アレクシス?」

 声をかけると、目は合わさずただ頷いた。

「君の読書感想文を読ませてもらったよ。“物質の存在証明には観測者を要さない”って、なかなか思い切った主張だね」

 一瞬、アレクシスはシミズに視線を寄こしたが、すぐにティーカップに戻し、小さく口元を動かす。

「……あれは感想じゃない」

「感想じゃない?」

「……本に書いてなきゃいけないことを足した」

 シミズは危うく言葉を失うところだった。彼が選んだ本は、中等部の推薦図書などではない。自分たちのような学術研究に関わる者が読む本だ。

「補足したの? 何のために?」

 アレクシスは「何のため……」と呟き、十数秒ほど縁をなぞる指を止め――

「……自分の理解が……どこで、止まるのか。確かめるため」

 ジャケットの内側で鳥肌が立つのを覚えた。鞄の中から自分たちの雑誌を取り出し、アレクシスに見せる。

「これ、量子干渉についての考察なんだが、君はどう思う?」

 シミズが指さしている箇所を一瞥し、読んですらいないように見えたが、答えた。

「……干渉そのものより、選択されない結果の扱いが……変です」

「おお? どこが変なのかな?」

「“起こらなかったこと”が、どこにも行っていない」

 シミズは今度こそ本当に、言葉を失った。代わりに頭の中には、ギフテッドという単語が浮かんだ。

 面談室を出ると、職員は眉を下げて申し訳なさそうに言う。

「あれで取材になったでしょうか? あの子、昔から人と話すのが得意じゃなくて……。いえ、喋らないわけじゃないんですけど……なんというか、言葉が“外”に向いてないというか……」

