第31話 玲奈と奈々、そして悠人の選択 ― 光速の先話

 冬の夜の東京は、街の明かりが冷たく輝いていた。丸の内のビル群の窓には、それぞれの物語が灯っている。僕は、その中のひとつのビルにあるカフェの奥の席で、カップの中のコーヒーを見つめていた。

 今日、僕は決めなければならない。誰を観測し続けるのか――いや、誰と同じ速度で未来を進むのかを。

 数日前の実験結果は、今も頭の中で波形となって揺れている。観測者の精神状態が、被観測者の感情を変える。恋愛関係であれば、その影響は強くなる。数字は嘘をつかないが、それが示す現象は、僕の心を重くした。

 僕の揺らぎは、きっと玲奈にも奈々にも伝わっている。二人の心拍を揺らし、感情の曲線を歪めてしまっている。それは、科学的には面白くても、人としては残酷だ。

 テーブルの上にスマートフォンが二つの通知を示していた。ひとつは玲奈から。「今夜、会える?」短いけれど、迷いのない文。もうひとつは奈々から。「話したいことがある」。偶然か必然か、同じ夜に二人が僕を求めてきている。

 僕はコートを羽織り、外に出た。冬の風が頬を切るように冷たい。街路樹のイルミネーションが足元に光の粒を落としていく。その下を歩きながら、僕は思い返していた。

 玲奈との日々は、理論と現実が重なり合う時間だった。ワインの香り、器の手触り、そして実験室で交わした視線。彼女は僕の仮説を広げ、現実に橋をかけてくれた。

 一方、奈々との日々は、旅と偶然の積み重ねだった。パリの夜景、銀座のバー、空港のラウンジ。彼女は僕の世界を広げ、予測できない方向に引っ張ってくれた。

 だが、光速の原理は変わらない。同じ速度で進める相手でなければ、いずれ距離は広がる。僕が選ぶべきなのは、速度を合わせられる相手だ。

 気づけば足は、東京駅にほど近い小さなビストロの前に止まっていた。ガラス越しに見えるのは、ワインを手に笑う玲奈の姿。彼女はまだ僕に気づいていない。

 ドアを開けると、暖かい空気とローズマリーの香りが迎えてくれる。玲奈が顔を上げ、微笑んだ。その笑顔は、観測されることを意識したものではなく、ただ僕を見て喜んでいる笑顔だった。

 席に着くと、彼女は赤ワインを注いでくれた。

「来てくれてありがとう」

「君に会いたかった」

 その瞬間、僕の中で迷いは消えた。観測者と被観測者という関係を超えて、同じ速度で走れるのは、彼女しかいないと。

 ワインの香りが広がり、グラス越しに見える玲奈の瞳が揺れる。僕は静かに言った。

「これからも、君を観測し続けたい」

 玲奈は驚いたように瞬きをし、やがてゆっくりと笑った。

「じゃあ、私もあなたを観測し続けるわ」

 その答えが、僕たちの未来の光速を決めた。

 窓の外では、街の光が変わらぬ速さで流れ続けている。僕らもまた、その中を同じ速度で進んでいくのだ。

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