解放

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  カズヒロヘ

 オマエさん、元気にしてますか。しばらく暮らしてみてどうですか。私としては、どうにかしてやりたいです。しかし、どうにもなりません。あなたがそうしてしまったから。でも、今更説教をしてももう遅いのです。どうにか耐えて、昔のように戻ってください。邪悪で染まり切った人間など、この世にいないはずですの。人間はそれこそ、昔の幼い心こそ儚く、大事にしていくべきだと、少なくとも私はそう思っているのです。

                ママより


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 自分は何時かも知ったこっちゃない。しかし、なんだかコクリコクリとしてくる時間帯だというのはわかる。外からの音が微かに聞こえる。これはコオロギらしい。今日はとくに何もすることがなくなったので、もう寝ようとした。

 するといきなり、それはそれは重そうなさびれたドアポストのようなものが開いた。ギギギという大きな聴き応えの悪い音も、一緒に無駄に煩く鳴った。そこから入ってきたのは、なんとも以前見たような封筒である。間も無くそれを開け、読んだ。まさしくこれはママからの手紙である。

 いつのまにか、泣き出してしまった。我も恥も忘れ、周りに鳴り響くほど泣いた。どうしようもない赤子のように泣いた。また思い出してしまった。思い出したのは、他でもないあの夜半の出来事である。

 まだ十の頃、俺は家の中で、食事をしていた。父、母、俺で、何事もなく平凡に、ただただテレビを見ながら箸を動かしていた。すると突然、ドンドンと、トテモ強烈な力を込めたノックが聞こえた。何回も何回もこちらが飽きるほど鳴り、次第に音もうるさくなっていった。親父はビビり散らかしながらも、恐る恐る戸を開けに行った。

 するとどうしたことか。いきなり親父の、なにかとても苦しそうな大きな声がホントに一瞬聞こえてきた。それと同時に、何かぶつけるような打撃音も同時に聞こえてきた。

 親父は殴られたのだ。俺とママは音がした後すぐさま様子をこっそり伺った。するとまるでヤクザのような格好をした大人たちが何人もいた。まさに俺の目の前で親父が、鼻血を流し、ホッペが腫れに腫れた散々な姿をしていた。

 それを見た瞬間、頭はそれを理解しようとしなかった。あれほどのショックを俺は忘れることができない。打撃音が繰り返され、親父の声は細く、カスカスになっていった。俺は何回も見ているうちに、気づいたら目の前はボヤけ、歪み始めた。体を支えるために床の上に置いた自分の手に、目から出た体液がこびりついていた。

 親父は動かなくなった。それからというもの、返事をしなくなった。

 それからしばらく経ち、十六になって。ママと一緒に、親父の墓参りから家に帰った時、家の玄関の前に数名の人間が立っていた。近づいたことに向こうが気づくと、なにやらこちらへ向かってきた。するといきなり俺は名前を問われ、応えた直後に腕を掴まれた。そしてなんと手錠がはめられた。まだ子供の俺に手錠だぞ。シンジラレナイ。俺は、何もしていないのに、手錠をつけられた。何も悪行を働いていないのに、手錠をつけられた。俺は抵抗した。あまりにもムカつき、必死にもがいた。手足をバタバタとさせ、振り払おうとした。しかし相手もこれまたものすごい力で俺を道路まで引き摺り出し、止めてあったパトカーにそそくさと乗せられた。そしてトテモ急いでいるかのようなスピードですぐさま走り始めた。

 それっきり、ママとも会っていない。そして、俺は今ここにいる。ただ入り口に檻があり、そのほかの周りの壁は何やら硬そうなコンクリートである。中には質素なベッドと、汚らしい床がある。臭いもひどく、むさ苦しい、生々しい、変なものである。そういった、刑務所の中で俺は暮らしている。いつのまにか暮らしている。

 俺もすっかりこの空間に慣れてしまった。右左見ても、大勢の囚人がいるだけだ。ときどきママからの手紙が来るので、それもしっかり手に握りしめて読んでいる。毎回、体調は大丈夫かとか、今日はどんな日だったとか、何やら気にかけてくれているようだ。

 しかし、今回の手紙は、違和感だ。ナンダ?邪悪で染まり切った?何もしてない俺が、あたかもなんらかの凶悪犯罪をしでかしたかのような言い方である。

 俺は考えた。考えたというより、ぼーっとしたと言った方が合っているかもしれない。頭を上に上げ、身体を落ち着かせていると、廊下から段々、コンコンと足音が響いてきた。誰かが歩いてきたのだ。チャリンチャリンと、鍵を弄ぶ音が聞こえる。

 そいつはただ通り過ぎるだろうと思っていたがそれは違った。俺の牢の前で一時停止した。そしてこちらを向いた。こいつもなんとも圧のある警備員であった。背は高く、目に光が完全に無い。しかしそいつは俺に向かってしゃべった。

 「カズヒロ、今日で出てっていいぞ」

 俺はまた理解しようとしなかった。オット?これは釈放という解釈でいいのか。こんなにも簡単に告げられるなんて思ってもいなかった。警備員は俺に考える時間を与える間もなく牢の鍵を手慣れた手つきで開けた。まだかったるい気分と身体のまま恐る恐る俺は立ち上がり、ヨボヨボとしたダセエ歩き方で自分の檻から出た。

 しかし俺はその何秒か後、ものすごいムカつきを覚えた。勝手に捕まえておいて今度は勝手に手放しにするとは、なかなかやるなと、考えてしまった。

 やがてそのまま廊下を歩きに歩き、囚人服からチャントした服に着替えさせられ、荷物チェックを開けた。荷物に何やら身分証のようなものが入れられた。が、何かややこしいことばかり書いてあるようなので、もう見たくは無いと思った。さらに少々のお金まで贅沢に入れられた。

 俺はもう訳がわからなかった。そのまままた歩き、どでかい目の前の刑務所の扉が開かれた。俺はさらに恐る恐る、左右を見ながら足を一歩だけ踏み出した。そして警備員は隣でそっと俺に一言放った。

 「気をつけて」

 扉は閉められた。外は、完全に夜だった。真黒な空が雲ひとつなく、ずっと続いていた。俺は深呼吸を二、三回した。なぜなら、刑務所の中と外の空気は全然違かったからだ。しばらくこの空気を楽しんだ。

 ずーっと足が動かなかったが、今ようやく動き始めた。しかし、何をすればいいのだろう。歩けたはいいもののどこへ行けばいいのだろう。でもその疑問は、長く続かなかった。家に帰ろう。そう決心した。そして、ここはどこなのだろう。

 さいたま拘置支所?ここはさいたま市か。であれば、かなり歩きでは帰るのがキツイ。なので、駅へ向かう。トホトホと、しょうがないから歩きで行った。周りの景観を少々楽しみながら歩いた。

 しまった、もう終電の時間だ。すっかりシャッターが閉まっている。周りを見ても、すっかり明かりも消え、聞こえる音も少ない。仕方がないので、どこかベンチを探し、そこで一旦落ち着こうと思った。

 ここならちょうどいい。木の下の、程よい長さのベンチがあった。そこに腰掛けた。そしてすぐ頭を下げて椅子の上に寝かせ、身体も横にした。ようやく落ち着くことができる。自分の荷物を抱えながら、今日はもう寝る。

 …パシャリ…

 誰かが写真でも撮ったのか、微かなシャッター音が聞こえてきた。ちょっぴりあたりを見渡した。しかし誰が何を撮ったのかなど、気にもしないで目を瞑った。

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