「いや、十分です……。これだけで、十分ですよ」

 微笑みながら、しかしその眼には何かを見つけたジャーナリストの光があった。

 施設の建物を出てすぐ、シミズは足を止めた。

 ポケットの中で名刺ケースを指先で弾きながら、曇ったガラス越しに見える面談室を振り返る。

 視線の先では、アレクシスがまだ同じ姿勢のまま、ティーカップの縁をなぞっていた。

「……それで、事前にいただいていたお話ですが、本当によろしいのですか?」

 背後から職員の声。どこか気まずそうに、しかし誠実な響きだった。

「ええ。むしろ確信しています」

 そう答えながら、シミズは静かに呼吸を整える。

「……彼は、学術機関で指導を受けるべきです。間違いなく、あの子は──今のどこにも収まらない」

 職員が驚いたようにシミズを見る。しばらく迷うような間を置いてから、彼は静かに頷いた。

「では、正式に手続きいたします。保証人の件も、伺った通りで……?」

「はい。私が、保証人になります」

 その一言は、ためらいのない決意だった。

「必要な書類と審査機関は通しておきます。特別保護対象者の外部委託申請ですから、時間はかかるかもしれません」

「急ぎます。……大学側には、推薦の話も通してありますから」

 シミズは懐からタブレットを取り出し、すでに準備されていた推薦状のドラフトを開いて見せた。

「特定支援研究開発庁と青少年局への通知もこちらで出します。最短で、2週間。あとは、彼自身がこの話を受け入れれば──」


 Next Standard Era-1――。

「俺はアレクシスを大学へ早期受験させるために身元保証人になり、あいつの理解がどこで止まるのか、ずっと見守り続けてきた」

 シミズが煙草に火を点けると、ミオリが手で鼻を覆う。

「先生、受動喫煙……」

「ああ? ここでしか吸えねぇんだ、お前が我慢しろ」

「うわぁ……」

 生意気な学生に渋面をつくるが、シェードと窓を開ける。

「じゃあ、先生はアレクシス・ラインガーのためにセントリスの教授になったんですか?」

 煙草の火種が明るくなり、チリ……と音を立てる。

「そんなんじゃねぇよ。俺がここにいる理由は、めんどくせぇしがらみってやつだ」

 紫煙は窓の外に流れていき、シミズはそれを目で追う。

「……タイプⅠ確立の論文、あれは元々Nexusに出る予定だった。5年前に草稿も見てる。アレクシスとクラリスの連名だった」

「だが気づいたら、Human-Tech Interfacesからクラリスの単著で出てた。財団に持ってかれたんだろ。HTIはそういうの得意だからな」

 しかしシミズの静かな怒りは、そこではないようだった。

「去年から、定期的に連絡のあったあいつが音信不通になった。そしてクラリスのメディア発表だ。なんかある――いや、なにもねぇはずがない」

 気怠そうな声の色は変わりないが、煙草をもみ消す指は震えるほど力が込められている。

「悪いがシノザキ、お前何か分かったら、レポート関係なしに俺に教えてくれ」

 窓の逆光で表情はよく分からないが、シミズの声は低かった。


 バイト先のコンビニで、ミオリは落ち着きなく何度も時計を見る。

 今日に限って客足が途絶えず、店長までもが幾度かレジに立っていた。

「ざーっす」

 入店チャイムを鳴らしてケレンが入ってくる。

「ケレン遅い!」

「えっ……いや、10分前だけど?」

 自分の腕時計と店内の壁掛け時計を見比べ、カウンターを見やると、すでにミオリの姿はなかった。

「お前なぁ、俺がカウンターつくまでレジ空けんなって。レポート終わったんだろ? なんでそんな急いでんの」

 バックヤードで帰り支度を終えるミオリと、制服に袖を通しながらぼやくケレン。

「暇な時間ばっかシフト入れてるくせに文句言わない。ちょっとまた課題出たの。じゃ、お先ー!」

「おー、おいマジかよ」

 ロッカーに鞄をしまう手が慌てるケレン。その肩を軽く叩き、ミオリは足早に去っていった。

 帰路をほぼ駆け抜けるように戻ったミオリは、息を弾ませながら玄関で靴を脱ぎ散らかす。バックパックに常備している携帯食を口に詰め込みながら――

「ヒャッフいう?」

 もごもごと不明瞭な発音で呼ばれたが、CAPはミオリの背後で観測遮断を解除し、スイっと視界に入る。

 水で口の中を流し込み、もうひとかけらを食べる前に言った。

「またアレクシスを見に行きたい。論文がクラリスの単著になることを知ってたかとか……消息不明になった理由とか、知りたい」

「マスター」

 珍しく含みのある呼びかけに、携帯食を手にしたままミオリは動きを止める。

「ん? ……あ、もしかしてダメなの?」

「いえ」

 CAPはそれきり黙る。何を言いかけたのか、続きを待ったが沈黙は続いた。

(聞いて……みようかな……)

 最後のピースを探すように、ミオリは問いかける。

「ねぇ、キャップ。なんで私、“マスター”なの? 最初は“ミオリさん”だったよね」

 ただの呼び方の変化ではないと、ミオリは直感している。

「キャップって、偶然触ったくらいで起動するようなものじゃないでしょ。私、最初から“資格”あったんだよね?」

 CAPのコアが、どこか笑みを浮かべたようにやわらかい光を灯す。

「確かに、あなたは勘が鋭いようです」

「私は製造者と、その遺伝子を50%持つ者にしか起動されません」

「50%って、親子じゃないと……」

 ミオリの視線が思考を辿り斜めに揺れる。

「えっ、てことはあの人、私の父親なの!? ……だって、未来の人じゃん」

 目の前に時空を移動できるAIがいる。

 矛盾の説明は必要ないが、それでも、自分の片親がまだ生まれてもいない事実は衝撃だった。

「アレクシスは、私が追っている因果の核です」

「深入りすれば、マスターは“観測者”ではなく、“選択する者”になります」

「それでも追いますか?」

 CAPが言いかけていたのは、きっとこれだ。――歴史に干渉するなら、それ相応の覚悟を持て、と。

 ミオリは“マスター”だが、ザイードではない。人類の衰退は彼女と関係なく、ただその“遺伝子”を持って生まれただけの、どこにでもいる大学生だ。

 ミオリは沈黙したが、真っ直ぐにCAPを見つめている。

「……いいよ。私だけじゃなくて、キャップとふたりで考えるんでしょ? なら、ちゃんと選ぶよ」

『人類とAIは相互に成長する――』

『お前がそれを選べ』

 あの夜、未来で聞いたザイードの言葉が、CAPの演算ログに蘇る。

「了解。アレクシスを追います」

 ログには新たな行が追加された。

『ミオリと共に――』


 ミオリは連日、アレクシスの研究所やクラリスの動向を観測していた。

 見えてきたのは、クラリスを模したシェルに執着し崩壊しかけたアレクシスと、華やかな社交界で称賛を浴びるクラリスの姿だった。

「……」

 顔を覆ったまま沈んでいたミオリが、ぱっと身を起こし、両手でCAPを鷲掴みにする。

「ちょっとクラリスひっぱたいてきていい!? アレクシスが可哀想すぎる!」

「……ひっぱたくために実体移送はしません」

 CAPは淡々と答え、掴まれた外殻をひょいと振りほどいて、安全距離まで後退する。

「キャップって、感情あるのかな~って思う時もあるのに、他人には本当に冷徹だよね」

「マスターは感情の起伏が激しすぎです」

「はいはい、よく言われるよ」

 頬杖をついて息をつくミオリ。

「アレクシス、あの“秘密基地”にずっと閉じ込められてたよね。クラリスは講演だのパーティだので研究なんてしてなかったじゃん」

「はい」

「共同研究なんて建前で、実質アレクシス単著みたいなもんだったよね」

「妥当な推測です」

「……それをクラリス名義だけで出したんだから、アレクシスはきっと――」

 シミズの顔が過り、その先は言葉にならなかった。

「んー……アレクシスの消息、何か辿れる手がかりないかな。あの研究所にいつまでいたかとか」

「アレクシスの端末情報は同期済みです」

「……端末情報? あ! 最後の送信履歴、いつ?」

「検索開始……」

 微かな電子音と共に、検索ログが投影される。

《クラウド同期記録検出:ファイル名 “Vol.5_最終稿”》

《送信先:Clarisse.R@NXF.foundation/日時:NSE-2/08/17 13:46》

「え、Vol.5の最終稿……? クラリスが発表した論文って、4までしかなかったよね?」

「この論文は査読されなかったものと推測されます」

「なんでだろ……。どうせ著作を乗っ取るつもりだったなら、これも出しちゃえばよかったんじゃないの?」

 再び電子音が鳴り、ログが更新される。

《ファイル内容:因果攪乱因子を含む自己修復型時空演算体の設計提案》

 CAPのコアが淡く明滅し、読了ログを挟んで静かに言う。

「――誰にも理解できなかったのでしょう」

「ん? どういうこと?」

「これは、私の設計素案です」

「え!? キャップってザイードが設計したんじゃなかったの?」

「ザイードです」

「……じゃあ……?」

「この論文には、理論的欠落が複数あります」

「ザイードはそれをビッグデータから掘り起こし、補完しました」

 CAPの設計に関わる論文を、アレクシスが百年以上前に書いた――。

 しかもそれを補完し、完成に導いたのが、未来で出会ったあの青年。ミオリの父親――ザイードだったということになる。

「シミ先……アレクシスの論文、読みたかっただろうな……。いや、きっと楽しみにしてたんだよね」

 直接の知り合いでもないミオリでさえ、この計り知れない才能には敬意を抱かずにいられない。「俺が見つけた」と言い切ったシミズにとっては、自分の人生以上に大切な存在だったはずだ。

 だが、全ては狂わされた。

(せめて、生きていてほしい……よね)

「……うん、じゃあ、行こうか! えーっと……最後の送信の1日前くらいにしてみる?」

「了解」

《クロノジェル接続、脳波同期開始》

《目標座標:Next Standard Era-02.05.16》


 Next Standard Era-2――。

 すでに見慣れた情景となったアレクシスの研究所で、見張りを始めてから数時間。ガラス張りの奥に籠るアレクシスは、ほとんど寝食をとらない。

 ミオリは勝手にソファで横になり、ひたすら論文を進めるアレクシスに疑念がわき始める。

「ねぇ……。まさか過労死したとかじゃないよね?」

「バイタルに異常はありません」

「研究者ってみんなああなの?」

「サンプルが少なすぎるので回答不能」

 せめてアレクシスに何かしら動きがあれば、押し寄せる睡魔だけは抗えたかもしれない。――が、アレクシスは手元しか動かさず、数時間静止画を見ているような気にもなる。

「そういえば、キャップはどうして私をマスターにしたままなの? いつの間にか記憶も戻ってるみたいだし、ザイードが私の父親なら、お母さんを見張ってれば会えるでしょ?」

 視線だけはアレクシスに固定し、俯せでクッションに顎を埋めているミオリが、思い付いたことを聞いてみる。

「もう会いました」

「マスターも会っています」

「若い方にはね」

「いえ、元の時代のザイードです」

 ほんの眠気覚ましだったが、意外な返事に飛び起きる。

「会った!? いつ!?」

「サトさんを最初に見た病室にいた男性です」

「ええ!? 全然関係ないおじさんだと思ってたから、顔とか全然覚えてないよー。髭……髭が濃かったくらいしか記憶に……。ていうか言ってよ!」

 頭を抱えて呻いていたかと思えば、急に矛先を変えてくる。この忙しない主に、CAPは時折からかうような返事をする。

「マスターの情報処理許容限度に配慮した結果です」

「どういう意味よ」

「髭しか――」

「分かった! 分かりました!」

 むすっと、再びクッションに顎を埋める。その隠れた口元で、小さく呟いた。

「ザイードは、どうして私とお母さんを残していなくなったの?」

 CAPもまた、音声のトーンを落とす。

「ザイードはあなたを守るため、あなたが生まれる直前で未来に帰りました」

「私が元の時代に戻れば、ザイードは査問を受けなければなりません」

 それを聞いたミオリの眉間にしわが寄る。

「……待って。キャップには元居た時代に敵みたいなのがいるのかも、とは思ってたけど、まさかキャップの方がワルモノ――」

「違います」

 生まれる前から行方不明の父親には、恨む以前に感情らしいものを抱いたことすらなかった。

 いや、お腹に自分の子を宿す妻を捨てて行方をくらます男など、どうせろくでもないと、考えようともしなかったのだ。

(私を守るため……。そうなんだ……)

 静かに浮くCAPを見つめ、ふっと笑みを漏らす。


「今日こそ、何か動きがあるといいんだけど……。正直、最後の送信履歴だからって、直後に何かあるとも限らないし。もう三日くらい飛ばしたい気がしてる」

 外光のない部屋では時間の感覚が薄れ、どれだけ『論文を執筆するアレクシスの図』を見ていたかも分からなくなっていた。

 一晩中、寝食を取らずに研究室で動かないアレクシスに根負けし、一度帰還している。

「飛ばしますか?」

「んー。アレクシスの送信履歴に、クラリスからの返信はどのくらい?」

「――最後の論文以外、返信率100%。最も遅い返信でも日付は跨いでいません」

「だよね。あんなにケアが必要な人を無視するはずない。最後の論文に返信がないのは、“もうする必要がなくなったから”だと思う。勘だけど」

「では、帰還直前から観測継続します」

《クロノジェル接続、脳波同期開始》

《目標座標:Next Standard Era-02.05.17 11:30》

 ――また、何度目かも分からないアレクシスの研究所。彼はやはり、研究室から動かない。

「飲まず食わずで絶対寝てないんでしょ……。よく集中力持つよね」

 半ば呆れ、ソファに沈む。くつろぎきった肘掛けとクッションの間に、半分隠れた端末が見えた。

「キャップ、これ……」

 言うより先に、CAPのコアが淡く光る。

「クラリス・レネヴィルの社用端末です」

「え、いつから……?」

 不意に、壁に掛けられた固定電話のベルが響く。

「びっ……くりした……」

 留守番電話に切り替わり、女の声が流れる。

『ソフィアです。本日いつも通りお伺いします。必要なものがありましたら、折り返しご連絡ください』

「キャップ、誰?」

「ソフィア・カラン。クラリス・レネヴィルの秘書です」

「施設訪問履歴に一致情報あり。毎週月曜、正午過ぎに来訪」

「補足:クラリス・レネヴィルの最終訪問履歴は二日前です」

(二日前……? 仕事人間が社用端末を二日も放置……?)

 ――その時、ドアが開き、作業着の男たちが数人入ってきた。

「……なに、この人たち」

 清掃業者風のロゴ入り作業服。しかし彼らが集まったのは冷蔵庫の前だ。

 CAPが短くアラートを鳴らす。

「――異常検出。冷蔵庫背面に不自然な空間構造」

「熱源パターン照合……一致。内部に発熱性反応剤を含む構造物を確認」

「解析結果:爆発装置です」

「は!?」

「起爆トリガーは扉開放。殺傷範囲、約3メートル。密閉空間で開扉時――即死レベル」

 ミオリは思わずソファから飛び上がり、CAPを抱き寄せる。

「爆発って……大丈夫なの!?」

「VR離脱、もしくは避難行動を推奨」

「え……避難って……でも、アレクシスは……?」

「13時46分まで生存確認。未起動であれば遠隔解除可能です」

「……マジで?」

 規格外な相棒には、もう慣れたつもりだったが、息を吐き安堵する。

「なら……怪しい人たちを追ってみようか!」

「了解。……マスター」

「ん?」

「放してください」

「あ、ごめん……ホラー映画のクッション反射みたいなもんだから」

「クッションと一緒にしないでください」

 男たちは二十分程度でそれを設置すると、慌ただしく出ていく。

 後を追うと、白いパネルバンが入り口付近に横付けされていた。

 スーツ姿の男が、ヘッドセットを着けた片耳を押さえながら、押し殺した声で言う。

「急げ、誰か12ブロックを通過してる。こっちに来るぞ」

 男たちがリアゲートから車内に乗り込む僅かな時間――コアが光り、CAP周辺にログとホログラムディスプレイが次々に映し出される。

《観測対象:白色パネルバン/側面ロゴ “クロニクス環境メンテナンス合同会社”》

「車体形状:商用ワンボックスベース、窓なし鉄板仕様。荷室アクセス扉に追加ロックを確認」

「積載物スキャン開始――」

《ミリ波スキャン:積載構造内訳》

《表層:業務用掃除機/床洗浄ポリッシャー》

《中層:工具箱(一般工具+配線器具)》

《後部:大型清掃タンク形状コンテナ(内部比重:水ではなく固形物+発熱抑制材)》

《判定:高密度爆薬収納コンテナ》

 それらは、ミオリの目には確かに清掃業者が仕事に使うと言えば、そういうものかと思ってしまうものだが――

「積載物の組成から、清掃作業に必要な重量比を超過。偽装と判断」

《企業照会:クロニクス環境メンテナンス合同会社》

《所在地:ネクストシティ臨港区 東倉庫街ブロックD-17》

《電話番号:接続不能/代表者:登録抹消済》

《税務記録:資本金50万円/従業員0名》

《過去契約記録:財団系系列企業とのみ契約履歴あり》

「結論――該当企業はペーパーカンパニーです」

「目的は立入許可を得た上での工作活動」

「計画的行為と断定します」

 車のエンジンがかかった。

「あ、ねぇ、キャップ! 行っちゃうよ!? 一緒に乗ったほうがよくない?」

「いえ、マスター。ソフィア・カランがいます」

「え?」

《監視カメラ視野内:対象ID “ソフィア・カラン” 接近》

《役職:クラリス・レネヴィル秘書》

《行動:研究隔離区画13-E 正面到着/周囲を目視確認》

 CAPが新たに出したディスプレイには、訝しんだ顔の女がパネルバンを注視している。

 女はバンが見えなくなると、車の中にある鞄からスマホを取り出した。

《ソフィア・カラン 通話開始:発信先 “クラリス・レネヴィル”》

《暗号化:低強度/傍受可能》

 CAPのコアが淡く光り、低い音調でミオリに報告する。

「通話傍受を開始します……再生」

『はい』

『――主任、13-Eにレオン様の使いがあったようですけど』

『何の用事か言っていった?』

『いいえ、大変急いだ様子で、私に気付いておりませんでした。それに――レオン様のお車ではありませんでした。清掃業者のパネルバンで、なんだか……あの……』

『……まさか』

『あの、主任、私が様子を――』

『ダメよ! 研究所にあなたのアクセスログを残さないで! すぐにそこを離れなさい』

 通話が終了し、ソフィアは研究所に入らず、言われた通り引き返していった。

「……」

 ミオリはただ混乱している。

「ねぇ、キャップ……。これ、クラリス……」

「爆弾工作を関知していないようです」

「だよね……」

「しかし、何らかの背景情報を把握している可能性があります」

 しばらく黙り込んでいたミオリが、ぽつりと言う。落とした視線の先には何もないが、何かを見ている目をしている。

「ねぇ、キャップ。もし……もしだよ? クラリスもアレクシスを好きだったとしたら……」

「それは勘ですか?」

「うん、これはもう本当にただの勘。だから、アレクシスには悪いけど、ちょっとだけ待ってみたい」

 そして十三時五十一分――僅かな空気の震えののち、研究所は白煙に霞んだ。

《時刻:13:51/観測ログ記録》

(ごめん、アレクシス……。でも……)

 激しいスキール音を響かせて、荒い運転をした一台の車が駐車場で急停止する。転びそうな勢いで飛び出してきたのは、ミオリの待っていたその人――クラリスだ。

 さほどの距離を走ったわけでもないが、息を切らし胸は大きく上下している。

 研究所に立ち込める煙が一筋になって空に昇っていく様子を、ただ黙って見つめる。やがて痛みを耐えるように目を瞑り、次の瞬間にはもう強い光に変えていた。

「……未来を、選ぶわ」

 来た時とは一転、冷静な運転で、クラリスの車は引き返していった。

 その様子を見たミオリもまた、昇っていく白煙を見上げると、確信を込めた声で呟く。

「絶対に助けるから」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る